訓練中のフェイトがいた。レイジングハートを手に複数の局員を相手に立ち回る。
求めるのはより速くより強く、裏付けるように十八番の素早さで維持しながら戦略を立てる。
局員達も異様な速さのフェイトに四苦八苦しつつも善戦した後、なんとか訓練を終える。

「ありがとうございました」

 飛行魔法を緩めてから床に足をつける。金の髪がおじぎと共に揺れていた。
区切りがつくと吐息を落とす。バリアジャケットを解除し首元の汗を拭う。
局員達が退散するのに混じり、シャワーを浴びて着替えを済ませると心地よい疲労感に包まれた。

 僅かに湿った髪の毛をまとめ、飲み物を片手にアースラの廊下を歩いているとクロノに出くわす。
書類の束を手に難しい顔をしていた。

「お疲れ様です、執務官」

「ああ」

 なにやら難しい顔で相槌を打たれる。抱えている仕事の大きさにも色々あるが未だに闇の書事件は解決していないのだ。
法務の仕事も多いクロノは大変なのだろう。はお決まりのことを尋ねてみた。

「はやてさんは起きましたか?」

「いや、まだだ」

 落胆交じりの相槌を打つ。
アースラに来てからというもののはやては眠ったままだ。管制人格とユニゾンを解除してもだ。
いつ目覚めるかは解らないらしい。眠り続けているそうだ。今も昏々と眠り続けている。

 いつ起きるかは定かでない。クロノはフェイトが手にするドリンクと濡れた髪から訓練後である事を悟る。

「君もいつか、同じ思いをする日が来るさ」

 それじゃ、とクロノは去っていった。フェイトは飲み物に口をつけながらその後ろ姿を見送る。解らない話でもない。
が、今回の事件でそれが少し揺らぎかけたのも事実だ。自分は魔導師としての力があると思い援護に来たが、
相手の桁外れな力に翻弄され続けた。

 クロノの背を見ながら飲み物を飲み干す。
眼差しに含まれるものは羨望だった。かくあるべき正義を体現するクロノ・ハラオウンは稀有な存在だ。
空になったドリンクの容器を気づけば握り潰しながら自分の目標を見据える。

 闇に囚われ引き篭もっていたフェイト・テスタロッサはもういない。
踵を返し部屋に戻ろうとすると、今度はエイミィに出くわした。腕には黒猫が抱えられている。

「やっほーフェイトちゃん、クロノ君見た?」

「さっきすれ違いましたよ」

 あっちに行きました、と教えてあげるとありがとーと早足にエイミィは去っていった。
その際、黒猫はじっとフェイトを見つめていた。声は出さずに手を振りながら「ばいばい」と告げておく。
エイミィを見送って部屋に戻る。

 ゴミをぽいとゴミ箱に投げ捨ててから、机の椅子に腰掛けテキストとペンを取り勉強を始める。
開かれたテキストの文章に沿い、眼を動かしながら口が独り言にも満たない呟きを落とす。
そのまま、時間だけが淡々と過ぎる。

 1時間、2時間と過ぎていき、次第に眠気に犯されながらも勉強を続けた。
時間が経てば経つほど瞼は落ちていき、仕舞には眠気に負け頭が揺れる。
結局、ペンを握ったまま意識を手放していた。

 目覚めは甲高い通信の音。頭が不自然に動いてから顔をあがる。
慌てて回線を繋ぐ。目を擦りながら通信画面を見るとクロノだった。
欠伸を堪えておはようございます、というと向こうも苦笑しながらおはようと返してきた。寝起きはバレバレだ。

「すまない、一応伝えておこうと思ってな」

 多分、相槌は打っていたと思う。寝ぼけ頭は不明瞭だったが。構わずにクロノは続けた。

「八神はやてが起きたそうだ」

 頭は直ぐに働いてくれなかった。口の端からたれそうになったよだれをあわてて拭い未遂に済ませると、本当ですか? と尋ねる。

「ああ、でも色々あるから直ぐの面会は無理だ。ぬか喜びさせて申し訳ない」

「いえ、ありがとうございます」

 フェイトの中で会いたい気持ちが先行したが押さえ込む。

「様子はどうですか?」

「落ち着いているそうだ。面会できるようになったらまた知らせるよ」

 少し間が空きクロノが失笑した。

それには苦笑で応えながらありがとうございます、と答えておく。

「用件は以上だ」

 そこで通信は途切れた。部屋に静けさが戻ると友人の目覚めに安堵した。
無事で何よりだ。席を立つと体をベッドに投げて目を閉じる。体は眠りを受け入れた。

 数日の間、フェイトは悶々とした日々を過ごす。勉強、訓練の繰り返し。
時折なのはと通信でやり取りをしながらはやてとの面会許可を待つ。
首を長くして待ち、なのはがアースラに来る日にようやく面会許可が下りる。

