小刻みに響く電子音によって意識が覚醒する。
粘ついた眠気を振り解くようにエスティマはゆっくり眼を開くと、ベッドサイドに置いてあるSeven Starsへと視線を移す。
彼の視線に気付いたのだろう。黒い宝玉の表面には現在時刻が表示される。
時刻は――急いで支度をしなければ、仕事に遅刻してしまうほどの時間。

なんでこんなに余裕がないのか。それは、彼の右腕を枕にして寝息を立てているはやてと一緒になり、明日はギリギリでいっかー、と変なテンションで決めたからである。
流れとしてはなんとも爛れたもので、最近は自分も楽しめるようになってきたからなのか、一回二回と行為を重ねている内に彼女がもっとと強請ってきたのだ。
情事の最中にそんなことを云われて男が、しかも流されやすいエスティマが断れるわけもなく、まぁいっか、となって朝方まで頑張った次第である。
二人とも前線に出るタイプの魔導師。体力は人並み以上にあるのだった。

が、冷静になってみれば後悔しきりだ。
やばいやばいと眠気を完全に吹っ飛ばしながら、エスティマは現在時刻を頭に刻み込んではやての肩を揺する。
が、はやては幸せそうに寝息を立てるばかりで、ようやく目を開けたと思えば、意地悪せんといてー、ととろけるような笑みを浮かべる。
……とても可愛い。
が、

「……甘えても駄目だっ。起きろってはやて、もうシャワー浴びられるかすらも微妙な時間なんだ!」

「ううん……じゃあ、お休みしよう。今日はいちゃいちゃしたいわー」

「日銭稼がないと駄目だろっ。
 ああもう、フェイトには適当に言い訳しておくから、遅刻なり休むなりあとでメールしてくれよ!」

「ううっ……分かったわー」

ひき抜かれた腕枕を名残惜しそうにしつつも、それだけ応えてはやては再び夢の中へ。
まったく、と嘆息しつつもはやての寝顔に笑みを浮かべると、エスティマは浴室へと急いだ。

軽くシャワーを浴びて、髭を剃って。ドライヤーで乱暴に髪の毛を乾かすと、髪型のセットもしないまま身体を拭きつつ烏の行水を終える。
どの服を着ていくか選んでいる暇はない。ハンガーにかかっていた海の局員用制服に手早く袖を通すと、サイフと携帯電話、Seven Starsを持って足早に部屋を後にした。

腕に持った上着に歩きながら袖を通しつつ、Seven Starsにフェイトとの待ち合わせはどこだったのか聞き出す。
指定された転送ポートに直行すると、待ち合わせに二、三分遅れてエスティマは到着する。

「おはようございます、エスティマさん」

「ああ、おはよう……」

僅かに弾んだ息を整えながら、エスティマは乱れがちな髪の毛を手櫛で整えた。
それを眺めながら、フェイトは首を傾げる。

「寝坊ですか?」

「ん、ああ。ちょっとバタバタしてて……。
 ああ、そうだ。悪い、はやては具合が悪いみたいで、遅刻するか、今日の仕事を休むことになる」

「分かりました。あの……はやてさん、大丈夫そうでしたか?」

「あ、ああ……まぁ、どうだろう」

エスティマの有耶無耶な言い方に首を傾げるフェイト。
一方、そんな彼女の隣に立つアルフはすんすんと鼻を鳴らした後、ジト目でエスティマを見た。
が、特に追求はしてこない。わざわざフェイトの前で云うことでもないと思ったのだろう。

取りあえずはメンバーが揃ったことで、一行は転送ポートへと踏み入れる。
向かう先はとある管理内世界。そこで行われている違法研究施設への踏み込み捜査。
施設自体は小規模なもので、雇われの魔導師が警備に付いている以外、防衛設備らしいものがないことも既に調査済みだった。

フェイトとアルフの二人で踏み込むのは、少し躊躇してしまうレベル。
だがエース級魔導師三人ならば楽勝だろう。そう考えて、捜査を強行することにしたのだ。
が、当てにしていた魔導師の内一人は体調不良のようだ。だったら諦めるべき――などという考えは、フェイトにはない。

転送ポートで目的の世界に跳ぶと、エスティマと隣り合って歩きながら、フェイトは彼を見上げる。
エスティマ・スクライア。次元漂流者であり、管理局に保護されながら協力する姿勢を見せる人物。
年齢は本人の言を信じるならば十八歳。別に隠す必要もないので、本当なのだろう。

"向こう"の世界ではミッドチルダ地上部隊所属の三佐だったらしい。この歳でその階級まで上り詰め、しかも執務官の資格まで持っているのだからよっぽどのエリート文官なのだろうというのがフェイトの認識だった。……最初は。

けれど蓋を開けてみれば違う。
彼が昇進を重ねたのは魔導師としての力を振るい続けたからであり、三佐となって前線を離れたのは長年の無理が祟りフォワードとして力を振るうことに限界を感じたからだという。
そんなことで部隊を動かすことなんて――とも思ったが、本人曰く、部下を上手く使えばどうとでもなる、とのこと。
成る程。執務官試験を通ったのだから最低限の事務作業はお手の物だろう。……釈然としないものを感じはしたが。
そう、色々と納得できないのだ。このエスティマ・スクライアという人物は。

