夜。とはいっても本局だから見た目には解らない。

「それじゃ」

「ええ、お疲れ様でした」

廊下で、エスティマとはやては、フェイトとアルフと別れた。今日の嘱託魔導師としての仕事を終わらせた所だ。
並んで歩きながら、エスティマはそっと吐息を落とす。仕事で無理はしていないが、それでも少なからずの疲労はある。
はやてにばれないようにと漏らしたがしっかりとばれていた。

「お疲れ様、エスティマ君」

「ああ、うん。……お疲れ様」

 それがどことなく、バツを悪くする。気づかれると否応も無く気を使わせるからだ。
今や恋人として八神はやてとは付き合っているのものの、それでも譲れない領分というものはやっぱりあって、
誤魔化すように口許を摩り眼を逸らした。それを逃すはやてでもない、が。

「なあハニー?」

「いや、だからハニーはやめたほうがいいと思うんだ」

くっくと、はやては笑いをこぼす。

「今二人きりやん」

「そうだけど……」

 合理的な雄と浪漫を求める雌の差か。だが、照れたエスティマがはやてに勝てる術が無いのも道理だ。
二人で肩を並べて歩く中で、そっと指が絡む。離れる事は無かった。シャワーを浴びて軽く食べてから、
ベッドの中に潜り込んで眼を瞑った。いつまでこの生活が続くのか。

 それを考えると微妙になるが、はやてがいるからまあいいかという気にはなった。以前ならば考えも違っただろうが、
守るべきものができたからだろうか? まだ若いのに、人として熟成する時期に来てるのはどうなのかと思いつつも、
やっぱりまあいいかと思って吐息を落とした。

「寝てるー?」

「起きてるー……」

 でも眼を開けるのも億劫で、横になったまま手だけ上げてひらひら動かす。衣擦れの音が近づいてくるのが解った。
僅かな期待と興奮が胸の中で芽生え、それを自分でも意識するのが解った。嫌じゃないがこの間は遅刻しかけたのだ。
フェイトに申し訳ない、という気持ちもあったしエスティマが眼を開いたのと、

 はやてがベッドに腰掛けてスプリングを静かに響かせたのは同時だった。視界に収まったはやての格好を見て、
眠ろうとしてた意識がずっこける。ようするに目覚めた。

「ちょ、何? どうしたんだよ」

「んん? どうしたんやろうなぁ。私もエスティマ君の検索履歴を見てあれれーって思ったわ。そしたらなぁ。
ふふふふ……面白いものみれてなぁ?」

 うぐ、と詰まるエスティマは直ぐに冷や汗だらだらになった。こっそりとやっていてばれないと思ったが……。
自分がネットワークで検索をして見ていたものがはやてにばれて、まさしくピンチとなった。恋人とは恐ろしい。
必死の抵抗とばかりに、眼を逸らしたが、生憎と起死回生にはならないへっぽこ策になりそうだった。

「……なんのことかな?」

「しらばっくれるのもええけど勿体無いとちゃうんかなぁ……」

 ドヤ顔である。

 はやての細い指が伸ばされ頬を撫ぜ、背筋といわず全身がぞくぞくと快楽の痺れに粟立った。
甘く蕩ける声と+αの効果は絶大で、理性は呆気なく陥落した。その後の二人は言わずもがな。
仲がよろしかったご様子で。蜜以上に濃密な時間を過ごした。

 たまに、何か大事な事を忘れていたような気もしたが、とりあえず忘れた。幸福は得られる時に得ていた方が幸せだ。
快楽とは何もかもを忘れられるほどの刺激だからこそ、あるものだ。ちなみに彼の性癖は神のみぞ知る。たっぷりと愛した末、
二人とも眠りに落ちたが、エスティマはその途中で眠りから覚めた。

 眠気のまどろみは健在で目が細くなる。時計を見ると午前三時をまわったぐらいだ。目覚めるには早い時間だし
今日の予定はオフだから、寝坊を心配する必要も無い。

 ベッドのサイドテーブルにおいていた口が開いたままのペットボトルをとると口にする。
腕枕で眠るはやての寝顔は天使そのもので、またペットボトルをサイドテーブルに戻すと僅かに肌を指先で触れ、髪を漉く。
少しだけ身じろぎすると、身体を寄せてきた。嫌な気はしなかったが、少しだけむずがゆい。もう一度眠ろうと眼を閉ざしたが、