 当日、フェイトはなのはが来る前にある場所へと向かった。
暗い廊下を歩き、隔離ブロックへと向かう。人がほとんど見られないそこに妙な懐かしさを覚えてしまう。
数ヶ月前、この区画にフェイトもいた。

 その妙な気持ちとともにある扉の前で立ち止まった。
クロノに教えてもらった番号コードを打ち込み部屋の扉を開く。
中は、清潔な白一色だった。

 フェイトが知る牢屋では無い。

 中にはベッドに横たわる少年がいた。顔に包帯を巻かれ左目だけが動いていた。
部屋の中へと足を踏み入れる。扉は閉まり2人の世界が始まる。

 生憎、監視付だが。

「気分は?」

「…憂鬱で退屈。最悪」

 嘘と皮肉を混じらせ死にたいと言った。フェイトも溜息交じりの吐息を返す。
これでここに来るのは2度目だ。一度目は起きたと知らされてから赴いた。

「気分は?」

「…頭が痛い」

「私の時よりも、無茶したみたいだね」

「…話したい気分じゃない」

 という会話で終わった。。その時のクーパーはフェイトを見ようともしなかった。
2度目の今、少しは良くなったと思いたかった。

 クーパーが隔離区画にいる理由は八神はやての拉致及び殺害未遂命令違反他。
管理局としては見過ごす訳にはいかないらしい。難儀な話だ。

「はやてさん、起きたって」

「…そう」

 フェイトを見ていた左目が僅かに細くなる。頬の筋肉が動いていた。フェイトはその変化を見逃さなかった。
だが、なんらかの変化を見せると思ったのに裏切られた。左目は天井に視点を移して閉ざされる。
唇の隙間から舌が姿を見せ唇を舐める。

 何を思うのか。

 クーパーは何も言わない。フェイトも今回の事件についてはアースラに滞在している間に一通り目を通してはいるものの、
そう安々と口出しはできない。

「ねえ、クーパー」

そこまで言った時、遮るようにクーパーが口を開いた。左目も開けてフェイトを臨む。

「…フェイトは、僕がプレシアを殺していたら僕を許せる?」

 なかなか返答に困る質問だ。胸の奥がぎゅっと締め付けられる思いになる。手を握り締めた。
答えは直ぐに出たが認めたくはなかった。頭の中に浮かんだ回答。それは酷く安直だ。"ノー"、だ。
誰が許すものかと思う自分が浅ましい。フェイトは違うと否定しながら横になっているクーパーを見ながら顔を顰めた。

「…僕だったら許さない。でも、」

そして溜息。クーパーのやる気の無さそうな眼はうつろ気に泳いでいた。自分をなぞる。

「…許さないけど、この事件の間ずっと殺す事ばかり考えてたから疲れたよ」

 横になったまま右手があがり、光学端末を表示させるとコンソールをたたいてスクロールさせフェイトに見せる。

「…うちの人間がね、管理局に入れってさ」

 表示されている内容を読みながらクーパーの言葉が耳に入る。差出人の名はスクライアと書かれている。

「…仕事を放り投げて、スクライアの名を汚した餓鬼はいらないって」

 フェイトも一通り目を通すが言う通りの内容になっている。
ぽちぽちとコンソールの上で指が動きウインドウを消し右手は力なくベッドの上に落ちる。
吐息が落とされた。

「…これが僕の結果。尤も、スクライアから除名されなかっただけマシなんだけど」

 溜息をつく。少し考えれば解りそうなことだ。海鳴の街に来た時から解っていた事でもある。
復讐に走った末に待つものが何なのか。まずい飯を食った末なんて、待つのは無様な下痢だけだ。

「…フェイトは嘱託をやるって決めたんじゃないの?」

 戸惑いながらも、こくこくと頷き金の髪を揺らす。というよりもうまく言葉にならなかった。
なんという言葉をクーパーにかければいいのか解らない。

「…頑張って」

「う、うん……」

 そこに卑屈さはない。曖昧に笑うクーパーを見ながらフェイトはある事を言おうとしたが、
喉に突っかかっていう事ができない。あいかわらず手は硬く握り締められている。
言おう言おうとするが頭と体は別々になったようで言うことを聞かなかった。