「……ああ、悪いね。はやてがいればレンタカーでも借りれたんだろうけど」

「そう、ですね。けど、しょうがありません。
 それにはやてさんがいても、免許証は偽造みたいなものですから、執務官としては……ちょっと」

「それもそうだ」

申し訳なさそうなエスティマに、そうフェイトは云うと、捕まえたタクシーに三人で乗り込み研究施設のある土地まで行くことになった。
タクシーの後部座席に三人で並ぶと、マルチタスクを駆使しながら仕事の情報を整理しつつ、やはりフェイトは異邦人たちのことを考える。

エスティマのことは一端置いておき、今度はもう一人の女性を。
八神はやて。ミッドチルダ地上部隊所属の一等空尉。聖王教会にも籍を持っているようだが、本人によると局で働くことがほとんどだという。
自分と同い年の八神はやてを知っているフェイトからすると、この女性は少し苦手であった。嫌いではなく、むしろ好きな部類の人なのだが。
自分の知っている八神はやてとのギャップが大きすぎて、どうしても戸惑ってしまうのだ。
自分の知る八神はやては今、本局で捜査官として働き出すべく勉強や魔法の訓練に精を出している。
とても余裕があるとは云えず、切羽詰まった脆さすら感じるのだが、大人の彼女にはそれがない。
むしろ終始幸せそうで、どうしてこうなった、と思わずにはいられないのだ。

人間って不思議だ、とフェイトは思う。
大人になればフェイトの知るはやても、あんな風になるのだろうか。
それとも、彼女がああなった理由が向こう側の世界にあるのだろうか。
それを知ったところで知的好奇心を満たす程度にしかならず、まったく役には立たないのだけれど。

ちなみにフェイトは、向こう側の自分がどんな風に過ごしているのかを一度も聞いたことがない。
初めて顔を合わせ、エスティマたちに事情聴取を行ったときも意図的に避けていた。
彼らもそれを察したのか、PT事件に関することには一切触れることはなかった。
気にならないと云えば嘘になる。けれど、それを頭の中に浮かべる度に、僅かな怯えが胸を振るわせるのだ。

――もし、もう一人の自分が母親と幸せに暮らしているだなんて聞いてしまったら、自分自身を怨まずにはいられないだろうから。
そうなる可能性があって、それをみすみす潰して今を過ごしているのでは思ってしまえば、色々なものが壊れてしまう。そんな気がする。

それに――

「……ん?」

「な、なんでもありません」

――色々と気になることはあるのだ。
エスティマが自分に接する態度の中には、年下の子供に対するもの以外の何かがある。
親愛の情だろうと想像はつく。何故自分をそんな風に見るのか。
少し考えれば分かることだ。性別が違うだけで、ある意味、エスティマはもう一人の自分なのだから。
もしかしたら兄妹か何かなのかもしれない。それを知ってしまったら、この人にどう接すれば良いのか分からなくなってしまいそうだ。

……お兄ちゃん。もしそういった存在が小さな頃から自分の傍にいてくれたら――
いけない、とフェイトは頭を振る。考えすぎるのは自分の悪い癖だ。

うじうじと一人で考えごとをしているフェイトとは違って、エスティマは気楽なものだった。
睡眠不足のせいか、車の揺れに睡魔を呼び起こされ非常に眠そうな顔をしている。

彼は彼で、こちらの世界での生活を楽しんでいる。
デスクワークに追われることもなく、緩い制限の中ではやてと心地の良い生活を始めてからもう二ヶ月。
向こう側へ戻らなければ、という義務感や不安がないわけではない。しかし、今の状況ではどう足掻いても戻ることなどできないとも、理解している。

その時がくるまでじっと待つしかないと割り切ってしまえば、あとはそう難しいこともない。
フェイトが慎重に捜査を進めることもあり、嘱託魔導師として働き始めてから苦しい戦いを経験したことは一度もなかった。
適度に身体を動かし、むしろ調子は全盛期のものを取り戻し、越えつつある。
向こう側での宿敵であるスカリエッティが掴まっているため、焦りを覚えながら胃潰瘍と闘うこともなくなっていた。

もっとも、彼がそんな風に楽観的な暮らしを続けているのははやてとの関係に溺れているというのも大きいのだが。

「着いた……ほら、起きなエスティマ!」

「ん……ああ」

ふるふると頭を振ってエスティマが眠気を飛ばすと、一行はタクシーを降りて徒歩で目的地へと向かう。
そして踏み込みを行うべき施設が見えてくると、デバイスのセットアップを行いつつ、迂回して距離を詰める。

「では、エスティマさん――」

フェイトはエスティマへと指示を出しながら、彼が握るデバイスへと視線を向ける。
白金のハルバード。Seven Starsというらしいその武器に、完全なオーパーツという認識をフェイトは抱いていた。
こちらとは違う体系の技術が存在しているのか。それとも、ロストロギアか何かを使用しているのではないのか。そんな馬鹿げた考えすらも浮かんでしまう。

