人は誰しも死を迎えるがそれがいつなのかは誰にも解らない。
母親の腹の中かもしれないし老衰かもしれない。病気や事故。人生の終わりはいつも唐突だ。

 夢も希望も感じられぬ希望も得られず日の目を見る事も無く逝く者もいれば、幸せに生き、微笑みを残し満足に逝く者もいる。
人は死から逃れられる術を持たない。

 クーパーの右目を照りつける痛みが襲っていた。
それに耐え緊張の糸を張り続けている。

 獣のように低く身構えたまま動かない。いや、動けなかった。
ここでしくじれば死ぬのは必至、気持ちは僅かな火照りを見せている。
弾む心臓と右目の痛みだけが常に走っている。今はただ、目の前の八神はやてに意識を集中する。

 管制人格に八神はやては不安げな視線を送っていた。
答えが欲しいという眼だった。応えるように管制人格が歩み寄り手を伸ばして接触すると僅かな光と共に二人の体が一つになる。
体は八神はやてのままだがバリアジャケットを纏い、背には六つの黒い羽が生じていた。手には杖。
異常なほどの魔力が彼女の体から溢れるのが解る。

「ユニゾンデバイスだ」

 ザフィーラの言葉に舌打ちする。記憶に間違いがなければ古代ベルカの失われた技術の筈だ。
デバイスと術者の2人の魔力を1つにする為、攻撃力が半端ではない。

「…合体デバイスか」

「失われた技術だ」

 流石はロストロギアか。クーパーとザフィーラは示し合わせたように頷いてみせた。
八神はやてが持つ杖の先端が動く。

「外、出えや」

 皆厳しい面持ちのままだ。

「…もしも、助かる道があるって言っても」

「何を今更言うてんよ」

 魔法という力を得た八神はやては恨みつらみの言葉を紡ぐ。
その言葉を聴いた瞬間、クーパーはチェーンバインドをザフィーラは鋼の軛を生み出し八神はやてに向かわせる。
はやてはそれを見とめると目を細め鎖と軛が届く前に、舌打ち一つ。

同時に病室内で爆発が発生し窓ガラスは四散。吹き飛び落ちていく。ザフィーラもクーパーを掴んで紙一重に外へ逃げていた。
姿勢制御をこなしながらザフィーラは構えた。クーパーは背へ。はやての反応は未だ病室の中。

「お前は苦肉の策、と言ったな」

ザフィーラに話しかけられたが反応は僅かに遅れた。

「…策という程でも無い。だから苦肉」

「……」

 声も何処か力が無い。当然といえば当然だが、ザフィーラがそれを知る由は無い。
病室内では既にカード二枚を使用しているのだ。魔力は空に等しく、体力はガタガタ。
意識を辛うじてつなぎとめてはいるが後何処まで持つものか。カードは後一枚残っている。

 三枚連続使用したことは無いが、体への負担が大きい事は否めない。
なんとなく、クーパーは思った。自分は死にたいのか? 死が全てを解決するのか? できるのか?
自問自答を重ねてもどうしても答えは出ない。そして、もう時間も無い。

 何事も無かったかのように、八神はやてはふわりと病室の中から出てくる。杖と本を手に。盾2人が立ち向かう。
早々に、邪魔だと言わんばかりに砲撃、そして射撃の用意がされる。ザフィーラは身構えたが盾を張らない。
彼らしくもない笑みを口に貼り付けた。

「死ぬなよ、スクライア」

「…まあ、無理だろうね」

 クーパーもクーパーで上等だと最後のカードを切る。盾として、2人の男が勝負に出た。
頭をハンマーで殴られる衝撃に襲った。それが砲撃の衝撃ならばどれほど良かったか。
ラストカードの影響と解った時辟易した。そして、砲撃が来る。ザフィーラの姿も一瞬にして砲撃に飲み込まれた。

「……?」

 砲撃を放ちながらはやては顔を顰めた。一体何のつもりか。
盾であるザフィーラとクーパーが防御行動を取らないことに疑問を覚える。
それでも、構わずに誘導射撃を次々と飛ばし、砲撃を終えてもまだその場にいるザフィーラに向かわせる。

 何事もなく、次々と着弾させていく。その肉体を以って受け続ける。
理解不能な行動に苛立ちが募った。理解不能理解不能。

 虫のように、背にしがみついてくるクーパーにも射撃を幾度となく叩き込む。それでも落ちない。
それがはやての癪に障り続ける。

 お前達は何がしたい?

 何故ここにいる?

 何故耐え続ける?

