「この馬鹿者共がーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!」

「……」「……」

 二課オフィス、課長の机の前に立たされる2人がいた。ヴァイスとクーパーだ。
課長はかんかんで他の者達は知らぬ存ぜぬを決め込んでもくもくと作業をしている。

「いいか?! お前達に待機任務を与えたのは私だ! 判断をするのはお前達ではない!! 一課よりも先行?
そんなことはしなくていい!! 仮にだ、陸士からの通信をとったとしても! 司令部に回して終わりにすればよかっただろう?!
何故そうしなかった! 言ってみろこの役立たず共!!」

 課長の説教が続く中、クーパーは感情を表に出すでもなく前を見据え淡々と答える。

「…全て自分の独断です」

 テーブルの上では拳がギリギリと震えている、課員達は皆呆れていた。
クーパーの態度と返答では火に油を注ぐのは眼に見えている。
額に青筋を浮べながら罵声をはりあげる課長にヴァイスもやや落ち込んでいるご様子で。

 説教は小一時間続いた。開放されて席に戻ったとき、ヴァイスは思いっきり落ち込んでいた。
クーパーは吐息ひとつで席につく。残っていた珈琲を口にする。

"……残念でしたね"

”…………”

 念話での返答はない。クーパーは気にするでもなく事務仕事に取り掛かった。
動かないヴァイスの分まで、読書魔法を普段よりも多く発動して取り掛かる。
課長には便所掃除だ減俸だ謹慎だと色々捲くし立てられた。クーパーはそんなこと気にはしないが、

 ヴァイスの方が気がかりだった。









【天国と地獄の空白期 Take3】












「それは落ち込むだろうね」

 食堂。ティーダとクーパーは2人で食事をしていた。どちらもカレー。
件の件について話しているのだが、クーパーは口の中のものを飲み込んでからスプーンをヒラヒラと動かした。
ヴァイスはいない。昼食の時間になるとどこかに行ってしまった。

「…ヴァイスさんのあれは、若気の至りってやつなんでしょうね」

 羨ましいです、と言いながらもくもく食べる。

「クーパー君……歳、幾つだっけ?」

「…9か10です」

 9か10の子供が言う台詞じゃない。ティーダは溜息とも似つかない吐息を落とした。

「……解ってはいたけど、達観してるね」

「…違いますよ。達観してるように見えるだけで、強がってるだけなんです」

 カチャカチャとカレーとライスを混ぜながらもくもくと口に運ぶ。

「そうなの?」

「…日常生活と仕事とポーカーフェイスに支障がでないくらいには」

 それは少しも堪えてないんじゃないかな、とティーダは突っ込みたかったが言わなかった。
コップに手を伸ばして水を口にする。

「でも、君達が前線に出ない理由って、何なんだろうね」

「……………」

 ごくんとカレーを飲み込んでから、思い当たる博士が脳裏に浮かんできた。そして可能性の無い訳ではない
本局、それからどうでもいい教会が浮かんできた。誰かがどのような筋書きを描いているのかは知らないが、
何かが動いているのは可能性は否めないのだ。またカレーを口にする。

「…色々あるんじゃないですか?」

 淡白な返事を返す、優しいティーダはそうだねとだけ返した。もくもくとカレーを口にしながら、ただごくんと飲み込む。

”あんまりこういうことは言いたくないけど、二課の課長さんはいい噂聞かないね”

念話にスプーンを握るクーパーの手と口が止まった。

”…うちの課長ですか?”

”そう、本局とも色々とね。一概には言えないけど”

”……それが僕達に絡みが?”

”多分ね。そもそもクーパー君にしてもヴァイスにしても、人事部のミスっていうのがおかしい。
2人とも陸戦魔導師だし、空戦の所に配備っていうのはどう考えてもおかしいよ”

”…それは、まあ”

ずっと考え続けていることだし、今更だ。

”うーん。”

”…?”

”海と陸の仲が悪いのは知ってるよね”

”…そこそこには”

 ここで仕事をしていると色んな噂は絶えないし、話が嫌でも耳に入ってくる。誰かと通信していてもそうだし、
連絡をとりあったりしてもそう。本局が大人、地上本部は子供のような関係と誰かが皮肉っていた。

”ここからは黒い噂を元にしたはしたない推測だよ。
本局としては陸戦魔導師といえどいい魔導師を確保しておきたいっていう思惑がある。海と陸じゃ規模が違うからね。
そこで人事部はクーパー君やヴァイスを確保した。
でもしたはいいけど良い行き先が無いが無いから首都航空隊二課にお荷物として配属した。
名目としては事務仕事、十分なんじゃないかな。
ここで少し話が戻るけど、二課の課長(部隊長)にはいい噂が流れていないんだ。で、君達をお荷物として受け入れ、
金を人事部から頂戴した。元々本局人事部は陸から質のいい人材を漁る為に金を動かしているとか、そんなところかな。”

 どう、考えても

”…いくらなんでも、深読みしすぎじゃないですか?”

”だからこれは仮説で僕の推測に過ぎないよ。でも誰かがどこかで何かの筋書きを描いているんだ。多分ね”

”……………”

 確かにティーダの仮説はぶっとんでいるが、全部否定できるわけでもない。クーパーがかつて喫煙所で聞いた話も、
今の話の中で一致するものがいくつか存在するのだ。ぶっとんではいるものの、どうにも納得してしまいそうな話だから
怖い。そんな馬鹿なと笑いとばしてやりたいところだが、事情が事情だけに苦笑いすらでやしない。

”…仮にそうだったとしても、僕にはどうすることもできませんよ”

カレーの最後の一口を口に放り込みながらしめる。

”どうして?”