自分がどれほど価値のあるものを使っているのか、彼は理解しているのだろうか。
あれを管理局の開発部にでも売り渡せば、嘱託魔導師などやらなくても遊んで暮らせるだろう。
もっとも、インテリジェントデバイスは金銭で売れる物ではないとフェイトも理解しているが。
自分の持つレイジングハートが特別なように。

説明を終えると、フェイトたちは行動を開始する。
戦力としてはこの上なく信頼できる味方がいるのだ。きっと、今日の仕事も上手く行くだろう。














「……んんっ」

薄暗い室内で、はやては一人、身を起こした。
半開きの目で部屋の中を見渡し、あれれ、と首を傾げた。
おかしい。ハニーがいない、と。

しかし寝ぼけた頭は徐々に動き出して、二度寝を開始する前に彼が慌ただしく出て行ったことを思い出す。

「……ドタキャンしてもーた」

あっちゃー、と額を抑えつつばふりと音を立て再びベッドに倒れ込む。
そしてエスティマが寝ていただろう場所に頬を擦りつけると、残り香を吸い込んだ。犬みたい。昨日は犬みたいにされてたけれど。
仕方がないし自分が悪いとは分かっていながらも、はやてはエスティマが自分を残して行ってしまったことに寂しさを覚える。
無理矢理起こしてくれたって良かったのにー、と呻き声を上げながら、よし、と顔を上げた。

ドタキャンしてしまったものはしょうがない。取りあえずはメールを送って、どうするか予定を決めよう。
携帯電話を弄ってエスティマに自分の手はまだ必要かとメールを送ると、はやてはベッドから抜け出した。
一糸まとわぬ姿で、内腿の乾いた感触を気にしながら彼女は浴室へと。

換気扇は回っていたが、個室の中には水気が漂っていた。
冷たいタイルの感触に頭が冴えるのを覚えながら、はやてはおもむろにシャワーノズルを回す。
ホルダーに引っかかったシャワーから温水が流れ、それを頭から浴びる。

身体を汚す汗やら何やらが、張りのある彼女の肌からゆっくりと流れて排水溝へ。
目を閉じながらはやてはシャンプーを掌に出すと、繊細な手つきで髪の毛を洗い始めた。

今日はどうしようか。仕事がまだ残っているのなら行くしかないけれど、そうじゃなかったら。
まずは夜の後始末をしないと。情事の跡が残ったシーツをそのままにするのは気が引ける。

選択をして、次は買い物だろうか。日用品はまだ切れていなかったが、折角だから、今日は手の込んだ手料理をエスティマにご馳走してあげよう。
そんな風に予定立てると、いつの間にかはやては鼻歌を口ずさんでいた。

シャワーの音に混じって声が反響し、ふんふん、とご機嫌な調子ではやては身体を洗う。
八神はやてにとって、ここ二ヶ月の生活はとても満足のゆくものだ。

無論、向こう側に残してきた守護騎士たちや友人が心配でないわけがない。
出来ることなら早く帰りたいし、申し訳ないとも思っている。

けれどそれ以上に、エスティマとの同棲生活が魅力的すぎるのだ。
ずっと待ち望んでいた生活に飽きはこない。他人と共に過ごすと云っても、苛立ちを感じることもない。
エスティマがどんな人間かだなんて、はやては知り尽くしているのだ。駄目なところも良いところも。
身内同然の幼馴染みとして長年過ごしてきた経験は伊達じゃない。一緒に暮らし始めて戸惑うことがないわけではないが、それすらも新しい発見として喜びに転化する。

幸せすぎて怖いぐらい。しっぺ返しがくるんじゃないか、なんてことすら考えてしまうほどだ。

身体を洗い終えると、はやてはタオルで肌を拭い、それを頭に巻いて、浴室を後にした。
何を着ようかーと首を傾げて、頭の上に電球が一つ。

下着を身につけてジーンズへ足を通すと、備え付けクローゼットの中からワイシャツを取り出した。
女物にしてはサイズが――ではなく、エスティマのものだ。本来は制服の下に着るためのもの。
えへへー、とそれを眺めた後に、ぎゅっとシャツを抱き締める。洗濯はちゃんとしてあるが、それでもエスティマの匂いが微かに残っているのだ。

はやては抱き締めたワイシャツに腕を通す。案の定、サイズはぶかぶかだ。身長差は彼と二十センチ近くあるので当たり前だが。
余った袖を折り畳んで半袖に。裾に余裕を持たせてジーンズへと収めると、半乾きの髪を拭きながら携帯電話を手に取った。

画面を見てみれば、返信が届いている。

『殲滅完了』

とのこと。皆殺しとは酷い言い方やなー、と呟きながら、暇な平日を与えられたことに感謝感謝。

床に脱ぎ散らかされた服をまとめ、ベッドからシーツを剥ぎ取ると、ビニール袋へ詰め込んで更にトートバッグへ。
本局に間借りしているこの部屋には、洗濯機がない。居住区画にあるコインランドリーへ足を運ばなければならないのだ。
普段ならばエスティマと一緒に行ってとりとめもない話をしながら洗濯終了を待つのだが、今日は相方がいなかった。