 答えはでない。広域殲滅魔法で消滅させてやりたいが、距離が危うすぎる。闇の書の意思は実行したようだが自殺行為に等しい。
等しい? はやては自嘲の笑みを零す。これから死ぬというのに、尚も死を恐れるか。いい、死んでしまってもいい。
自棄の気を押した。本に手を翳すと即座に頁が捲られていき、目的の魔法が見つかると頁は止まった。

「何もいらへんよ」

見下すはやてに対して、クーパーは歯噛みした。

「…ザフィーラ」

「解っている」

 外でやったように逃げるか何かしなければならない。
転送魔法で逃げる気も飛行で範囲外に逃れようともしなかった。ここばかりは仕方なしと盾を生み出す。
これで死ぬわけにはいかない。カードの残り時間も少ない。賭けはまだ終わっていない。

 クーパーは頭上へと手を掲げた。カードからの魔力を引きずり出して手を硬く握り締める。
同様に、ザフィーラも盾を形成していく。2人の盾が接触すると拒む事無く手と手を取るように合成構築していく。
クーパーは自嘲した。

「…シグナムには、言ったけど」

「む?」

「…ヴィータもシャマルもあんたも。きっといい奴に違いないんだ。
もしも、もしもこんな出会いじゃなきゃ尊敬してたと思う」

 盾の融合が進む中、ザフィーラは目を落とし呟いた。

「光栄な話だ」

「…ああ、そうさ。だからこそ」

 距離を置いている八神はやてを望む。ブーストデバイスカドゥケスの動作を加速させる。
カードの魔力を根こそぎ奪い去り、自分の意識が刈り取られそうになるのだけを守った。
歯を食いしばる。

こんなところで負けるわけにはいかない。
勝つのでもなくただ守りたい。

 結局、ヴォルケンリッターには一度たりとも勝つ事ができなかった。
悔しいが今を防げればもうそんなことどうでもいい。
自分の敗北が恥ではない。

 2人の盾が八神はやての殲滅魔法に挑む。
ただ1つを望んでいた。

 絶望を知り絶望を望む私へと挑む。

 兄の、ユーノの盾は、何度折られたとしても一歩また一歩と進化を止めぬ気骨の盾と。
兄はこの場にいなくとも、もう2度と目覚めなかったとしても。手をより強く握り締める。
顎に力を入れ食いしばっていた何かを腹の底から解き放つ。

「…僕は兄さんでもザフィーラでもない、誰かを守ってみせるなんて雄々しい事も言えやしない。
それでも……この盾だけは捨てられないんだッ!! 」

 同時にザフィーラの叫びが高らかと天を穿った。盾の守護獣が願うように叫ぶ。主を助けんが為に。

「てぇえぇぇぇええええええええああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!!!!!」

 殲滅魔法を解き放たれる。次々と放たれる途方も無い力に一瞬にして飲み込まれた。
他人事のように見つめるはやては2人を小馬鹿にして疑った。何故そこまで命をかけられるのか解らなかった。

”何も感じませんか?”

 ユニゾンする管制人格が話しかけてきた。ぴくりと、はやての意識もそちらに動く。

「(何がや?)」

”彼らの行動は決して無駄ではありません”

「…………」

 虫ケラが嵐に耐えている。そんな印象があった。でも、心のどこかでは友人に酷いことをしているという後悔があった。
その後悔は直ぐに仕舞われてしまう。もう、戻れない。こんな酷い事をしている人間が戻れるわけが無い。屈辱に濡れた唇を噛む。
痛かった。

 友達の家族を奪った。
もう戻れない。友達が私を殺そうとしたし私も殺してしまいたい。
家族に裏切られていた。でも事実は違う。

 ただただ、唇を噛み続ける。
何が事実で何が嘘なのかも解らなくなる。
頭の中がぐしゃぐしゃで考えるのも嫌になる。

 終わりは決まっている。そう思いながらより強い魔法をぶつけようとすると管制人格に止められる。

”あなたの承認の一言があれば、防衛プログラムを除く全てを配下に置くことができます”

「(……っ今更何言うてんねん、もう遅いわ)」

 天秤はどう動く。管制人格はそっと微笑んでから告げる。

”主はやて。貴女は生きるべき人間だ、ここで死ぬべきじゃない。彼らは後ろ向きだった私に希望をくれた。そして、貴女にも。”

希望? 希望とな!

「……そんなもの!! 何もあらへんわッ!!」

 死ね!

 死んでしまえ跡形もなく!

