「大丈夫? なのは」

「なんとか…」

 抱えられていたなのはは飛行魔法を発動させつつ離れた。イガイガする喉を押さえる。そこでようやく気づいた。
フェイトの手にレイジングハートが握られている事を。元相棒に懐かしさがこみ上げる。

「元気だった? レイジングハート」

『yes.』

 相変らずのようでホッとする。そして、ふと思い出した。レイジングハートはカートリッジの改修を受けていない。
それが影響を及ぼすのではと思ったが、その視線に気づいたフェイトは少しだけ微笑む。

「大丈夫だよ、なのは」

「え?」

「私はカートリッジシステム無しでも平気。それに、ちょっとだけレイジングハートもいじくってるんだ」

「そうなの?」

「うん、私は接近戦もするからなのはの仕様だときついから」

 そこがお喋りの終了だった。闇の書の意思が動き二人はそれぞれ逃げる中、フェイトはレイジングハートの形状を変更させる。
シューティングモードに変形させたが、驚いた事にヘッド部分から接近戦用の魔力刃を伸ばした。
なのはもカートリッジをリロードする。空薬莢は飛蝗の様に飛び跳ねた。

 早々に、フェイトは金と黒の軌跡を残しながら十八番の高速機動で突撃し闇の書の意思に斬りかかる。
それ対し防御をとられるも、フェイトの動きは速い。防いだ上からも次々と斬撃が防御の上に叩き込んでいく。
凄まじい連続攻撃の最後は刺突。それも防がれるが計算のうちとばかりに叫ぶ。稲妻がバチン跳ねた。

『Thunder Smasher.』

 零距離砲撃をぶちかまし直ぐに後退する。華麗なる多撃離脱の光景になのはは言葉を失った。
フェイトの後に砲撃を撃てばよかったと後悔する。そうこうしている間にグレアムはアースラに回収され、
離脱と思われていたザフィーラ、そしてクロノが海上に戻ってくる。

”フェイト・テスタロッサ……どうして君が?”

闇の書の意思に警戒しながらも、クロノからフェイトに念話が入る。

”話は後ですクロノ執務官。……そっちの人は敵って教えられたんだけど、今は味方でいいんだよね?”

 ザフィーラの事だ。そうだとクロノは即答する。そして、フェイトは微笑んだ。

”クーパーも久しぶりだね。”

 返事は無かった、いや返事をさせる余裕が無かった。敵が来る。グレアムの離脱によりポジションが少しだけ動いた。
クロノはセンターよりのガードウイング。なのはとザフィーラは動かずフェイトがフロントよりのガードウイング。
とびっきり元気なのが加わり戦線はやや補強されたかに見えたが、そう簡単に沈んでくれる闇の書の意思でもない。
フェイトは悪魔の接近を許す。

「邪魔をするな」

「誰が」

 言葉では粋がりながらも本能は逃げろと警告音でいっぱいだった。拳に対して盾を形成する。重い一撃に顔を顰めた。
あまり受けに回ったままでいるとそのまま押し切られそうな嫌な予感がした。
矛先を動かし、相手の拳をずらして受け流しの姿勢に入るとすかさず魔力刃付きのレイジングハートを振るう。

 相手の胸を十字に薙ぎ払い様子を窺うが相手は苦悶おろか表情の変化一つ見せない。
そんな有様にもう一度顔を顰めつつ離脱する。入れ替わりとばかりにクロノとなのはの射撃が入るも、
闇の書の意思は回避と共に2人に倍返し。

右手と左手でそれぞれ砲撃を展開する。
クロノ達が回避動作を取るよりも早く、最後衛のザフィーラとクーパーは結界を展開して砲撃を防ぐ。
下がったフェイトは誘導弾を形成しながら念話を走らせた。異常すぎる相手に何かを感じ取ったのだろうか。

”クロノ執務官、策は?”