適当な雑誌をトートバッグに詰め込むと、良い具合に乾き始めた髪の毛をドライヤーで完全に水気を飛ばす。
ヘアピンで髪型を整えると、軽く化粧をしてはやては部屋を後にした。

ご機嫌な調子で、はやてはコインランドリーを目指す。
いつもは二人でゆくところに一人で向かうのは寂しいが、今日のところは彼の服を着ているということで我慢。

コインランドリーに到着すると、はやては早速洗濯機の中へ衣服を投下する。ネットに入れた下着も一緒に。
洗剤と柔軟剤を入れて、コインを挿入するとスイッチを。水が洗濯槽に注がれる音を聞きながら、はやては備え付けのベンチに腰を下ろした。

やはり平日の昼間だからだろうか。思った以上に人がいない。
コインランドリーには、はやて以外に一人の少女がいるだけだった。

が、そうそう珍しいことではないのかもしれない。
97管理外世界ならばともかく、ここは管理局の本局。年端もいかない子がこんな時間に一人でいても、不思議ではないだろう。
トートバッグから持ち込んだ雑誌を取り出すと、はやてはぺらぺらとそれを捲った。
大きな記事はもう読んである。細々としたもの――投稿コーナーに目を通しながら、再び鼻歌を。

人がいるためやや控え目に声を出したつもりなのだが、どうやら迷惑だったのか。
少女はちらちらとはやての方へと目を向けてきた。

「あー、ごめんな? 静かにするさかい、堪忍や」

「い、いえ……そのっ」

はやてに声をかけられ、少女は目を見開きつつ首を振った。
それでセミロングの髪の毛が、僅かに揺れる。
大袈裟な反応に、内気な子なんやろうか、とはやては胸中で首を傾げた。

「その……」

「ん?」

「今の曲……お姉さん、97管理外世界の出身ですか?」

その問いかけと、独特のイントネーションがある喋り方に、おや、と今度こそ首を傾げるはやて。
やや離れているので、はっきりと顔が見えるわけではない。けれど、ひょっとしたらあの子は――

「うん、そうやで」

なんだか楽しい気分になってきたはやて。
彼女はにっこりと笑みを浮かべると、肯定の意を少女に返した。

同じ本局内にいる、とフェイトは云っていたのだ。こうして顔を合わせてもそう不思議ではないだろう。
少女――"こちら"の八神はやては、おずおずと口を開く。

……ん、私ってこんなに内気やったかなぁ?
八神はやての様子に、はやてはそんなことを思った。
丁寧語のせいか、関西弁は抑え気味になっている。それでも染みついたイントネーションは拭い去れていないが。
なぜ素で話そうとしないのだろうと、素朴な疑問が湧いた。

「出身はどこなんですか?」

「えーっと……」

海鳴です、とは云えないだろう。
いくら彼女が自分のことを異なる自分だと分からないとしても、下手に混乱させたくはないし。

「生まれは関西で、そっから東京の方に……」

自分でもビックリするぐらいアバウトな返事をする。東京のどこや、と。
が、八神はやてにとっては充分だったのだろう。こくこくと小さな頭を上下させる。

「東京ですかー。一度行ってみたいと思ってるんです、ほら、千葉なのに東京って言い張ってる夢の国とか。
 お姉さんは、行ったことありますか?」

「あ、あははー。実はないんよ。
 越してすぐに、管理局に入ることになってなぁ」

「あ、そうなんですか……えと、じゃあ、今は魔導師としてお仕事を?」

「うん。嘱託魔導師やっとる。懇意にして貰ってる執務官さんにお世話になりながらな」

「あ、じゃあ、お姉さんは執務官志望だったりするんですか?
 私のお友達に、最近、執務官になったばかりの子がいるんですよ。
 その子も最初は嘱託からスタートしてて」

「や、今は嘱託魔導師で手一杯で、先のことはな……。
 それはともかく、凄いやんか。あなたのお友達ってことは、同い年ぐらいやろ?」

「はい、すごい子なんです」

云いながら、八神はやてはまるで自分が褒められたかのように笑みを浮かべる。
そのすごい子とは、きっとフェイトのことなんだろうなぁ、と思いながらはやては話を続けた。

「なぁなぁ、そんな無理矢理言葉遣い変えなくても、関西弁で話してええよ?
 というか、管理局でもあんまり気にする人はおらんと思うし」

「あ……はい。ありがとうございます。
 けど、標準語にした方がウケが良いって聞いて……だから今、矯正中なんです」

はて、そんなことはあるのだろうか。確かに標準語を身につけた方が、印象は良さそうだけれど。
ただの捜査官になるならば、それほど気にする必要はないと思う。
それとも目の前にいる自分は、ただの捜査官ではなく、違うものを目指しているのだろうか。