 感情に踊らされ心と体がバラバラだ。頭は言う。この程度で? PT事件前なら大したこと無かったと。
一言言えばいいだけなのに。フェイトの口から言いたいことは言えなかった。なのはを待たせるからと
踵を返すと早足にクーパーの部屋を去る。人気の無い隔離区域の廊下を我武者羅に走った。

 考えがまとまらず自分を否定したくなった。走りに走って、隔離区域から離れた頃、走る足が緩やかになっていき
最後には止まった。壁に手を添えて肩で息を繰り返す。それを抑えるように唾を飲みながら呼吸を整える。
一体、何がしたかったのか自分に聞きたい。気持ちを吐き出すなら最悪の一言だ。私は何だ? 口許を拭うと、
激しく動く心臓の鼓動を聞きながら歩く。逃げた、馬鹿みたいじゃないか。自分の額に手を当てて落ち着かせる。

 何をやっているのかと自問自答しながらゆっくりとなのはとの待ち合わせ場所に向かう。少し早いけど飲み物でも買えばいい。
のろのろと動く。なのはと合流後、一言がこれだった。

「フェイトちゃん、大丈夫?」

 顔色が悪いよと髪を揺らしながらなのはは心配する。平気だよ、とジュースを渡そうとすると何故か頭を撫でられた。
それが理解できなくて、フェイトはジュースを手にしたまままま目を白黒させる。

「な、なのは?」

「駄目だよフェイトちゃん、あんまり無理したら」

 子をあやすように怒られてしまった。肝心のフェイトは拍子抜けしたような顔をしてからありがとうと感謝する。
なのはは優しい、能面を模すクーパーと違ってとても優しいのだ。撫でられることを拒まず、
しばらくそのままでいた。2人は廊下を歩く。

 後でクーパー君にも会いたいな、というなのはに対して何も言えなかった。
そうだね。と素直な相槌をうちながら足が止まる。
クーパーの部屋とは違い中とインターフォンで確認をとると中へ入る。

 ベッドの上で横になる八神はやてと、近くの椅子に腰掛ける管制人格がいた。
入ってきた2人に気づいたはやては、僅かに笑みを浮べてむかえてくれる。思ったよりも安定しているようだ。
フェイトもなのはもホッとする。

「こんにちは、はやてちゃん。体の方は平気?」

「ありがとななのはちゃん。そんなには悪くないよ」

 はやての眼がフェイトに行くが、誰だか解らず戸惑いが浮かんでいた。フェイトもフェイトで、
苦笑しながら光学端末を表示するとコンソールを叩き、自分の名前を表示させる。
それを眼にした時、はやては解りやすい驚きの表情を見せてくれた。

「いつも手紙ありがとう、はやてさん」

 なのはは事前にはやてとの関係を聞いていたのか、にこにこと状況を見守っていた。管制人格も黙って見ている。
目を白黒させるはやてと、微笑みながらウインドウを消していくフェイト。

「はやてさんの手紙を貰ってからは、牢屋の中が退屈だったからね。いつも待ち遠しかったよ」

「ほ、本当にフェイトさん……?」

「うん」

 手紙のやり取りをしていた人物が目の前にいるのが信じられないのか、手を差し出されると恐々と握り1、2とシェイクハンド。
その顔にはまだ実感が沸かないというのが見て取れた。
おかしな話だが、子供がどこかの遊園地で鼠人形に撫でられた時の顔に似ている。

 手を離してもどこか浮世離れしたような表情をしていた。黙って見ていると今度はハッとしたような表情になる。
見ていてとても飽きない。

「フェイトさんも、魔法使いやったんですね」

「うん、ごめんね隠してて」

 平気ですよ、と言いながら今度はそれを言うならなのはちゃんもや、と一人苦笑いを始める。
コロコロと表情が変わるその姿を見ている限り、……見た目は問題は無さそうだ。
互いに呼び方にも気遣ったりしていると、はやてが話を逸らした。

「クーパー君、どないしてるかな。
もう起きてるっていうのは聞いてるんやけど……」

 なのははフェイトを見た。何せ、まだ本人に会ってないからどうもいえない。
肝心のフェイトは伝えるべきか迷った。クーパーも被害者であり加害者だ。フェイトはちらりと管制人格を見た。
眼線が交じり合い念話が飛び交った、意識が絡み合う。

