八神家の居間のソファーに腰掛けて、ヴィータは考えていた。クーパーは何を言っていたのか。
ヴォルケンリッターは闇の書の蒐集が完了すれば主が絶対の力を持てると信じている。管理局が追ってくる理由なんて、
今まで深く考えた事は無かった。敵は力を妬み、主をと闇の書を追ってきているとだけ考えていた。

 だが、クーパーは被害と言っていた。666ページの蒐集が完了すれば、闇の書の主は絶大な力を得る。
ヴィータは今もそう信じているが、本当にそれは正しいのか? 些細な迷いが生まれていた。
自分自身がプログラムである点を追い求めるとどうしても解らなくなった。

「ヴィータ、どないしたん?」

ソファーの後ろからはやてが顔を覗かせる。

「ん……なんでもないよ。はやて」

「そか」

 それでも、はやての手はよしよしとヴィータの頭を撫で付ける。それを振り払おうとは思わなかった。
優しくて大好きな手だ。ずっとこうしてもらいたいとも思う。今までの主とは異なり暖かくて、とっても優しい。
いつまでも一緒にいたいと願ってしまう。結局闇の書の結果がなんであれ、自らの手で守ればいいだけだ。
それに、1人じゃない。シャマルも、シグナムも、ザフィーラもいるのだから。

 病に犯された主を守るという大義名分のもとに。平穏な日常を手に入れるためにも、今はどんなことをするのも躊躇わない。
それがヴィータに限らずヴォルケンリッターの総意であり笑顔を向けてくれる、主の為にも、必ずやり遂げると信念だった。
ザフィーラや、シグナムが言う仮面の男達が何者であろうと、管理局も関係無い。

 気づかぬ内にこぶしを硬く握り締めたヴィータは再度クーパーに思いをめぐらせる。
いろんな意味で、このままにしておくのは危険だった。ギガントを二度も受け止めた奴は初めてだ。
次こそは叩き潰す。硬く握り締めた拳が誓う。

「(クーパー。手前は今何をしてる。恨みを抱えたまま虎視眈々としてるのか……)」

 クーパーの眼光が忘れられない。ヴィータの頭の中に住み着いている片目がいつまでも睨んでくる。
のっそりと構え勢いよく飛び掛ってくる獣の眼だ。油断はできない。

「(それでも、最後に勝つのは私達だ。必ず手前の盾は砕いてやる)」

 虚空に誓う。何かを手にする為ならば全てを切り伏せる覚悟を持つ。八神はやての為ならばという思いは揺らがない。
一方、また異なった信念を持つクーパーは、アースラの自室のベッドでうつ伏せになっていた。
右腕を横に伸ばして医者にみてもらっている。傷口は酷く黒ずんでいる。細かい描写は避けておこう。

 もしもクーパーがただの子供ならば虐待を受けた傷にしか見えない。医者は注射を取り出すと手際よく挿す。
当人の希望は変わらない。今は少しでも痛みがなくなり、右腕が動いてさえくれればよかった。

「傷も広がってるし、んー細胞組織もやばい感じ?」

「…感じって」

 うつ伏せの状態で、僅かに顔を動かす。左目がのろのろ這い上がってきた。

「詳しい説明聞きたい?」

「…いえ」

 今度は医者の眼から逃げるように、顔を枕にうずめる。
処置を続ける器具の音だけが聞こえる。

「後何回持つのか、後どれくらい持つのかなんて、明確には解らない。ある程度の限界ラインは解るけど、
君にそれ言っちゃうとそれまで安心だと思うから言わないけどね。いつでも腕がちぎれる覚悟しときなね」

顔はうずめたままに、耳だけ傾ける。

「………」

 無論、クーパーとて右腕を失いたいわけじゃない。突っ伏したまま溜息をついた。

「ちなみに、この傷を放置だったり現状維持してると使い物にならなくなるよ」

 少しだけ顔をあげて顎を枕の上に乗せる。

「…腕が落ちるのが先か、事件が解決するのが先か。ですか?」

「そりゃ誰だって後者を望みたいけどねっと。はい治療終わり」

 恐る恐る右腕を見ると、綺麗に包帯が巻かれていた。どす黒い傷口は露出していない。
処置の最中もそうだが、疼きが消えていた。

「…ありがとうございます」

「それを言うのはその傷の面倒をちゃんと見るときになったらだね。それじゃ、お大事に」

 最後の一言が無駄な事は医者もクーパーもわかっている。医者は退室し1人残される。
膝と左手を使って体を起こすと衣服を整える。体は怠慢感に満ちていた。
どうしてもカドゥケスを使うと体が鉛のように重くなる。子泣きジジィを背負った気分になってしまう。

 溜息をつきながら腕に通されたデバイスを見る。脳裏には、あの紅の少女が浮かんできた。
資料は何度も見た。鉄鎚を操る騎士だ。シグナムとは違った意味で熱い少女だった。
例えそれがどのような方向に向いていようと、だ。

「…次はギガントなんてもらわない」

アルトがいればあんな愚鈍なハンマーもらわないと意気込む。
ギガントは確かに強い。だがスターライトブレイカーやファルケンと違い弱点も多いと睨む。
アルトという足があれば何とかなる。

「……」

 手を硬く握り締めながら、虚空を睨む。次はせめて1人ぐらいは欲しかった。
心の中で切望してやまないのは、仇をうちたいと願う心だ。誰でもいい。殺してしまいたい。
騎士達とクーパーの力量の差。それが悔しくてならない。自分にも防ぐだけじゃなくてあんな超絶的一撃があればと願ってしまう。

 戦う力が欲しい。連中を切り刻みあざ笑ってやりたいと願うクーパーがあった。
絶対的なまでの力で他者を鼻で笑い、気兼ねすることなく力を振るい、オレは強いと思える力が。
自由に魔法を振り回しなんの束縛も受けない力が。強いデバイスと共に戦場を自由に駆け回る。そんな力が欲しかった。

 兄の笑顔を奪った者達を駆逐する力が。
気づけば手は硬く握り締められ、体は打ち震えていた。何を願う? 何を思う?
聡明な子供はとっくの昔に答えなんか出しているのに、そんな「強い力」を願ってやまない。
自分の腕を押さえつけて震えを堪える。

