PM 23:00
自室(仮)で読書をしていたクーパーは顔をあげ時計を確認した。時間的にまあいいかと本を閉ざすと傍らに置き、
立ち上がると寝巻き代わりの服を掴んだ。臥せっていたザフィーラは目で追っていたがそれだけだった。
立ち上がらない。アルトも顔をあげていってらと尾を揺らす。風呂と解っているからザフィーラも声はかけない。
猫も直ぐに眠りの中に戻ってしまう。部屋を出ると淡い照明がつけられた廊下を一人歩く。話によれば交代部隊もあるそうで、
日夜働いているらしい。自分を省みれば、大したニートっぷりと自虐の溜息をつきながら、脱衣場に入る。
誰もいない事を確かめさっさと衣服を脱ぎ眼帯を外すと浴場に入る。脱衣場同様誰もいなかった。
夜遅くに入るのは誰もいない落ち着くという点と、例によって傷痕を見られたくないから、という理由だが今のところ運良くか。
誰とも浴場では遭遇していない。シャワーで汗を流し体を洗うと暖かい湯船につかる。
カコンと桶が倒れる音を聞きながら吐息を落とす。
帰れる見込みが無い以上仕方が無いとはいえ、少しは馴染み始めたかなと思ってしまう。眠気を引きずりながら入浴していると、
脱衣場に誰かが入ってきた音がした。びくりと体が動き頭からタオルを被る。眼帯は脱衣場だった。
自分を呪いながら覚悟を決める。他人の振りして……まさしく他人なのだが、
相手がシャワー浴びている間にさっさと逃げようと決め込むと相手は脱衣場で脱ぎ終わったのか、影が近づいてくる。
その影が嫌に小さい。大人のサイズではなかった。カラカラと音立てて戸が開かれた。誰だと思っていると小柄な赤毛の少年だった。
律儀にタオルで前を隠している。
エリオも直ぐに気がついた。足を止め目が合う。
「……」
「……」
「……」
「……」
そして何故か見つめあう。早くシャワーに行け、と突っ込みたかったが黙っておく事にした。
仕方が無いので少し頭を下げて挨拶をする事にした。でも、その前に少しだけ話を遡る。
PM 19:00
就業時刻終了のチャイムの音を聞きながら、エリオは一息をいれた。報告書良し、発注書も良し、作業メモの整理も良し、
連絡事項及び申し送りも大丈夫。今日も一日が終わった、と思いながら肩をほぐす。優秀な兄に事務面でも色々と教えて
貰っていたからそれほど苦でもなかったが、それでも一日の疲れは隠せない。
「お疲れ様、エリオ君」
「うん。お疲れ様、キャロ」
隣の席に座るキャロと挨拶をすると机の端に腰かけていたフリードにまでキュクルーと挨拶される。
少し離れた席にいるスバルとティアナも作業が終わったのか、前者は体を伸ばしながら、後者はさらりと仕事を終えていた。
オフィスには交代部隊の人達がお疲れ様でーすと挨拶をしながら入ってきている。夜勤を思うと大変だなぁという感想が残った。
ヴィータも姿を見せていた。寮に戻る支度をしてから引き出しからタイムカードを取り出してさっさと切る。
ガシャンガシャンと音立てて、スバル達とも挨拶をしながら、なのはにも挨拶を済ませる。
「なのはさん、お先に失礼します」
失礼しまーす、という声が続く中。うん、とウインドウを叩いていたなのはも顔をあげる。
「みんなお疲れ様、ゆっくり休んでね」
「はい!」
「スバル、あんたうっさい」
やれやれとティアナに突っ込まれながら新人達はぞろぞろとオフィスを後にする。
「あー疲れたよー、あ、キャロは直ぐお風呂行く?」
「はい、行きますよ」
「それじゃー背中流してあげるよ。あ、フリードも一緒に入る?」
スバルの問いかけにキュク? とチビドラゴンは首を捻った。女子寮と男子寮で別れるとエリオは一人になる。
やっと終わった、と思いながら一人早足に自室に戻ると陸士の服から訓練用の軽装に着替えカードタイプのS2Uを取り出す。
「それじゃ、行こうか」
デバイスに声をかけながら、軽い歩調で直ぐに部屋を後にする。仕事も終わり気持ちも軽い、これからは自主訓練だ。
今日は午前は教導で午後は事務作業だったから、どことなく体が鈍っているのだが最近思う事は一つ。
なのはの教導を通して自分の甘さを痛感するようになっているのが悔しくてたまらない。それ故の自主訓練だ。
少なくとも自分は即戦力になる、という気持ちはあった。Aランクだ。
陸士であれば部隊には一人いればいいといえるレベルのランカーだが。AMF、
そしてなのはの教導の前で息を吹きかけられ飛ばされたティッシュに儚く屈辱だった。
恵まれた環境で育ち天狗となり井の中の蛙になっていたのも確かだった。チーム戦というこれまでに経験の無かった事も、
まだまだある。海は広い。そしてもっともっと、上がいる。なのはもそしてクロノも、まだ見せていない一面があるに違いない。
少しでも早く階段を駆け上りたい。そんな気持ちで建物を出るとバリアジャケットとS2Uを手にすると、
スフィアを形成して自分も魔力を練る。外の空気を目一杯に吸い込むと、よしっと気持ちを切り換えた。焦っても仕方がない。
「よし」
誰に言うでもなく、気合をいれたスタートで自主訓練を開始した。スフィアをガジェットに見立て、
自分の中でAMFをイメージしながら動き続ける。そんなのが、かれこれ一時間続けるとぱちぱちと拍手が聞こえ
手が止まった。なのはだ。気づけば呼吸は乱れ多量の汗が流れていた。