 そこで何故か、クーパーの顔が脳裏をよぎった。

「…………」

 どうでもいい事を思い出してしまい、どんなに寝ようと思っても駄目だった。眼を開き工学端末を出し片手で操作する。
ゆっくりとコンソールを叩いていく。知ってか知らずか胸に吐息と髪があたってむずがゆい。起こすのも悪い気がして我慢した。
入力を完了するとエンターを叩く。クーパーが使っていた個人回線をこっそりと拝借しスクライアのデータベースにアクセスする。
入力名は「Yuuno Scrya」ユーノだ。

この世界のユーノがどんな生き方をしているのか、なんとなく興味があった。勿論調べずにすむ事柄ではあるが、
興味が出てしまったものは仕方がない。チラ見させてもらって、それで終りだ。そう思っていた。
この世界のユーノもなんら問題なく暮らしている筈。と。だがデータを眺めて読みそれが代わり辟易した。

 見てはいけないものを見た気がして、いや、気まずくなってウィンドウを閉ざした。
それから、手で自分の顔をぺたりと覆い失敗したと嘆いた。クーパーの世界、つまりこの世界のユーノは病院で眠り続けている。
人はそれを植物人間と呼ぶ。

 それだけながらまだいいが、元の世界でクーパーをユーノの傍に置いた事を少しだけ申し訳なく思ってしまった。
どこかユーノに対しては余所余所しい、という話をアルフからも聞いていたがこういう事だったのだろうか?

「………」

時間の巻き戻しは利かない。知らずにいるほうが幸せだったのかと考えたが、それはそれで申し訳ない。謝るかどうかは別にして、
ため息をついた時、何かが胸に触れた。顔に当てていた手をずらして見てみると、はやての手だった。
相変わらず眠っているようだが、このタイミングだと本当に眠っているのかと疑いたくなる。

 寝顔は相変わらず、寝相は、推して知るべし……だろうか。
もう一度ペットボトルの水を口にしてから、そっと起こさないように、はやての額に口付け、大きな枕に頭を沈め眼を閉ざした。
おやすみ、と胸の中で告げておく。空いていた手が胸に置かれた指にそっと触れる。

 直ぐに意識は崩れ眠りの中に落ちる。人って不思議。どんなに愛し合っても蕩ける程の愛を言葉で紡いだとしても、
愛する人を理解する事なんてできないんだよ。柔らかい唇を貪って唾液を一つにして、抱きしめてあげても、
相手の心の奥底なんて解らない。どんなにベッドを軋ませてもね。

 でも、だからこそ人は人を愛するのかな。なんて、時々思う。理解されないから終りなら人間なんて種族は滅ぶ。
滅ぼさない為に快楽っていう手段を用いたのかもしれないけど、愛が、愛した人と気持ちいい事を共有できるならそれは幸せな事。
目線をかえてみると他人を完全に理解できない方がいい、なんて思うこともある。満足してしまっていいの? 

 足を止めてしまっていいの?

 もっと好きな人に愛してるって言ってあげないの? サプライズをあげないの? マンネリなんか嫌い、エッチも工夫して、
もっと愛してって言わせるぐらいに。今よりも前に進んで言ってあげたいよ。好きだよって。ね。だから、僕も、好きなんだよ。
「 」を呼んでくれたこの人達が。とっても。この上ない程に……。 エスティマは夢を見た。

 何かから語りかけられているような気がしたが、それが何なのかは解らなかった上、目覚めた時にはその夢を忘れた。
なんだったかな、とぼけた頭で考えるけど、

「んん……」

 身じろぎしたはやてに意識をもっていかれた。二の腕をそっと手の甲で撫でながら起床を促す。
気持ちいいから寝ていてくれも構わないがぼんやりと眼は開かれた。最高の目覚ましに満足しつつ、
おはようと囁いてから口付ける。数秒後、満足そうに微笑む。

 はやては身体を寄せ抱きついてくる。悪くは無い。が、……少し重いと感じたのは口が裂けても言えない。
こわやこわや。

「今私が重いって思ったやろ」

目を背ける。女の勘は恐ろしい。

「ないです、絶対ないです。いやほんと。……って ほんとほんと本当だからそこはっ!!」

 親父笑いをしながら見えない場所に手を伸ばすはやてと逃げるエスティマ。
朝っぱらからベットの上でばたんばたんとさもしい二人だった。一緒にシャワーを浴びてから、
局内の普通な食堂で食事をして腹を満たしてから今日の予定を決めかねる。