 魔力を一気に高め、殲滅魔法は周辺の建物全てを飲み込みながら、ザフィーラ達の姿を隠した。
その余波で、管制人格だけでは魔法を制御しきれなかったはやても煽られる。
衝撃と凄まじい音だけが夢の世界を満たし、殲滅魔法は終息を迎えた。

 建物が一掃され綺麗な更地となった。
何も無い。東京空襲よりも酷い惨状だった。
夜の闇だけに包まれながら、八神はやては上空から降りて静かに着地する。

 あまりにも寂しい世界を見渡しながら少し思う。
これが世界でこれが私だ。もう戻ることはできない道。そう思っていると、管制人格が呟く。

”あちらを”

 言われるがままに見れば、2人、倒れていた。ぴくりとも動かないが倒れているクーパーの言葉を思い出し頭の中で反復する。
僕は兄さんでもザフィーラでもない、誰かを守ってみせるなんて雄々しい事も言えやしない。
それでもこの盾だけは捨てられないんだと。

 今の有様を見れば言葉の価値も意味もないが、頭のどこかでは立って欲しいと思うはやてが現れ始めていた。
その事実に気づき、はやては自嘲したい気分に陥った。

 自分も、彼らも、結局虫けらと同じなのだ。
先の病室でクーパーが兵隊蟻に見えたように。もしかしたら死んでいるかもしれない。
これが結末だと思った時。否定された。

”…まだ、生きてますよ”

「――」

 足は自然と動いていた。仰向けに倒れているクーパーに向かいはやての足が動く。
何故? 理由を胸のうちに尋ねても解らなかった。倒れている2人の近くで足を止めた。
瀕死の間違いと疑ってしまう。全く動かないと思った矢先クーパーの手が動いた。

 はやての目も釣られる。手といわず腕を震わせ必死に動こうとしている。
痙攣とはまた違った震えを繰り返した後、ナマケモノを超越しかねないほどゆっくり、腕は動く。
手は持ち上げられた。あまりにもとろく苛立ちが募った。

 手にする杖で手をはたいた。紙くずのように簡単に手は落ちた。
どうしようもない怒りがはやての中に生まれた。もういい、こいつを私の手で殺したいという殺人衝動が再び起きる。

「本当に……なんやねん」

 吐き捨てるように、杖をぐるんと回し肩で背負う。
後悔は、無いと下す前に気づく。杖で払ったクーパーの手が硬く握り締められ地面をこすり付けられているのを。
腹の中にたまったものを吐き出すように杖を突きつけた魔法を発動させようとする。

 闇の書にでかいのを一つ、頼もうとしたのだが魔法は何故か反応しない。何故、動かないのかと考えることも面倒臭くなる。
杖と本を投げ捨てて、はやてはクーパーを足で蹴っ飛ばした。ぼろきれのように転がる。
文句の一つ吐いてやろうとするとうめき声がもれた。

…ぅ……ぅ…ぅぅ…ぃ…ぅぅう……………。



「なんやねん!!」

 サッカーボールを蹴るのと同じく、つま先で思いっきりクーパーの頭を蹴ってやったが反応が無い。
これじゃゾンビと同じだ。本当に死ぬのかと疑った。あれだけ痛めつけたというのにまだ死なない。
不死身かと思ってしまう。

 そんなはやてを他所にクーパーの唇は動いていた。歪められ薄っすらと笑う。左目の瞼が動き世界を細目で眺める。
半開きで乾いて割れた唇からは相変わらず言葉にもならぬ何かが漏れ出していた。
生まれたばかりの赤子のように体を動かそうとしている。それでも、起き上がろうと腕を這わせ、掌で地面を押そうとしていた。
あまりにも滑稽かつ無様極まりない。これ以上、そんな姿見ていたくもないはやてだった。

「ほんま……ほんまに何なんよ。私を助けたいなんて。防衛プログラムを止められない以上私は死ぬしか無いんや、
余計なお世話でしかない、お前みたいなのに……」

 途中で言葉が途切れた。クーパーがようやく立ち上がる。夢遊病者の様のように。
右腕の傷は大きく開き傷口は笑い中の肉を見せていた。BJもボロボロで顔はご覧の有様さ。右目周辺も酷い。
全身が血に濡れていた。風が吹けば倒れそうだ。

 それでも、顔が僅かに動き左目がはやてを見てから荒野と化した海鳴の町を見つめている。
音一つしない寂しい世界で血が滲む唇を動かした。水面に体を落とし静かに心情を添えかすれた声が、転がっていく。

「…家族って、いいものだよ」

 荒野を見つめるクーパーに対しはやては顔を顰める。答える気は無かったが気まぐれの為か、はやては答えた。

「私にはないもんやな」

 クーパーは、決してはやてを見ようとはしない。荒野と化した海鳴の街を見るのみ。
表情一つ出さずに、淡々と述べる。

「…シグナムも、ヴィータも」

 ちらりと、倒れているザフィーラを見る。そして溜息混じりに瞼を落とす。

「…ザフィーラもシャマルも、みんな必死だった筈だ。騎士達は君を救う為に。
確かに闇の書はバグプログラムとして主を殺すロストロギアだったかもしれないけど、
騎士と主の間にあった絆は紛いものじゃなかったんだと思う」

「だから……ッ!! 言うとるやないかッ!! 私はもう死ぬんや!! お前も家族もみんないらん!!
みんな消えてしまえ!!どっか行って! 私に姿なんか見せないで!!!」

