かくして、闇の書事件は終わった。
魔力蒐集の犠牲となったものは人ではなくリンカーコアを持つ生物が大半だっため、今までの闇の書事件と比べればヴォルケンリッターへの罰もそう重くならない。
人でなければ良いのか、という辺りは随分と現金だが、エスティマたちからすればそれは喜ばしいことなのかどうなのか。
それはともかくとして、ヴォルケンリッターたちの処分。
彼らは闇の書――今は夜天の書、リインフォースNEOと呼ばれる本型ストレージの中に封印されることとなった。
これは凍結封印と同等の重さを持つ刑罰として処理される。彼らが次に目を覚ますのは十年後、とプロテクトをかけられていた。
それに追加として、もう一つ。それは、異世界への追放処分であった。
が、これはエスティマやはやてたちと共に元の世界へリインフォースNEOを持ち出す必要があったからの対応だ。
こちら側の管理局からすれば、物騒なロストロギアと永久にお別れできるのなら、といった具合なのだろう。

「……世は事もなし、ってことになるのかな」

『どうでしょうね。
 ヴォルケンリッターたち以外ならば、問題は私たちのことが残っています』

「ああ、そうだな」

呟き、俺は首元に下がったSeven Starsへと視線を落とした。
以前は黒い宝玉だった彼女は今、キーホルダーサイズのデフォルメされたハルバードの姿を取っている。
俺と同じように防御プログラムとの戦いで大破した彼女は、しかし、消滅せずに姿を変えてこの世に留まっている。
俺と同じように、在り方を変えて。

エスティマ・スクライアは、闇の書へと取り込まれたことで、無限再生機構の恩恵を受けこうして生きている。
人体とプログラム体が融合した自分は、人間と呼べるのだろうか。
そもそも自分はエスティマ・スクライアなのだろうか。

そんな疑問はあるものの、まあ良いか、と俺はお気楽に今という時間を過ごしていた。
別に自分が何者だろうと構わない。何よりも大事な気持ちは残っているし、エスティマ・スクライアという人間を形作っている記憶は確かにある。
ならばきっと、俺は俺だ、と。そんな風に今という状況を納得していた。

そんな風に得体もないことを考えていると、念話が届く。
考え込んで細めていた目を開き、座っていたソファーから腰を上げた。
そして顔を上げると、小さな足音を立てながら廊下を進み始める。

リノリウムでできた床は電灯の明かりを反射して鈍く光っている。
白で覆われ、目が痛くなりそうな廊下を進み続けると、丁度診察室から姿を現した二人の女が出てきた。

「……どうだった?」

「ん、順調やで。もう問題らしい問題もないそうや」

「良いことです」

そこにいたのは、はやてとリインNEOだ。
マタニティドレスを着たはやての腹は、もう一目で子供が宿っていることを教えてくれるほどになっていた。
彼女はそこに手を当てて――おそらく、無意識に手が行ってしまうのだろう――にっこりと笑みを浮かべた。

「行こう、エスティ」

「ああ」

歩き始めたはやての隣に並び、彼女のゆっくりとした歩調に合わせながら、俺たちは病院の廊下を歩く。
その後ろを一歩遅れて進むリインNEOは、苦笑しながらどこか居心地が悪そうだった。当然だろうが。

すれ違う者たちは、はやてと同じ妊婦なのか。不安そうな顔をしている者もいれば、楽しげな人もいる。
中には俺と同じように夫婦で連れ添っている者たちもいた。彼らも、自分たちと同じように子供の誕生を心待ちにしているのだろう。

産婦人科を出て、そのまま病院のロビーを進む。
出口には、一足先に別れてタクシーを捕まえていたシグナムの姿があった。
四人はそのままタクシーに乗り、管理局の施設へと赴く。
車内では散発的に会話が行われるだけだったが、別に雰囲気が悪いというわけではない。
気心の知れた四人が集まっているからこそ、だ。リインNEOは違うと思われるかもしれないが、彼女は統合されたリインⅡの記憶を保持している。
なので振る舞おうと思えばリインⅡのような態度も取れるらしいのだが、流石に管制プログラムとしての彼女が恥ずかしいと思うらしい。