 苦笑は無い、フェイトは動く。高速で闇の書の意思を引っ掻き回していく。それを、なのはともどもの誘導弾達が援護する。
明確なダメージは無いが足止めにはなっていた。念話が送り返される。

”拘束して無人世界へ転送だが梃子摺ってる。”

”了解。”

 その一言と共にさらに加速するフェイト。闇の書の意思の周囲を目障りな蚊のように動き続けた。クロノやなのは、
ザフィーラはなんとか目で追えたが、クーパーの左目ではついていけない世界だった。これが、
フェイト・テスタロッサの速さかと関心する。

”いくよ ”

 フェイトからスタートが告げられる。出力を上げたレイジングハートの魔力刃が闇の書の意思の体を薙ぎ少しだけぐらつかせる。
一呼吸の間も置かずに金と黒は背後に回りこみ背にも斬撃を叩き込む。
相変らずダメージは見られないし僅かな隙を作っただけだが、それで十分だ。フェイトの手が闇の書の意思に突きつけられる。

 悟ったのは他の者達も同様だ。

「「「チェーンバインドッ!!」」」

 なのは、フェイト、クロノの声が重なる。3色の鎖達が闇の書の意思に飛びかかりまとわりつき拘束した。
これで何度目だろうか?最後衛の2人組はこの時を逃さないとばかりに転送魔法を頭の中で組上げていく。

 1秒が経過。早く、早くと胸の中で焦れる。数秒で転送は完了するというのにもどかしさを覚えて仕方が無い。
何故ならば、その数秒で簡単に反旗を翻すのが闇の書の意思だからだ。前もこんな風に拘束したにも関わらず、
後少しというところでバインドを砕かれた。それがどうしても頭の中でリピードされてしまう。

 そして、期待は裏切らないとばかりに闇の書の意思は動いた。
バインドこそ砕かなかったものの闇の書の意思周辺で連続した爆発が発生。
フェイトが飲み込まれ黒煙の中に闇の書の意思共々姿を隠してしまった。

「フェイトちゃん!」

 なのはの心配の声があがり、他3人は嫌な予感がした。黒煙は闇の書の意思の姿も隠してしまったのだ。
どうするべきか判断を鈍らせる中、転送も後一秒で完了するという際に黒煙の中から
全方位無差別射撃が一斉に飛び出し全員の虚を突かれた。

幸いクロノに着弾は無し、なのはは慌てて回避して難を逃れる。一番問題なのがザフィーラとクーパーだ。
見事直撃し転送魔法が中断。ザフィーラさん、となのはが心配の声をあげるが今度は黒煙の中から闇の書の意思が飛び出してくる。
未だに縛っていたチェーンバインドで抑え込もうとするがいかんせん、

 闇の書の意思は体を捩じらせると簡単にチェーンバインドを引き千切ってしまう。
なのははまずいとカートリッジロードを繰り返しながらさらに下がるが、驚いた事に闇の書の意思は直ぐに止まり振り返った。
クーパーは舌打ちと共に黒煙の前面にシールドを形成すると、砲撃が直ぐに襲い掛かってきた。

 直後、爆発のダメージを引きずりながら、フェイトが黒煙の中から動く。
先ほどよりも動きが鈍く見えるのは爆発に加え無差別射撃も食らったようだが諦めない。

「この……ッ!」

 顔を歪めながらもレイジングハートを振りかぶり、闇の書の意思めがけて飛びかかるが盾で安々と防がれた。

「……くッ……!」

 なのはとクロノが誘導弾と射撃で援護するも闇の書の意思は邪魔とばかりに砲撃を返す。
このままでは埒が明かない状況の中、クーパーとザフィーラは無謀な相談をしていた。
ごにょごにょごにょとクーパーが耳元で何か囁く。

「無謀すぎる。死ぬぞ」

「…他にいい案が?」

 返答は無い、指が肩をとんとんと叩き決まりだねと押し切る。ザフィーラとしても乗りたくは無かったが、
これといって打開策も無く、仕方なくとクーパーの策に乗った。攻撃の手も程よく止まる。
この戦いの中核を担うクロノはどうするべきか頭をフル回転で考えていると、それを阻むような叫び声が轟いた。