 することがないのだ。二人には。以前のクーパーがそうであったように、アウトサイダーたる二人はこの世界にとって異端だ。

「ミッドでも行ってみる?」

「ええなぁ、美味しいケーキ巡りとか、マッサージしてもらったり、あー足湯とか温泉の施設もあったらいきたいなぁ。
色んなとこ巡って化粧品も見たいしなぁ、こっちにも色々あるやろ。無いもんあったら素敵やわぁ。
異世界っちゅうのも素敵やなほんまに」

「………そうだな」

のりのりのはやてに少し引き気味なエスティマだった。デートは悪い気はしないが、女の子のノリで一日つき合わされると……
それはそれで疲労がたまりそうだった。その後のご褒美に期待しようかな、と思うエスティマだった。
お茶を飲みながらはやてが提案する。

「ハニーにケーキ、あーんで食べさせてあげるよ?」

「遠慮しておく」

「早いなぁ」

 速攻の返事にくすくすと笑われた。
この世界においてのエスティマ・スクライアは機動六課部隊長ではないからスキャンダルを気にする必要は無い。
無論裸で何が悪い! なんてやったら捕まるが。恥ずかしい事には抵抗感がある。

 人前でのハニーもそうだし、今のケーキの話もそう。だけど

「    」

「ん? 何?」

 眼を逸らしていった一言をはやては聞き取れなかった。照れ隠しのようにお茶を啜りながら、エスティマはもう一度口にする。

「……行くよ、どこでも。ケーキ屋でもなんでも」

「え、ええの?」

 少しだけ、きょとんとしたはやてだった。

「行きたいんだろ? ならいいさ。行こう」

 からかい半分、行きたい半分だったのだろう。エスティマが完全に行かないとは思っていなかっただろうが、
こうも早い決断に眼を丸くするが、お茶を一息に飲み干してから、立ち上がった。

「うん。行こうハニー!」

「ハニーはやめてくれ……

 だって周りの人がすごい見てたから。きっと、こうやって恥ずかしいこともいい思い出になるから、というのがエスティマの弁。
それから、君の嬉しそうな笑顔が見たいから、っていうのもあった。これも、口が裂けても言えないが。

「なぁなぁ、あーんするのとされるのと、させっこどれがええかな?」

「もう、任せる……」

「それやったら先に、ストロー二個さしたトロピカルジュースとかでもええなー」

目が点になった。

「……なんだって?」

 敵はとても強敵のようだったが。エスティマはその日、頑張ったとだけ記述しておく。ミッドでウィンドウショッピングをして、
色んな所を巡り、美味しいご飯を食べて、プリクラ撮ったり、映画見たり、
本屋を覗いて意外な掘り出し物を見つけて満足してみたり。移動の時はいつも手か腕を繋いで恋人らしい一日を謳歌した。

たまにはこんな日があってもいい、と思わずにはいられないぐらいに。
等身大の管理局員でない女の子としての八神はやてと一緒に楽しむのも悪くは無いのだ。恋人なんだし。
一日の最後に、指輪を渡せたらそれはそれではやてにとってはいい思い出になるだろうが、
それは向こうの世界に帰ってから渡したいエスティマだった。

 どう足掻こうがアウトサイダーなのには、変わりないのだし。ここは自分たちではなく、クーパーの世界なのだから。
その遊びまくった一日の終りに。クラナガン某所の公園に二人は赴いた。誰もいなくて、照明だけがひっそりとついている。
手には買った荷物があった。そして、はやては言った。

「ありがとうな」

「ん?」

「今日や。私が行きたい所ばっかりいっぱい付き合ってくれて、ありがとうな」

 濃厚でない、触れるだけのキスを優しくされる。悪い駄賃だとは思わない。

「そんなに嫌じゃないんだ。はやてがいるから。恥ずかしいのはやっぱり恥ずかしいけど」

「そか」

 もう一度、とはやての顔が近づき今度はたっぷり交わるキスをしようとした時。それは来た。
突如として二人の眼前に現れると間を置かずに『マスター承認します』だの『登録します』だの独り言のように呟き始め、
二人の意識がそれに追いついたのは、全てが完了した後だった。

