「…ここは?」

「主の家だな」

 クーパーとザフィーラは八神はやての家の中にいた。遺跡の奥へ奥へと進んだ末最後の扉を抜けると八神家の中という訳だ。
まだ現実世界に戻って来られたわけではない。未だ2人は夢の中。人気の無い八神家をクーパーは観察する。
ここが現実でなく夢の中ならば何かあると踏んだがそうでもないらしい。ザフィーラが隣にいる以外、人の気配も無く変化も無い。

「…で?」

「ふむ」

 ザフィーラも考える仕草をするが、クーパーにも解らない事尽くしだ。兄と別れると直ぐにザフィーラがいて、
いよいよラスボスの八神はやてがいるのかと思いきや拍子抜けの有様だ。溜息はつかずにザフィーラを見上げる。

「…まず、僕達はどうなってる。それからどうすればいい」

「私も闇の書に魔力を奪われた事はあるが、内側に取り込まれたことは無い。正直解らないな」

 ささやかな苛立ちを覚えながら脱出方法を考える。
このまま八神家で何もせずに過ごせば確実にアルカンシェルに飲み込まれる。
行動あるのみと言いたい所だが探査魔法を走らせても夢の中は魔力反応おろか人の反応すらしない。

 何かガーディアンのような解りやすい存在を倒せば外に出られる、もしくは脱出キーがある等。
解りやすい話ならば助かるが、首を捻る。

「…八神はやてとの接触は?」

「解らないとしか言いようがない。仮にだ。私が主を守る側であれば敵の前に主を晒すような真似はしない」

「…この夢世界が八神はやての中で多元的に作られてる世界だったら?」

「手の出しようがない」

 頭が痛くなる問題だった。このまま此処に閉じ込められたまま終わりを迎えそうな気がしてならない。
犬と心中を迎えるのは御免だが、このまま何もせずに手を拱いているのも嫌だった。

「…こういう時、物語でお決まりなのは思い出の場所とかにいるものだけど」

 思い出の場所はないのか尋ねると、ここだと告げられる。ここ、というのは2人の現在地である八神家。
仕方が無いので、一応各部屋を見て回ったものの八神はやての姿は何処にも無い。早々に困ってしまった。
念話や通信を開こうとしてもノイズが走り外との連絡をとることができない状態だ。

「…とにかくここから出よう」

 八神家を出る。空は夜空で辺りは暗い。すると、2人とも直ぐに気がついた。
家を出て直ぐのところにその人物はいた。魔力反応や人としての反応も一切ない。
少しだけ、クーパーは戦慄した。何せ、そこにいた人物の見た目が外で戦っていた筈の防衛プログラムなのだから。

 戦いの姿勢を作ろうとしたところでザフィーラに止められ心配ないとだけ告げられる。
納得したくはなかったが仕方なしと姿勢を解く。

「本当に目が覚めたのだな、片目の子」

 馬鹿にするでもなく、その人物は感心していた。クーパーはそれを訝しむ。穏やかな話し方に敵意は見られない。
戦っていた闇の書の意思は無感情であったが、目の前の人物からは穏やかな感情が見て取れる。
小さな違いだというのに別人に見えて仕方が無い。注意深く敵を睨む猫のように、クーパーは何も答えなかった。

「管制人格」

「盾の守護獣。主はやては」

 そこで姿は忽然と消えてしまった。眼を丸くする。消えてから数秒後、クーパーはぽつりと呟いた。

「…どういう意味だと思う?」

「解らん、解らんが急いだほうが良さそうだな」

 管制人格の消失後、急速な魔力反応を感じ反応方向を見るや否や、ベルカの魔方陣が展開され招かれざる者達が姿を見せる。
その者達を見た瞬間、クーパーは顔を顰めた。ある者には腕を斬られた。ある者にはコンクリートに沈められた。
シグナムにヴィータだった。ヴォルケンリッターの二枚看板はどちらもバリアジャケットを纏い手には獲物。
 
 右腕の傷が痛みをあげた。下種な笑いをかかげるように。今この場で自己主張をされても非常に困る、痛む右腕を押さえる。
クーパーは苦虫を踏み潰す。

「…どうするんだ」

 シグナム、ヴィータ共に話を聞いてくれそうな気配は無い。恐らく意思は無いのだろう。
獲物を携える2人に待ったは無しか。ただでさえ時間が無いというのに厄介な話だった。
それと同時に追い討ちがかかる。地震が世界をゆさぶった。