 ザフィーラだ。

「てぇえええええええええええああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」

 闇の書の意思周辺に足場が形成されると共に無数の鋼の軛が貫いた。無論、雀の涙程度にも満たない時間だが、
その一瞬に賭ける。

「スクライアァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」

「…ッ!!」

「え……?」

「な……ッ?!」

「は?」

 ザフィーラは背にいたクーパーの頭を鷲掴みにすると闇の書の意思にむかい投擲した。飛べない豚は突撃する。
考える間もなく闇の書の意思は鋼の軛の楔を砕いてみせる、次の行動に移らせる前にクーパーは
チェーンバインドを闇の書の意思に放ち拘束する。ブラウンの鎖は次々と体に絡みつき、クーパーは落下する前に手を伸ばした。

「…ッ!」

そして掴む、いや闇の書の意思の体にしがみついた。もとい、抱きついた。





【Crybaby. -Classic of TheA's15-】





「スクライアごと縛れッ!!」

 はちきれんばかりのザフィーラの声が木霊した。
一瞬虚を突かれた面子だが、すかさずリングバインドやチェーンバインドを展開し闇の書の意思の体を縛り付ける。
クーパーごとだ。クーパーは真正面から女を、もとい闇の書の意思にしがみ付き自分の体ごと拘束される。

 これぞ望んだ状況と耳元で鼻で笑ってやった。

「…悪いけど、この世界でいつまでも暴れられると困るんだ」

してやったりと口許を歪ませる。投擲前からクーパーの頭の中ではチャカチャカと転送魔法の構築式が組まれている。
同様にザフィーラも転送魔法を組んでいるはずだ。バインド上重ね作戦は成功したかに見えたが、
クーパーと同じように闇の書の意思も呟く。目障りだと。

するとどうした事か、闇の書の意思はクーパーの頭にこつんと自分の頭を接触させる。頭突きという程強烈なものではなく、
母親が赤子に触れるような接触だった。その直後、左目は見開かれ目の前に無い別の何かを見る。
絶叫が迸り全員の耳を劈いた。

「クーパー?!」

「…ッ!!」

 ザフィーラは躊躇するも、あえて転送魔法を優先させる。この機を逃せば次は無い。
闇の書の意思はバインドを破らなかった、不吉な予感もしていたがザフィーラの中で転送魔法は完了した。

「はッ!!」

 闇の書の意思の足元に魔方陣が走り転送魔法が発動し、クーパーを巻き込んだまま姿を消し呆気無く転送は完了した。
終わってみれば呆気なかったが、なんとか、第97管理外世界から無人世界への転送は完了した。
これでアルカンシェルが地球に向けられる事も無くなった。安堵こそないものの1つの重しが取れた気がする。

「急ごう、僕達も行くんだ」

「心得ている」

 クロノの合図でザフィーラは再び転送魔法を発動させる。その数秒がまたまどろっこしい。
誰もが、今し方のクーパーの叫びが耳に残っていた。物理攻撃を受けた訳でもない人間が何に対して叫んだのか。
嫌な予感が皆の心の中を駆け回る。直ぐに、転送魔法で4人も無人世界へと移動した。舞台は第97管理外世界から無人世界へ。

 同様にアースラも移動を開始する。距離はそう遠く無い。4人を待っていたのは青い空と砂漠の世界。
なのはとクロノは見覚えのある世界だった。フェイトは資料で見た世界。ザフィーラは一応知っていた。
そこは数ヶ月前にシグナムとクーパーが戦った場所だった。

「あ……」

 直ぐに、闇の書の意思の姿を見つける。1人、青いキャンパスの中に浮かぶ異端。生憎とクーパーは一緒ではない。
どこにいるかと探せばそのはるか下。砂漠の上でぼろ雑巾のように倒れている。誰かが念話を送る間もなく、
砲撃が闇の書の意思からクーパーへと伸びる。咄嗟にザフィーラが結界を張り砲撃からクーパーを守るのと、

 フェイトがレイジングハートを手に飛び出すのは同時だった。魔力刃の出力を上げつつ速度に物を言わせ斬りかかる。
裂帛の声が青い空と砂漠の世界にはびこる。

「はぁぁぁああああああッ!!!!!」

 魔力刃は闇の書の意思の腕に防がれ無感情な瞳に間近で貫かれる。フェイトの隙を突き拳を叩き込んで吹き飛ばす。

「尚も足掻くか」

「クロノ君!」

「解ってる!!」

 2人が一斉に砲撃。ここからの戦いはもはや賭けだ。地球への甚大な被害は免れたものの、
八神はやての救出の術を見つけられなければ、待っているのはアルカンシェルだ。時間が来てもアルカンシェルだ。
ここまで来れただけでも御の字だが、なのはは最後まで諦めたくないと願う。