「…次だ。次こそ」

 クーパーもヴィータも、形違えど何かの為に突き進む。己があるがままに。ただ、己が願うがままに。
部屋を出てアースラの暗い廊下を歩きながらクーパーは鋭い眼で闇を睨む。その闇を通して紅を見る。

「…必ず」

「なのはちゃんに告白でもするの?」

 廊下の曲がり角から、ひょいとエイミィが顔を覗かせた。それまでの意識がボロボロ剥がれていく。
ただのクーパーが戻ってきた。そして、エイミィはアルトを抱えていて金色の双眸がジッとご主人を望んでいた。

「…Venga,alto.」

「あっ」

 クーパー何か言うと、ぴくりと反応したアルトは体をくねらせて、エイミィの手から床に逃れる。
直ぐにクーパーの背をよじ登り、肩に顔を乗せた。ここが定位置とばかりに。それを見るとエイミィは少し悔しい気持ちになった。

「やっぱり本当のご主人様がいいんだね」

「…でも、本当に嫌だったらエイミィさんの所から逃げ出すか、本気で噛み付いてますよ」

「おお」

 なんだか嬉しそうに目を輝かせる。多分、嫌がられもせず噛みつかれてもいないのだろう。
それでも、背中にしがみついているアルトの爪が、服越しに食い込んできて少し痛かった。恨み半分だろうか。

「それでそれで? さっきの必ずーっていうのはなんだったのかな? 1人で呟いちゃって。告白の練習?」

「…ですから、僕はなのはさんに恋心なんて抱いてません」

 それだけ言って、クーパーは早足に逃げた。背にしがみ付いていたアルトが振り向いて尻尾をぶらぶらさせていた。
エイミィは手を振ってそれを見送る。ばいばい、と言ってみたがクーパーが見えなくなるとやれやれと腰に手をおく。

「はぁ…あんな怖い顔しちゃって……恨みなんて洒落にならないわ」

「同感だ」

「うわぁあ?!……ってなんだ、クロノ君か。お、驚かせないでよ」

 クロノがいた。いつからいたのかは知らないが、両手に書類を抱えている。
それの内容に気づいたのか、エイミィも少し顔が真面目になる。書類を指差して尋ねる。

「それ、クロノ君的にはどうなのかな?」

「限りなく黒だ。これから本局に行って本人に会ってくる」

「現状の改善はされると思う?」

「解らない、でも、今よりかはマシになると思う」

「そりゃぁクロノ君も限りなく黒だからねぇ……」

「どういう意味だエイミィ?」

「あ、怒っちゃった?ごめんごめん」

 そして、クロノは耳元で何かをぽつりと囁かれると、顔を真っ赤にして、

「エイミィッ!!」

と、叫ぶ声が聞こえてたとか何とか。






揺れる揺れる、



「……」

 市営のバスというのは基本的にマニュアルだ。オートマチックではない。
動くたびに、クラッチを踏んで、ギアを切り替えて、という作業をするからエンジンの駆動や車の動きが乗客に伝わる。
ダイレクトなのだ。なんとなく、オートマとは違い動いている感がクーパーは好きだった。

 というわけで。今はアルトを膝に乗せながら市営のバスに乗っている。隣にはなのはがいる。今日は月村家に行く、
ということでアースラから連れ出された。窓の外を見れば海と、晴れ渡る綺麗な空が覗いていて、とてもいい天気。
こんな日は洗濯物がよく乾く、と見当違いなことを考えているクーパーだった。

 前回の1件から、基本的に97世界に下りてくることは少なくなった。
またいつ一人の時に襲われたらたまったものではない。心のどこかではそれもいい。と思うものの、
そう簡単に管理局も首を縦に振ってくれるはずもない。

今日に限ってはなのはから月村家に行くからクーパー君も来ない?、と誘われたのだ。
無論、断ったがはやてちゃんって言う子が来る、すずかがアルトに会いたい、
私1人でいるよりも魔導師さんと一緒にいたほうがいい。というなのはの意見にくるめられてクーパーはアースラから出てきた。

 クロノは今忙しそうだし、本当に闇の書に対する管理局の姿勢は大丈夫なのか、と疑いたくなるクーパーだった。
なにせ、今現在前線で戦えるのはたったの2人なのだ。ましてや1人はサポートの人間だ。
こんなんじゃ、世界は破滅するね、と青空を見ながらボーっとしているとなのはが降車のボタンを押す。

 バスの中にベルの音がなった。そろそろ降りるらしい。アルトもその音に反応したのか、顔を上げる。なのはを見ていた。

「次のバス停で降りて、少し歩いたらすずかちゃんの家につくよ」

 なのはの手が伸びて、よしよしとアルトをなでる。目を細めまんざらでも無さそうに、黒猫は愛撫を享受していた。
一般の生活と、魔導師としての生活。青空と青い海を見ていると、とても馬鹿らしくなってきた。暖かな日差しに眠くなってくる。
思わず目を閉じてうとうとしていると、慌てた声が聞こえた。

「だ、駄目だよクーパー君。もうついちゃうよ」

「…すみません」

 左目を糸目にしながら欠伸を一つ。これもカドゥケスの反動なのだろうか。体がまだ、酷くだるい。
もしもカードを連発して使った日には、どうなるか解ったものではない。そして使わないで済むならば、それにこしたことはない。

 アルトの尻尾が、情けないなご主人とばかりに膝をぺしぺし叩いていた。本当に情けない話で、
クーパーはなのはに引っ張られながらバスを降りた。降りたのはいいが眠そうなのは変わらない。

「クーパー君、寝たら駄目だよ……?」

「…うん」

 普段、うんなんて言わないし妙に眠そうだし、なのはは心配でならなかった。この前助けに行った時も、
砕かれたコンクリートの中に埋まっていたし心配でならない。大丈夫か尋ねれば大丈夫です、という返事が返ってくる。
なのはが歩き始めると、クーパーは足取りは頼りない足取りでついてくる。

 心配しながらも月村家への道程を行く。途中、

「…痛ェッ!!」

「!?」

 なんて声をあげるから何かと思えば、背中にしがみついていたアルトに首を噛まれていた。
赤く滲んだ噛み痕がついている。その上、クーパーの背から飛び降りると今度はなのはを背を登る。

「わ、わ」

「…なんで噛むかな」

 クーパーは首元を押さえながら、なのはは突然の事に驚いた。我関せずとアルトはしがみつく。
2人は月村家に到着すると、アリサとはやては先に来ているらしい。メイドに案内される。
クーパーはげんなりする。眠いの半分、後はアリサ・バニングスという鬼門がいるからだ。

 前回会って思ったが、全くと言っていいほど馴れ合いは無理そうだ。と、クーパーは思った。そして、ふと気づく。

”…なのはさんは、八神さんと面識は?”