  喚くはやてに、クーパーは左目を見開いた。開けた視界が見たのは今にも泣きそうな顔だった。
子供が泣くのを必死に我慢するような、そんな顔。
吐息をおとす。

「…君は助かる。管制人格が言っていた。マスターである君が管制人格に了承さえすれば、闇の書のシステムの半分は掌握できる。
後は外で暴れてる防衛プログラムさえどうにかすれば、切り離しもできる」

「いらんって言うてるやろこのあほんだらぁッ!!!!!」

 涙を落としながら全てを拒む。とめどころなく溢れ喉を引き攣らせ睨みながらクーパーに歩み寄る。
手は魔力刃に包まれていた。クーパーに突きつける。切っ先を前にしても、態度が変わることも無い。

「そないな事言っても私はもう戻れへん! 君のお兄さんも殺したも同然やないか!
君もそないにボロボロになって蒐集された人達にもどない顔すればいいんや? なぁ、なぁ!」

 魔力刃の切っ先は震え出し彼女の水面は酷く不安定に揺れていた。
悲しみを頬に垂れ流し顎を伝い滅ぼした世界へととめどなく落としてく。まるで、この荒野がはやてのようだった。

「もう、後戻りなんかできんのや!!」

 泣き叫び、涙を散らしながら魔力刃が振るわれた。クーパーは動かない。
不可思議なことに刃が当たる前にバリアジャケットを解除し我が身でその刃を受ける。
刃は頬下の肉を走り、柔らかな肉を切り開く。はやては魔力刃を握りながら荒い呼吸を繰り返す。

 涙も流れ続け、しゃくりながらの乱れた呼吸が周囲に聞こえる。ゆっくりと、切裂かれた紅の生肉の傷口から血が垂れる。
はやてと同じく顎を伝い地面と紅の涙が落ちていく。唇は、否定した。

「…できるさ。八神はやてはまだ戻れる。君は巻き込まれただけだ。助けてくれる人だっている。
友達だってきっとできる」

「そんなん、」

「…嘘じゃない、君と手紙のやり取りをしたフェイト・テスタロッサも来てる。
君を助ける為に今も戦ってる。クロノ執務官も君を助ける為に動いてる。
そうでなきゃアルカンシェルだってとっくに使われてる。なのはさんだってそうだ」

「聞きたくない…そないなこと聞きたくないッ!!」

「…うん」

 否定に傾倒するはやては耳を貸さない。我武者羅に手を振るうとクーパーは刃物の傷を無数にできあがっていく。
腕に、胸に。顔に。赤い線が増えていく。でも、その程度で致命傷には至らないがいつの間にか右腕の感覚は無くなっていた。
はやての魔力刃が振られると同時に、左手は動いていた。

 動いた刃の先を見切る。シグナムを思い出せばはやての動きは稚拙だった。
掌を動かし、刃を受け止める。盾も無く掌を魔力刃が貫通する。手の甲から刃が突き出した。
時が停滞する。掌の肉が血を絡ませ煌く。

「…人を殺すなら心臓を突き刺すんだ。そんなに我武者羅に振り回しちゃ駄目だ」

「…………っ」

クーパーは掌に突き刺さった魔力刃越しに、未だに続く震えを感じ取る。
突き刺さる刃をより押し進め手は、はやての手を握った。

「…僕を殺したいなら、この魔力刃で心臓を突き刺すんだ。うまくやらなきゃ」

 その返事も待たずに、手を離し突き刺さっていた魔力刃を一気に引き抜く。
刃には血糊がべっとりついていた。はやての手にも纏わりつく。

「…それだけで人は死ぬんだ。人の命は簡単に壊れる。大丈夫。うまくやれる」

 はやては動かず返事もしないが目を閉じた。
両手で魔力刃を構え突きの姿勢で心臓貫こうとする。

「(…それでいい)」

 クーパーは自分の死が脳裏に浮かんだ。これで自分は死ぬのか。少々の予想外だが、賭けは結局悪くない形に進んだ。
後は運を祈るばかり...そう思いながら、凶刃が左胸へと向かってくるのを他人事のように見ていた。

 後はザフィーラと管制人格がうまくやってくれればいい。立ち尽くしたまま最後の賭けに挑む。
天秤とも言える打ち上げたコインが床を叩くよりも前に想定外の事が起こる。
刃は胸の肉を破り中を掻き分けて背中から飛び出した。