そう思いながらも、いくら自分自身と云ったって根掘り葉掘り聞いては悪いだろうと、深く考えるのをはやては止める。

「んー、そか。ならしゃあない……のかなぁ」

「しゃあないんです」

ついつい洩れてしまったのだろう。
八神はやてはしまったという顔をすると、苦笑する。
それに釣られてはやても笑い声を上げ、幾分、空気が柔らかくなった。

「あはは……あ、そうや」

疑問を抱かせても悪いだろうと思ったはやては、自分から切り出すことにする。

「なんだか私とあなた、顔立ちとかが似てるなー。
 髪とか伸ばしたら、私もそんなんになるかもしれへん」

「あ、実は私もそんなこと考えてて……」

再び、くすくすと笑い合う。
もう一人の自分と他人として出会うなんて、滅多にできない体験だ。
楽しもう、とはやては八神はやてと、言葉を交わすことにした。











「遅い――」

「この、管理局の犬が――!」

「――喚くな!」

ブリッツアクションで正面から背後へと一瞬で回り込み、振り上げたSeven Starsをここの責任者に雇われたであろう魔導師の背中へと叩き付ける。
手加減はした。肉を抉る感触は返ってくるも、骨は砕いていない確信がある。
電撃でも流し込まれたように海老ぞりになった魔導師へと、追撃として左腕から本物の電撃をお見舞いし、カタをつけた。

溜め息を吐きながら、エスティマはSeven Starsを肩に担ぐ。
これが最後の魔導師だった。調べとは違って十人近くの魔導師が研究施設には詰めていたものの、それだけだ。
魔導師ランクは贔屓目に見てもAA。寄せ集めらしく連携も取れていない敵を一掃することに苦労は感じなかった。

フェイトに申告した魔導師ランクは空戦AAA-となっているが、実際は違う。
ストライカーと呼ばれるエスティマのランクは、空戦SS-。AAA-は陸戦の方だ。
なぜわざわざ実力を誤魔化すようなことをしたのかと云えば、単純に厄介ごとから身を守るため。
世界は違ってもフェイトが悪意をもって自分たちに接するとは思えなかったが、それは色眼鏡に過ぎない。
足元を見られてSS-に相応しい任務に当てられ続けなどしたら、すぐに自分は消耗してしまうだろう。

フルドライブや稀少技能を使っていないからこそ、身体の調子も良いのだ。
いつ何が起こるか分からない――自分たちをこの世界へ引き摺り込んだ相手がスカリエッティだと分かっている以上、余力は残しておきたかった。

フェイトがそれに気付いていないわけもないだろう。
しかし彼女はこちらにも事情があると察してくれているのか、嘘のランクを告げたことに対して何も云ってこなかった。
幾度の戦場を共にしたのだ。伝えたランクが嘘だということぐらいには気付いているだろう。相手の力量を見抜けるだけの強さを、あの子は持っている。

『エスティマさん。そちらはどうですか?』

『制圧完了。デバイスには封印処置を施して、魔導師は昏倒させたあと縛り上げている』

『ありがとうございます。
 これから研究施設のデータを記録媒体に保存するので、手伝って貰えますか?』

『了解。今、向かうよ』

Seven Starsを肩に担いだまま、急ぎ足でエスティマは施設の中心へと向かう。
決して清潔とは云えない廊下を淡々と歩き続け、視界が開けると、既にフェイトとアルフは作業を始めているようだった。

「お疲れ様です。
 ……その、申し訳ありませんでした。戦力の見積もりを誤って」

「気にしなくても良いよ。無事だったんだしね。
 それに、ミスぐらい誰にでもあるさ。それで怪我でもした人がいたなら別だけど、なんともないなら、反省だけして次に生かそう」

「はい……ところでエスティマさん、何人の魔導師を行動不能にしました?」

「ん、七人かな?」

「……ねぇ、エスティマ。アンタ――」

「アルフ。エスティマさんはAAA-の魔導師だよ」

「……分かったよ、フェイト」

ご主人様には敵わない、とばかりに肩を竦めると、アルフは作業に戻る。
それに苦笑しながらエスティマも手伝おうと一歩踏み出し――

『ハ ハ ハ』

――久々に聞く耳障りな声が鼓膜を舐め上げ、エスティマは肩に担いだSeven Starsを両手で構えた。
それに反応したのはエスティマだけではない。
フェイトとアルフの二人も作業を中断し、戦闘態勢を取る。

『……Seven Stars』

『戦闘機人のエネルギー反応、感知できず。
 AMFも展開されていないようです』

……ならば。

こことは違うと云っても、スカリエッティという人物を漠然と理解しているエスティマは、苛立ちを感じる。
視線を巡らせれば、ついさっきまで沈黙していた情報端末の一つがモニターを輝かせていた。
その画面に映る男の顔を、エスティマが見間違えるわけもない。