”…ヴァイスさんは解りませんけど、僕は今の仕事にそこそこ満足しています。
武装隊手当てで事務仕事やっていればいいんですから、割に合わない仕事じゃないんですよ。嘱託魔導師ですしね。
楽でいい仕事だと思ってます”

”そっか”

”…ええ”

ティーダも残ったカレーを食べてしまう。水に口をつける。

「もしも」

「…?」

”もしも、一課に来れるって行ったら、来る?”

その質問に対してコップを握りしめたまま、止まった。

”…仕事なら、どこへでも行きます”

”そうじゃなくて、クーパー自身の意思はないの?”

”…ありません”

 即答だった。ここで毒を吐かないのは信頼が故だろう。
ちらりと脇を見てから堪えた。

”…ヴァイスさんが行くと言うなら、行きます”

”解った。”

そう言ってティーダは立ち上がった。まさか、と思った。

「…あまり、無理はお勧めしませんが」

「ううん、平気だよ」

 そういうとティーダはお先に、と食堂を後にしてしまった。残されたクーパーも溜息をついてから食器を片して食堂を後にする。
ただし、幾つかのパンを買ってからだ。そのまま二課の職場には戻らず、屋上へと向かう。
幾つかの階段を飛ばしながら進み、屋上の扉を開いたとき、雲ひとつ無い鮮やかな水色が広がっていた。

 空気も心地よい、アルトでも連れて繰ればよかったと思いながら、片隅に俯いて座り込んでいるヴァイスの元へ。

「…何も食べないと元気は出ないですよ。まあ、仕事できなかったら僕がやりますけど」

 反応もない、顔もあげない。ぽいとパンを投げるとヴァイスの頭に命中してから重力に従い床の上に軟着陸する。
それでも反応を寄越さない。溜息を落としてから隣に腰掛ける。

「……」

そのまま寝た。

















「おい」

「……」

 起こされた。睡眠より浮上した意識がゆるやかに動き出す。瞼をあげてから顔をあげる。
立っているヴァイスがいた。座ったまま寝たから体が凝っている。首を動かしコキコキと骨を鳴らし、
腕を伸ばして体をほぐす。昼休みの終了5分前と言ったところか。

「…おはようございます」

「おはようございます、ってお前な。どういう神経してんだよ」

その言葉に目を丸くしてから、平静に戻して立ち上がる。

「…特に何も」

「お前な」

呆れる声がきこえた。

「…上から眼線で物を語ったり、お説教や経験を語って欲しかったですか? それとも慰めて欲しかったですか?
心配はしてますけど嫌じゃないですか、何か」

「何かってなんだよ」

「…別に」

 やる気が無さそうにドンマイドンマイ、と手を伸ばして肩を叩こうとすると触んなと払われた。そして大きな溜息を
水色の空へと盛大に吐き出す。

「あーーーあ………………ったく、めんどくせぇ」

「…お酒飲んでもうちょっと頑張りません?」

「今からか?」

「…んな訳ないじゃないですか、仕事が終わったらですよ」

 やれやれと、空を仰いだ。

「なあ」

「…何か?」

「いや……」

 眩い太陽の日差しに目許を隠す。突き抜ける程広大かつ雄大な普天の空、みずいろの海。
その眩さに目を細め

「飲まれちまいそうだな…」

見上げながらの一言に、クーパーは馬鹿にするのではなく、鼻で笑った。

「…わがか金牛に煌く天宮と見間違おう燦々と大いなる光の下、我を覆いつくしたもう事を願う。
詩人に転職は如何です?」

「阿呆」

ごちんと頭を殴られた、無論本気ではないだろうが痛かった。でも、まあいいかと二人並んで歩き出す。

「面倒臭えな。本当に」

「…それが仕事ってもんですよ」

「解ってるけどよ」

「…それとも、そこのフェンス飛び越えてみます?」

「お前が飛べよ」

「…そうですね、飛ぶときになったらヴァイス先輩の名前を呼びながら飛び降りますよ」

「死んどけ」

「…それは勿論、って時間ありません」

「やっべ」

 2人は走り出す。二課のオフィスに戻ったときは滑り込みで、他の者達の目が痛かったのは言うまでも無い。
またしばらく、事務仕事が続いた。それでも何かあると酒に逃げ、みんなで騒いでやり過ごした。
この腐った世界で弱い人は、どうやって生きていけばいいんだろうか。何かに縋るしかない。

 周囲の眼も気にせず、好き勝手に、自分のペースだけで進められる人達が羨ましくてならない。
この偽りの笑顔とお酒が無ければ、きっとクーパーはやっていけない。
ヴァイスとティーダという2人の存在が、心を持ち上げてくれていた。そしてしばらくの時が経ち、再び事件は起こった。







 っぽい季節。オフィスにはクーラーがきいていたがそれでも飲み物が飲みたくなる。
2人ともデスクの上に置かれた珈琲は空でスッカラカンだ。どちらも互いの様子を虎視眈々と窺っていたが、
痺れを切らしたヴァイスがちらりとクーパーの方を見た。