 念話でたずねると、直ぐに返ってくる。

”ううん、ないよ。いつもすずかちゃんから聞いてたから。
会うの今日が初めてなんだ。楽しみだよ。クーパー君は図書館で会ってるんだよね?”

 なんとなく会っていると言うべきか、会いにいってるというべきか。その観点はどうでもよかった。

”…ええ”

一言返しながら月村家の長い廊下を歩く。金持ちはどこの世界も変わらない、というのが正直な感想だろうか?
それでも、始まりあれば終わりありで、メイドが「こちらです」と言ってドアに手をかける。
案内が終わってしまう。メイドは扉を開き部屋を通りテラスへ。

 テーブルには月村すずか、八神はやて、アリサ・バニングスが紅茶を手に楽しそうに話していた。
そして、3人の眼がクーパーに向けられたアリサ・バニングスの眼がこの上なく胡散臭そうだった。
お前かよ~という眼だった。

 クーパーはアリサのようなタイプの人間は酷く苦手で、大人しくしておこう、と思いながらなのはの後に従う。
他人の友好関係を悪くするつもりはない。人間関係を狭めて得は無いと言い聞かせる。

「こんにちは、なのはちゃん」

「やっほーすずかちゃん」

 なのはが座りクーパーもそれに倣う。すずかとはやてにも挨拶を交す中。仕事だとクーパーは割り切った。
簡潔な挨拶を済ませると、メイドがいれてくれた紅茶に口をつけながらこのままやり過ごそうと大人しくしていると。
アリサに見られていることに気づいた。アナコンダに睨まれたヒキガエル状態だ。

 そろり、そろりと目線から逃れようとテーブルの上を見つめ、羊が1匹、羊が2匹目で

「あんた、猫なんて飼ってたんだ」

 蛇がチロチロ舌を見せた。ヒキガエルは固まるしかない。頭の中で、怒らせたら負け、怒らせたら負けと念じ続ける。

「…ええ。まあ」

「かわいいじゃない」

「…それはどうも」

 アルトはすずかにほお擦りされ、はやてには撫で回され、おもちゃになっていた。
蛇は蛙に興味もなくなったのか。紅茶を口にしてから、なのは達の輪の中に戻っていった。
安堵の息をつく。怒らせてもいいなら普通に口を開けるが、たまにはまともに空気を読めた気がする。

「なぁなぁクーパー君、この子なんていう種類の猫なんかな?」

 いつの間にかアルトを抱えて両前足を掴み制圧しているはやてに尋ねられた。
解らないので首をひねっておく。

「…雑種ですよ」

「なによそれ、自分で飼ってる猫の種類も解らないの?」

 蛇がぎょろっと蛙を睨んだ。ゴルゴンに睨まれた様に、クーパーは身を竦める。
幸い、石にはならずに済んだ。

「…え、ええ」

 やっぱり、アリサのような人間は苦手だった。ペコペコするサラリーマンのようにクーパーは大人しい。
それが癇に障ったのか、アリサは言葉でつついてくる。

「ねえ、前も思ったんだけどさ」

「…何か?」

「あんた、目怪我してるの?」

 ちらりとなのは達を見る。3人はまた話に没頭している。

「…ええ、まあ」

 割りとてんぱっていたクーパーは頭を静めた。3人からは見えないように少しだけ眼帯をめくり傷痕を見せる。
アリサも、特別感慨もなさそうにふーんとしながら紅茶を口につける。謝罪もなかった。
クーパーにとってアリサは苦手な人物だが、後腐れしそうにない性格だったから素直に見せたのだが。

「普通なのね」

「…何がです?」

「あんたよ。あんた、片目なのにさ」

 意味が解りかねた。

「…生憎、ずっとこうですので」

「ずっとこうって、そんなわけないじゃない」

「…ずっとです。今の僕が始まった時には、もう僕はクーパーで、片目でしたから。
生まれた時につけてもらったであろう名前も知りませんし、両目で物を見た記憶はありません」

「はぁ?」

 アリサは言っている意味が解らない、という顔をしていたが記憶がないだの2年前だのと言う気にはならなかった。

「いや別に嘘だとかは思わないけど……どうして、あんたはそんなに寂しいこと言えるの?」

 その言葉がクーパーの頭の中に残る。奇しくも、この前はやてに言われた言葉に似ている。

――寂しそうな、ウサギさんやったけどな―――

 アリサは溜息をつく。

「自分まで突き放してるみたいな言い方してるし。あんたの中身、空っぽ?」

 辛辣な言い方だった。でも、むしろクーパーはその方が良かった。アリサに言うべきか、言うべきではないのか少し迷ったが、
尋ねることにした。もしかしたら、アリサ・バニングスの感性に引かれたのかも知れない。
クーパーは絶対にアリサのような思考は持たない、いや持てない。全く考えが異なる人間の意見、というのに興味をもった。