 エスティマは荷物を捨てずにはやてを抱きかかえる形で後方へとすかさず下がるが、二人の前に現れたソレ。
闇の書は、既にマスターを決めてしまっていた。

「……!?」

エスティマは脳裏で、大勢の力を借りて闇の書を破壊した記憶を思い出す。
復活する訳が無いと否定するが、直ぐにそれは打ち消される。ここは自分が知る世界ではなく、他人の世界だという事を。
そしてそれらは現れた。一人、いや二人は姿を変え償いの道を歩み、他の二人ははやての家族として、
騎士として歩んでいる者達を。自分の腕を砕かれた古い記憶が思い出される。

エスティマは、一度シグナムに殺されているのだ。忘れる筈も無い。夜の公園にある者達が跪き宣言する。
もはや覆す事などできない。





身体を暖めるホットココアを飲みながら、フェイトはぼんやりしていた。
エスティマ達に合わせてスケジュールを組んでいるから今日はオフだ。
つい先ほどまでなのはと通信で話をしていて、クーパーの無事についても話していた。

 久しぶりに聞けた親友の声に心は癒され、ココアが入ったマグカップにそっと口付けながらまったりしていたのだが……
通信が入る。また一口、ココアを飲みながら、誰だろうと通信相手を確認する。表示されたのはエスティマ・スクライア。
何だろうと思いつつ通信ウィンドウを開くと、自分によく似た男の顔が表示された。背景が暗い。

 外だろうか。

「どうしたんですかエスティマさん」

また一口、ココアを口にする。
足元で眠っていたアルフの耳がぴくぴく動いた。起きているのだろう。

『あー……いや、休日の夜にすまない』

「?」

随分と言い難そうにしている。何か問題でも起こしたのだろうか?

『クラナガンまで来てくれないか?』

「何かあったんですか?」

またココアを飲もうと口付けようとしたところで

『……闇の書が復活したって言ったら……信じてくれるか』

「……………」

 手と口が止まった。足元の耳がぴんと垂直に跳ねた。
映像は、エスティマの顔から黒衣を纏った四人の守護騎士が映し出される。
この世界のフェイトはヴォルケンリッターとは直接の戦闘をしてはいない。

 資料としてなのはやクロノ達が戦ったのを見ているに過ぎないが現れたのはロストロギアとなれば、休日は返上だろう。

「場所は?」

『本部から一番近いリニアレールの駅近くの公園』

「あいよ」

のそりと、足元のアルフが立ち上がる。フェイトは迷わずマグカップを脇に退け、

『あ、それから……』

と、エスティマが次を告げる前にアルフが組んだ転送魔法は発動し、二人は直ぐにクラナガンの公園の入り口に送り届けられた。
古代ベルカの時代から連綿と戦い続ける戦闘プログラムヴォルケンリッター、エスティマがいるといえど勝てるかどうか。
そう考えながらレイジングハートとバリアジャケットを展開させるが公園では戦闘など一つも行われた形跡は無い。

 行われてもいなかった。獣から人の姿に戻ったアルフは腕を組むと、静かな夜に呆気をとられた。

「どういうことだい?」

「ん……」

 フェイトも、もう少しエスティマの話を聞けば良かったと早とちりを後悔しつつ、公園の中に歩みを進めると、
目的の人物達は直ぐに見つかった。エスティマ・スクライア、八神はやて、そしてヴォルケンリッターだった。
見た限り戦闘は行われていないようなのだが…………なんだろうか。

 エスティマの手にはこの場には似合わない買い物袋が下げられている。とてもじゃないが場違いな姿だった。戸惑いながら、
フェイトとアルフは近寄った。

「エスティマさん」

「悪いね、フェイト」

 荷物を手にしながら頬を掻く。……逃げる事も、敵意を向けてくる様子も無いヴォルケンリッターには戸惑った。

「説明してくれるんだろうね?」

アルフがうんざりしたように聞くと、本人も面倒臭そうにため息を落とした。

「要約すると、闇の書が転生して……またはやてを主にしたみたいなんだ」

「随分アバウトだね」

「突然ですか?」

「そう。突然」

 肝心のエスティマもやれやれとという具合に辟易していた。話を進めるにあまりにも唐突に現れ、
唐突にヴォルケンリッターに宣言された為、不意打ちに近い状態だったらしい。気持ちが解らないアルフとフェイトでもなかった。