 2人の砲撃を避けた闇の書の意思に対し立ち直ったフェイトがサンダースマッシャーを放つ。
イカズチの砲撃が闇の書の意思を飲み込む。一瞬の停滞、直ぐに化け物は砲撃の中から飛び出してくる。

 一体、この化け物はどのようにすれば止まる事があるのか、
誰もが歯噛みしフェイトも自分の攻撃が通用しない事を悔しく思う。助けに来たのにこんな筈じゃなかったと思わずにいられない。
接近してくる目の前の怪物に歯噛みする。

「フェイトちゃんッ!!」

 なのはとクロノの誘導弾が殺到しフェイトに攻撃を仕掛ける前の闇の書の意思の体に連続して叩き込む。
そこにフェイトは付け込んだ。魔力刃は闇の書の意思の胸に突きたてられた。やったか、と思いたくなる程の停滞が浮かぶ。
無論殺傷設定ではないし魔力ダメージだけが通るはずだが。

 無感情な瞳がぎろりとフェイトを臨む。

「無駄だ」

「……ッ!!」

 これも駄目か。手で魔力刃を砕いた。金と黒は身を翻し離脱した。砲撃を残して。
他2人も気張った。ここぞと魔力を滾らせる。

「ディバインバスターッ!!」

「ブレイズキャノン!」

「サンダースマッシャーッ!!」

 並の魔導師ならば即墜落ものの砲撃が異なる角度から伸びて闇の書の意思を飲み込む。
これならば、とフェイトも距離を取りつつ思う。砲撃の手が止まり闇の書の意思が姿を見せた時防御姿勢をとっていた。
無傷のようだ。悔しいがこのままいけば負けるのは必須。なのは、クロノはダメージ蓄積が大きい。

 どうしたものかとフェイトは悩む。さて、3人が立ち回っている間にザフィーラはクーパーを回収していた。
意識はあるし再び背に捕まりバインド体を固定する。そんな中、ザフィーラの背でクーパーは苦しげな表情で呟いた。

「…あれは」

「どうした」

「…あれは、八神はやてだ」

 左目は疲労困憊の様子で闇の書の意思を見る。顔色は青くなり、体は震えが止まらなくなっていた。
背に抱く小さな子供に、ザフィーラは違和感を覚える。

「どういうことだ、スクライア」

「…会ったんだ」

「?」

「…いや」

 途中で言葉を切ってしまう。そして言いかえる。

「…やっぱり、八神はやては全てを拒んでる。お前達も、僕も、なのはさん達も、管理局も」

「どうするつもりだ」

「…解らない。だから困ってる」

 時間が無いのが悩ましい限りだ。クーパーは解決する術が見当たらない。
闇の書の意思と八神はやてを切り離す方法も、絶望の淵から助ける方法も見当たらない。
叫び声をあげた時、でも、流れてきた記憶の中で1つ思い出した事がある。

 今の八神はやては、2年前のあの時のクーパーに似ていたのだ。
ユーノの手を払い、全てに絶望したと一人で悲しんでいた時に似ている。
しかし、八神はやてはそれを上回る重度に絶望に浸っている。クーパーの比ではない。

 あの状態の自分を救えるかと問われれば無理だと即答する。
やはり悩ましい。どうしたものか。

「時間ぎりぎりまで粘るしかあるまい」

「…ああ」

 それ以外に道は無かった。それと同時に、助けるのは不可能だとクーパーは思う。
何者も拒み絶望を抱きしめる子にどういう言葉をかければいいのだろうか。戦いを始める様々な想いがぶり返す。

 八神はやては何も知らなかったで済まされるのか?
事件は途中で止める道があったかもしれないのに、こうまでして頑張る意味はあるのか?
このまま、見殺しにしてもいいのではないだろうか? というものだ。