「…記憶とかじゃなくて、自分を見失ってしまったら、どうすればいいんでしょうか?」

 その質問に、馬鹿じゃないの?という眼で見られる。左目を、テーブルの上に落とす。
それでも、アリサは鼻息一つで蹴散らし、あえて言った。

「できるできない、じゃない」

「…?」

「やるのよ」

・・・

「…と言いますと」

「見失ったのなら、探して、取り戻すに決まってるじゃない」

 アリサに眼を向けると、彼女は拳を作ってみせる。そして、クーパーの頭をこつんと叩いた。

「昔のあんたも、今のあんたも、あんたでしょうが。できないと思えばできないし、できると思えばできるのよ。
あんたはあんたなんだから、あんたは何者でもないのよ」

「…コギトエルゴスムとでも?」

「あら、解ってるのね。我思う故に我ありよ」

 アリサの言葉に、クーパーは重ねる。手は、紅茶のカップに触れる。

「…コギットコギットエルゴコギットスム、我思うと我思う、故に我ありと我思う」

 それは皮肉にも、クーパーがフェイトに言った言葉だ。そんなこと知らないアリサは続ける。

「指摘がそうだったかしら。自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている
意識作用が確実であるならば、そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ない。
あんたがあんたを疑って、どーすんのよ。できるものもできなくなるわよ。ありがちだけど、
できるものもできないと思えばできないわよ。違う?」

「…解りません」

「じれったいわね。やれると思えばやれるのよ」

 解らない話でもない、でも、クーパーはうんそうですねと頷ける話でもなかった。

「…何も食べられなくなったり、胃潰瘍やを起こす程の心の傷があったとしても、同じ事が言えますか?」

 流石に、その一言にはアリサも詰まった。やっぱり、とクーパーが思った時、意外にも肯定される。

「直ぐには無理かもしれない。でも、必ずできるわよ」

「…そう、ですか」

「当たり前じゃない」

 そう言いながら、アリサは紅茶に口をつけて適当な猫を抱き上げた。話は終りらしい。
できる、できない問題ならばクーパーにはできない。だが、その先を見れば、どうなのだろうか。
桃子も言っていた。先は解らない。と。そしてその先に向かうには、できると思う心が無ければできやしないのだ。

 鏡の中の自分は、いつでも笑っている。鏡を見る自分はいつも、暗い顔をしている。

「……」

 アリサの指摘に、なんとなく笑える練習と一人で頬をぐにぐに動かしてみたら、はやてに「なにやってんねん?」と笑われた。
みんなの眼と猫の眼が集まる。少し、恥ずかしかった。アルトの金色の双眸もやれやれとご主人を見つめていた。当然だが、

 お昼まで月村家で馳走になり、クーパーは食休みにトイレと嘘をついて森の中に足を踏み入れた。
pt事件の際、初めてなのはとユーノを手助けした場所でもあり感慨に耽る。あの時はいてもたってもいられず手を出したのだが。

 適当なところ木によりかかり、ポケットの中に手を突っ込むと取り出したアンプルの口を切ってそのまま飲み込む。
アースラの医者に渡されていた薬だ。飲んだ後、あまりの不味さに吐きそうになるが、口を手で抑えてこらえる。

「…ふぅ」

 今、右腕は落ち着いている。アンプルの容器をポケットに戻し、右腕を摩る。落ち着いてはいるが、また疼いたらやばそうだ。
一息つきながら戻ろうと、一歩踏み出したところで捕まった。後ろから延髄をぐわしと、鷲掴みにされている。
相応の握力がかけられ身動き一つ取れなくなった。

 一瞬の戸惑いの後、直ぐに騎士達を連想する。延髄に極めることができるのは、ザフィーラかと思ったが。

「動くな。動けば首の骨を砕く」

 低い男の声が聞こえてきた。聞き覚えの無い声、と思っていると頭の中の検索に一つだけ引っ掛かった。
砂漠の世界で、ほんの少しだけど耳にした覚えがある声、確か

「…仮面の男か」

「今日は警告だ。この1件から手を引け」

 いつの間に後ろに回られたのか。気配は一切しなかった。相変らず延髄を極められたまま、クーパーは苦笑を漏らす。

「…シグナムといいヴィータといい、貴方といい……こんな一介の魔導師に何があるっていうんだ」

「手を引け、スクライアとして生きろ」

「…恨み……って、知ってるかな」

 途端、極められている延髄により力がかかる。顔を顰めた。

「…ッ……そっちこそ手を引いたらどうだ、シグナムを捕獲できたのに邪魔してくれて」

「邪魔をするなと言っている、次は容赦はしない」

 それだけ告げると、延髄から手は離される、が。仮面の男が素早く動いた。
クーパーは咄嗟にプロテクションを形成するよりも早く、回し蹴りが右腕に叩き込まれた。

「(…構成がもろすぎる!)」

 盾は砕かれ、蹴りが右腕の傷口に直撃し吹っ飛ばされる。何度か地面とバウンドしながら植木の中に突っ込んでようやく止まる。
その際、右腕の傷口に鋭い痛みが走った。
少々角度は異なるが植木に突っ込んでいない下半身は、犬神家の一族の波立つ水面から突き出た足を思わせる。

「…痛……っ」

 右腕の骨が折れたかと思うが、どうにも違うらしい。
恐る恐る見てみると、服の上から木の枝が包帯の上から例の傷口に突き刺さっていた。
頭を抱えたくなった。ひとまず植木から抜け出すともう仮面の男の姿はどこにも見えなかった。

 突き刺さっている木の枝を引き抜く。

 もう1度、鋭い痛みが走った。

「……っ」

 思ったよりも深く刺さっていたようだ。吐息を落とす。
せめて、プロテクションじゃなくてバリアジャケットにすればよかった、と後悔してももう遅い。
体にまとわりついていた葉っぱを落としながら、腕を捲り包帯を剥ぐ。
傷口を見るとあんまり嬉しくないのができあがっていた。

 木の枝は縫合していた傷口を無理やり突きぬけたように進入したらしい。なんとも素敵な偶然だ。素晴らしい!
後でまた医者に見てもらうしかないが、とりあえずの回復魔法をかけると不潔極まりないが包帯を裏返しにして巻きつける。

「…不幸というかなんというか」

 ここまでくると笑いたくなってくる。
空笑いを浮かべながら、とりあえず包帯が巻き終わったところで誰かが近づいてくるのが解った。
警戒、と思ったがもしもヴォルケンリッターの面子ならばとっくに封鎖領域でも引いている頃だろう。