タクシーが止まって車を降りると、そこには闇の書事件に関わった者たちが勢揃いしていた。
クーパー、フェイト、ウェンディにアルフ。ヴォルケンリッターがいないため、やや少ない。
たったこれだけの人数を中心にして世界の危機が訪れたのだから、まったくもって厄介なもんだと思わず苦笑する。

これより、俺たちは元の世界へと帰還することになっていた。
今まではやては検査入院をしており、それが終わった今日、それぞれは過ごすべき場所に戻る。
急ぎすぎ、とは誰も思わない。闇の書事件が終わってから、既にそれなりの日々が経っているのだ。
別れを惜しむような時間は既に終わり、ならば早く元の居場所へ戻るべきだろう。

「……今まで、ありがとう」

「いえ。無事に終わって良かったですよ」

まず俺が言葉を向けたのは、フェイトだった。
執務官服に身を包んだ彼女は、ややバツが悪そうにしている。
それもそうだろう。事件は彼女が云ったように一件落着となったが、その前のことを考えれば――と。
子供を殺すような選択を迫っていたのだから、今になってどんな顔で祝福すれば良いのか。おそらく、そんなことを考えているのかもしれない。
律儀な子だ、と苦笑してしまう。

「そう気にしなくても良いのに。
 無事は無事だけど、紙一重だったわけだしね。
 提示された選択肢が間違いだとは、思ってないよ」

「そうだよフェイト。
 そんなに気に病むことはないんだって」

「……ありがとうございます。そう云ってもらえると、助かります」

アルフにも云われて、彼女は苦笑しつつ小さく頭を下げた。
そしてフェイトはおずおずと顔を上げると、視線を合わせてくる。

「頑張ってくださいね、お父さん。
 はやてさんと赤ちゃんを、守ってあげてください」

「云われなくても。
 なんてったって守護騎士だしね、俺は。
 二人を生涯守り抜くことが、最大の仕事だよ」

照れくさくて思わず茶化してしまうけれど、しかし、フェイトは眩しそうな視線を向けてきた。
それは、彼女の生い立ち故だろうか。自分と母親が――と。
そう思ったのを肯定するように、えっと、とフェイトは迷うように口を開いた。

「ちゃんと、愛してあげてください。
 その気持ちが伝われば、それだけで子供は幸せになれると思いますから」

その台詞を云ったフェイトは、管理局の執務官ではなく年相応の少女のように見えた。
俺はどんな顔をして良いのか分からず、小さく頷く。
そんな神妙な顔が面白かったのか、小さくフェイトは噴き出した。

「もう、あんまりハニーを苛めんといてやー」

「ごめんなさい。
 ……八神さんも、お元気で」

「うん、ありがとな」

そこで、一度会話が途切れそうになる。
だが、間を見計らったように猫の鳴き声――忘れんな、とばかりにアルトが喉を鳴らすと、全員の視線がそちらへと向いた。
皆の視線の先には、クーパーとウェンディがいた。
ウェンディは俺たちと縁が深いわけでもないため、特に何かを思っているというわけではないようだ。
が、クーパーは違うのか。彼は視線に晒されて居心地悪そうにしながらも、えっと、と口を開いた。

「…お元気で。皆さんによろしく」

「えー、クーパー、それだけっスか?」

ウェンディがにやにやと笑いかけると、仏頂面になりながらクーパーはそっぽを向いてしまった。
こういうのに慣れてないんだ、勢いっスよー、などと小声のやりとりが聞こえる。
それが一層微笑ましくて、そんな風に見られるものだからよりクーパーは意固地に。

ああもう、と彼は髪の毛をぐしゃぐしゃ掻くと、隻眼を俺たち二人に向けた。

「…本当に、云うことがないんだ。
 云いたいことは粗方ぶちまけたし……」

「ぶちまけた?」

「…こっちの話。気にしないで」

「男同士でって? 仲間はずれにされたみたいで嫌やなーもー」

「絡まないで……」

云った通りに腕を絡めてくるはやて。
けれど、彼女をはね除けることなんかしたくないし、身重なんだから余計にできるわけがない。
ただ成されるがままになっていると、気付けばクーパーが白い目を向けてきていた。
ウェンディはウェンディで、何やら面白そうだ。