「おいバカ」

「…元気な先輩が行って下さいよ」

「お前、年功序列だろ」

「…都合がいいですね、ジャンケンを提唱します」

「仕方ねえ、のってやるぜ」

 チッケッタ、と言いながらパーとグーが出された。前者がヴァイス後者がクーパー。前者はよっしゃと笑い、
後者は舌打ちしながら投げられたワンコインをキャッチした。溜息1つ。これで、勝率は半々ぐらい。

「…いつものですか」

「おーう、頼むわ」

 カチャカチャと光学キーボードを叩きながらも書類と睨めっこのヴァイスの返事を聞きながら踵を返す。
他の課員達の机を通り越し、自動販売機前に立つといつものコインをいれていつものコーヒーのボタンを押すと、
ガシャン、ガーーゴボゴボゴボと紙コップに珈琲が注がれていくのを待つ。

 その間、手持ち無沙汰に周囲を見渡す。いつも通りだ。空気2人とその他大勢の、いやメインの二課の者達。
クーパーとヴァイスが半ばはぶられているのは眼に見えていた。何度ヴァイスに転属願いを出せと言おうと思った事か。
いや、一度や二度は酒の時に言ったかもしれない。言ったような気がした。それでも彼は律儀にここにいる。

「……」

 ヴァイスが拒む以上、深くは入り込もうとは思わない。
ティーダや、以前話した課員の話を符丁とするとやはり首を捻る……のだが、どうにもこうにも。
たかだか嘱託魔導師にはどうこうできる立場でもない。

 事務仕事やってれば金が入るのだ。ヴァイスの珈琲が終わるとカップを取り出し自分の分も購入する。
再びガシャガシャゴボゴボという音が聞こえるのを待つ。手には紙コップ越しに冷たい感触が伝わってきた。
直ぐに自分のも入るとそれを取り出し席に戻る。その途中、馬鹿にするような眼線を感じたが気にしない。

 やれやれと両手に紙コップをこぼさないようにする。

「…はい、砂糖とお水のマシマシコーヒーです」

「まじだったら殺してやる」

「…では入れてきますね」

「余計タチが悪ぃ、あんがとよ」

 ヴァイスの机の上にコーヒーを置きながらクーパーも口をつけながら席につく。もう今日の仕事は終わってるし、
暇だ。基本的に事務仕事は午前中に終わってしまうから楽でいい。ヴァイスとて午後半ばには終わってしまうのだから楽な仕事だ。
それでも、「てめえは終わるの早すぎるんだよ」と文句を言われるのは仕方が無いことだ。

 ちらりと周囲を確認してからスカリエッティの資料をウインドウに表示させて眺め始める。
犯罪者の出生不明、過去に管理局の仕事にも携わった事がある優秀な科学者。研究所を辞めて以降に姿を暗ませた後、
単独で戦闘機人技術の開発を行っている事が判明。広域次元犯罪者の指定を受ける。

 性格は温厚で人当たりはよく、人間関係の構築は問題がない点を見せていた。もしも彼が、犯罪者に身を窶さずに管理局で
働き続けていたとしたら、優秀な科学者として名を馳せていただろううんぬんかんぬんと記されている。

 もう、何度も眼にしてきた資料だ。クーパーも一度通信で話した事はあるが、あれはどう考えても普通じゃない。
そんな気がした。常人とは逸した存在であり理解しようというのが馬鹿げている。
決して同じ穴の狢にはなりたくないし言われたくないものだ。

 コーヒーを飲みながらウインドウを閉ざす。スカリエッティを捕まえたい、と思う気持ちは少なからずある、が。
フェイトやティーダを利用してまでという想いもある。ウェンディにしてもそうだ。
あれを捕まえたいような捕まえたくないような妙な所がある。

 自分も甘くなったのか、それとももっと別の何かが自分の中で働いているのかは解りかねる、が。
その時、課長が近づいてきたので別のウインドウを表示させて”仕事をするフリ”をする。ヴァイスは真面目に仕事しているし、
クーパーはなんら問題を無い事を装いながらコーヒーに口をつけた。

 そして、クーパーの席の斜め後ろに立たれる。

「仕事だ」

 2人とも手を止めて振り返った。課長を見上げる。

「地上本部まで重要書類の送付とある人の護衛を頼みたい」

「護衛っすか?」

「…書類と、護衛人物の説明はないんですか?」

 課長の渋い顔がますます渋くなった。おいおいと思いながらもクーパーは口にしない。ヴァイスも似たようなものだ。

「他の者が手が空いていないのだ、書類は機密書類だ。地上本部の総務部に渡してくれればいい。
護衛人物は聖王教会の関係者だ。失礼の無いようにな」

 クーパーはちらりと、課長から目を外し以前喫煙所で話した課員に目をやった。
課長には見えないように手をヒラヒラ動かしていた。念話が来る。

”ようするに面倒くせぇ仕事だからお前達に回すってことさ。頑張りな”

”…重要な仕事を僕達に回すんですね”

 理解できません、と付け加えておく。

”お家の事情って奴さ。まあ頑張りな。本部まで遊覧飛行と散歩だと思えや”