 剣とハンマーと拳が襲ってきていたに違いない。そして、姿を見せたのは車椅子を押すなのはと、はやてだった。

「ど、どうしたん?めっちゃ汚れてるで」

 吹っ飛ばされて植木に突っ込んで、気分はスケキヨ。流石に本当のことは言えずに、苦笑いを浮かべる。

「…盛大にずっこけて植木に突っ込みました。痛かったですね」

「なんや祟りにでもあったような汚れ方やな……」

 それほど酷く汚れている、ということだ。でも、傍にいたなのはは怪訝な顔をしている。

”ちょっとだけど魔力反応あったよ。”

 やはりというか、気づいていたらしい。こちらには嘘を言ってもしょうがないので本当のことを言っておく。

”…仮面の人に回し蹴り貰って吹っ飛んだだけです。”

 今も体は軋んでいる。しょうがないと思った矢先に傷口は痛み、疼いた。クーパーは思わず顔を顰める。
左手が傷口を抑える。今は痛むなと腕を抑えつける。

「まだ痛いとこあるんか? 急に腕抑え出して」

「…いいえ」

 傷口が疼く、心臓のように一定のペースで傷口が鳴いた。ズグ、ズグ、ズグ、酷く熱い感覚がこみ上げる。
顰めていた顔をとき、無理やり普通の表情を作る。

「クーパー君邪気眼みたいなことして」

 いややわー、と笑うはやてを他所にクーパーも忍び笑いを零す。

「…そうですね」

 なのはにはもう1度、大丈夫かと念話聞かれた。この傷のことはアースラで医者とクーパーしか知らない。
蹴られたところが痛むだけだから大丈夫と送り返す。ただ、傷口は意志を持ったように疼き続けた。
貴様の腕を腐らせ落とすぞという、笑い声のようだった。

 アースラに戻って医者に見せたら「傷口に雑菌まみれのトゲトゲドライバーでも突っ込んだの?」と、顔を顰めて質問された。
生憎、クーパーはMでもないが傷口は悪化の一途を辿る。







【Crybaby.-Classic of theA's9-】





「面倒な事になった」

「?」「……?」

 アースラ食堂。相変らず草食動物よろしくサラダを食べているクーパーと、紅茶を飲んでいたなのはは、
それぞれ頭にクエスチョンマークを浮かべた。クロノの手許には色々な書類がある。それをクーパーに手渡してくる。
読むのが面倒臭かったので目を閉ざし読書魔法を発動させると無数の紙に魔法が通される。

「君は不精にも程があるな、それぐらい目で追え」

 クロノは珈琲に口をつけながら突っ込んでくるが読書魔法を続けるクーパーは受け流す。

「…時間は有効利用すべきですね。クロノ執務官」

 待つ事数秒、左目が開かれて書類をなのはに渡す、なのはは読みながら話に入る。

「グレアム提督が姿を消した」

 書類にも書かれている人物だ。当たり前だがクーパーとなのはに面識は無い。なんせ書類に書かれていたのは時空管理局提督。
かつては艦隊指揮官、執務長官も歴任している大御所だ。そんな凄いコネはクーパーには無い。無論、なのはもだ。

「…で、このお偉いさんは何したんです?」

 書類に目を落としながら、指で顔写真をぐーるぐーるとなぞる。穏やかな髭面をしているが、人は解らないものだ。
なのはも、書類を読みながら関心していた。

「管理局に対する妨害行為、解りやすく言うと僕達の今の現状もグレアム提督が仕組んだものだ。恐らくな」

 クロノも書類に目を落とす。いや、3人が3人、書類に目を落としていた。顔写真の上で動いていた指先でたたく。
貌は上がらず写真を眺めたまま。

「…で?」

たたく指が、止まった。

「提督は闇の書の一件の捜査妨害を実施、その上、使い魔を行使して現場の妨害、騎士達の闇の書の蒐集に協力ようだ」

それに、なのはが顔をあげる。

「使い魔って、フェイトちゃんのアルフさんみたいな?」

「ああ。使い魔は2人。リーゼアリア、そしてリーゼロッテ。どちらも高ランクを取得してる。とても優秀だ」

 クーパーの指が、グレアムの顔写真を弾き書類を動かした。別の書類には、リーゼロッテとリーゼアリアのもの写真が見える。
文章に左目を動かすと素体は猫と記されている。2人の写真を見ると納得した。猫耳してるし。

「リーゼアリア、リーゼロッテの2人は恐らく、仮面を被り、僕達の邪魔をしている」

「…変身魔法ですか、それって」

「恐らくな。体格、声といったものは全て誤魔化している」

「…成る程」

どちらが、邪魔してくれたのか知らないが、よく蹴られているクーパーはじっと2人を顔を見る。
こいつらもまとめて…と思った時、魔導師ランクを見て嫌気がさした。どちらもAAランク付近だ。
エース級、というやつである。

「でもどうして急に解ったの?」

「急に判明したわけじゃないんだ。元々、闇の書に対する捜査班の人数もやたらと少なかったし、
現状でも前線に飛べるのは僕達3人だけ」

 僕飛べませんけどね、と突っ込むと黙って聞いててくれと怒られた。

「それに、仮面の男達が現れた時に、アースラのシステムに侵入して妨害行為があったことから、
内部犯行っていう線でも調べてたんだ」

「…普通外部では?」

「それは、勿論そうだ。最初から絞って調べていたわけじゃない。それでも、
アースラのシステムになんら問題無く進入し、次々と妨害した行為はあまりにも手際がよすぎた。
それから、前回クーパーを結界から助ける時に仮面の男が2人、姿を見せて僕が戦ったのも判断材料になってる」

「え?」

「…執務官、なんとなくで逮捕されたらグレアム提督も逃げ出すのでは……」

「違う、そういう意味じゃない。元々、ロッテとアリアは僕の魔導師としての師匠だ。
初めに仮面の男一人とやった時はただのデジャヴで解らなかった。2人を相手にやった時は疑問だ。
僕は、ロッテとアリアには散々ぶっ叩かれてしごかれたから、動きは体が覚えてしまってる。
その後本局に彼女たちの動向を聞いたら疑惑になった。その上提督はあるデバイス作製を注文していたって話で、
疑惑がより深まった。話を聞こうとしたら、もう本局にはもぬけの殻…、
で、提督の部屋で仮面の男達と君達の映像が発見され、ますます疑惑が深まってる」

「…デバイスとは?」

「あるルートで、ある機能を有した高性能デバイスを作製したらしい。多分、それを所持して逃げてるはずだ。
この人も昔闇の書と因縁があるだけど、それは割愛しとく」

・・・

「…割愛はいいんですけど、早く逮捕して下さいよ」

 クーパーは深いため息をつく。管理局の内部妨害でシグナムも捕らえそこなった上2回も蹴られている。
いいことなんてまるでない。グレアムに対する怒りが胸の中でじわじわと広がっていた。

「だから面倒なことになった、と言っただろう」

やれやれとしたいのはどちらだろうか?