『ごきげんよう、フェイト・テスタロッサとその使い魔。
 そして……エスティマ・スクライアくん。初めましてだ』

「……ハジメマシテ」

棒読みの声を、エスティマは上げる。
それをさも愉快と云わんばかりに、スカリエッティは頬を吊り上げた。

にやついた顔で、彼はフェイトたちを流し見る。視線で穴を開けようとするほどに。
それに耐えきれなくなったのか、フェイトは燐とした響きを含む声を。

「スカリエッティ……ここの研究施設は、」

だが、フェイトの言葉が最後まで紡がれることはなかった。
お前に興味はないと云わんばかりに。

『私の傘下というわけではないのだがね。
 君たちが踏み込むと聞いて、少しばかりもてなしを豪華にしてあげたのさ。
 が、少々足りなかったようだ。こうも簡単に食らい付くされてしまうとはね。
 ……が、それも仕方がない。レリックウェポンがどれほどの力を持っているのか、この私が一番良く知っているのだから』

ハハハ、と再び耳障りな声が上がる。
いつの間に――否。スカリエッティはクーパーを呼び戻すつもりで、俺たちを吊り上げた。
ならば、あの場にはクーパーを回収するつもりでサーチャーの類か、あるいは戦闘機人が潜んでいたのかもしれなかった。

エスティマがレリックウェポンかどうかなど、調べれば簡単に分かるだろう。
世界にいくつもない反応を、次元震から抜け出て興味を持っている者が発していたら、余計に。

「……何が目的だ」

舌打ち一つし、エスティマは嫌々スカリエッティに言葉を向ける。

『何、そう難しい話ではないさ。
 ……恋人と共に私のところにこないかね? 相応のもてなしは約束するよ。
 何もそんなところで日銭を稼ぐ必要はない』

「スカリエッティ!」

あまりにも堂々とした発言に、フェイトは激昂する。
が、スカリエッティはにやついた顔を浮かべたままだ。
どんな返事をエスティマがするのか、子供のように待っている。

……そんなこと、決まり切っているというのに。

「断る」

『ほう? 良いのかね?』

「逆に、云わせてもらおうか。
 俺たちを元の世界へ戻せ、スカリエッティ。
 俺はお前の暇を潰すための玩具になるつもりはないんだよ」

画面の向こうで顔芸を披露する男に、言葉を叩き付ける。
が、口にした本人であるエスティマも、相手が真っ当に話を聞くとは思っていない。

ゲラゲラと笑い声を上げられたところで、別に不思議とも思わなかった。

『ハハハハハ! そうか、そうか!
 クーパーの代わりにきたと思えば、その中身まで彼に似ている!
 彼に振られたときのことを思い出してしまうよ!
 どうやら私には人を口説く才能がないようだ!
 ――ククッ。
 ……良いだろう、ならば、エスティマくん』

戦争だ、と何かの真似でもするように、スカリエッティは云う。
いずれ戦うことになるだろうと思っていたエスティマは、スカリエッティの言葉を抵抗もなく受け容れた。
……あるいは。
それは、向こう側のスカリエッティとの決着が、意に沿わないものだったからなのかもしれない。

云いたいことを吐き出して満足したのか、ぶつりと画面は消え、不愉快な顔が消え去る。
鼻を鳴らすと、エスティマはバリアジャケットをそのままに、構えていたSeven Starsを待機状態へと戻した。

「……エスティマさん」

「……ん?」

「この仕事が終わったら、いくつか聞きたいことがあります。
 レリックウェポン……あなたがそうだとは、聞いていませんでした。
 他にもまだ隠し事があるようなら、ちゃんと教えてください」

「……すまない」

一言謝り、とりあえずは残った作業を終わらせにかかる。
データを吸い出して昏倒させた魔導師を現地の局員に引き渡すと、三人は現場を離れた。

携帯電話を見てみれば、いつの間にかはやてからメールが届いていた。
殲滅完了、と返信して、端末をポケットに突っ込む。

帰りは到着した管理局の車両に乗って、転送ポートまで行くことになる。
任務が終わって一息――とはいかず、緊迫した空気の漂う車両の中で、フェイトは口を開いた。

「……では、エスティマさん」

「ああ」

応じ、エスティマは何から話したものかと考えを巡らせた。
視界の隅では目を細めたアルフが、容赦のない視線を向けてくる。
嘘も隠し事も、しないほうが良いだろう。

まずは事実だけを。どんな風に自分の身体が魔改造されているのか、エスティマは語り出した。
















「……それで、クーパーくんは任務中に行方不明になって」

「……ん、そっか」

エスティマたちが任務を終えて言葉を交わし、これからの方向性を決めている頃。
はやては、もう一人の自分と未だに話をしていた。

既に洗濯、乾燥も終わってしまい、いつこの場を去っても良い状態だったが、どうにもその気になれず、八神はやての相手をしているのだ。
話を切り上げるタイミングが見つからないというのもあるし、この子がずっと話し続けているというのもある。

何かを溜め込んでいたのだろうか。
いや、きっとそうなのだろう。気軽に言葉を交わせるのは、なのはとフェイト。しかし本局住まいでは、二人と直接顔を合わせる機会が多くはないのか。
初対面の相手に、八神はやては随分と自分のことを話しているように、はやてには思えた。