"はやてはまだ、そっとしておいた方がいいですよね。"

”すまないがそうしてくれるとありがたい、目覚めて数日経つが今も無理をしているのは否めない ”

”解りました ”

 妙な事を言うと後が怖い。念話は終了し、フェイトはそっと笑みを浮べた。

「落ち着いてるよ。自分がやったこととかこれからのことを考えたりしてるみたい」

 それを伝えた時、非常に何かを言いたそうな顔をしているはやてに、なのはとフェイトは顔をあわせる。

「はやてちゃん、伝言があれば伝えておこうか?」

「ん……」

 何か言いかけて黙って俯いてしまった。小さな手は硬く握り締められ僅かに震えている。

「主はやて、自分の中に気持ちを押し込めないで下さい」

 管制人格は優しい手で主の頭をそっと撫でる。それを拒むでもなく、少し顔をあげて解ってると答えた。

「ねえフェイトちゃん、クーパー君に会えへんかな」

 その質問に返答はできない。胸の中で燻った返答はNOだ。どちらも被害者であり加害者なのだ、
その2人を勝手に動かすわけにはいかない。クーパーはあんな状態だし、はやてはますます傷つく可能性がある。
心も体も。

「クロノ君にも駄目って言われたから無理っていうのは解ってたんやけど」

「ごめんね、もう少し落ち着くまでは無理だよ」

「ありがとう。ええんよ。解ってたことだし。ごめんな無理言ったりして」

 曖昧に笑うはやて。フェイトは、胸が何かに揺さぶられたような気がした。水面に大きな波紋が現れるようで落ち着きがない。
口を硬く結んだまま何も言えなくなってしまう。なのはがはやてを気遣ってあれこれ喋り始める。そんな状況を他人事のように
フェイトは眺める。意識の上では解ってはいるが自分は何をやっているのかと疑りたくなる。決意を決めて助けてきたというのに、
ぶれてばかりだ。

”主はやてよりも、貴女の方が深刻そうに見える。”

 管制人格からの念話だ。フェイトは再び、眼線を動かす。

”そうでしょうか?”

”ああ、色々と考えすぎているように見える。もう少し、楽にするといい。”

”……解りません。”

”器に入りきらない水を入れようとしても、溢れて水浸しになるだけ。
拭うこともできるが無理に水を受け入れようとする必要は無い。時には拒むことも必要だ。
それが友であり仲間であったとしても。壊れてからでは何もかもが遅い。”

 フェイトも手を硬く握り締めていた。意識的にその手を緩めようとするが手は拒んでいた。
如何ともし難い。そうこうしていると、手に書類を抱えたクロノが入ってきた。
挨拶を交わしながら足を止め書類に目を落とす。

 今回の闇の書の顛末を語ろう。
憎しみの結末を。新たな皮肉を前にひとときの安らぎを迎える為に。
僕と私の物語にひとまずの区切りをつける。



エピローグ1

「欠片」


 闇の書の防衛プログラムはアースラのアルカンシェルによって葬られた。
無人世界を巻き込んだものの、被害者はゼロ。闇の書の歴史を振り返れば上出来かもしれない。
防衛プログラムとの切り離しに成功したはやても無事にアースラへと帰還。

 フェイト、なのは、クロノに関しては疲弊は大きかったものの大きな傷も無く無事に済んでいる。
八神はやては一応の治療を受け一室で拘束を受けている。管制人格と共に。

 クーパーも治療を受けた後に拘束を受けている。突きつけられた罪状は八神はやてに対する拉致と殺害未遂。
どこをどう言おうと、言い逃れができる筈も無く。
尤も、本人も逃げる気は無いらしく抵抗も無く大人しく拘束されている。

 闇の書はクロノとはやて、それに管制人格がこれについて数日の間話をしていたのだが、ある問題が浮上していた。
手にする書類をまとめつつも目を落とすクロノが口を開いた。

「今回も闇の書の対処できた。だがまた10年後にやってくる」

「え……?」

「ええ??」

 内容を知らないフェイトとなのはは硬直した。意味が解らない。防衛プログラムは破壊されはやては助かり、これで
万事解決かと思っていたにもまた10年後とはどいう事なのか。クロノに変わり管制人格が口を開いた。