「……!?」

「…ッ?!」

後悔も今も全て忘れて2人は混ざり合う。悲しみは同調し意識は混濁する。
個が個でなくなる。リンカーコアは共鳴しあい昂ぶりを見せた。

「(なんだ……!?)」

 管制人格は思いもよらない感覚に戸惑った。
異様な感覚に気づいた。



【Crybaby. Classic ofTheA's17】


 文章の羅列を読み解くのが好きだった。
ページを捲る度に聞こえる紙の音。
耳を擽る心地よい囁き。

 指の先が触れるページの平たい感触。小口をなぞりながら捲っていく。
話への抑揚感。時間を忘れる没入感。ずれた袖口を何度も直し、邪魔になった帯は捨てたり捨てなかったり。
秒針の奏でを他人事のように聞く。

 意識を文章に集中すると積み重なる文字はプログラムのように変換されていく。
感動、悲しみ、関心、満足感。読み終える度に胸に去来する感情と感覚も好きだった。
隣り合わせで本を読む。

 時折肩や二の腕が触れる。
嫌悪感もなく意識せずに本を読み続ける。
以前言っていた。冷え性であまり暖かくないと。そんな事なかったのに。

 よく黒い服を着ていた。
厨2病だと言えば首を傾げて笑った。
解らないらしい。

 本の感想や、好きな本に対しても意見を交し合う。
ジャンルの違いや意外と合わない意見にも面白みを覚える。
君は君で
私は私
僕は僕。

 異なった生き物で重なることはない。
心地よい関係を続ける。
本が好きという共通性。

 もしかすれば、将来恋人という可能性もあったかもしれない。
つかずはなれず恋人未満友人以上だったかもしれない。
わからない未来は無限で大きい。とても広く満ち満ちている。

 好きだった。
彼が、
君が。

 心地よい関係に浸り、引き摺り、尚縋る似た者同士。
君と私で
私と僕で

 いつまでもそんな関係が続けばいいと思った。
でもそれも望めない。

「どうしてかな」

 はやてに対して本を閉ざして言葉を重ねる。

「…運命って言葉は嫌いです」

 いつでもどこでも、彼は落ち着いている。
それが酷く憎らしくもあり悔しかった。

「そうなん?」

「…運命って言葉1つで全てが決まる。逃げじゃないですか」

「強いなぁ」

 本を閉ざしてほんの少し体重を預ける。
目も閉ざす。

「私な」

「…うん」

「夢があんねん」

「……」

「普通に生きて普通に誰かのお嫁さんになってな。
子供の世話しながら暮らすんよ」

「…素敵な未来設計ですね」

「無難かな?」

「…いいえ」

 首を横に振って否定してくれた。
頼もしいお言葉。

「そか」

 少しうれしかった。

「…あの」

「んー?」

「…ずっとこのままでいられたら、いいんでしょうね」

「せやなぁ」

「…八神さん」

「んー?」

「…多分、好きです」

「……んん?」

「…………」

「もういっぺん言ってみよかー?」

「…好きでした」

「過去形かいな……」

「…はい」

「うわーがっくりやわーなんやその告白ー」

「…すみません」

「…しゃあないか」

「…ええ」

「…うん」

「…しょうがないんです」

「…逃げやな」

「…そうですね」

「…ありがとう」

「……どうも」

 涙を流す。
誰に知られるでもなく頬を伝い顎から落ちる。床を叩く。
三つの悲しみが止め処なく溢れる。どこまでも、でも、終わりへと向かう為に。

 無意味な感情があげる産声と死。
部屋の外にいた管制人格も涙した。
共有した意識と感情は混ざり合い1つとなった。

 理解しあえる筈が答えを知り尚決別を見る。
涙の本質は解らなかった。
悲しみなのか。それとももっと別の何かなのか。

 足許には陶磁器が1つ。
管制人格は思い出した。

――ああ、あの時の子供。そうか、そうだったのか。

 意識が戻る。
2人とも目を剥いた。
クーパーは 地面に転がったまま手を握り締める。体は震え、それを抑えようと歯を食いしばった。
頭の中の考えがぐしゃぐしゃになって考えが纏まらない。何かを言おうとしているのに口は開かない蟠りを感じたが、
それを打ち払うために堪えきれなかったが声も出ない。

 掠れた何かが世界に響く。はやても両手を突き出したまま動揺していた。
魔力刃がザフィーラの胸を突き刺している。動くこともできず。
視点を定まらぬ中で、魔力刃を握る手を、そっとザフィーラに握られた。

「まだ終わっていません。力を抜かずにお聞き下さい。主はやて」

「ぁ……」

 自分がしでかした事に怯えるのか、はやての言葉は不明瞭だ。
逆に、胸を魔力刃に貫かれながらもザフィーラはしっかりと主を見据える。
主の手を包み込みながら、僅かに笑みを浮べる。

「我等ヴォルケンリッターの不逞をお許し下さい」

 そこが言葉の切れ目では無かったが、一度途絶えてしまう。そのさなかにクーパーは気づいた。
背に一太刀浴びせられたような紅。そんな事もひた隠し、ザフィーラは喉を動かし駆け上ってきた血を飲み下していた。
まだ、倒れるわけにはいかない。