「よくやるね、エリオも」
手にはドリンクを持っていて、はいと渡される。ありがとうございますと素直に受け取って口にする。
冷たい水分は体に染み渡り心地よい。一息ついた。
「まだまだです。驕ってる暇はありませんから」
「でも無理は駄目だよ。ちゃんと休むのも忘れずにね」
「はいッ!」
とかなんとか言いつつエリオの顔は子供そのものだ。なのはは頑張るなぁと見守りながら、よしと
レイジングハートとバリアジャケットを起動させる。目を丸くしたエリオを尻目に笑ってみせる。
「それじゃあ少しだけ私も自主訓練やろうっと。お相手願えるかな、エリオ」
「あ、……お願いします!」
一瞬呆気を取られて返事がどもったが直ぐに活きのいい返事を返す。ふふふと笑うなのははそれじゃー
復習と応用ね、と切り替え桃色のスフィアを作り出しぎゅんぎゅん動かしていく。エリオは背筋がゾクゾクする興奮のような、
快感を覚えた。この人を超えたい。純粋にそう思ったが結果は押して知るべし。なのはも少し指導に熱が入ってしまった。
結局遅くまで特訓? のような形で自主訓練は続きようやく開放されヘロヘロになったエリオは、風呂に向かうと
「……」
「……」
「……」
「……」
湯船の中に一人、想定外の人物がいて足が止まったのだ。タオルを頭から被っている姿は変だった。
任務で助けたのだから覚えている。目覚めたという話も聞いていたが接触する事も無く数日が過ぎていた。
でも、今日の午前中の教導の最中、ザフィーラと共にふらりと姿を見せて……なのはに怒られた事を思い出した。
しかし、……無表情だ。頭から垂れているタオルのせいで顔の右半分が隠れているから不気味さがあった。
対応をしづらいと思っていると少し頭をさげられる。
「…お疲れ様です」
と挨拶された。慌ててエリオも頭を下げる。
「あ、お疲れ様です」
すると、少年は不思議な顔をして鼻で笑った。嫌味が込められていない笑い方だ。
「…僕はここの局員じゃないですし保護されてる身ですから、その挨拶はちょっと違う気がします。
それから、敬語は無くていいですよ」
歳近そうですし、と付け加えられる。それでも、直ぐにタメ口で話すというのは難しい。戸惑いながら
頷いておく。
「解りました。僕も敬語は無しで構いません」
言葉はぎこちなくてどこか頼りない。それでも、少年は表情を変えることは無かった。
カポーンと桶が倒れる音が浴場に響く。
「…シャワー浴びないの?」
「え? あ、あああびますっ」
「……………そんなに慌てなくても」
湯船に一番近いシャワーにシャキシャキ赴いて体を洗うエリオだが、石鹸を泡立てながら声を張った。
「僕、エリオって言います」
相変らずの敬語が浴場に反響する。聞いていてくれてるのか、と思っていると湯船に浸かる少年は返事を返してくれた。
「…クーパー。よろしく」
「はいっ」
やっぱり反響する。子供が早く風呂から出たいのとは逆に、駆け足で体を洗い桶に湯を溜めると泡まみれの体を一気に流す。
タオルで頭を拭きながら湯船へと向かうとまだ居てくれた、と少しだけ嬉しい気持ちになった。タオルを頭に乗せ湯船に体を沈める。
まだ風呂に入って間もないというのに、心臓はどこか駆け足で動いていた。2人、湯船に並ぶ。
そわそわと、エリオは話したいけど言葉が見つからなかった。
湯に浸かるクーパーは年老いたダックスフントのようにボーっとしている。ヴァイスやグリフィスならばまだ話しやすいのだが、
身元不明かつよく解らない相手には何を振っていいのかよく解らない。何か話しの種は、とあれこれ頭の中を探してみる。
と、エリオの頭上に裸電球のマークが浮かび上がった。俗に、閃いた。
「午前中にザフィーラと訓練場に来てましたよね」
どうだ、とエリオは期待の眼差しを向ける。ああ、と相槌を打ちながらこくこくと頷く。
「…暇だったから。やる事無くて部屋の本は読みつくしたから。赴いたのはたまたま」
「そうだったんですか……あ、クーパーさんは魔法は使えるんですか?」
「…陸戦魔導師ランクがA、総合ランクはA-……だったかな、後結界魔導師としてはAA+だか、そんなだったと思います。
ちょっと、記録を見たのが随分前なんであやふやですけど」
「凄いなぁ、僕はまだ陸戦魔導師ランクがBですから」
「…………」
子供だ、眼の前のエリオを見ながらとクーパーは思う。この子の笑みに嫌味も無ければ皮肉も無い。
腹の裏で何を飼っているか解らない連中と話すよりかは、幾分楽ができそうだ。
この子の笑顔がポーカーフェイスでない事を願いながら、クーパーは湯船に映る自分の顔を眺めた。
そんなセンチメンタリズムのせいで、少しだけ口が滑った。
「…僕は強く無いよ」
「え?」
「…負けも負け負け、連敗続きだし。ちょっとムカッとして4人組の騎士に喧嘩売ったらボッコボコ。
その後もリベンジかけたりしたけど、甘く見ても1勝出来たか出来て無いかってとこだし」
きょとんとしてから、はいと頷いたエリオだったがいまいち要領を得ていないようだった。まあいいか、と思いながらお先に、
とクーパーは先に浴場を後にした。部屋に戻ると直ぐにベッドの上で横になり眠りにつく。ザフィーラは、塊のように動かなかった。
その翌々日、やはり居候の身は気まずいと思いながら憂鬱としていたクーパーに、仕事が頼まれる。