「どういうことですか?」

「防衛プログラムの侵食が私を侵してるということだ。切り離しの際、向こう側からのアクセスに私は掴まれている。
今はまだ防衛プログラムも発動してはいないが、私の中でも闇の書の転生システムは既に発動してしまっている。
今直ぐに私を破壊しても、後に壊しても闇の書の転生は免れないんだ。……すまない」

 どうしようもない、と管制人格は首を横に振った。なのはとフェイトは互いに顔を見合わせる。
どうしたらいいのかも解らなかった。

「ただ、」

またクロノだ。

「幸い、防衛プログラムが発動前に闇の書の主の意識があり、管理者権限で切り離しを行えば闇の書の完全破壊も
行えることが解った。次には繋がった」

「ちょっと待って、はやてちゃんはどうなるの?」

「主はやてに関しては問題無い。しばらくすれば歩けるようになるし持病と思われていたものも消えるだろう。
闇の書が転生すればリンカーコアへの侵食も消える。何も問題は無い」

 何もな、と続けるが1人問題がいる。

「……その、」

 なのはが言いたそうな内容を管制人格は汲み取った。うなずいてみせる。

「すまないな、一緒に支えてやってくれ。姿は不相応に年を取っていても、年不相応な子なんだ」

 だそうだ。

「…………はい」

 問題、というわけでもないが今ヴォルケンリッターの1人が牢の中に入っている。
いや、自分から望んで牢の中に入っているというべきだろうか。
管制人格は闇の書からの切り離しの際、一人だけ復旧に成功している。

 その他二名は防衛プログラムにリンカーコアごと蝕まれて終わっている。ザフィーラは元から消えている。
唯一生き残った騎士の名はヴィータ。

「主はやてが生き残っただけだけでも、私は満足している」

 はやての頭をそっと撫でる。妹か娘の頭を撫でるような仕草だった。

「私もまた絶望しているだけだった。ありがとう」

 なでられるままに、はやてはされるがままにしていた。抵抗も、拒絶もなく、淡々と状況を受け入れる様だった。
指は髪をすきいつまでも撫で続ける。終りが来ればまた戻り、終わりに来ればまた戻り。

「クロノ君、ヴィータちゃんはこれからどうなるの?」

「裁判になる」

 はやてはもしかしたら変わるかもしれないけど、と付け加えられた。

「私は平気やでなのはちゃん。ありがとな」

 健気に応えるはやてだが心配は消えない。クロノが言うのだから悪いようにはならないと思うが、
心配は消えなかった。人としての性か。なのはとフェイトはその後もはやてと話を続け、クロノは2、3確認を
取ると退室した。廊下に立つと1人、溜息をつきながら目許をほぐす。

 疲れた、眠い、休みたい。そんな余念が脳裏を過ぎるが次々と打ち消していく。
仕事だ、と改めて歩き出した時、背中をちょいちょいとつつかれた。それに反応し

「なん……」

 振り向いた時、頬に妙に感触が触れた。柔らかいようで弾力があるようなジト眼で後ろの人物を睨む。

「エイミィ」

「ん?」

「怒るぞ」

 エイミィの手にはアルトが抱えられており前足がクロノの頬に伸ばされている。尤も、エイミィがやらせているのだが。
黒猫の金の瞳をじっと覗き込む。瞳孔が僅かに動いていた。

「ごめんね、でも休憩も大事だよ。ほとんど休んでないじゃん、クロノ君」

「体調管理ぐらいは自分でできる」

 執務官なんだから? 違う、一局員としてと言い合いをしながら歩いていく。
いつまでもついてくるエイミィに納得する。抱えるソレが目的の一つなのだろうか。

「クーパーか?」

「そ、許可貰ったしあそこの部屋魔法使えないしね」

 エイミィはうりうりとアルトを撫でる。抵抗も無く受け入れている。かわいいと思うも言わないクロノだった。

「協力すると思うか?」

 その質問対してエイミィは首を捻った。

「フィフティーフィフティーかな」

「僕もそう思う。しなかった場合数年間の懲役だ」

「下手したら二桁だね」

「そうならないでほしいよ」

 まったく、と溜息をつくクロノとエイミィは隔離区域に入りクーパーの部屋に赴く。
部屋の前で暗証番号を入力すると、シュッと空気が抜ける音と共に扉は開かれる。
白い部屋が視界に入り、足を踏み入れる。