「…な……?!」

「防衛プログラムの暴走開始が近づいているようだ」

 うむ、と頷いたザフィーラに突っ込む。

「…納得してる場合か!」

「だが場所が解った」

「…?!」

「いくぞ」

クーパーの首根っこを掴むとザフィーラは飛行で逃げる。シグナム、ヴィータも後を追う。
スーパーの買い物袋よろしくぶら下げられるクーパーは、ザフィーラに怒鳴りつける。

「…どういうことだ!」

「話は後だ。お前は病院に急げ」

「…なんだって?」

 病院? その疑問系が完成する前にザフィーラは足を止め術式を完成させていた。直ぐにその魔法が何の魔法か勘付く。

「…ザフィーラ!」

「先に行け。必ず追いつく」

 言葉少なく転送魔法でクーパーの姿は消し飛ばされた。敵も待ってはくれない。剣と鉄槌が連続して襲いかかる。
ザフィーラは盾は作らない。代わりに牙を剥き出しにして拳を振るい己を奮わせる。






【Crybaby-Classic ofTheA's16-】






「…ぐぬぬ」

海鳴病院内の廊下で這い蹲っているクーパーがいた。転送されたのはいいが床に頭から叩きつけられ今に至る。
なんとか立ち上がったものの、右腕は無様だなと言いたげにケラケラと痛みを吐き出していく。震える膝を叩いて前を見据えた。
早く八神はやてのところに行かなければならない。壁伝いに歩き始める。

 ここに八神はやてがいなかったらという一抹の不安が脳裏をよぎった。
急げと言った闇の書の意思が関係あるのだろうか? 疑問が消えないが詳しい事を考えている暇もない。
ご丁寧に、夢の中でも病院の中の消毒液の匂いもしっかり再現されている。

「…思い出の場所というよりも」

 病院で最高にハッピーな記憶が残る人間がいるのだろうか。不治の病が奇跡的に治ったとか。
元気な子供を出産したというのであれば解らないでも無いが、此処は普通、嫌な場所だと考える。
それとも入退院を繰り返す生活で愛着でもあるのか? 未だ絶望に囚われたままであるのならば否定はできない。

生と死を予感させるこの場所で「死」を抱いている。そう考える。
クーパーとて、もしも闇の書を抱き、同じような境遇を抱けば自分の居場所はあの遺跡の中だっただろう。
人間安っぽくて助かる、と溜息をつきながらも一人歩き続け病室の前を次々と通過していく。303、304、305と。

 病室の番号を重ね、ついに、306のはやての病室を確認した。扉は閉まったままだったが、
中からは照明の灯りが漏れている。ザフィーラの言う通りここがビンゴか。
心臓が、オレの出番だと言わんばかりに激しく動いていた。左胸に手を当てずともその鼓動を感じ取る事ができる。

 左胸の鼓動を感じながら、クーパーは手を伸ばし部屋の扉を掴み横へと動かした。部屋の中を見る。
病室の中には二人の人物がいた。1人はベッドに横になる八神はやて。もう1人は先程八神家自宅前で遭遇した女性。
ザフィーラは管制人格と言ったか…それがいた。管制人格の顔はクーパーに向けられていた。

 やはり外で戦った闇の書の意思の姿と被って仕方が無い。どちらなのかは判断がつけずらく緊張が漂った。

「入ったらどうだ、立っていても疲れるだけだろう」

「……」

 見舞いに来た時同様病室の前で動けなくなっていたが、一度。唾を飲み込むと勇気を出して前へと踏み出す。
いつ砲撃を叩き込まれるか、この部屋が爆発に吹き飛ばされるか気が気では無い。

 表情はポーカーフェイスで誤魔化す。完全にベッドには近づかずに、適度な距離を持って足を止める。
案外、それ以上は怖くて近づけなかったのやもしれない。

 ベッドの上では八神はやてが眠っている。寝顔は酷く穏やかで、とてもじゃないが絶望を抱いているようには見えない。
安らか過ぎて死人に近い。

「…八神はやては」

「レム睡眠で眠っているのと同じだ、あまり激しく騒げば目覚めてしまうから静かにして欲しい」

 それはあまりにも呆気ない。
なら起こしてやろう、という考えが頭の中をよぎるが同時に「起こしてどうする」という考えが浮かんだ。
起こして、八神はやてを説得できるのか――しなければならない。
クーパーは恐怖も忘れ前に出ようとした所で管制人格の警告を受ける。