 それでも、頭の中では策を捻り出そうと必死に考えている。クーパーを乗せたザフィーラも戦闘に戻る。
平気かと念話での問いかけに平気ですと返した。でも、内心はかき乱されとてもじゃないが戦えるような心構えは無かった。

 八神はやてが自分に見えて仕方がない。思考の海に落ちる。手は勝手に動いていた。勝手に支援している。
2年前のあの時、自分はどうしたかったんだろうと思い返す。全てを拒み、兄が差し伸べた手を振り払ってしまった。
何を言われようとも頑なな心は全てを拒んでいた。本当にどうすればいいのか、誰か答えを教えて欲しいものだ。

 ザフィーラも高町なのはも、クロノも、そして手紙で少しはやりとりをしていた筈のフェイトも、
はやてを助けようと立ち回っている。どうせ、八神はやてに手を振り払われるのがオチだ、
と思いながらもクーパーの手も魔法で援護していた。体は面白いまでに勝手に動く。反射反応のように。

「…っ…」

 いい加減、答えを出せない自分自身にイライラしてくる。助けるか助けないか、前者にしても方法が解らない。
後者だとまた最初に戻る。終わりを迎える気配は無い思考に見切りをつける。頭の中を全てシャットアウトすると、
かくも簡単に答えは出たが、そこまで行き着く為の術が見つからない。

 絶望した人間を救う方法? 気づいてしまえば簡単だった。が、自分がその役割を担えるかは少々自信がない。
そこで、ザフィーラの耳元で呟く。

「…八神はやてと話せる方法は?」

 耳元で囁いた。
愛はない。

「あると思うか?」

 ザフィーラは動き続けながら歯噛みする。

「…何とかならないのか」

「それができれば苦労はしない」

 射撃の手が伸びてきてクーパーが盾で防ぐ。同時にザフィーラが鋼の軛を伸ばすが避けられる。
砲撃射撃誘導弾、3人からこれでもかと叩き込まれるが闇の書の意思はするするりと避けていく。苛立たしい限りだ。
クーパーが考えた絶望に浸る人間を引っ張り上げ意識を変えさせるただ1つの方法。

 この場にいる人間が聞けば必ず反対するだろう。
クーパー自身やるべきか迷ったが、八神はやて自身には罪は然程無いと言う事を噛み締める。
それがたとえ、憎い騎士達の主だったとしてもだ。恨みも消えず憎しみも消えず、
でもそれでも尚図書館で共に過ごした友人を助けたいと願う心があるのだ。

 やらねばならないと思うクーパーもいた。
道筋が違えば八神はやては親友と呼べる間柄だったかもしれない。
もしかすれば恋人になれたかもしれない。本を好きで、明るくて、未来は幾重にも分岐している。

「…なんとか、ならないかな」

 ますますイライラしながら見ていると、フェイトが闇の書の意思に斬りかかり誘導弾と射撃も飛び交い続ける。
ザフィーラとクーパーも援護を続ける中で、フェイトが吹き飛ばされ、追撃がかかる。そうはさせまいとザフィーラが突っ込んだ。
クーパーもGOサインを出す。

「…死なばもろともだ!」

「てぇぇあああああああああ!!!!!!!!!!!」

 突撃した拳が闇の書の意思に突き立てられる、盾が形成され本体には届かないがフェイトへの追撃の手は止めた。
同時に無数の誘導弾が闇の書の意思に殺到する。うざいとばかりに、闇の書の意思は腕を振るった。砲撃、爆発、射撃。
ほぼ同時に生み出され全ての者の視界と意識を根こそぎ奪おうとする。全員に着弾していた。

「っく……!」

 ザフィーラも間近での直撃を受け体をぐらつかせたところに一本の腕が伸びて来た。避けられないと直感は言うが、
クーパーがシールドで阻害する。ただの手と盾に、凄まじい魔力干渉が発生した。クーパーは盾越しに悪魔を睨みつけ、
冷たい眼差しに猛る。闇の書の意思ではなく、その奥にいる人物の名を苛立たしげに呼ぶ。