見せ物じゃないんだぞ……。

「じゃあクリボーがこんななのでアタシが。
 八神さん、夫婦仲良く浮気も不倫も起こさせない秘訣はあるっスかー?」

「…そんなの聞いてどうするのさ」

「んー、所帯を持てば気持ちが引き締まると思うんよ。
 なので、ゴムには穴を開けましょうー」

「もしかして事件の発端はそれか!? それだったのか!?」

「おお、参考になるっス」

嘘なのか……本当なのか……。
ガン無視されている俺とクーパー。けれど俺はもう墓場に直行コースなので、もう関係ないだろう。
関係ないんだ……。

『……頑張れクーパー』

『…ちょっと本気でどうかと思ってきました、この女』

こうしたらええよー、ハードル高いっスよー、などと声が聞こえる脇で死んだ目をする男二人。
ちなみにフェイトは顔を紅くしてアルフと仕事の話をしていたり。まぁ、聞こえているんだろう。

だが、そんなことを続けていつまでも予定を引き延ばしてはいられない。
いい加減に耐えられなくなったフェイトが声を上げると、いつまでも長引きそうだった会話が終わり、クーパーが渡ってきた時と同じように魔力が注入される。
極彩色に輝き始めるレリック。
それに照らされながら、今にも次元震が起きそうな状態で俺たちは向き合っていた。
どこか線引きをするように、それぞれの面子で揃い立ちながら。

俺はしっかりとはやての腰を抱くと、飛行魔法を発動させる。
このまま転移して上空に出たら落ちてしまう。そんなことで、彼女を傷付けたくないから。
展開されたのは騎士甲冑のみで、Seven Starsは起動させない。
レリックの光に、俺の山吹色が混じる。
数多の光が乱舞する中で、ふと、妙なことが浮かび上がってきた。

それは本当に思い付きで、色々なものを踏みにじると分かっていながらも、ついつい考えてしまったことだ。
……また、一緒に戻らないか、と。
クーパーがそんなことをしないのは分かっている。
彼が本来いるべき場所はここだし、待ち人もいる。
だから彼が生きるべき世界はここだと理解しているけれど――そこまで考え、いや、と笑った。
こんなのはただの感傷だ。欲張りなのは俺の悪い癖だって理解している。
何から何まで手に入れることはできないんだ。つい先日、クーパーにそれを怒られたばかりだし。

だから、と云うわけではないが、俺はついつい口を開いていた。

「……クーパー」

「…なんですか?」

「短い間だったけど、弟みたいに思ってた。
 なんだかんだで、楽しかったよ」

「…僕は――」

クーパーがそこまで言い掛けた瞬間だった。
破裂寸前の爆弾のようだった――という比喩は些か物騒か。
それでも臨界寸前だったレリックがより一層強い光を放ち、彼の言葉を遮って、視界が、音が歪む。
そうして、俺たちは――

「はやて、お帰り――ってそのお腹どうしたんだ!?」

「消去法で考えるに、貴様かエスティマ。ておあ――!」

「に、兄さんどういうことなの!?」

「えっと……取り敢えず、皆とお話しようか」

「ちょっと待てよ! いきなりこんな出迎えか!?」

「あかん、あかんて。逃げたらあかんよハニー!」














そんなやりとりが、闇の書事件のピリオドだったと思う。
当たり前のことだが、こちらの世界に戻ってきてから彼らがどうなったのか、俺には知る術がない。
一体今頃、どうしているのだろう。
クーパーはウェンディと仲良くやれているのだろうか。ユーノは目覚めたのだろうか。
フェイトとアルフは無理せず仕事をしているだろうか。向こうのはやては、自分の夢を実現できただろうか。
そんな風に、ついつい過保護気味な考えが浮かんでくる。
あの子たちが子供と云ってもいいぐらいの年頃だからなのだろうか。
それともやっぱり、父親になる刻が近付いているからそんな風に思ってしまうのだろうか。