「管制人格に管理人権限の了承を行えばまだ望みはあります。手を折られる事の無き様。……聞こえているか管制人格」

”ああ”

 確認するとザフィーラは頷いてみせた。

「……主はやて、管理者としての承認を」

 未だ、はやての手はザフィーラに握られたまま。果たして押し切れるものか。

「生きる道をお選び下さい、主はやて。死ぬにはまだ早すぎる。
貴女はまだ死なない。生きられるのです」

 ユニゾンする管制人格ははやての中でも向き合い、判断のできないはやてを抱きしめた。
魔法を知らぬ子供が今決断を求められるのはあまりにも過酷すぎる。管制人格は幼いマスターの頭を撫でさすり優しく囁く。

「今が苦しくても、上を向いて下さい。主はやて。必ず、…必ず貴女にも幸せという時が来ます。
あの片目の子や月村すずかがそうであったように。多くの出会いもあれば別れもあります。
ここで諦めては先は何1つとして望めなくなってしまいます」

「わたしは」

「人は1人では決して生きられません。それに、貴女はまだ幼い。失敗もするし道を踏み外す事もあるでしょう。
今回の件で責める輩もいるでしょうが守ってくれる者もいるでしょう。心を頑なにせず、受け入れてください」

 それでも尚、素直にうんとは言えぬはやて、未だ迷い決断を下せぬ中で再びタイムリミットが迫る。

「……?!」

 夢の世界にも関わらず地震が起こるや否や、次々と地割れが起こり世界の崩落が始まり、
その上地面から触手が伸びはやて体に絡ませる。

「……っ!?」

「させぬ!!」

 鋼の軛が全てを断つものの次々と触手は伸びはやてに絡まっていく。クーパーは顔を顰めた。地震が止まらない。
ついに防衛プログラムが本格的に動き始め八神はやてをも飲み込もうとしようというのか。最悪のタイミングだ。
さらに気づく。地割れによって裂けた地の底から、もとい闇から管制人格と同じ姿の防衛プログラムが這い上がってきている。
咄嗟にバリアジャケットを張りなおした。

「…ザフィーラ!!!」

言われなくても解っている、ザフィーラも、管制人格もまた歯噛みした。
気持ちを逸らせ管制人格ははやてを強く抱きしめて決断を促した。

「生きましょう、主はやて」

 ザフィーラとはやての体に次々と触手が巻きついていく中。ザフィーラの口の端から、
一滴の血がこぼれ、もう後悔は無いと僅かな笑みが浮かんだ。言葉は無い、だが確かにはやては了承し管制人格はそれを確認した。

「スクライアッ!!」

 名を呼ばれ舌打ちする。鋼の軛が周囲の触手を全て断ち切りはやての体を掴むとクーパーに向かいぶん投げる。
正直、掴む自信が無かったがもう魔法を発動させる元気は無い。
仕方なしとはやての体を受け止めた。ザフィーラの体は、その場で沈んだ。触手に飲み込まれていく。

「…何やってんだ!! 早く逃げろ!!」

しかし反応が無い。胸を魔力刃で穿たれた男の結末はこうもあっさりしているものか。しかし時は止まらない。
防衛プログラムも姿を見せた。その時、管制人格は愕然とした。

「侵食されている」

 ユニゾンするはやての口から管制人格が苦虫を潰す。

「…どういう意味?」

「防衛プログラムが私を内側から食いつぶそうとしている。抵抗はしているが……脱出も、
外と内側の防衛プログラムを同時に抑えねば不可能だ。手をこまねいていても、私が食いつぶされては脱出は不可能になる」

 もう巨大すぎる力と向き合うのにはなれた、クーパーは一度だけ、唇を舐める。

「…外との連絡は? 食いつぶされるまでの時間は?」

「前者は可能だ、後者は5分といったところだ」

「…それなら、クロノ執務官に連絡を!」

 そこまで言いかけた時、防衛プログラムが動いた。はやて(管制人格)はクーパーを抱え飛行魔法で後退する。
抱えられながら、クーパーは管制人格に囁かれた。

「了解した。が、……失敗すれば皆死ぬな」

何を今更、とクーパーは心の中で返事を返す。

 一方でなのは、クロノ、フェイトはジリ貧の状況にあった。要するに中と然程変わらない。
そんな時に一筋の光明か、それとも蜘蛛の糸か。クーパーからの通信がクロノに入る。