「止まれ。それ以上主に近づくな」

「…闇の書を、いや防衛プログラムを止める術は無いのか」

「無い。知っての通り防衛プログラムは歴代の主の手によりバグっている存在だ。闇の書が666ページを埋めて
本来ならば主を守るべき力だが今となってはただのバーサーカーに等しい。幾人もの主の命を飲み込んできた死神だ。
片目の子よ。死神は如何に殺そうと殺し尽くす事もできない。そうじゃないか?」

「…何か手段は無いのか」

「言った筈だ、無いと。希望も何もかもここには」

「…なら」

 クーパーはベッドで眠っているそれを指さす。それ、は。それの名は八神はやて。

「…起こしてもらおうか」

 首を横に振られる。尚クーパーは歩み寄り、はやてに手を伸ばそうとすると管制人格の手に肩を掴まれた。

「やめろ片目の子。絶望し涙を流し眠りにつかれた主にまた絶望に浸れというのか」

「…そうだ」

「断る」

「…絶望絶望って、このまま何もせずに主を見殺しにするのと何かをして少しでも希望に賭けるの。
どっちがいいと思ってるんだ」

「お前に何が解るというのだ。片目の子。主の深い悲しみを解するというのか」

「…そんなの解らないよ。僕は八神はやてじゃないしお前たち程大切じゃないんだ。
人は他人の気持ちなんか解るわけ無いじゃないか。僕は貴女でも、八神はやてでも、ましてやザフィーラでもないんだ」

「ならば、お前は主をどうしたいのだ」

「…助けてとっととこの事件から離れたい。お前達に兄さんを奪われたけどもう前みたいに恨みたくはないんだ。
お前達を過度に恨んでも、兄さんは喜びもしない。僕自身疲れた。八神はやても、助けられるなら助けたいだけだ」

 ただ、それだけだと付け加える。夢の中での兄との邂逅がなければ今も揺れていた事だろう。
心はどちらにも傾かないシーソーのように均衡を保っている。

「絶望の一端を担うお前が主はやてを助けたいというのか」

「…その絶望を呼び込んだのはお前達だ。……ああ、もう、やめてくれ。堂々巡りになるだけだ。
今、僕は八神はやてを助けたいで十分だ。恨んでるとか恨んでなんかいらないんだ」

「…だが」

 仮に起こしたとしよう、と管制人格は続けた。

「お前は、絶望している人間を助ける道があると思うか? 話を聞いてくれると思うのか?」

 その言葉にクーパーは八神はやての寝顔を見つめた。絶望は自分も味わったつもりだ。
たとえそれに深さの違いあれど間違ってはいないと思う。
もしも八神はやてがクーパーの考える優しい人間であるのならば間違いなく戻ってこれる。

 絶望の、淵から。

 顔を上げ管制人格を見やる。きゅっと結ばれていた唇が開かれた。

「…八神はやてを見ていたなら図書館で会っていた僕の事も知っているな」

「無論だ。お前は主の良き友人であった。過去形かもしれんがな」

「…それで十分だ」

 もう一度八神はやてを見る。クーパーが教室に拉致した行為はどちらかといえば悪だ。
だから、きちんとしておかなければならない。絶望というものがどうものかを。他人の好意を無碍にした後の苦しみを。
我が身を以って教えなければならない。絶望から救われるということの意味を。

 クーパーも一抹の不安を押し殺す。これでいい、と胸の内に決めた。
感情の赴くままに走り続けたこの事件は終末にはようやく心が少し静まった。
事は八神はやてに奪われ八神はやてによって教えられたのだ。

 絶望からの戻り方も。それを立証すればいいだけの話だ。
そう思いながら吐息を落としたところで急に管制人格の気配が変化した。

「ぐ……!」

「…何?」

 一人苦しみ始めついていけないクーパーはどう対処すればいいのか解らない。苦悶の表情で見上げてくる。

「……まずい……!」

「…何が?」

 小さな声で返事が返ってくる。

「防衛プログラムからの、侵食だ」。

 言葉は擦れて聞き取りづらかった。防衛プログラムから侵食を受けるとどうなるのか?
クーパーは答えが欲しかったが、直ぐに理解する。管制人格は消え失せると共に病室の入り口から嫌な気配が伝わってきた。
ねっとりと絡むような視線、振り返れば外で散々味わった無感情な瞳があった。