 フェイトの訪問と変わらず、クーパーはベッドの上で横になっていた。
包帯が巻かれた顔と、点滴の管が腕に繋がりぽとぽとりと落ちている。
左目の瞼は閉ざされ、静かな寝息が聞こえていたが。

 2人が近づくと呼吸はぴたりと止まり左の瞼は半開きに開かれた。2人が視界に入り寝ぼけ頭で目を細める。

「…御用件を」

「君に話があって来た。具合が悪いようならまたの機会にするが」

 クーパーの眼球が僅かに動いてアルトを一瞥する。アルトも主の傍に侍ろうとはせずエイミィの腕の中で大人しくしている。
互いに興味は無さそうに見つめた後、クーパーの瞳はクロノに戻された。

「…構いません、お願いします」

「嘱託魔導師をやるか否かの確認だ。やるなら手続きの後管理局に嘱託魔導師として数年働いてもらう。
完全なタダ働きじゃないから安心しろ。給料もでる。ノーと答えた場合は裁判にかけら牢屋の中だ。どうする?」

「…少し考えさせて下さい」

 クロノはエイミィに目配せし退室を促す。その前に、と黒猫は彼女の手からクーパーのベッドの上に舞い降りた。

「1人は寂しいって」

 返答はなかった。2人は部屋を後にする。扉が閉ざされるとクーパーは再び1人になった。いや、人1人猫1匹だ。
左手を伸ばしアルトに添える。ゆっくりと動かしてなでていく。右手は動かす気にならなかった。いや、動かせなかった。
シグナムの置き土産は大きい。自業自得とも言えるが右腕の傷は反応を鈍らせ、左腕よりも若干動作が遅くなってしまった。

 日常生活には支障は無いが、戦闘では少々厄介な存在になりそうだ。これからは左腕をメインに考えなければならない。
そして、もう戦うことを考える自分がクーパーは嫌だった。目を閉じると自然と涙が零れ落ちた。
今は悲しみも怒りもないというのに、この涙は何か。拭わずに天井を見上げる。

「…は、あっははははははは……」

 笑いがこみ上げた。大きな自嘲を禁じ得ない。ひとしきりにむなしい笑いを演じた後、溜息をついてから体を起こした。
節々が痛み体はまだ寝ていろという。もう、死んでしまいたかった。でも自殺をすればスクライアにまた迷惑をかけることになる。
それに、兄にも。唇の端を歪めてから俯く。本当は、ただ死ぬのが怖いだけだ。少し顔をあげアルトを見ながら、一言呟いた。

「…僕はどうしたらいいと思う?」

 苦しげに顔を歪めるが口許は笑っていた。アルトは顔に感情の色を示すでもなく淡々とした表情で主を金の瞳で見つめる。
クーパーの体はずるずるとベッドの中に崩れ。そのまま、眼は蕩け瞼は落ち涙の跡を残したまま眠りについてしまった。
そんな主を見つめてから小さな溜息が落とされた。尻尾がゆらゆらと泳いだ後、ぱたりとベッドの上に落ちて渦を巻く。
静かな寝息だけが部屋に聞こえた。




 数日後、アースラ食堂。
フェイトはクロノに挑んだ。

「無理だ」

 そして撃沈した。予想通りの解答を貰うと、解っていたにも関わらずショックを受ける。
”解っていた”落胆に浸りながら、2人ともマグカップを手にしている。湯気がお邪魔しますよとその身を踊らせては消えていく。
いつまでも途絶えることの無く湯気はその場の空気にも構わずぐるぐる回る。

 希望は儚い。それでも、潰されても必死にもがく蟻同様、フェイトも直ぐには諦めない。
無論クロノも引かない。

「今のクーパーとはやてを会わせる訳にはいかない。君だってそれぐらいは解るだろう」

「危険だっていうなら、私がはやてを守る。気持ちの整理をつけさせてあげたいんだ」

「形の上ではどちらも被害者で加害者だ。あんまり刺激しない方がいい」

 でも、とフェイトは食い下がる。マグカップを握ったまま僅かに俯いた。クロノは鼻息でマグカップの煙を飛ばす。
湯気は拡散していくが直ぐにまたその姿を取り戻しぐるぐる泳ぎ立ち上っていく。
心の奥底で小石が動く程度に、苛立ちを覚えるが黙殺する。双眸がフェイトを覗く。