 盾は砕けようとしていた。

「…八神はやてえぇ!!」

 相変わらず、返ってくるのは怜悧な目線だけだった。

「お前達の盾は誰のものだ?」

「…僕自身のモノだ!」

「そうか」

「…そうだ!!」

「守るべきものも無い盾が何に抗う? お前達は、我が胸の内で眠れ」

「……ッ?!」「これは……!」

 クーパーとザフィーラ。2人は淡い光に包まれると共にその姿を消失させた。
クロノは目を剥く。これ以上状況の悪化は勘弁して欲しい。
一瞬、死んだかと思い体が底冷えした。

「クーパー! ザフィーラッ!!」

 呼びかけても反応は無い。念話もだ。変わりに闇の書の意思が答えた。

「2人は我が胸の内で眠りにつく。静かに終わりの時を我が主と共に迎えてもらう」

「なんで……!」

「盾など不要だ」

 これで3対1。クロノは歯噛みする。フェイトが参戦しても状況はあまりいい方向に変わっていない。
そして迫り来るもう一つの選択。

『クロノ』

 念話だ。声の主は母親であり艦長でもあるリンディ・ハラオウン。意識を傾ける。

『アルカンシェルの用意はいいわよ』

 見殺しにしろというのか、クロノは直感的にそう返そうとしたが母親の判断は正しい。
八神はやてはもとよりクーパーの命などこの次元世界から見れば大海原を漂うプランクトンと同じだ。
防衛プログラムが本領発揮すればこの程度では済まないだろう。

 早い内に処理した方が懸命だが、まだ時間の余裕はある。
過去の記録からも防衛プログラムが発動するとその肉体を巨大化させるのに時間がかかるのだ。
クロノは、限界の限界までは諦めたくは無かった。そこを過ぎれば、もはやクーパーも塵となってもらわねばならないが。

 目の前のカリギュラ相手にどこまでやれるのか。S2Uを握りながら自分に克をいれる。

「もう少し粘らせて下さい」

『最終判断は私がするわよ』

「お願いします」

 敵を見る。どちらにせよまだ諦める訳にはいかない。クロノは闇の書の意思に接近する。そして、魔力を解き放った。

「ブレイクインパルスッ!!」

 衝撃波を闇の書の意思に叩き込む。この戦い、どうあっても諦めるわけにはいかない。それが男の子の、
いや、クロノ・ハラオウンの意地だった。








「クーパー」

「起きて、クーパー」

 誰かの声で目覚める。暖かい布団の中でリスのように丸まっていたクーパーの肩を誰かが揺らしている。
眠気を纏った体は酷く気だるく起き上がる事を拒んでいる。それでも揺すられ続け、もっそりと体を起こして目を擦る。

「おはよう、起きて朝ごはんの支度しなきゃ」

 寝ぼけた顔で見上げると動きが固まった。目の前にはユーノがいる。それからおかしな事に気づく。右目が見えている。
右目の瞼に触れてみると眼窩には眼球が納まっている。右目で見える。左だけの世界から初めて見えるもう半分の世界。
そしてユーノ。

「どうしたのさ。ほら、着替えよう」

「え……? あ……はい」

 何か、大切なことを忘れてるような気がしたが思い出せない。一寸遅れて動き出す。
寝巻きから普段着に着替えつつも目ではユーノを追っている。兄さんだ。そして見覚えのあるテントで思い出す。
ここはユーノと同じ日々を過ごした場所。始まりの場所だった。

「ほら、ぼさっとしないで」

「すみません」

 着替えを済ませると引っ張られる形で移動する。照りつける太陽と雲雀の鳴声が響いていた。
おはよう、とすれ違うスクライアの人達と挨拶をしていく。何故自分はここにいるのか。何故自分はこうやっているのか。
自分が今まで何をしていたのか。クーパーにはよく解らなかったが、とりあえず良しとする。兄がいるのだから。

 懐かしいテントに赴くと一緒に手を洗って調理を始める。一緒に料理するのも懐かしいと思いながら包丁を握っていると、
指にちくりとする痛みが走った。指先に赤い線が走り、切り傷ができていた。

「ああ、ほら」

 仕方が無いな、とユーノはクーパーの手を取ると指をぱくりと咥えてしまう。指に万遍無く唾液が絡み傷を舌が舐める。
前もこんな事があった気がした。気持ちよさと小さな痛みが同居する。黙ってされるがままにした後、傷口を洗い絆創膏を
ぺたりと貼られ調理は再開。いい匂いが満ちる頃にはスクライアの人達も集まって、料理も完成するとみんなで食べ始める。