溜息をついて再び課長を見る。

「…いつからですか?」

「今すぐだ」

 課長は背に回していた手を出すと書類が入った封筒をクーパーに差し出す。

「直ぐにヘリポートに行け、護衛人物も直ぐ来られるだろう。散歩ぐらいでヘマはしてくれるなよ」

 溜息は2人の念話の中だけで終わった。

「了解っす」「…了解しました」

 書類を受け取ると直ぐに支度を済ませる、足元で転がっていたアルトを呼び寄せて二人はオフィスを出た。
猫は話を聞いていなかったのか、なんだなんだとご主人の背中にしがみつく。早足に歩きながら、
2人で盛大な溜息をついた。

「なんで俺たちだと思う?」

「…面倒臭い、何か事情がある、ヘリに乗っているだけなら豚にもできる」

「俺たち豚かよ」

「飛べない豚はただの豚……折角だからコールネームもブービーにしますか?」

「俺はブービー1か」

「…じゃあ僕はブービー2で。まあ、なんでもいいですけど」

うんうんとヴァイスは頷いた。

「まったくだな豚2号」

「…まったくです豚1号」

 卑屈な笑いを浮べつつヘリポートに到着すると、運転するであろう人が待ち侘びていた。知らない人間だ。

「二課だな、直ぐ乗ってくれ。お客さんは搭乗済みだ」

「了解っス」

 ライトブルーに彩られたヘリに搭乗員が乗り込むのを見ながら2人も搭乗する。
中には、驚いた事に少女が席に腰掛けているだけだった。金の髪に優雅な井出達はとても普通には見えない。
座りながらで失礼しますと断ってから挨拶をした。

「…首都航空隊二課のヴァイス・グランセニック二等陸士、クーパー・S・スクライア嘱託魔導師であります。
地上本部までご同行させて頂きます」

少女はそんな2人に、ほがらかに微笑んだ。

「はい、聖王教会のカリム・グラシアと申します。よろしくお願いしますね」

 美人だな、とクーパーは思った。同じ金髪でもフェイトとはタイプが違う金髪という感想を抱く。
それじゃあ出発しますと、運転手の掛け声でローターはバラバラと音を立てて回り始める。
浮遊感と共にヘリはゆっくりと飛行し、飛行を開始する。

 シートベルトを締めながら、小さな窓からクラナガンの街並みを見つめる。地上本部まではそう遠くない。
直ぐ行って帰っての旅路になるだろうな、と思いながらある疑問が浮かんだ。車でいける距離にも関わらずヘリ? という疑問だ。
そんな馬鹿げたことを今更考えるとは、と思いながらも少女を見ると眼が合いニッコリと微笑まれてしまった。

「お2人ともお若いんですね」

 その言葉に引き戻される。クーパーは適当な相槌をうった。
ヴァイスが頭を掻きながら、照れたような笑顔で話している。猫はクーパーの膝の上にいたが、
何かを感じたのか胸元にしがみついてきた。それを抱きながらゆっくりと撫でる。

「使い魔ですか?」

「…はい」

 体はしがみついたまま首をひねった猫は、カリムの方を見ると僅かに警戒の色を滲ませた。
ヴァイスとカリムにそれが解ったかは知らないが、落ち着けと背中を撫でる。

「仲がよろしいんですね」

「…ええ」

 なんだかこの女、とても近い世代とは思えない嫌な匂いがする。居心地の悪さを感じながらアルトを抱きしめる。
怖いと感じた。匂いといっても体臭や香水の匂いではない。こう、にじみ出る何かが嫌なのだ。
笑顔の裏に、腹の中に何を飼っているか解らない人間だ。それが解らない人間は多いが、その中でも特にどす黒さを感じた。

 間違いならそれはそれでいいが、一人。嫌な人物が似ていると脳内で下される、その人物の名はリンディ・ハラオウン。
一応、会いたくない人間の一人だ。眼線を合わさないように窓の外へと視線を投げ出す。早く到着してほしい。
そう願わずにいられなかった。電車の中で悪酔いしてしまい、苦しみの長時間を味わうのにとても似ていた。

 ヘリのローター音がバラバラと聞こえる中、事は起こる。

「魔導師だ!」

「…?!」

「は……」

「……」

 ヘリの運転手が叫んだ言葉に、一同が運転席を見る。言っていることができない。
クーパーはシートベルトを外し運転席の方へと身を乗り出した。

「…どういう事です?」

慌てている運転手に尋ねた。

「所属不明の空戦魔導師が急速接近中だ! 管理局の魔導師じゃねえのは確かだ!」

顔を顰める。

「護衛! 頼んだぞ!!」

 そんな悲鳴染みた声があがる。クーパーは顔を顰める。謀られたか捨てられたか。
どちらにせよいい状況ではない。今は余計なことを考えるのは後回しだ。
撃墜されれば皆死ぬ。ヘリパイに告げておく。

「…所属不明魔導師には呼びかけてください」

 席に戻る。

「…カリムさん、席を後ろに後退させて下さい。
決してシートベルトは外さないように。アルトは」

「ナゥ」

 指先に魔方陣を光らせて魔法を付与させる。だが、見た目は変わらない。

「…ヘリが落ちそうになったら、何がなんでも騎士カリムを生き延びさせるんだ。いいね」

 あいよとばかりにクーパーの胸元からカリムの膝の上に収まる。
それでも、カリムが手を伸ばそうとすると尻尾がさわんなとペシペシはじく。
愛嬌に見えないこともない。カリムは笑っていた。