 防衛プログラムだった。

 ゆっくりとした歩調でそれは近づいてきた。クーパーは仕方なしと構える。
心臓がピンチですと悲鳴をあげるがやらねばならない。唇を噛み眉間に皺を寄せる。
いつ攻撃がくるか、どう防いだらいいのか。先手を叩き込むべきか。

 どちらにしても分が悪いのは解りきった事だクーパーの目の前で立ち止まる防衛プログラム。
明らかに見下されていた。それもそうだろう、人間は、豚を同等の生物とは思わない。

「お前も夢を見たまま終わりを迎えれば良かったものを」

「…夢は夢だ。現実じゃない」

 出来る限りの抵抗をしたつもりだが、返ってきたのは拳だった。シールドを形成し防ぐも直ぐにヒビが入った。
あまりにも無力。外と同じく圧倒的な力は健在。

「ここでの死は外での死と同義だ。お前も盾の守護獣も死ぬがいい」

 言葉と共に新たな拳が振り下ろされ盾を砕く、クーパーも新たな盾を形成し新たな拳が振るわれてを繰り返す。
砕防衛プログラムは問うた。

「今一度問うぞ、何が為に足掻く?」

 拳を振るったかに見えたが、手の先から走る魔力刃に盾を一閃される。綺麗な線が走っていた。
頬もかすめ赤い線が走った。僅かに黒い髪も僅かに散りはらはらりと落ちていく。左眼の眼差しは辛辣で狭隘だった。
去来するものはやはり複雑でいて一言では語れない。強張った顔で口を開く。

「…八神はやてを助けたいからなんて言わない」

 新たな盾を形成して拳を防ぐ、闇の書の意思は気づいた。ヒビの入りが先程よりも小さい。
ならばともう一度振るえば、結果は同じだ。魔力刃を振るうと盾で止められた。クーパーは歯を食いしばり
吐き捨てる。

「…憎む憎まない。もうそんなのどうだっていいんだ、僕は今ここにある命を助けたい。
それで十分だ。お前や騎士に何て言われようと関係ない。守りたいものは守り抜く」

 防衛プログラムは気がついた。盾が、先程よりも硬くなっている。連打し紙切れのように呆気なかったブラウンの盾達。
それが少しずつ堅牢になっている。でもまだ甘い。魔力力を高めた拳が振るわれると盾は一撃で砕けクーパーは吹き飛ばされる。
壁に叩きつけられ、休む間もなく蹴りを受け体の中が破裂した錯覚を覚えた。

 臓腑といわず、骨も、肺も、心臓も、何もかも砕けた錯覚だった。
休む間もなく頭を鷲掴みにされると反対の壁とぶん投げられ叩きつけられる。盛大な音を立てクーパーの体が崩れる。
右腕の傷を忘れるほどに全身が悲鳴を上げていた。痛い、苦しい、辛い、もう止めたい。帰りたい。

 そんな余念が浮かんでは消えていくのに、馬鹿の一つ覚えのように、新たな盾を考えては構築していた。
確か、前もこんな風に痛みつけられた事があった。一度目は路地裏で、二度目はノームに。ああ、
もう昔のことの様だと思った時、闇の書の意思は目の前に立っていた。早くもグロッキーなクーパーを見つめる。

 気づけば、血の味しかしやしない。呼吸は乱れ意識は乱れていた。死が足音を立てて近づいてくる。

「…くそ」

 防衛プログラムの魔力が馬鹿みたいに高くなっていき、クーパーは死を予感した。
こんな所では死ぬわけにはいかないが、対抗策も特に無し。と思ったが一つあった。
この期に及んで使う事を躊躇したが迷っている暇は無い。今際の際まで腕輪で待機していたカドゥケスをグローブに。

 カードを走らせる。盾の再構成と拳の衝突はほぼ同時だった。なんとか防いだものの魔力と体力がありえない速度で減っていく。
攻撃を防ぎ相手を睨みつけながら、この手が悪手となるのか、それとも幸運の兆しを見てる妙運となるのかは解りかねた。
一撃の勝負ならばこれで終わったであろうが、防衛プログラムがそう安々とは止まらない。

 魔力刃が盾を切裂き、クーパーが新たな盾を形成する前に拳が振るわれる。
盾での防御は間に合わない。

「…ッ」

 咄嗟に右腕で体を防ぐ。左にすればよかったとか、逃げればよかったという考えはでなかった。
傷口に拳を叩きつけられ、ブチブチと肉か筋肉か血管か、何かが引き千切れていく感覚を捉えた。
気絶しかねない激痛が全身に広がり盾を作るという行為を脳が実行に移せない。