「…質問です、そのグレアム提督の枷が外れて、アースラに高ランク魔導師は派遣されないんですか?」

「急には無理だろうな」

「…何故?」

「本局は万年人手不足だ、ということもあるし色々手続きもある。
これでも武装局員数十名は派遣される予定なんだ。ありがたいと思ってくれ」

「…エース級4人に対して凡骨10人って……」

 その上、リーゼロッテ、リーゼアリアまでいるとなると6人のエースクラスだ。
そう簡単には同等の魔導師なり騎士なりが派遣されないとなると、酷く頭が痛くなる問題だった。
元々アースラですらクロノ1人が配置なのだ。難しいところだ。そして何より、

「…その傍迷惑な提督さんの行方は?」

「解らない。でも恐らく、近くの世界にはいるはずだ」

 クーパーは溜息をつきながら、提督の写真を見る。穏やかそうな人だが、本当に解らないものだ。
そしてリーゼ2人も野放し状態。連中が何を考えて行動しているかもさっぱりだ。本当に、頭が痛くなる。

「…この事件終わったら管理局に謝礼金請求してもいいですか?」

「僕が食事を奢ってやるから、それで我慢してくれ」

 溜息つきながら抑揚の無い声で返す。

「…冗談ですよ」

 金が欲しくて今ここにいる訳じゃない。目的は今も最初も、変わっていないのだから。
左目がグレアムの顔写真に落とされた。管理局の人間が管理局の邪魔をする。
あってはならない話だ。でも、この人も闇の書と一悶着あるというではないか? 人は誰が為に動くのか。

 それとも己の感情に従うのか誰かの命令か。クーパーは騎士達の想いもグレアムの考えも知らない。
本当に、人は傲慢な生き物でしかない。でも、それこそが人間だ。もう1度指先がグレアムの顔写真に触れる。

「クロノ君、私達になにか変更はあるのかな」

「特にないな」

 そんな会話を、どこか冷めた眼で見つめる。
感情の海から囁きが聞こえる。さあ、コギトエルゴスムと言え。我思う故に我あり、お前という我は誰だか言ってみろ。

 左目はさ迷い続ける。僕という我。我とは、今の僕とは一体何だろうか。
揺らぐ憎悪は事ある毎に消えかける儚い憎しみか。未だ姿を見せぬ闇の書の主はどこにいるのか?
クーパーの眼はグレアムの顔写真を見つめるだけだった。ヴィータといわず騎士達も例外ではない。

 誰もが信念を持つ。傲慢を知りながらそれを貫けるのならば。
その先の言葉はない。今のクーパーは考えられるはずもなかった。







 クーパーは図書館に行く事があっても、館内の人がいない所にピンポイントに転送してもらうことが多くなった。
男子トイレとか。エイミィもいい顔はしないしクロノにも無駄な動きを控えろとは言われていたが、
八神はやてに「またな?」と言われると、もう来れないとは言えなかった。友人不足の友人に気を使っているのかもしれない。

 しかし、日が経つにつれはやてが図書館に姿を見せる日は少なくなり、クーパーは1人で過ごすことが多くなった。
稀に姿を見せると、「ごめんな?」と笑う。どうやら体があまり良くないらしく病院に定期的に行っているらしい。
時折姿を見せるすずかともそんな話をちらほらしていた。クーパーは、はやての病名など、詳しくはしらない。

 でも、車椅子に乗っているし体が悪いんだろうなとなんとなく憂鬱な気持になった。できることなら、
良くなって欲しいがそう簡単にはいかないだろう。友達がいない、と言っていたのだ。
学校へ行かなくなるほどなのだから、楽観できるはずもない。

 図書館で一人本を読みながらなんとなく思う。

 神がいるとすれば、悪しき人達を生かし、良き人達を殺すと。
フェイト・テスタロッサ然り、八神はやて然り。デバイスの技術書を眺めながら静かに吐息を落とす。
もしも八神はやてが死んだら、泣けるだろうか。他人事のように考えながらページを捲る。文章を眺めていると不意に念話が入る。

”はいはーい、クーパー君ちょっといいかな。”

 まばたきをしながら返答する。

”…構いません。”

”例の騎士を確認したから、戻ってくれる?”

 聞いた途端、栞も挟まずに本は閉ざした。直ぐに立ち上がり足はトイレに向かっていた。

”…すぐに転送、お願いします。”

”了解、ちょっとまっててねー”

 空いていた個室にもぐりこむ。直ぐにクーパーは、地球軌道上のアースラに戻される。
メインブリッジにはバリアジャケット姿のクロノは待機していて、なのはの姿は無かった。
スクリーンに映し出されるはザフィーラ、そしてヴィータが荒野の世界が、姿を見せている。

「行けるか、クーパー?」

 一も二もなく頷く。ただ、その前にS2Uを貸してくれと言われクロノは顔を歪める。

「何をするつもりだ」

「…あまり強力とは言えませんが、連中の不意打ち用に自動防御プログラムを組みました。いりませんか?」

 頼むとクロノは待機状態のデバイスを渡した。クーパーはカドゥケスを通してデータを送る。
直ぐに設置は完了したのか、カードは戻される。

「…あまり、効力は期待しないで下さい。まだ設定も甘いですし緊急時のエアバック程度のつもりでいて下さい。
頼ったら、確実に負けますよ」

「お守り程度のつもりでいるさ、感謝する」

「…ええ」

「それじゃいっくよー、転送!」

 2人の姿が直ぐに消え失せ、果てしなき荒野の世界に送り込まれる。



 鉄鎚が、肩にかけられる。
荒野は、砂漠の世界と似て直射日光が眩しい世界だった。生物の存在を否定しそうな場所に大型の魔獣が気絶して転がっている。
ザフィーラは吐息を落とすと、蒐集と闇の書を取り出す。