 笑って、美味しいといわれてクーパーもぎこちなく笑って過ごす。幸せだった。魔法の勉強と食事の支度を繰り返す日々。
兄がいて、みんながいて、どこまでも笑顔があって、心の底から笑える日常はクーパーにはとても眩しいものだった。
こんな生活がいつまでも続けばいいと願ってしまう。宝石のような日々が続く事を。

 いつまでも雲雀の鳴声が耳に残っていた。

 その反面、ザフィーラはクーパーと違い甘い夢等見せられなかった。クーパーと共に闇の書の意思に取り込まれると
暗闇の中に放り込まれた。ただ1人。発狂しそうになる闇の中に居続けた末1人の来訪者が訪れる。意外な人物だった。

「管制人格か」

「盾の守護獣。他の騎士達が取り込まれ、1人になろうとも尚進むのか」

 それは、先程まで戦っていたはずの女性(闇の書の意思)と瓜二つの女性だが内面が違いすぎる。
外は管制人格の姿を模した防衛プログラム(闇の書の闇)なのだ。そしてユニゾンデバイスでもある。
ザフィーラはため息に似た吐息を落とす。それが何を意味しているのかは管制人格のみがわかる話だ。

「滑稽な話だ。私達守護騎士はバグにも気づかず、主の為に戦い続けた。この胸の内、
言葉では表せぬ。正義と信じ貫いたものが悲劇を呼び続けていたのだ。他ならぬこの手によって」

 手を固く握り締め、ザフィーラは顔を顰める。主の為ならばと悲しみを撒き散らす事にも耐えてきたが、
その主は死に絶える運命にあるのならば、何のために今まで戦い続けてきたのか疑いたくもなる。
そしてこれまでの戦いは何だったのだろうか? 

 力なく広げられた掌は固められる。

「だが、今此処で膝を折るわけにはいかん。当代の主、八神はやてを助けられる術があるというのならば」

 それに対し管制人格は悲しそうな笑みを浮かべ、首を横に振る。何故だとザフィーラは追求した。

「管制人格」

「主はやてはもう深い眠りについている。起こす事は叶わない」

「何故そう言える」

「絶望が、主の望みだ」

「だから何故そう言える、管制人格。お前は主はやてを助けたいとは思わないのか」

「もうじき防衛プログラムが暴走を開始する。そうなれば、私も含め主はやても、お前達も飲み込まれる事になる。
全てが無に帰るの。もう、手遅れだ」

「諦めないと思う気持ちはないのか」

「無理だ、主はやては望んで眠りにつかれた。防衛プログラムも、私も制御下にすら置かれていない。
私は主を眠りの内に静かな終わりを迎えたいのだ。守護獣よ」

「何故知りながら抗わない、悲しみに溺れるままでお前はいいのか。悲観に暮れ続けても終わりは来ないのだぞ」

「私に希望などありはしない。私の名を知る者もまた、1人もいないのだ守護獣よ」

 言われた通り、ザフィーラは管制人格の名は知らない。が、今はそんな事どうでもよかった。

「ならば、お前はこれからも主に死につづけろというのか」

「それが闇の書だ。終わりの来ない悲しみをいつまで撒き散らす魔導書。それが、私だ。それが闇の書だ。盾の守護獣」

「いや止めてみせる」

 その一言は理解できず、管制人格は首を傾げる。

「何をだ?」

「この連鎖も、お前もだ。この悲しみに終りが無いというのならば、私は闇の書を破壊し続ける。未来永劫だ」

「……」

「無駄な事か?」

「いや」

管制人格は目を落とす。

「羨ましいと思った。お前と違い私の中にもバグがある。
希望という光はあるといいものだな。だが現状はまだ何も変わってはいない。盾の守護獣よ。
あの片目の子供も眠りについたままだ」