「この先、執務官を目指すなら自分の感情で物事を判断しようとすると壁にぶち当たる事になる」

 その言葉にフェイトは顔をあげた。クロノは淡々と続ける。

「恨み恨まれ、憎悪にまみれた人間達とも関わっていくことになる。
偽善とは言わないけど善良な心から執務官を目指すなら止めたほうがいい。
局員の道は1つじゃない、武装隊っていう道もあるんだ。多岐に渡ってね」

 湯気は止まらない。止まる事を知らない。

「今回みたいなことだってあるし、互いに逆恨みしてることだってある。悲しむこともある。何度も何度も壁にぶつかりながら
悩んだままだと君の精神が先にやられる。執務官は法を手に法に生きる人間だ。感情問題を前に判断するのは自分じゃないんだ。
感情に生きるべき人間がなるものじゃないよ」

 フェイトの顔が渋くなっていく。やれやれとクロノはマグカップを揺らす。中の紅茶が慌てて動いている。

「私は諦めない」

 何をとはクロノは聞かなかった、だまって紅茶に口をつける。フェイトは何かに耐える様に歯を食いしばった後、
金色の髪を翻し席を立つ。クロノは念を押した。

「2人の面会は"NO"だ。解ったな」

 その言葉に、フェイトは僅かに足を止めたが直ぐに早足で食堂を後にしてしまう。その後姿を眼で追ってから、
クロノは再び紅茶に口をつける。砂糖を入れてないから酷く渋かった。それでも、彼の顔は変わらない。
これでいい。この渋さがいいと思った矢先、背後から頭を何かで小突かれた。

「世知辛い世の中だねえ、クロノ君」

「また君か」

 エイミィだ。彼女の手にもマグカップが握られており横に腰掛けた。

「フェイトちゃんは最初の壁?」

「かもしれない。でも」

「でも?」

 クロノの目は遠くを見るように見えた。

「……どちらかというと、フェイトよりもクーパーの方が執務官向けだと思った。
すまない。戯言と思って忘れてくれ」

 そんなクロノに対して、チッチッチとエイミィさん。甘いねと切り返した。

「駄目だなあクロノ君は」

 ムッとする。

「何が」

 エイミィもふーふーとマグカップの湯気を散らしながら口をつけるも、あちちちとあまり飲めていない様子。
火傷したよと舌を動かしながら呟いた。

「クーパー君よりもフェイトちゃんの方が、必ず伸びるよ」

「そうか?」

「そうだよ、解ってないなぁクロノ君は……」

 何が、と再び言おうとしたがエイミィはマグカップをテーブルの上に置き肘をついてふふんと小さな思いを馳せた。

「フェイトちゃんは大器晩成型……クーパー君はちょっとね」

「それは、あんまりな言い方だな」

「貶めてるじゃなくて、解らないかな。クーパー君はクロノ君が思ってるほど強くないよ。
あの子は多分、執務官になったら壁にはいずりながら進んだ後、絶対にどこかで倒れる。
フェイトちゃんはそれをバネに伸びるタイプだね」

 そうかな、とクロノは首を捻った。自分の感情を捨て置き判断することができるクーパーが伸びれば、と
思ったが駄目なのだろうか。そんなクロノを見ながら、やはりエイミィは甘い甘いと呟き笑う。

「女の勘、舐めてもらっちゃ困るねクロノ君」

「そうか」

「そうだよ」

 湯気はいつまでも踊り続ける。エイミィは予想していた。クーパーは誰かに支えられないと必ずどこかで倒れてしまうと。
フェイトは一人でも歯を食いしばって立ち上がるだろうが、あの子は倒れてそのままくたばってしまう気がする。
そういうことを考えると、クロノもまた歪んでいる子供だ。ちらりと覗くと、はたと眼が合ってしまった。

 なんだ、という目のクロノに何でもないと笑う。火傷した舌の痛みはいつまでも残っていた。





 が、フェイトは諦めない。なんとかクーパーとはやての仲を取り持ちたいと思うが、クロノから駄目だと言われている通り、
会わせる事はできない。フェイトはまだ嘱託魔導師として動くことが決まったから自由にさせてもらってはいるが、
元犯罪者というのは変わりないのだ。何か手は無いのか、廊下を一人歩きながら何か方法はないか考える。

 なのはに頼る、却下だった。困らせるだけだ。何よりこんなことに巻き込む訳にはいかない。
クーパーに頼る、という考えが浮かんでからどうにかしたい人物に頼ってどうすると否定した。
アルフ、……まだ本局の牢屋の中だし今回の件にはいささか無理がある。没。