「どうするつもりだ?」

 ヴァイスの質問にウインドウを表示させて外の画面を映し出しながらコーンソールを叩いていく。

「…これでも結界魔導師も兼ねてますから。そこいらの雑魚の攻撃程度で貫かれる結界なんざ作りませんよ」

 テチテチとコンソールを叩き続けた後、外の魔導師と思わしき人物が映し出された。

「…まだ距離がありますね」

 そう言いながらもバリアジャケットを纏う。ヴァイスもだ。

「撃つか?」

「…本部まで逃げ切るのが妥当でしょう。それに」

 エンターキーを叩くように、ボタンを押すと外の魔導師の様子が拡大される。まだ数百メートルはある、が。
その人物の顔を見て、クーパーとヴァイスは固まった。

「……」

「嘘だろ」

 仮面、だ。肉体は四散し死に絶えた筈の仮面の男が映し出されていた。
それでも、違う人物だとクーパーは己に言い聞かせる。

「…同一人物な訳がありません。同じ仮面を被っているだけでしょう」

 そうだけどよ、と続けたとき、仮面の男Mk-Ⅱ(ヴァイス命名)は加速しながらも魔方陣を展開させつつ砲撃魔法の構えをとった。
一瞬でヘリ内の空気が冷える。

「おい!!」

 ヴァイスが騒いだがクーパーは映像を見つめたまま呟いた。

「…カリムさん、かなり揺れますので掴まっていて下さい」

「はい、解りました」

 クーパーは結界を生じさせると共に球体がヘリを包み、それと同時に砲撃が結界を飲み込んだ。
戦いが始まる。砲撃に飲まれている間もクーパーはコンソールを叩き続け、砲撃の終了と共に顔をあげた。

「…一応、一課に要請は出しておきました」

「二課じゃないのか」

”…課長への嫌味に決まってるじゃないですか”

 ヴァイスは成る程、と思ったが状況はあまりよろしくない。増援が来るまでor地上本部到着までに耐え凌ぐかの二択だ。
向こうとて大切な客人を乗せているのだから救援の手は差し伸べるだろう。
とはいえ、この短距離の間で奇襲がかかるなど誰が思うか。

 気休め程度とついでに乗せておいた陸士2人では焼け石に水もいいところだ。……と、二課の課長ならば考えるだろう。

”…相手はさらに接近……と、どうしましょうかね”

 他人事のようにウインドウを見ながらクーパーは考える。このヘリは戦闘用の大型ヘリではない。ヴァイスが射撃用にドアを
開けた上でヘリが激しい動きをしようとすれば、気流の影響を受け動きが緩慢になる。

「撃っていいか?」

ヴァイスもストームレイダーで多重弾殻の形成を済ませている。いつでも射撃の用意はできているだろうが、

「…ドアを開けても平気かはヘリパイに聞いて下さい」

 クーパーは意識を外に集中させる。さらに接近してきた仮面の魔導師は誘導射撃を立続けに放ってくる。
一撃たりとも通すわけにはいかない。細心の注意を払いながら盾の維持に努める。
1、2、3のタイミングを図り直撃の瞬間に合わせる。

 着弾時は丹田に力を込めるように力を抜かない。ヘリは球体の結界に包まれ攻撃を一切通さない。

「おっしゃぁ!」

 ヴァイスだ。どうやらヘリパイに問題無い事を確認したらしい。ストームレイダーを手に、ヘリのドアを勢い良く開け放つと
外からの強風の喜べない歓迎を受けた。髪は乱れ顔の皮膚が持ち上げられ顔を顰める。びゅうびゅうと凄まじい風の音が耳朶を打つ。
”…落っこちないように、気をつけて下さいね。”

”お、おうよ!”

 クーパーのチェーンバインドがヴァイスの腹に絡む。
風の猛威にしり込みしかけたヴァイスが立ち膝の姿勢でストームレイダーを構える。
実弾ならば兎も角、魔力弾ならば風力の影響を受けない。

 ヘリパイが気をきかせたのか、僅かに横に動く目標をヴァイスの眼が捉える。スコープを覗き込み引き金を引いていく。
飛び出していく魔力弾達は仮面の魔導師に一直線だが右へ、左へと加速の動作でいとも簡単によけられ、
苛立ちと共に引き金を引く回数を増やしていくと直ぐに弾が尽きてしまう。

「~~あったらねぇッ!」

「…そりゃ、相手もそう簡単に当たりたくはないでしょうね」

「お前はどっちの味方だ!?」

「…敵を応援する趣味はありません、それより来ます」

 ヴァイスはドアを閉めようかと思ったがそんな悠長なことをやっている暇は無い。
クーパーは結界の維持と、ヴァイスをチェーンバインドで全身を雁字搦めにした。
万が一があっては困る。敵の射撃が連続して結界を叩いていく。

「お前、結構凄いんだな」

「…優秀な師がいましたので」

「そうかよ? その師匠さん様様だな」

「…ええ」

 ヴァイスは弾倉を再装填して構えた。その時。相手もまた構えていた。
クーパーは顔を顰める、先程と同じ砲撃が来る。問題は先程よりも威力が倍増しということだ。ぶるりと体が震えた。
この砲撃を受ける前の感覚は覚えがある。あれ、だ。白いバリアジャケットを纏う第97管理外世界の砲撃魔導師高町なのは。