『…執務官、デュランダルの凍結魔法をお願いします。数秒で構いませんから防衛プログラムを抑えて下さい』

「取り込まれたと思ったのに生きてたか、クーパー。随分と唐突だな」

『…雑談をしている暇はありません、八神はやての確保をしましたが脱出するのにそちらの協力がいります。できますか?』

それを聞き、クロノは前衛で尚死力を尽くすフェイトとなのはに念話を送るとOKが返ってきた。ここが踏ん張りどころか。

「デュランダルでも今の僕じゃ10秒以上は抑えられる自信が無い。それでいいのか」

『…構いそうです、お願いします』

 解った、とクロノは頷いた。こんな最悪の敵とはもう当面出会いたくないものだ。もしも1人だったなら、
もうとっくの昔にアルカンシェルを使っていたことだろう。吐息を一つ置きアースラに通信をつなげる。

「聞いての通りだ、エイミィ」

『まっかせてクロノ君! デュランダルの転送行くよ!!』

 気が利くパートナーで助かる限りだ。直ぐに転送反応とともに一枚のカードがクロノの手許に現れる。
グレアムが使い封印に失敗した極大凍結魔法を行えるデュランダル。今一度、いやほんの数秒でいいから足止めをクロノは願う。
この状況を覆すためにも。カードを起動させると一振りの杖を手にする。

 凍結魔法をスタートさせながら、クロノは叫んだ。

「なのはにフェイト!! 聞いての通りだ!! デュランダルを使うまでの少しの間でいい!!抑えてくれ!」

 エグゼリオを構えるなのはは最後のカートリッジリロードしながら頷いた。此処まで来たのだ。
たとえ相手を倒すことができなくとも、数秒でもいい抑えてみせる。それはフェイトも同様だ。

「最後の最後に渾身のスターライトブレイカーいっちゃうよ!! フェイトちゃん!!」

「任せて、なのは」

 フェイトが動く、もう相手を倒せないことは了承済みだ。
近接で立ち回っていたフェイトは相手にバインドをしかけると即座に胸を十字に切裂いて、
ついでに砲撃をぶちかましながら反動で下がる。

 相手は、問題無い。

 まだその場に居る。桃色の魔力が収束されるのをフェイトも感じていた。
おまけだ、とバインドをしかけてなのはの最後の援護をする。

「スターライト……ォ……!!!」

 ブレイカー、という言葉が出る前に桃色の砲撃は闇の書の意思を飲み込んでいた。がフェイトは直ぐに動く。
相手には散々辛酸を舐めさせられている。この程度でくたばってくれるならばもう戦いは、とうの昔に終わっている。
フェイトは即座になのはに接近すると、砲撃を放ち続けるなのはに寄り添い、
そっとエグゼリオを握った。

「フェイトちゃん?」

「手伝うよ、なのは」

 うん、と返事を返す前に砲撃に金色の何かが絡む。威力が一気に跳ね上がった。
闇の書の意思も僅かに動きが停滞してから砲撃の中を動く。フェイトは賺さず、砲撃を収束させるとなのはの体を抱え退いた。
今居た場所を拳が掠めていく。連続して誘導射撃を送り込みながら

 さらに距離を取っていく。相手は不死身の戦士のようなものだ。油断無く逃げている、と。

「2人とも、よくやってくれた」

 クロノだ。周囲の空気を冷やしながら、極大凍結魔法が完成していた。エイミィはコンソールを叩きながら転送の用意をする。
今、闇の書の意思は2人にかまけていてクロノには反応を示していない。ここでアースラが2人を回収すれば裸も当然だ。

「エイミィ!」

『了解!』

コンソールを叩き、アースラからの転送魔法が介入する。闇の書の意思は突然の目標喪失に動きを止め、
クロノはデュランダルを構えた。かつて父を殺した忌まわしい闇の書事件。その終止符の一端を彼が担う。

「いくぞ!!」

冷気が全てを覆い尽くす。




「こちらも全力でいこう」

 管制人格はクーパーを抱えたまま全力で内なる防衛プログラムを迎撃する。
殲滅魔法ではないが、クーパーもしらない古代ベルカの強力な魔法が次々と打ち込まれていく。
その威力は桁外れだ。千手観音の手全てが剣を持ち、防衛プログラムに襲い掛かるような猛攻で割れた大地の中の押し戻されるが、
管制人格は苦悶の声をあげる。

「まだか……!!」

バ グプログラムとはなんと厄介か。
管制人格に対して飛び掛ろうとしていた防衛プログラムに対して、大地から極大の鋼の軛が飛び出し貫いた。
僅かに動きが停止する中、大地の蠢く触手の中から、ザフィーラが這い上がってきた。
自分の胸に突き刺さる刃を引き抜き血反吐を吐き、飛行魔法で防衛プログラムへと肉薄する。

 鋼の軛で動きを止めていられたのも一瞬だ。魔力刃に魔力刃を纏わせず魔力刃の刃のみを強化させ衛プログラムの胸に突きたて、
後ろから羽交い絞めにする。嫌な音がした。首の骨を砕く音だが、防衛プログラムに対してその攻撃が有用かは解らない。
一瞬の停滞が周囲を包み込む。そして、管制人格はぽつりと呟いた。

「いける」

 クーパーはザフィーラを一瞥した。
今この状況でザフィーラはどうなる?