……分からないな。苦笑して、俺はずっと向こう側のことを想い出すのを止めた。

ふと、窓の外に視線を投げる。
適度な速度で進んでいるタクシーの窓からは、夜の街へと姿を変えつつあるクラナガンの街並みが見えた。
蛍火のように浮かぶ街灯はすぐ脇を閃光のように過ぎ去ってゆく。
それらを置き去りにして進む車が向かう先は、はやての入院している病院だ。
出産を控えた彼女は最近、毎日を病室で過ごしている。もういつ生まれてもおかしくないと云われていて――そしてついさっき、病院から俺の元へと連絡がきたのだ。
もう陣痛が始まっているという。魔法を使って飛んでいきたい気分だったが自重し、こうしてタクシーを走らせていた。

最初は焦って焦って仕方がなかったけれど、時間が経つにつれて焦ってもしょうがないと分かり今の状態だ。

向こう側でのことを想い出していたのは、これから子供が生まれる――そのきっかけとなった出来事が、すべてあちらであったからなのかもしれない。
自分が今立っている場所がどこなのか。どんな道のりを経てここに辿り着いたのか。
それの確認をしたかったのかもしれなかった。

切っ掛けはまったくの偶然だった二回目の闇の書事件。
だがこれは……少し、感傷に浸りながら考えるのならば。
俺が過去にしでかした失敗を乗り越えるチャンスを、与えられたのかもしれない。
それを乗り越えたから今という時間があるならば……ああ、確かに意義はある。
勿論、失敗していたらなんて考えたくもないし、二度とあんな目に遭いたくないとは思う。

けれどはやてを守り抜いて悲劇を回避したという実感は、現実という形になっている。
そして、二度と会えないとはいえ彼らとの思い出が笑顔で締められていることも、同じように。

……思えば奇妙な世界だった。
俺のいない世界。それが本来あるべき姿だと分かってはいたけれど、その代わりに俺と同じ立場の子供がいた世界。
もし俺ではなく彼が向こう側で出来事すべてに決着をつけるとしたらどうなったのだろうか。
俺にはそれを予想することしかできないし、事情をすべて飲み込んだわけでもないから完全に察することもできない。
しかし寝たきりになったユーノを始めとした数々の――ナンバーズと通じていたことすらも似ている変な因果は、きっと立ち向かうのが困難な運命だっただろう。
一歩踏み外せば何が起こるか分からない……本当、俺と似て非なる少年。
だからなのかな。最後の最後で、弟みたいに思ってた、なんて云ったのは。本心からではあったけど勢いに任せて――それも別れ際に云ったことだから、迷惑になってなければ良いけれど。

ともあれ……俺が現れたことで生じた歪みが、彼の行く末を照らすことができたのならば嬉しい。
どうにもならないことは確かに存在していて、それをはね除けるためには常識外の何かが必要だ。
果たして俺は、彼にとっての何かになれたのだろうか。そうなれたのならば良い。もし俺が存在したことで彼から何かを奪ってしまったのならば、それを申し訳なく思う。
もう、謝罪は届かないと分かっているけれど。

それでも、笑って別れることができたのは確かだから、それをエンドマークとしよう。

タクシーが止まる。
それに伴って料金を払いつつ外に出ると、空気を吸うのもそこそこに俺は歩き出した。
気を付けなきゃいけないと分かっていても、知らず知らずの内に早足になって……ああ、もどかしい。









そうしてエスティマは歩き出す。
子が誕生することで、彼にとって向こう側での戦いは完全に過去の出来事となるだろう。
色褪せるわけではなく、今という時を甘受し、抱きしめるための礎として。

産声が上がる。
それと同時にもう一つの世界でも、ずっと続いていた寝息が、止まっていた時間を取り戻し始めた。

cry baby.
本来の意味とは違うそれが、切っ掛けとなったのかどうなのか。それは誰にも分からない。

異なる流れとなっていた二つの現実は、かくして再び回り始める。
交差することは二度と無い。だが、それぞれが残した夢幻の残滓はお互いに宿って道のりは続くだろう。

背中合わせに隣接する彼らがどうか幸せであらんことを。


Wonder end.

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