 それと似ている。こんな至近距離で受けて大丈夫なのかと疑いたくなった。
瞬時にカドゥケスを発動させるか迷うが自分の手首を押さえつけて発動を止める。

 今発動してその場凌ぎができたとしてもその後がジリ貧で落とされるのが眼に見えていた。
歯を食いしばり使いたい欲求を抑えた。
なにより、必要以上にこれを使うなとアースラの先生からドクターストップをかけられている。

 自分の力でなんとかしなければならない。キリキリと苛まされる感を押さえつけ、尚相手に挑む。

「(…そうだ、兄さんの盾はこんなところで砕けない)」

 そして、苦しげにしながらも果敢に敵を睨みつけ無理にでも笑ってみせる、目を細めた。

「(…ザフィーラ、お前の盾もこんなところで砕けるような柔くはなかったな)」

 あの後ろ姿に笑われるような無様な盾は作りたくない。覚悟を決めた瞬間、再び結界は砲撃に飲み込まれた。
クーパーは結界の干渉をダイレクトに受け、心臓が圧縮されたような錯覚を覚える。
ヘリ自体も先程と違い大きな盾揺れが起こった。舗装されていない、荒い道路の上を走る車のようだ。

 皆近場の何かに掴まる中、クーパーもまた椅子に片手をつきながらも、もう片手は床に舐めていた。力を入れる。

「…先輩! 撃って!」

 今も風と魔力干渉による騒音が響く中、クーパーの注文が届いた。射ちまくるヴァイス。
相手はなんら問題無くよけていくが、スコープを覗くヴァイスの眼が相手の動きに追いつき始める。
神経を10倍も20倍も集中させた一撃必殺を解き放つ。

「なめんなよ……ッ!」

 それも仮面の魔導師の腕を掠めて終わる。まだだと連続して引き金をひくが慌てて組み込まれた回避動作に
よけられてしまう。すかさず弾倉を再装填すると構える。相手も射撃の構えを取ったがヴァイスも引かない。
魔力弾同士が衝突するもヴァイスのものは次々と飲まれてしまい、結界に接触していく。
それでも焦りは無かった。スコープを覗き込んだまま、鼻で笑う。

「ブービー1を舐めんなよ」

 弾倉最後の一発が解き放たれると、有象無象の魔力弾の中を擦り抜けて一直線に仮面の男に命中した。
その一撃が僅かに仮面の魔導師を失速させ距離をとらせた。

「いっよっしゃ!」

「…お見事です」

「任せろよ、楽勝だぜ?」

再装填をしながらも、2の手は拳をつくり合わせられる。このままなら逃げ切れるか。
クーパーはそんなことを考えたがそれが甘かった。仮面の魔導師が動き出す。
ゆっくりと迂回しながら大きく上昇を開始する。

「おいおい」

銃を構えようとしたヴァイスが敵が視界から外れた事でぼやいた。
クーパーはウインドウに映し出される敵を眺めながら眉根に皺を寄せた。
腹の中で何かが濁る。

「…死角からヘリをなぶるつもりか」

「冗談じゃねえぞ!」

「…まあ、僕も墜落はごめんですから」

 そう言いながら新たな魔法を構築していく。敵は頭上だ。ヘリパイにお願いして回避運動をとってもらうも
コバンザメのようにぴったりとつかれて逃げる事ができない。

「どうすんだよ?」

「…どうにかしたいですね」

仕方なしとばかりに相手を待ち構える。予定調和とばかりに仮面の魔導師はデバイスを機動させ剣を手にする。
剣……剣? 前回闘った仮面の魔導師の剣のデバイスは回収されている。
やはり別人か。クーパーは画面を見ながら念話を叩きつけられた。

”左目”

「……」

”左目”

「……」

”左目”

「……」

プチッ

「…うるっさいッ!!!」

 切れた、先手を放つ。ヘリを覆う結界の頂点付近から仮面の魔導師に向かい、鋼の軛が一本飛び出す。
急襲に反応しきれなかったのか、回避されたものの危なげに姿勢制御をしている。そして、来る。剣が翻った。
クーパーもそれに合わせて今一度鋼を一本突き出し、迎撃する。

「……ッ」

 二度目はそううまくいかなかった。突き出された鋼の軛に対して急加速で脇に逃れると、
脆いところは知っているぞとばかりに一閃され敵が迫る。

「おい、クーパー!」

「……」

 画面を見ながらヴァイスが切羽詰った。何も言わないクーパーだが、ここぞとばかりに切り札を放った。
球体の結界全体から、まるでハリセンボンかハリネズミのように鋼の軛を飛び出させる。意表は突けた。
仮面の魔導師の体を貫き体を固定する。よし、と思いながらクーパーは次の選択をしようとした時、

 仮面の魔導師は自分を束縛するものを強引に砕いた。ライオンを拘束できないのと同じだ。
あの高町なのはを拘束できないように。モンスターとは、誰しもひとしくモンスターなのだ。

「…ッ?!」

 この先の手まで考えていなかったクーパーは咄嗟に一本の鋼の軛を新たに生やしたが剣で砕かれた末、
奴の手が結界に接触した。前回のことを思い出し咄嗟に鋼の軛をさらに飛び出させるが、もう手遅れだ。
クーパーはミスを犯した。前回の"奴"は盾に接触し、解析してくるという嫌な業をもっているのだ。