 リンカーコアから魔力を絞ろうとすると広域結界が張られたことに気づく。しかも2重だ。
蒐集する手を止めて、本も閉ざし宙を睨む。ヴィータも舌打ちする。

「管理局かよ」

「そのようだ」

 うぜーな、という文句が吐かれ鉄鎚を降ろすと共に2人の少年が姿を見せる。ヴィータは片目を認識すると、
来たか、という気持になる。あのクソ硬い盾を今日こそぶち破ってやるという、怒り交じりの何かを胸に孕ませる。
アイゼンを手が強く握りこんだ。クロノはS2Uを展開する。

「時空管理局執務官クロノ・ハラオウンだ。大人しく投降してもらおうか」

「するわきゃねーだろ。阿呆か」

 ヴィータが鉄鎚を構えザフィーラも拳を構えた。クーパーはアルトを召喚。
クロノと共に色々と強化魔法を上掛けしていく、速度強化、防御強化、攻撃強化、魔力強化。

「感謝する」

「…どうも」

 よいしょとアルトに跨り金色の双眸が紅を睨む。紅もまた、騎乗したクーパーを睨んでいた。
前足の爪が、荒野の固い地面を齧る。ヴィータは鉄鎚の先端を僅かに揺らした。

「ザフィーラ」

「好きにしろ」

 ヴィータが敵意を向けるのはクーパーだ。クロノも自ずと戦うべき敵が誰なのかは解る。
ザフィーラへと眼が向ける。飛行魔法でふわりと浮き上がると、ザフィーラも上に行く。
残された2人。

「リベンジだ」

アイゼンを突きつけられる。冷めた眼がそれを見つめていた。

「…僕は前回のあれを、勝ったとは思ってない」

「勝った負けたじゃねえ、あたしがお前の盾を打ち破る為のリベンジだ」

「…フルドライブギガントフォルムか」

「ああ?」

「…超巨大質量とシールド破壊プログラムでどんな敵も破壊する一撃必殺技らしいけど、一応対抗策は練ってきた。
幸いシグナムのシュツルムファルケンでシールド破壊プログラムの基礎はできてる。応用して組んだ。
まだあるけど……対抗策が出る前に、君の喉笛を食い千切られたら幸せだね」

 いびつな笑顔が浮かぶ。それを、ヴィータは黙って見つていた。
怒りを吐く事も無く厳しい顔で。

「1つ教えろよ」

「…うん?」

「お前、……いや。やっぱなんでもねぇ」

 やめたとばかりにアイゼンがカートリッジをリロードする。空薬莢が飛び跳ねた。

「ぐちゃぐちゃ言うのは止めだ。あたしはお前の盾を砕く。それだけでいい」

「…僕はお前を殺したい」

 劣情催す。ほぼ同時でヴィータとアルトが動いていた。クーパーも、獣の動きに倣う。
顔面目掛けて一閃された鉄鎚は避ける。獣の体は深く沈み、騎乗するクーパーも呼吸を合わせ体を獣に這わせていた。
ヴィータは顔を歪める。

 速い。

 獣の動きを侮っていた訳では無いが、この速度は陸戦の並を超えている。体を沈めた獣はそのまま駆けてその場を離脱する。

「逃がすか!」

 手が差し向けられ鉄球の誘導弾が飛び出した。それを、騎乗する左目が見つめていた。
獣は猛スピードで逃げるが誘導弾から逃れられる訳が無い。

「グゥォオァアアア!!!!!」

 誘導弾を盾で防ぎながら旋回した獣が突っ走ってくる。
ヴィータは僅かに体をふわりと浮かせて移動を開始。獣の時速は200kのそれを超えている。
走る獣との一瞬の交錯で戦いを決めるのはよろしくないらしく、動きながら誘導弾を続けて吐き出していく。

 しかし、ダメージは何も見込めない。解っていた事だが硬すぎる。やりづらい相手だ。
片目はこれという決め手の攻撃手段を持たない代わりに、自衛手段がやたらと長けている。
こうも防御オンリーな相手は初めてだ。そして隙を見せれば、小便小僧みたいな射撃が飛んでくる。

余計苛立つ。その上、あのデバイスを使うと小便が先っちょ抑えたホースのように、急な激しさを見せるからさらに苛立つ。
地に沿いながら飛び、ある程度のところでヴィータはびたりと体を止めた。相変らず、獣は忙しく走っている。

「アイゼン、ラケーテンフォルム」

 モードが換装される。大きさは兎も角鉄鎚のヘッドは尖った形状になり、よりシールド破壊に特化される。
同時に、尖ったヘッドの反対側には、ブーストもついていた。空薬莢がまた一人飛び出していった。
ヴィータも飛び出した。

 クーパー・アルトはヴィータの動きを伺うように動いている。
僅かに高さを取り、近づくと相手のやや後ろを取るように飛び始めた。クーパーが後ろを振り返る姿勢で注意深く伺っている。
高度を落とし近づいてもクーパーは獣を動かすこともなく、ヴィータを睨み続けるだけだ。だから、敢えて乗った。

「ラケーテン……!」

 鉄鎚ヘッドのブーストが火を噴く。飛行魔法に上乗せ加速をつけてぐるりと一回転すると一気に突っ込んだ。
クーパーは左手でラウンドシールドを展開するが、思わず顔を顰める。受け流しはナンセンスな技だった。
ハンマーモード、ギガントモードにはないシールド破壊特化が受け流しを許してくれないのだ。