闇の書のことやヴォルケンリッターのことはぼかされて説明されたが、事実を知っているはやてには意味がない。
家族と云える存在はヴィータしか残っておらず、その家族も贖罪のために色々な世界で仕事をしているため滅多に会えない。
友達がいないわけではないが、なのはたちほど親しいわけでもなく、あまり気の休まらない毎日を送っている。

そして最近の悩みは、クーパーが失踪したことだという。
いつか友達に戻りたいと思っていた男の子が消えてしまったと、落ち込んだ様子で彼女は云う。
真実を知っているはやてであったが、迂闊に口を滑らせるわけにはいかない。
もどかしい気持ちで、ただ聞き役に徹することしか出来なかった。

「……あ、あはは、すみません、なんか暗い話ばかりしちゃって」

重い空気を払拭するように、八神はやては無理矢理笑みを浮かべた。
それを直視するのが辛くて、目を逸らしたい気分になりながらも、はやては気にせんでええよと返した。

……自分にはどうすることもできない。
助けてあげたいとは思うものの、別世界の住人である自分は、いつか向こう側に帰らなければならない。
それがいつかは分からない。しかし、もし八神はやての支えに一度でもなってしまえば、またこの少女は喪失の哀しみを覚えることになるだろう。

今の状況が恵まれているからこそ、はやては痛いほどにもう一人の自分の辛さが分かる。
けれど自分には――と。

「……本当、ごめんなさい。佳奈さん、なんだか知り合いみたいで話しやすくて、べらべらと」

ちなみに八神はやてに、はやては植田佳奈と偽名を名乗っていた。
まさか同姓同名だと云うわけにもいかなかったので。

「だから、気にせんでええって。
 気が楽んなるなら、お話ぐらいいくらでも聞いたるわ」

「本当、ありがとうござい――」

そこまで云って、くるる、と可愛らしい音が鳴る。
音を上げたのは、はやてのお腹だった。そう云えば目覚めてから何も食べてない。時刻を確認すれば、既に昼の三時を回っている。
あはは、と誤魔化すと、はやては洗濯物の詰まったトートバックを担ぐ。

「はやてちゃん、一緒にお昼でも食べへん? 折角だから傲るよ?」

「い、いえ、そんな――」

「ええからええから」

……そんなことぐらいしか出来んしな。
胸中でひっそりと呟き、八神はやてが荷物を持ったことを確認すると、はやてはコインランドリーを後にした。

荷物をはやての部屋に置いて行こうということで、二人は廊下を進む。
そうして部屋の前まできて、電子ロックを解除しようとすると、廊下の角から姿を現した青年にはやては表情を輝かせた。