 自分と同じく。さらに鋼の軛を伸ばそうかと思ったが、

「…機体を傾けて!」

「掴まってな」

ヴァイスは慌てて開いたままのドアを閉ざし、近場のものにしがみつく。クーパーも同様だ。
ヘリは急速に傾くがそんなことでは仮面の騎士は振り落とされない。結界に接触する手は、
一気に結界を砕いてみせた。

「…やられた」

「落ち着いてる場合かよ!?」

「…慌てていいなら逃げ出したい気分ですよ」

 最悪、クーパーは墜落までに全員を転送で運ぶ方法も入れてある。まだいけると思うのは悔しさ故か?
 それは誰にも解らない。しかし、その考えに反してカリムの頭上やや後方から、ゴンと重々しい音が響いた。
どうやら張り付かれたようだ。

「おいおいおいおい……ッ」

 ストームレイダーを構えたくても構えられないもどかしさを覚える。そんな中、クーパーは疑問が浮上した。
ただヘリの墜落が目的ならローターをぶっ壊せばそれで終わりのはずだ。それをしない理由は何かあるのか?
そう思いながらも、クーパーと仮面の魔導師の動作はほぼ同時だったと言える。

剣が突き立てられヘリの機内に飛び込んでくるのと、盾がカリムの頭上を防いだのは。
動揺を隠せずにいるカリムだが、クーパーは座ってろと指示を飛ばし盾に集中する。

「…必ず、どんな事があっても守り抜きます」

 それが例え腹黒い人物であってもだ。護衛も仕事。こんな仕事は想定外であったがやるからに後に引けない。
何度か剣はひいてはついてを繰り返したが盾が破れない事を確認すると剣を引いた。風が飛び込んでくる。

「…機内に穴空きましたけど支障は?」

「それぐらいなら何とか、だから早くしてくれ」

 パイロットの気持ちも解らないでもない、溜息をつきながら了解とだけ返した。
しかし、敵ははりつくように飛行魔法で移動し先程まで閉ざされたドアまで移動してくる。
律儀にドアから中に入ってくるつもりか、ヴァイスは緊張のさなか銃を構えた。

ガンッ!!

 仮面の魔導師の手が、ドアを叩く音が聞こえたかと思えば金属がひしゃげる悲鳴がガギギギと
ヘリの中に聞えてきた。

「やれやれだな」

 スコープを覗かずに毒を吐く。正面から来るらしい。騒音と共にドアは引き千切られて仮面が姿を見せる。
すかさずにヴァイスは射撃を叩き込むが、驚いた事に魔力弾は弾かれることもなく、仮面の魔導師の体に着弾した。

「?!」「……ッ?」

 クーパーもヴァイスも虚を突かれた、防ぐ事も弾く事もせずにただ着弾。そんなもの効かないとばかりに一歩、前に進んできた。
そこでクーパーが、腕輪をヴァイスに投げ渡すと同時に飛び出していた。魔導師に体当たりをかますとクラナガンの空の上へ
消えた。ヘリの中は吹き荒れる風だけが残り、呆然としたヴァイスは遅れて叫ぶ。

「クーパーッ!!」

 ヴァイスの声が届く筈も無いが、叫ばずにはいられなかった。一方ヘリより落下を続けながらもみ合う2人。
凄まじい風の流れの中を流れていく。絡み合い、クーパーは決して離そうとはしない。互いの手を握り反抗しあい
荒々しい空気の流れの中で争い続ける。仮面の魔導師の飛行魔法で胃の中のモノが全て戻しそうになるのを堪えた。

”いい気なもんだな、左目”

 顔を顰めながらも、驚いた事に仮面は剣を消しクーパーと組み合う。それに相手の言葉に違和感を覚えながらも、
考えている暇は無い。言われっぱなししておくつもりはないのだ、組み合い握る手の力を強め睨みながら念話を送り返す。

”…見ず知らずの人間に人生をどうのこうのと言われる筋合いは無い”

 膂力はクーパーがやや劣っていた。

”お前はそうやって、”

”…一人、上から眼線で物を語って満足? いい根性してるよまったく! ”

”知らないで粋がってる奴を見てるのは反吐が出るんだよ左目ぇえ゛ッ!”

 仮面の魔導師はクーパーを突き飛ばすや否や剣のデバイスを再展開させ突っ込んでくる。クーパーもまた逃げない。
いや逃げ道も無いのだが。空中で落下を続けながらも盾を出すのには支障は無い。相手の斬撃をいつも通り防ぐ。

”…僕が何を知らないのか知らないけど、仮面をつけて顔も晒さずにいるのはどういう用件かな。
過去に、僕に馬鹿にされたことでもあったりしたり、根に持つタイプ?”

”糞が、”

 幾度となく剣は振るわれるが砕けはしない。相手が間合いを離そうとした矢先、
クーパーはチェーンバインドを伸ばし相手を捉え引き寄せた。再び接近し胸倉を掴んだ。

”…答えてもらおうか、お前の秘密を”

”だっぁぁぁあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!”

頭を細い針で刺すような叫び声と共にチェーンバインドは砕かれ仮面の魔導師は自由を得る。

”うぜぇッ!! うぜぇッッ!!! うぜぇッ!!うぜぇええええ!!!
てめえがうっっぜぇえんだよ左目ぇぇええええええええ!!!!!!!”