「まさか私も、もっかい闇の書の主をやれー言われるとは思わんかったしなぁ」

あははと笑うはやて。それもそうだろうに。そして、フェイトを呼んだ一番の理由が騎士達の処遇についてだ。

「どうする?」

 無論、エスティマははやてが軟禁拘束されるのは望むところではない。だからこそ信用における人間を呼んだのだが……。

「…………」

生憎とこの世界のフェイトはいい子ちゃんではない。少し考えてから光学のコンソールを表示させると、
なにやら両手で入力し、一瞬手が止まるがまたすぐに入力を再開しつつ顔を上げた。

「流石にその人達を本局に連れて行くわけにはいきませんから。
クラナガンで適当なレンタルハウスを私の名義で借りておきます。そこで休んで下さい」

 ちらりと、アルフが主人の顔色を窺った。それも視界に入ってはいるもののその程度で意見を動かすフェイトでもない。

「いいのか?」

エスティマは問うた。コンソールを出して、フェイトは入力を始めながら答える。

「はやてさんが主でしたら、皆さんの不当な拘束、及び尋問等は今はしないつもりです。
その代わりにヴォルケンリッターにもジェイル・スカリエッティの捕縛に協力してもらいたいのですが。……よろしいですか?」

「それは大丈夫やろ?」

なぁ、とはやてがヴォルケンにふると、当然の如く

「ままに」

と述べられた。問題は無さそうだ。一つ頷き肯定しておく。

「エスティマさん。闇の書に関して、問題点はありますか?」

「今の所は無いと思う」

「なら、すぐにどうこうの判断はしません。
……えっと、解ってるとは思いますが大げさな行動はとらないようにだけお願いします」

 データ送っときますから、とだけ言ってフェイトはアルフと共に切り上げて、さっさと転送で戻ってしまった。
残されたエスティマは仕方なしと頭を掻きながら振り返る。四人のヴォルケンリッター。そして再び闇の書の主となったはやて。
クロノの言葉が蘇る。世の中、こんなはずじゃなかったことばかり。とはいっても後悔している暇も無いしする意味も無い。
頭を強く掻きながらため息を落とした。

「移動しよか?」

「そうだな……」

 はやてに促され、エスティマは歩き出した。遅れて、ヴォルケン達がはやてに促されて移動を開始する。
フェイトから送られてきていた宿泊先はそう遠くない。徒歩で向かい割りと直ぐについた。
あがりながら、地上本部の目と鼻の先にロストロギアの一端があると思うと頭が痛くなるエスティマだった。

 移動先は割りと普通のマンションで、酷く一般的だった。中に入ると照明をつける。ある程度の家具は揃っていて、成る程、
と関心する。ここなら問題なく住めそうだった。が、当然の事ながら食料が無い。

「私何か買ってくるよ、ご飯無いのも寂しいし。ちゃちゃっと作ってあげるから」

とかいってはやてはさっさと出て行ってしまった。同行しようとエスティマだが、
よほど料理を作ってあげたかったのか止める間もなかった。またヴォルケンリッターを放置するのも気が引けた。
はやてが座って、といったから椅子に腰掛けているヴォルケンリッター達は酷く機械的だ。
それが疑問だった。問うてみる事にした。

「なあ、前回の闇の書の主の事は覚えてないのか?」

それに対してシグナムは首を横に振った。肯定ではない、否定である。

「覚えておりません」

それが解らなかった。

「何故?」

「前回の起動後、大規模な記憶消去があった模様です。私達には解りかねます」

 エスティマも、この世界の闇の書については詳しくはしらない。
クーパーが持っていたデバイス、カドゥケスに残されていた情報で多少の既知にしているだけだ。
『クーパーはヴォルケンリッターと戦い負けまくった』『闇の書は転生した』ぐらいだ。

 こんな事なら、クーパーからもう少し聞いておけば良かったと後悔したが、今はどうしようもない。肯定する以外に無い。

「そうか」

 胸のうちにある感情は唾棄する。そしてあまりにヴォルケンリッター達は自分達から何か意見することはなく人形のようだった。
空気が重い居心地の悪さに、エスティマは台所に赴くとインスタントのコーヒーを見つける。
賞味期限を確認すると……飲めそうだ。