 防衛プログラムはクーパーの胸倉を掴むと高らかと持ち上げ、床に叩きつける。何
か重いものを落としたような音が響き勢いでバウンドしたクーパーの体ははやてのベッドに背を預けた。
軋む音がした。息も絶え絶え、防衛プログラムを見上げる。

 もう、盾を作ろうとしてもうまくいかなくなり始めていた。こんなところで終わるわけにはいかないと体に無理を言う。
動け、動けと。心臓と右腕の鼓動がシンクロする。防衛プログラムがクーパーに近づいてくる。もう、駄目だ。体が動かない。
そんな余念を走らせると思いがけない呟きが落とされた。

「…何やってんねん、ゆっくり眠る事もでけへんわ」

 防衛プログラムの動きも止まった。この世界の中心であり核でもある八神はやてが動き出す。
ベッドの上で横になっていたはやてはゆっくりと体を起こした。そして小さな溜め息を落としてから防衛プログラムを睨みつける。
クーパーは何も言えなかった。確かに八神はやてが目覚める事を望んではいたがこの状況で目覚めるのは想定外だ。
八神はやてと防衛プログラム、2人は向き合ったまま静謐さを漂わせる。

「私はマスターの筈やけど?」

「生憎、欠損プログラムが進行している私は貴女をマスターと承認することはできません」

 それに対し、ふーんと呆気ない返事と共に

「私も殺すんか?」

「殺しはしませんが、邪魔は排除させて頂きます」

 2人の目がクーパーに向けられる。遅れて、心の中で舌打ちが叩かれる。防衛プログラムが動こうとすると、
はやてが止めた。

「ちと待って。話がしたいんや、手を下すのはそれからでもええやろ」

 防衛プログラムはクーパーに伸ばそうとした手を止め、はやてを一瞥してから手を引っ込める。
相変らず無表情で二歩下がった。命令を聞くのかという疑問が浮かんだが、直ぐに意識は声に手繰り寄せられた。
木造校舎が鳴くようにベッドから軋む音がした。八神はやてがベッドから下りて、自分の足で立つ。

 果たして、ここが夢の世界故かそれとも彼女の世界故かは解らないが。未だクーパーはベッドによりかかったまま。
2人が向かいあう。

「なんで?」

「………」

「なんで私を黙って逝かせてくれへんの?」

 痛む体をベッドに預けたまま呼吸を取り戻す。その中できゅっと唇を噛み締めた。

「…さてね」

 その言葉に、はやての表情が苦々しく歪んだように見えた。

「あんなぁ、誰もお願いしてへんのに」

「…助けると決めた以上可能な限りの事はやります」

「ふざけんな!」

 激しい剣幕と共にはやての手はベッドにあった枕を取るとクーパーに投げつける。
顔と肩にぶつかり、血と汗がついた枕は直ぐに床に落ちる。表情を険しくしたまま見下す。
まだ、息は乱れていない。そこに優しかった八神はやてはいなかった。

見たことも無い表情をしていた。これも、人か。

「誰もそないなこと頼んでない。……殺そうとしたくせに、頼みもしないのに助けてほしくなんかないわ」

 解っていたことだが拒絶の言葉を叩きつけられる。そもそも都合がいい話だ。殺そうとして今は助けようとしてる。
そんな矛盾いらなかった。どこまでも心に焦げ付く怒りをより熱し、尚も心に染み込ませていく。
見上げる左目は悲喜こもる目をしていた。溜息を落としてから立ち上がろうとするが膝が笑って立ち上がれない。

 手を床に這わせつつベッドを支えに立ち上がろうとすると張り倒された。
馬乗りにされ、胸を、そして顔を張り手で何度も叩かれるをされるがままにしていた。
駄々っ子がわめくように何度も何度も。胸を叩き顔を殴り腕を叩くのを繰り返した末、手は胸を叩き震える手を止めた。

「なぁ、私が何をしたんや? 少しでも悪い事したんかいな、なあ。家族や友達を望むんはいけんことなの?
足が悪うなって車椅子生活が続いて、解ってた……私が後少しで死ぬって解ってたのになんで静かにしといてくれなかったんや。
家族と一緒に居る事を願うんは悪いことなんか? 魔法かて知らん悪い事も知らん、私も私自身のことも解らん。
なんなんや私の人生。他人に振り回されて何も解らんうちに勝手に決められて、これが人生? 運命とでも言うんか?」