 爆発する感情を露にされ逆恨み、だけではないとクーパーは予測する。何かもっと、
根深い何かをもっていると思った矢先の事。

”ぶっ殺してやる! この体が逝っちまっても構いやしねぇ!!!”

クーパーはそうだ、と思い出す。前回の仮面は死んだのだ。だが、今回は? あまり深い予測はできないが
相手は死をも覚悟のご様子だ。これが陸の舞台ならば受けて立ちたいところだがそうもいかない。
ここは空だ。落下を続けながらもクーパーは最低限の構えをとる。まるで燕のように、仮面の魔導師は鋭くターンの飛行をした。
その間、デバイスをリロードさせていく。相手が来る、意識を高めた。盾は展開していない。

「一閃ッ!!」

 迫る刃。その間に自分の中で構築していた魔法を一気に解き放ち、クーパーの姿は消え失せ剣は空振りに終わった。

「何ッ?!」

 突然の目標の喪失に仮面の魔導師は目を白黒させる。しかし、転送魔法だと気づき、直ぐに離脱しようとした時には遅かった。

”…遅い、あの強化ガラスの1000倍遅いね”

”上か!!”

 見上げればローターフィールドから出したチェーンバインドで体を雁字搦めにして、
蝙蝠のようにぶら下がっているクーパーがいた。
仮面が反応した時には射撃魔法が直撃し遅れて鎖を解き放ちクーパーがスタートした。

 足場を蹴って垂直落下すると仮面を巻き込んでさらに落下する。
その巻き込んだ際には拳を極小の盾で固めたシールドナックルを叩き込んでいた。
落下を続けながら、クーパーは仮面を外そうと手を伸ばし掴んだところで手首を握られた。されど問う。

”…何で逃げなかったんだ”

”まだだ”

不可解な言葉は理解できない。

”まだだ、まだ憎しみが、俺が、全てが足りないんだぁ゛、左目ぇ゛……ッ!!”

 その言葉が最後だった。
前回の騎士同様、リンカーコアが豆腐のように崩れる感触を間近に感じると共に、
肉体は四散し臓腑も肉もなにもかも液状と化してしまった。

 血を浴び、口の中に鉄臭さを感じながらも衣服やデバイス等の名残と一緒に落下を開始する。
しかし、と顔を顰めた。相手はよく解らないが、前回との繋がりはあるとみて間違いないだろう。

 ……まあ、考えるのは後回しだ。

 このまま落下を続けるとクーパーは地面に叩きつけられて即死する。地表まで残り10数秒、
叩きつけられて死ぬつもりもない。座標を確認すると仮面が残した遺物をかき集めてから再度座標を確認し転送魔法を発動させた。
ビル群が近づく中姿を掻き消した。

 残された仮面の体液や血もろもろは、クラナガンの街のどこかにビシャビシャと降り注いでいた。




「もう直ぐ本部です」

 ヘリは順調。もう地上本部も眼の前という状況だがヴァイスの顔は渋くなったまま戻らない。
クーパーが戻ってこないのだ。飛行魔法も使えない人間がどうやって空戦をやるものか。心配は解けずにいられない。

「ご心配ですか?」

「え?……ああ、はい」

まあ、とカリムの言葉に相槌をうつ。猫は相変らずカリムの上。今ヘリはドアが開け放たれ相変らず風に晒されている状態だが、
クラナガンの街並みを見ながら風に揺られる髪を抑え、カリムは目を細めた。

「大丈夫ですよ」

「は?」

 ヴァイスは訝しげにしてしまう。反対に、カリムは膝の上の猫を撫でる。猫は居心地の悪そうな顔をしていた。

「使い魔が無事なら契約をしている主も無事、そうでしょう?」

 確かに、と思った時ヴァイスの隣に魔方陣が走り、クーパーが姿を見せた。ところかしこに血がついている。
失礼しますとどっかりとイスに腰掛ける。

「おま……っ怪我したのかよ?! っていうかどうやって戻ってきたんだよ!」

「…前と結果は一緒です、怪我はしてません。座標は予め決めてましたから。置いていったそれです」

「腕輪?」

「…それが転送先の目標です。ちゃんと持っていてくれて助かりました」

 銀の腕輪はヴァイスの手からひょいと抜き取り、自分の腕に通す。それを聞いて、ホッとしたような、
なんといえばいいのか解らないが、しばらくするとムッとしてからごちんと頭を叩いた。頭を抑えてから、恨めしい眼で睨む。

「…何するんですか」

「この大馬鹿野郎。心配かけさせんじゃねえよ」

「…あれは仕方がなく、ですね……」

「俺をもうちっとは信頼できねぇのかよ?」

「…いくらなんでも、あの場面じゃ無理でしょう」

「おま……っ」

 わなわなと震えるヴァイスに、血を拭うクーパー。

そんな2人を、カリムはクスクスと微笑んで見つめていた。








『こちら首都航空隊、どうぞ』



「…なんだか」「今更な通信が来たな」

 やれやれと思いながら念話を送り返す。この騒動の暫く後、クーパーとヴァイスは二課より一課へと特例の異動をする事になる。
その裏でティーダがどんな事をしていたかは知る由もない。感謝するべきか……、それは後々解るだろう。
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