 ヴォルケンリッターに尋ねてみれば全員『頂きます。』の一言返事。これはやりづらいと口許をひくつかせながら、
ヴィータは砂糖を多め、シャマルは適量、シグナムとザフィーラは少々。牛乳は無かったので我慢。自分にはブラックを入れる。
はやてが戻ってくるまでの繋ぎ、と思いながらも入れたコーヒーを運ぶと、全員に『感謝します』と堅苦しく礼を言われ、

味を聞けば『美味しいです。』……やり辛い事この上なかった。居間の椅子は丁度四人家族用で、
ヴォルケンリッターが腰掛けておりエスティマはマグカップを手に壁によりかかりインスタントのコーヒーを飲みながら一息つく。
そういえば、自分も腹が減った事を思い出しながら暖かな湯気が立ち上る珈琲の黒い水面を見詰める。

 胃に落とされた暖かさに僅かな安堵を得ながら、思考を止めているとシグナムの目線に気づいた。

「ん、どうかした?」

「いえ……、僭越ながら、ご質問をしても宜しいでしょうか?」

肩を竦める。

「そんなに堅苦しくならなくていいよ」

 では、と椅子に座ったまま失礼しますと言葉を重ねる。そう直ぐに軟化はしてくれそうになかった。

「エスティマ様は、主はやてとどういったご関係なのですか?」

 そういった詮索もするのか、と思ったが主を守るのが至上である騎士達ならば、それも当然かと肯定しておく。

「オレははやての恋人だよ」

その一言は割とするりと出てくれた。

「恋人……」

 ヴィータがぽつりと呟いた。珈琲を口付けてから「そう」と肯定しておく。苦さが広がる。酷く、心地よかった。
黒い水面にうつる自分の顔を眺めながら呟く。

「はやてを守りたい。何があったって……お前たちが出て来ても、その気持ちは変わらないよ」

僅かに手が揺れ波紋が写っている顔を揺らした。

「主の想い人でしたか……ならば、主同様お守りさせて頂きます」

 顔をあげる。悪い気はしなかったがなんと返せばいいのか解らなかった。と、何かを考え込んでいるようなヴィータが
首を傾げた。

「主はやては……主、だけど」

「ヴィータちゃん?」

「……いや、ごめんなんでもない」

 何かを考えているようだった。まるで違和感を持っているような、得体の知れない齟齬を感じているような、そんな感じだった。
エスティマもシグナムも、鉄槌の騎士を追及はせずに話題からは見送った。
暫くすると、買い物袋をぶらさげたはやてが戻ってきて、直ぐに調理を開始してざっくばらんなものが並んだ。

「みんなで食べよ。一緒に頂きます、言わんとご飯は美味しくないんやで」

 再び家族を作るのか。はやての笑顔に面食らっていた騎士達だが、エスティマ、はやても声を揃えて頂きますと食事を始める。
最初は口数少なげだが、皆美味しいと食べてくれる騎士達にはやては満足げだった。
無論エスティマも満更ではない。寧ろ満足である。

 その日の夜は、皆風呂に入ってからエスティマとはやてもそこに泊まる事に。まあいいかと思いながら、
全員分の寝巻きも無いのでバリアジャケットで済ませる。便利なものだ。女性陣と男性陣に分かれると、
当然エスティマはザフィーラと二人になる。本人はベッドに戸惑ったが、寝れ、とエスティマに言われると大人しく従い、
同室で眠った。無論同じベッドではない。

「……このような施しをして頂けるのは初めてです」

ザフィーラは、闇の中でぽつりと呟いた。エスティマは、眼を閉ざしながら答えた。

「ザフィーラ」

「はい」

「敬語禁止」

 返答は、しばらくなかったが、小さな声で「はい」という返事を聞いてから、エスティマは寝返りを打ってから眠りについた。
久しぶりに同衾でない夜は僅かな寂しさが込み上げたが、直ぐに眠りにいざなわれ、忘れた。
フェイトは急遽得た戦力に昂ぶりを隠せぬ日々を過ごした。エスティマ・スクライア、八神はやて、そしてヴォルケンリッター、