「お帰り、ハニー!」

「せめて二人っきりのときだけにしてくれって、本当!」

本当に止めて、と顔を真っ赤にするエスティマに笑みを零すと、そうだ、と彼に念話を送る。

『エスティマくん、気付いていると思うけど』

『……ああ。どういうこった』

『コインランドリーで出会って、仲良くなってしもうて。
 そうそう、今の私は植田佳奈さんっちゅうことで、お芝居よろしゅう頼みます』

『なんで中の人……あい了解』

ハニー攻撃から立ち直ったように見せかけて、エスティマは八神はやてへと視線を送る。
彼女は一瞬エスティマの表情を見て固まり、すぐに頭を下げた。

……むっ。いくら私でも、エスティマくんはあげへんよ。
と、思うはやてだったが、単純にフェイトのそっくりさんなので驚いただけであった。

「初めまして、エスティマ・スクライアです」

「えっ、スクライ――は、初めまして! 八神はやてです!」

ファミリーネームに反応してしまうのは当たり前か。
しまったなぁ、と思いながらも、下手に誤魔化しては逆効果だろうとはやては傍観に徹する。

「はやてちゃん、で良いかな?
 ごめんね、佳奈が世話になったみたいで」

「いえ、そんなこと全然! むしろ、私の方が愚痴を聞いて貰ったりで……」

……傍観に徹する。

「そう? なら、良いんだけど。
 はやてちゃんは今、仕事中――じゃないか。だったら佳奈と話しているわけないし」

「えと、私はまだ局員じゃないので……。捜査官になるために勉強中なんです」

……傍観に……徹する。

「お、そうなんだ。もしかして、特別捜査官狙いだったりする?」

「え、なんで分かったんですか?」

……傍観に。

「いや、なんとなくだよ。わざわざ本局に間借りして、って考えれば将来有望なのは察しが付くし。
 はやてちゃん、どう? 調子は」

「なんとか、って感じです。
 ギリギリ試験に受かるかもーってぐらいで」

「そうか。ん、勘だけど、大丈夫だと思うよ。
 俺、人を見る目はあるつもりだし。
 ああでも、少し残念かな。執務官のことだったら、アドバイスしてあげ――」

「なんで目の前に私がおるのに私を口説いとるんや!」

「ちょ……!」

傍観に徹することはできず、ガックンガックンとエスティマの襟首を揺する。
止めて止めて、と云うエスティマを無視して、ぐったりするまでそれを続けた。

「あ、あの、喧嘩は……」

「あはは、大丈夫やって。それよりもお昼を食べに行こうかー」

電子ロックを解除して玄関にお互いの荷物を置くと、はやてはエスティマを引き摺って歩き出す。

『自分自身に嫉妬するなよー』

『うっさい。なんやの? 幼い私の方が好みなんか? もう挟んであげたりとかせえへんよ?』

『いいえ、決してそんなことはありません』

『なら良し。大人しくしているように』

などと念話を交わしつつ、三人は本局内にあるファミリーレストランへと足を運んだ。
時間帯がお昼時から微妙にズレているせいか、それほど混んではいない。

禁煙のボックス席に座ると、三人は早速メニューを見始めた。
八神はやてとはやては、無難にプレートセットを。和膳もメニューの中にあり頼んでみようかとも思ったが、97管理外世界でないのなら、なんちゃって和膳が出て来るのが関の山だろう。お互いに、それは分かっているようだった。

エスティマはエスティマで、武装局員用の頭の悪い鬼カロリーの山盛りパスタを頼む。
六課の部隊長をしていた時はともかく、三課でミッドチルダ全域を飛び回っていた頃にはよく彼が食べていたものだ。
現在の自分たちは半ば武装隊員として動いているようなものだから、また元に戻ったのか。
懐かしいなぁ、と思いながら、注文を終えて、三人は料理がくるのを待つ。

「……男の人って、やっぱりたくさん食べるんですね」

「ん、そうだね。今のポジションがガードウィングだから動き回るってこともあるし。
 それに……見栄を張らなくて良い分、女の子よりは食べるかな、やっぱり」

エスティマの言葉に、八神はやては不思議そうに首を傾げた。

「んー、ほら、やっぱり気になるもんやろ?」

「……ああ、そうですね」

二人は苦笑し合う。
戦闘でカロリー消費をすると云っても、やはり体重は気になってしまう。
スバルやそうでもなかったけれど、とはやては心の中で付け足した。

もうちょっとぽっちゃりしても良いんだけどねー、とほざくエスティマの足をテーブルの下で蹴ると、顔は笑顔で口を開いた。

「まぁ、身体を張るお仕事やからね。
 しっかり食べて力をつけんとあかんしな」

「……あの、脛は止めていただけると」

「ん? どうかしたん?」

「……いいえ、何も」

そんなやりとりをしていると、クスクスと八神はやてが控え目な笑い声を上げた。

「お二人とも、仲が良いんですね」

「うん、そうやで。ラブラブや」

「……なんで開けっぴろげに断言するかな」

「だって、本当のことやろ?」

「……ああもう、そうだよ。そうだけどさっ」

微かに頬を染めて、エスティマはそっぽを向く。
それに満足して手を伸ばすと、よしよし、と彼の頭を撫でる。
不機嫌な犬のようにエスティマはそれを拒むが、まんざらでもなさそうだった。

その時だ。
ふと、はやては隣に座るもう一人の自分が、羨ましそうな顔をしていることに気付いた。

「……ん、どうしたん?」

「え、あの……」

バツが悪そうにしながらも、八神はやては、頬を桜色に染める。
そして意を決したように、うんと、と前置きした。

「良いなぁ、って思って」

消え入るような声には、羨望が滲んでいた。
八神はやては、二人を輝かしいものでも見るかのように、目を弦にして、

「正直、羨ましいです。
 やっぱり家族はええなって」

溢れた言葉は丁寧語ではなく、素の八神はやてが見え隠れしていた。
だが、彼女はすぐにはっとすると、慌てたように頭を下げる。

「ご、ごめんなさい、勝手なこと云って!」

「……ううん、ありがとう。
 そうや、家族はええもんやで。
 まだエスティマくんとは籍を入れてないけど――」

云いつつ、はやては流し目をエスティマに向ける。
虐めすぎたのか、憮然とした表情のまま彼はそっぽを向いていた。
けれど、蚊の啼くような声量で、そのつもりだよ、と。

その一言だけで、はやてには充分だった。

「近いうちに、絶対そうなるから。
 ……うん、ねぇ、はやてちゃん」

「はい?」

自分がこの子にしてやれることはなんだろう。
ずっと、はやてが考えていたことがようやく整理できた。
形を持ったものを残してやることはできない。身一つしかない今の自分では、力になってやれることが少なすぎる。
だから――

「……覚えておいてな。
 いつかきっと、はやてちゃんにも大事な人ができるはずや。
 もしその時がきたら、自分の気持ちを押し殺したりせんで、素直になるとええよ。
 大丈夫。はやてちゃんなら、きっと上手くいく。私が保証してあげるわ」

唐突に云うようなことじゃないとは分かっている。
けれど、言葉や想いこそ、自分の残してやれる最高のものだろう。

八神はやては呆気に取られたように目を瞬かせ、けれど、一拍置くと、

「……はい。絶対に忘れません。
 ありがとうございます」

照れたように、悪くない笑みを浮かべた。


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