 クロノ、……駄目だ。エイミィ、同じく。リンディ頼れない多分。
頼れる人物がまるでいない。頭を抑えながら自室に戻ると、ベッドに座りこんがらがった頭でどうしようかと考え続ける。
うんうん唸り続けてもいい案は出てこない。執務官試験の勉強をする気にもならない。その時、ふと気がついて机の上を見る。

 金の髪が翻る。

 直ぐに食堂に戻るとクロノを掴まえて説明すると、頂いた言葉が「君も懲りないな」だった。
それでも、なりふり構わずに頼み込むとクロノが折れた。双方が了承してからだ、という。
思わずガッツポーズを取りそうになったフェイトだが、それはひとまず置いといて、だ。

 クロノと共にクーパーの部屋へと向かい、部屋に入ると中では眠っているクーパーがいた。
一緒に眠っていたアルトが、開かれた扉に反応して顔をあげ2人を見る。尻尾を揺らしていた。

「後にしよう」

 クーパーは寝ている。一応患者には変わりないのだ。またの機会にと言おうとした矢先にその患者は目覚める。

「…返事を聞きに来ましたか、クロノ執務官」

 体は起こさずに瞼を開き目を動かし機械的に口を動かす。起こしてしまったか、と溜息をついた。

「いや、少し違う。すまない起こしたか」

「…ぼんやり起きてましたから平気です。ご用件は?」

 クーパーの指はゴシゴシと目を擦り眠気を飛ばす。小さな欠伸を手で口許を隠し押し殺していた。
クロノはフェイトを見る。それに倣いクーパーの目もフェイトへと動く。2人の視線を受けながら、
一つ唾を飲む。

「えっと……ね、クーパー。お願いがあるんだ」

「…できる範囲内のことなら」

 フェイトの中では十分なほどに範囲内だが、クーパーがどういう反応を示すか正直解らなかった。
今は無表情だが、激昂して枕をなげつけてくるかもしれない、という予感がしてならない。友人関係が
崩壊するかもしれない、という僅かな恐怖があったがはやての為に勇気を出す。

「はやてにね、手紙を書いて欲しいんだ」

 それを聞いたクーパーは、地蔵のように動かなかった。表情の変化一つみせず顔面の筋肉もピクリとも
動かさない。クロノは黙ってみていた。フェイトは緊張の面持ちで見つめていた。そして口を開く。

「…構わないけど、クロノ執務官。僕と八神さんが面会する事は不可能ですか?」

 思いもよらぬ一言に、クロノは虚を突かれた。最悪の状況を想定してはいたが、ここまで軽い状況は考えていなかったらしい。
数秒後、すまないと口許をおさえ謝罪してからわざとらしく咳き込んで切り替えた。

「本来は問答無用に却下なんだが……条件は条件は君が嘱託魔導師を行うことだ」

 大きな溜息が落とされた。でも、フェイトは見逃さなかった。クーパーの手が硬く握り締められているのを。

「…構いません。やりますよ嘱託魔導師。犯罪者に職を斡旋してくれるっていうなら安いものです」

 クーパーは皮肉な笑みを浮べてクロノに投げ返す。ようやくらしさが戻ってきたか。それともまだ仮初の顔か。
だが、あまりにも簡単な決断に問い返した。

「いいのか?」

「…だから構いません。仕事しないでいたらそれこそスクライアから除名されかねませんし」

 クロノも解ったと一言で了承した。思わぬ事態に好転し、フェイトはいいの?と窺った。

「後ははやて次第だ。とは言っても、向こうは会う事を望んでるんだしあっさりいきそうだけどな」

「ありがとうございます、クロノ執務官」

これでいい、と思った時。クーパーから一つの要望が出された。

「…お願いがあるんですけど、よろしいですか?」

「何だ」

「…八神さんと会う前に、会っておきたい人物がいます。ヴォルケンリッターのヴィータ。
牢屋に入っているんでしょう?」

 それにはクロノとフェイトは押し黙った。

「おい」「クーパー、もう……」

2人の声が重なり溜息をつく。

「…殺す殺さないの話はもう勘弁ですよ。区切りをつける為に話をするだけ、ヴィータとも、八神さんとも」

 それだけと言いながらアルトを撫で始めた。黒猫は小さく喉を鳴らしてもっとやれと催促していた。
いつまでも尾が揺れていた。
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