 自身にアルフ。もはやこれは一部隊などという枠を超えた過剰な戦力だ。下手をすれば中隊、無理をすれば大隊クラスを相手にできるかもしれない。抑揚する感情は止められぬ日々を過ごした。寝る間も惜しみ仕事が進めた。
やるのが楽しくたまらないという気分だ。こんな戦力、二度と手に入ることはないだろう。

 そして、今が絶頂期というならば、ある内に使っておかなければそれはまさに、損である。

「……いいのかい? フェイト」

「ん……?」

 自室でコンソールを叩きながら、質問したアルフには目もくれずに作業を続けた。続きを促す。

「何が?」

 足元で狼は耳をぴこぴこと動かす。

「ヴォルケンリッターだよ」

 エスティマ達がいるとはいえ、放置は頂けない。そういいたいアルフの気持ちも解らないでもないだろうが、

「いいも悪いもないかな。どの道私が処理するんだし……はやてさんが主なら、エスティマさんも逃げないだろうし。
大丈夫だと思うよ。それにあの人たち全員が敵に回るなら、私達おろか、誰にも処理できないよ。……絶対に」

「なのはを呼んでも?」

「……うん」

「クロノとハラオウン提督が来ても?」

「うん」

「クーパーがいても?」

「うん。というよりも……次元が違うんだよ。ミドルスクールの学生と大人が争っても意味がないのと同じ。
圧倒的な力の差っていうのは、どうしようもないから」

「……そんなにあいつは、強いのかい?」

 未だ疑うか、フェイトは眼を細める。

「……少し怖いよ。エスティマさん。浅い感じがするけど、濃いから見てると気持ち悪くなってくる。ずっと見てると、
ゲシュタルト崩壊を起こす感じがして吐き気がする。深いかもしれない。あんまり覗き込みたくないんだよ。あの人は」

 顔が似てるのも一因だった。

「…………」

 なんの話だ、と疑った。その後もブツブツと呟くフェイトが心配になったが、
どうやら本人も意識せずに半ば眠っている状態で仕事をしているらしい。
それでいてミス打ちがないのだから褒めるに値すべきだろう。指は、コンソールの上を忙しく動いていた。兎にも角にも、

 反映は割と直ぐに出た。
戻ってくるはずのクーパーがおらず、エスティマへと食指を伸ばしたスカリエッティを、フェイトは逃さない。
マッドサイエンティストに直々に四名は砂漠の無人世界へと招かれ、そこで一気に攻勢にでた。
無論、フェイトがしっかりと八名で赴いたのは言うまでも無い。

 舞い上がる砂塵の中を、閃光達が往々と駆け回る。

「魔導師の性能が、戦力の決定的な差でないことを教えてやる!」

飛び掛るはトーレ、インパルスブレードとSeven Starsが一合をもって切り結ぶが、衝突の火花を以ってエスティマは下がった。
ちらりと後方を見やる。

「シグナム!」

その代わりに、突出した桃色が髪を獅子舞の如く靡かせ、斬光が走らせた。その太刀筋に迷いは無し。
レヴァンティンの刃の上に魔力保護をかけた非殺傷設定をかけた一撃は、容赦無くトーレを袈裟斬りに収めた。
モードAを維持するSeven Starsから射撃が迸り撃沈させる。

 トーレの意識は奪われそのまま倒れた。両者が同時にバインドをかけ次に移る。

『ポイントD進入地点、制圧!』

 ヴィータだ。映像が遅れてやってくると、チンクをバインドで抑えていた。
何もかもが順調、そして恐ろしいまでにうまくいっていた。
何故かは知らないが、この世界の機人は人数が少ない。事前にそれを知らされたエスティマは面食らったが、
いるのはトーレ、クアットロ、チンク、セイン、そしてウェンディらしい。3、4、5、6、11番。しかいないのだ。

3番と5番は捕獲、何故か11番と6番は投降済。残るは鬼畜眼鏡の4番のみとなった。
シグナム、エスティマのツートップが施設内に進入する。ヴィータはフェイト、ザフィーラ、シャマルと共に先行し
問題なく進んでいる。はやてとアルフは空の上で待機となっていた。

 こんな筈ではなかった、というのがスカリエッティの本音だ。何故ヴォルケンリッターがいるのか理解ができない。
そして余裕を持って駒を進めた瞬間、相手は手の内をさらけだし一気に加勢へと変貌してみせた。
ナンバーズでは明らかに抑えられない能力。素晴らしいの一言に尽きるが、それに追い詰められては意味がない。