「後を頼む」

「……ああ」

 解った、という前に防衛プログラムが動いた。ザフィーラの束縛を破り、管制人格とクーパーに対して至近距離の射撃を放った。
これにはたまらず、誰もが墜落した。クーパーも地面に叩きつけられ、起きあがろうとするが体が動かない。顔
をあげた時、ある男の背中が視界に入った。

「行け、管制人格」

 ザフィーラは防衛プログラムと対峙し肉薄した。拳を振るい動きを押さえ込もうとする。
管制人格もクーパーを拾い上げる。ただ、何もできずに状況を見ていたクーパーはわけもわからず叫んだ。

「…逃げないのか!」

「逃げるのはお前達だけでいい、……行けスクライア。厚かましい願いだが、主はやてを頼む」

「行かせない」

 防衛プログラムが動いた。手刀が走り、ザフィーラの腹部を貫き背より飛び出す。血が飛び散るがうめき声は聞こえなかった。
いや、出さなかった。

「…ザフィーラッ!!」

 クーパーの声があがり、次の言葉に何も言えなくなった。

「すまなかった」

 その一言に耳を疑う。防衛プログラムを押さえ込みながらザフィーラは呟く。酷く、その声は静謐さを帯びていた。

「お前から兄を奪い、憎しみを与えた事は」

「…何を言ってるんだ!!そんなこと今はどうでもいい!! 鋼の軛でもなんでも使って早く下がれ!」

 しかし、もうザフィーラの生の声は無く、笑みを浮かべ念話だけが届く。

”おこがましいが、私はお前も救いたいと思った。お前に絶望を与えておきながら笑いに笑えぬ話だがな。
それでもだ。スクライア。お前の兄を屠った我等の罪。私が消える事が贖罪になるとは思えんが”

「…いいから!! 今はそんなことどうでもいいから!!」

”私にとっての本当の盾は信念であり心の強さだ、スクライア。この意味を知っておいてくれ。頼む”

 その時、管制人格は何に対してか舌打ちをする。クーパーはそれを解りかねたが、外でも凍結が完了したようだ。
これが、最後だ。

”生きろスクライア。お前は、強く”

「…ザフィーラッ!!」

 クーパーは虚空に手を伸ばした。腹を貫かれて尚防衛プログラムを抑えるその男へ。
だが、その手は男を掴む事無く、霞みを握ることも無く終わる。管制人格は外への離脱を決行する。
直ぐにクーパーを抱えるその姿を夢の世界から掻き消し、外の世界へと移行する。

 残された男はそっと微笑んだ。言葉は、無い。氷結魔法を決行し数秒後、砂漠の世界に一筋の光が走った。
ユニゾン姿の八神はやて(ただし、操っているのが管制人格)と、抱えられるクーパーだった。
内心安堵したクロノだったが、一人足りないことは言葉にしなかった。

「随分と手間をかけたようだ、管理局の執務官」

 口調がおかしくは八神はやてのそれではないが、ひとまず対応しておく。

「仕事だ。後はアルカンシェルで構わないのか?」

「それで頼む」

クロノは気づいた。クーパーが歯を食いしばっていることに。生憎と涙は流していなかったが、手は硬く握り締められ
何かに耐えているようにも見えた。…言葉をかけるにはいささか面倒か。
よし、と頷き凍結された闇の書の意思を見る。

 凄い疲労感に塗れながらも、また一時の終わりを迎えられたことには満足すべきだ。
第97管理外世界を吹き飛ばさずに済んだだけでもよしとしなければならないか。
この世界を吹き飛ばすのも気は引けるが、無人世界故多少は重石が取れる。

「あれが動き出す前に撤収だ。エイミィ、転送頼む」

『了解。』

 直ぐに3人はアースラに収容されるが、クーパーはそれまでの間、氷漬けの化け物の姿を眺め続けた。
男は言った。

 私の盾は信念であり、心の強さだと。
兄は盾を自分自身だと。

 もっと違った出会いならば、やはりクーパーはザフィーラを慕ったか……?。

 あの男の盾は、兄とはまた異なった強さを持つ。

 数10秒後、防衛プログラムは完全に暴走を開始。
アースラは無人世界に対してアルカンシェルを放ちこれの無力化を図る。無人世界は壊滅的な被害を受け、
今後はベルカ同様死の星へと移行する。

 こうして、闇の書事件はひとまずの終わりを見る事になる。後味の悪さはあるが、戦いは終わった。
得たものもあれば、失ったものも多い。アースラへと戻ったクーパーは、直ぐに治療を受け眠りについた。
PT事件以上に傷ついた体を休め、一時の休息を得る。
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