 胸元に置かれる手は握り締められ震えた。顔を歪ませ、どこまで腐ってるんやと声を詰まらせた。
やりきれない想いが縛るのか、それとも何か、もっと別のものを孕ませるか。
震える手は堪えきれぬように胸を叩き胸倉を掴む。

「お金なんかいらんし多くは求めへん、……平凡でいい。ただ、普通って思える幸せを求めるのはあかんのか?」

 声を滲ませ涙を落とす。歯を食いしばり、相変らず手は頑なに握り締められていた。その荒んだ心を慰めることもなく、
クーパーは何も言わない。少しの間を置かず、八神はやては立ち上がる。

「もう、ええ」

 クーパーを一瞥し、見切った。離れると防衛プログラムがクーパーに迫る。
瞬時に体を起こすと禁忌とも言えるカードの連続使用を開始する。体にどれだけ負担がかかるかわからないが、
今はしのごを言っている暇は何処にも無い。盾で拳を受けながら八神はやてを睨みつける。

「…それで満足ですか?」

「何やて?」

「…言いたい事はそれで終わりかと聞いているんですよ」

「………ッ!」

 挑発にはやては激怒した。

「何様や!!」

「…助けに来たんだ」

 言葉の前に防衛プログラムの強烈な一撃が盾を叩いた。
霞みかけた意識をなんとか保たせる。今ここで倒れるわけにはいかない。

「お前なんか嫌いや! 自分勝手で、私のことも見てくれへんッ! ……誰も私のことなんか、
解ってくれる人なんかおらん! どう足掻いても死ぬしかないのになんで今更そんなことすんの。
闇の書の起動と一緒に私も大方の事は解ったわ。防衛プログラムの起動と共に、私が死ぬしか無い事も。
だから夢の中で寝てたのに、なんで起こすんや!! なんでクーパー君の顔なんか見なきゃあかんの?!
誰も、誰も私の気持ちなんか解ってくれないのに!」

「…解る」

「解らへん! 絶対に解らへんよ!!」

「…違う。僕がじゃない。僕は八神さんの気持ちの根幹まで理解できるほどできていない。あいつがいる。
あいつなら八神さんの気持ちだって解ってくれる」

「嘘や! 絶対全部嘘や!! のうのうと私の死を見ているだけの人になんか私の気持ちなんか理解されとうないッ!!
いらない、全部いらない!!」

 悲鳴じみた叫びと共に防衛プログラムの激しさが増す。盾の維持に失敗し防衛プログラムと真正面で向き合う。
相手の方が速い。振るわれ続ける拳になす術なし。カエルが潰れたような、鳩尾を殴った時に吐き出されるような声が多々漏れた。

「(これでええんや……!)」

 震える手を握り締めながら自分の方向を確かめる。クーパーが死ぬかもしれないがこれでいい。
自分はクーパーの兄を殺し、多くの人間や生き物を犠牲にして今ここに居る。だからこれでいい。
もうすぐ自分も死ぬのだから。誤った道に突き進むことも肯定するしかない。流れそうになる涙を必死にこらえた。

 殴り飛ばされ再度壁に叩きつけられる。
それでも、立ち上がる。

「…いい、なんて」

「え……?」

バリアジャケットのお陰か。まだくたばっていないようだ。両手を膝について気力でふんばっている。
はやては息を呑んだ。魔力刃と魔力弾の所為か眼帯はとうに消えていた。
右目周辺は切裂かれた上、右瞼は吹き飛び眼窩と眼輪筋が露出しゾンビのような有様になっていた。

 遅れて血が滴り始める。多量の血涙が頬に走り床へと落ちていく。はやては戦慄したがクーパーは迷わない。
すかさず盾を構築すると防衛プログラムの攻撃を防ぐ。

「…生きたいと思うなら、生の方向へと足掻けばいい。君は鳥篭の中の鳥じゃないんだ。
ましてや、実験台のマウスでもない。自分の命が惜しければ足掻けばいい」

 盾を防衛プログラムの拳が貫通し腹にめり込んだ。腹の中からせせり上がった血塊が口から吐き出され床を汚す。
内臓の1つや2つ。破裂したのかもしれない。はやての震えは全身に広がっていた。失いそうになる意識を必死に保つ。
怖れが畏れが絡み合い混ざり合う。