 残念だが、ここまで観念した彼は、席を立つとある場所に赴く。そこには一つの脳が液体の中に浮かんでいた。
コンソールを出して静かに操作をすると、液体の色は一気に沈み、泡が溢れた。

「意味の無い世があるとするならば、それは死んだも同然の自分が存在する事だ。……お別れだよクーパー。
君の過去を見れなかったのは心残りだが……仕方ない」

 そのまま、そこに立ち尽くし自分の過去を振りかえった。数十分後、彼はヴィータ達に無抵抗で捕縛されることになる。
そして、四番。エスティマの魔力刃が串刺しにした状態で、零距離射撃を慣行し意識を奪った。
無論非殺傷設定だから、外傷は何一つ負わせていない。

 白煙を纏いしSeven Starsから空薬莢がずるりと抜け落ち、地面に音立てて転がった。再装填はしない。
戦闘で僅かに乱れた呼吸を吐息一つで落ち着かせる。その程度だった。

「……こちらエスティマ、クアットロ確保」

『お疲れ様エスティマくん、これで全員やな』

「ああ」

 Seven Starsを待機モードに戻し、クアットロをシグナムが担ぐ。
二人はそのまま施設内を確認すると、ヴィータ達と合流し施設内を確認しておく。
資料のデータ等は引き抜き、フェイトは回収していく。ヴォルケンリッターはそれを手伝う。その間、
エスティマは手持ちぶさたでスカリエッティが拘束されたという部屋を見に行くと、脳が入ったカプセルをみつけ違和感を抱いた。
どうやら、死んでいるようだ。しげしげとそれを眺める。

「…どこの世界も、マッドの考えることは解らないな」

『まったくです』

 解剖展ではあるまいし、死んだ脳を眺めていても面白みなど何もありはしない。フェイト達の作業が終わると帰還した。
敵味方含め死者及び負傷者ゼロ。あっさりと事件は片がつき、時空管理局はフェイト・テスタロッサ執務官、
単独で広域次元犯罪者ジェイル・スカリエッティ逮捕! の一報を大々的に流した。

 まさに時空管理局ここにあり、とでもいいたげな宣伝だが、そこにエスティマ達の影は無い。
あったら困るで、と笑うのははやてだった。皆、それに苦笑で応える。



「楽、だった」

 ヴィータは楽勝だったぜ、と言いたいのに、むずがゆそうにのっしじゃがんがずっしんと勝気な歩調で帰途につく。
それを緩やかに、他の5人が追う。
手には買い物袋が下げられていて、食事の材料だったり、おかしだったりアイスだったり、入浴剤だったりする。

 ヴォルケンリッターにも少しずつ人間らしさが染み出してきて感情豊かになり贅沢というものを覚え始めた。
それは確かに心の贅肉、というものかもしれないが、満更でもない。喜びが悲しみと捉える普通の人も、そういないだろう。

「ええなぁ、こういうの」

「?」

 エスティマの横を歩きながらはやてがぽつりと呟いた。

「家族やん。これって。私は一度経験したけど……旦那様がやっぱ隣にいるんは、違うなぁ」

 笑顔が咲いた。

「そう……かな?」

「おっきぃシグナムとちっちゃぃシグナムの二人も会わせて見たいなぁ。異世界っていうのも、悪く無いよエスティマ君」

 ああ、と肯定していく。君がいるから……とは、口に出して言わなかった。野暮だった。
よく解らなかったが、照れた男は恥ずかしさに塗れる。レンタルハウスにつくと、手洗いうがいをして、
はやては直ぐにエプロンをシャマルと一緒に身に付ける。

「直ぐ作るから待っとってなー」

 そう言いながら、後ろ姿を眺めたエスティマは、居間の椅子に腰掛けて吐息を落とす。瞼を落とす。
このまま、眠ったらごはんやでエスティマくんーっはやてが起こしてくれるのかな。そんな事を考えながらうとうとしていると、
奇妙な声が聞こえた。嘔吐する時の声が聞こえて、エスティマの意識は僅かに揺れた。

 続いて、シャマルが心配する声が響き、シグナムが声をあげた。
直ぐに意識が戻りエスティマは立ち上がってキッチンを見やった。嘔吐して崩れるはやての姿があった。

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