そして、ヴィータの体が独楽のように回転しさらなる加速をつけてシールドをぶったたいた。体が歪む。

「砕けろぉおおーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!」

「……ッ」

 左手だけでは耐え切れず右手が飛び出した。両手を持っての構成でラケーテンに対抗する。でも、まだ終わらない。

「アイゼン!!カートリッジロード!」

『jawohl!』

 2発分の空薬莢が飛び跳ねた。僅かに、アルトの体が傾き走る角度が変わる。それれに合わせヴィータの体もまた傾いた。
盾を責め続ける鉄鎚のブーストが、激しさを増す。

「…ちぃッ!!」

 両手で押さえ込もうとする盾が僅か揺らいだ時、亀裂が入った。ギガントでもヒビが入らなかったそれが、だ。
不意に、アルトがぐいと身を沈めて急旋回する、当然追う。その、矢先、2人の眼前に幾重の射撃が降り注いだ。
距離は直ぐに潰される。アルトは右へ、ヴィータは左へ逃れた。

「ちッ……」

舌打ちと共に上を見ると、もつれあったザフィーラとクロノが落ちてきて、地面に直撃寸前で離れる。
辛くも、クロノはヴィータの近くへ、ザフィーラはアルトの方へ。となれば

「邪魔すんな!!」

 ヴィータがクロノに向かって襲い掛かる。上昇して逃げるそれを追って行ってしまう。
アルトは攻撃対象をザフィーラに切り替える。しかし、突撃は無い。騎乗者の呼吸も乱れていた。

「シグナムが負わせた手傷か」

 アルトの足が止まり、クーパーは吐息を落とす。
口許には僅かな笑みまで浮かんでいた。

「…ご明察、その上シグナムとヴィータの2人がかりのお陰で負担かかったり、
仮面の男達にも後ろから襲われたり、休む暇もなくてさ」

「ならば引け」

 顔を顰める。

「…何を今更ッ!」

「スクライア、お前はその盾で何を護る」

 ザフィーラが構える。しかし、押し問答は解りかねた。顔を顰める。

「…ただの手段だ。お前達と戦うための」

「盾の意味を知らぬ者が盾を使う、ならばお前の盾は硬くとも。無意味だ」

 その言葉は師を否定されたものと解釈し、クーパーはブチ切れた。
主の意思を酌みアルトが飛び出す。ザフィーラの盾と驚いた事にクーパーの拳が激突する。
さらに驚く、クーパーはアルトから飛び折れると連続して拳を叩き込む。

 右だろうが左だろうが、お構い無しに。拳部分にのみ強固な盾を形成し
盾に盾破壊を組み込んで殴り続ける。聞き取れない叫びだけが轟き、ザフィーラの盾を破壊すると顔面を殴りつけた。
途端、選手交代とばかりに振り翳し叩き込まれるザフィーラの拳をクーパーの盾が防ぐ。

 魔力干渉の衝撃と共に、血走った左目に食いしばった歯が軋んでいく。
憎しみの海は憎しみに満ちている。大きく荒れていた。

 許せない、兄を奪った上、兄の盾を否定された怒りは計り知れない。
鼎は密かに笑いちょいとばかり力を与えた。

「…返せ! 返せぇ! 返せよ!!!兄さんを返せ!!!僕の何が解るか言ってみろッ!!!!!!」

 ザフィーラは逆鱗に触れた。ただ、クーパーは乱れた呼吸と苦しみの中で震える声で、
慟哭を放ちながらザフィーラを拳で圧倒する。エイミィは目を疑った。ほんの一瞬だけ、クーパーの魔力がクロノと同列だった。

「…あの人が居なきゃ駄目だった、話せなくても……ただ、ユーノさん……が……ッ!!!」

 嗚咽に震え、食いしばった口の中に左目からこぼれた涙が落ちる。
こんな想いという味を何故その身に受けねばならない。この苦しみは一体何の為に在るのか。
憎しみを吐き出し左目は恨みを込める。

「…返せよ、なんで奪った!!なんで返してくれない!!」

 なりふり構わずに、クーパーはカドゥケスを機動させると1分30秒のカードを切る。
後先考えていない。それでも、止まらなかった。泣きながら、ライドスナイプを一門、起こす。
ザフィーラは逃げる事無く、両腕で防御の姿勢を取る。

「…全魔力充填ッ!」

 少々、普通でない射撃が用意された。それでもザフィーラは逃げない。防御の姿勢を取ったまま盾も張らずに待ち受ける。
たった1門、それでもクーパーの全てを賭けた射撃はザフィーラに着弾すると、1歩後ずらせた。その身を持って防ぎ続ける。

「ぐ……ッ」

「…お前達のことなんて知らないし闇の書の主なんて消えてしまえ!!
人の幸福を奪って生きる人間のどこに幸せがあるんだッ!!」

慟哭の一撃をザフィーラは受けとめるが揺らぐことはなかった。クーパーは肩で呼吸を弾ませながら、
歯を食いしばり涙をぬぐう。それでも、涙だけは止まることを知らず流れ続けた。

「…ふざけやがって」

「止まる訳にはいかんのだ」

 防御の姿勢を解いたザフィーラは、防御箇所をさする。主の前にアルトが立ちふさがる。

「もう直ぐ、蒐集は完了する」

「……」

 たった一撃に魔力を使い果たしたクーパーは、抗うこともできず、ただその言葉を聴いていた。






その後、シグナムのシュツルムファルケンが結界を破壊し、ヴォルケンリッターの離脱をクロノとクーパーは許した。

「…ッ」

食いしばっていた歯と顎が開放されるや、天を突き抜ける慟哭が高らかと上がる。
獣のような叫び声がどこまでも響いていた。その姿に、クロノはかける声がなかった。
アースラは、少しばかり回収が遅れた。



 流れ続ける涙を止める術はない。アースラの自室に戻っても、クーパーは泣き続けた。無力な自分に、連中に、
仮面の男達に、管理局に、全てに当り散らす涙を流した。泣き続け、赤子のように泣き疲れると死んだように眠った。
その後は度々クロノやなのはと騎士の捕獲に各世界や、97世界に赴くも全て失敗に終わる。

 仮面の男達は姿を見せずグレアムも一向に行方が解らないまま時は、新たな邂逅を迎えようとする。
ページ蒐集完了まで、残り時間は少ない。そして、リンディはある手続きを終えようとしていた。
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