 クーパーは前のめりに倒れる。これでようやく死んだか。はやてはひたすらにその疑問に囚われた。

 まるで蟻だ。

 無邪気な子供に足を毟られながらも、尚ももがく兵隊蟻を彷彿とさせる。

 指を床に這わせ立ち上がろうとするクーパーがいた。
まだやるというのかと気持ちと共にはやての口の中に唾液が溜まる。

 クーパーは弱弱しく拳を固め血に濡れた床を擦る。
芋虫のように体を動かし、吐きだした血の池から尚立ち上がろうとする。

「死ね」

 防衛プログラムは手に魔力刃を発動させ、首を刈り取ろうとする。はやては恐る恐るこれでいいと再確認した。
友人の死を目の当たりにして気持ちが大きく揺らいでしまった。

 死ぬのだから、自分も死んでしまうのだからと思っていると魔力刃が振るわれる。
しかし、クーパーの首が飛ぶ前に一つの魔力反応が走った。
ゴールドでもピンクでもブルーでもライトグリーンでもブラウンでも無い。

 ホワイトだった。魔力はベルカ式の魔方陣を生み出し床から鋼の軛を発生させ不意打ちに防衛プログラムを縛……。
いや。殺傷設定を以って貫いていた。

「これ、は」

 ノイズ混じりの声で防衛プログラムは呟いた。次に名前を言うだろう。でも、その名を呼ぶ前に術の使用者が姿を見せた。
部屋の入り口から姿を見せるザフィーラだ。隙も与えず防衛プログラムを殴り飛ばすと先程のクーパーとは真逆の形となった。
不意打ちは功を奏したか。防衛プログラムはその姿を掻き消し簡単に消えてしまった。

「遅くなったな、スクライア」

返答は無いが、まだ動いているから死んではいないことが解った。
よしと一息もつかず、ザフィーラは、久方ぶりに感じる主を見た。

「主はやて」

 はやては顔を背けた。唇を強く結ぶ。この状況に、息が詰まりそうになりながらもはやては必死に自分を保とうとしていた。
目を逸らしその存在を拒む。ふたたび拒絶がぶり返す。

「話すことなんて何も無い」

「お聞き下さい」

 ザフィーラの言葉が癇に障ったのか、顔を歪める。

「何も無いって言ってるやろッ!!!!」

 大声で封殺しようとする。心が掻き乱され肩で呼吸を始めていた。認めたくない故か、苛立たしげに睨むが、
ザフィーラもここで引こうとはしない。目を逸らすことも、逃げる素振りは一切見せない。

「今を逃せば機会が無くなります」

「私は、もうお前達の主か何かじゃなくてええ。ザフィーラもシャマルもシグナムもヴィータも……ッ」

 はやての前に、ベルカ式の魔方陣が浮き上がるや否や、再びあの女が姿を現した。
ザフィーラは防衛プログラムと警戒したが管制人格だった。先程よりも随分と姿が薄れホログラムのように体が透けていた。
もはや防衛プログラムを止められなくなるのも時間の問題なのかもしれない。

「もう止めろ盾の守護獣。これ以上主を苦しませるな。
忘れたか。私の心は騎士達と繋がっている、お前の気持ちも解るが……」

言葉が途切れた尻には、念話が送られてくる。

”今の主に、その気持ちが通じるとでも思うか?”

 怒りにまみれ自分をも否定する人間にザフィーラが答える前に芋虫のように床の上でくたばっていたクーパーが、
ゆっくりと立ち上がる。膝に手を当て鉄臭い呼吸の中回復魔法を繰り返す。

「…だから見過ごせと?」

「スクライア」

「言うな、片目の子」

「…救う方法があるから、僕達を導こうとしたんじゃないのか。曖昧に終りたいなら手を出すな。
黙ってみてろ」

 その言葉に管制人格は俯き考えあぐねているようだった。クーパーはちらりと八神はやてを見る。
相変らず、人の話を聞いてくれそうには見えない。それもそうか、と一人納得する。自分とてそうだったのだ。
ユーノを拒んだあの時の後悔を忘れない。ユーノの顔も胸の内の苦しさもだ。

 人の善意を無駄にする奴程後々苦しむことになるのだ。
しばしの沈黙の後、解ったと管制人格は口を開いた。

 クーパーは口を開くと目一杯の酸素を取り込んだ。
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