 闇の中に映像が出てくる。そこには、クーパーの姿があった。誰かと一緒にいる。
ザフィーラはそれを一瞥した。

「信じよう」

「?」

「あいつをだ。クーパー・S・スクライアという人間を私は信じよう。あれは自力で夢から戻ってくるとな」

 真っ直ぐな瞳に管制人格は貫かれる。

「盾の守護獣ともあろう者が、随分と人間に信を置くのだな」

「信頼に値する男であると、私は思うのだ」

 そう言ってザフィーラは、闇の中を歩き出す。管制人格は目でその後姿を追った。
映像の中のクーパーは楽しそうで、とてもじゃないが夢から抜け出したいと願う人間の顔ではない。
どう考えても夢からの離脱は無理だ。結局、管制人格にはザフィーラの気持ちは解らなかった。







 黙したままテントの中で向かい合って座るユーノとクーパー。
時折、何か焦げるような音が聞こえてくる。耳をよくよく澄ませば魔力干渉が起こす囀りだった。

「こら」

 ユーノのデコピンがオデコを弾いた。同時に魔法の干渉音も消え2人とも顔を上げる、
クーパーは痛いです、という文句は受けつけてもらえなかった。浮ついた気持になり集中できずにいるようだ。

「クーパーも集中しないね」

「すみません」

「いいけど、それじゃもう1回いくよ」

 2人の中で魔法の構築式が即座に築かれるや否や互いの盾と盾が衝突し干渉しあう。
魔力干渉が発生し、余波で互いの前髪が忙しそうに動いていた。挑戦的なユーノに対してクーパーは必死にくらいついていく。
1度でも突き放されるか構築式のミスをすればついていけなくなる。

元より、速度でも負けていた。解ってる、と思いながらもどうしても負けん気がでてしまうが斑になってしまう。
バチンと音立てて2人の盾は消滅した。ユーノの勝ちでクーパーの負けだった。クーパーは手を離し体を倒す。

「うーん、後一歩で抜かれそうな感じはあるんだけどね」

 まだまだだね、というユーノには苦笑しておく。体を倒したまま天井を見つめつつ吐息を落とす。
こうやってよく魔法の練習をした。した? いや、しているだ。語弊があった。天井もずっと眺めていると懐かしさを覚える。
こんなどうでもいいものもよく眺めていたのかと感慨深げにに思っていると、ユーノも横にころりと転がる。2人で天井を眺める。

「いやぁ」

「何です?」

 ユーノが楽しそうな笑顔でえっへへへと笑うのを訝しむ。笑顔は続きユーノの手が天井を掴むように突き出される。
指の股はこれでもかと広げられるが、指は女の子のように細く指は陶器のようで綺麗だった。
その手も直ぐにグッと握り締められて拳になる。

「クーパーも魔法が上手くなったなって思ってさ」

 教えてきた実感か、それとももっと別の何かか。伸ばされる手を見てから顔を見てなんとなく。
同じように天井を目掛けて手を伸ばす。2人で横になったまま天井に手を伸ばす中、ユーノはもう一度掌を開く。
2人がどれほど手を伸ばそうと横になったままでテントの天井に手は届かない。

「兄さんには敵いません」

 本音を言ってみるとサラリと返される。

「そんな事無いよ」

もう1度。

「あります」

「無いって」

「ありますって」

 終わりのこなさそうなループなのでユーノが「はいはい」と言いながら折れた。

「クーパーはいつか、僕を超えるよ」

 似たようなことだが、今度はそんなことをのたまう兄に、クーパーは天井を眺めたまま答えに迷った。
兄は今も昔も目標であり壁だ。あのライトグリーンの盾は、いつも目の奥に存在している。

「超えたい気持はありますけど、まだ時間がかかりそうですよ」

「そんな事ない、クーパーの気持ち次第で直ぐにでも」

 よいしょ、とユーノは体を起こし立ち上がり、横になったままそれを眺めていた。自分の中で疑問は浮かび続ける。
本当にできるのか? ただそれだけの小さな疑問。

「超えられるよ」

 その答えは、先程はあれほど否定していたにも関わらず今は否定できずにいる。むしろ、その先を知りたいと願った。
盾としての答え盾としてのあり方、知りたい事聞きたい事は山ほどある。
今更になって矢次に質問しようと体を起こすとユーノの手が目の前に伸びてきた。

 その手を取って立ち上がるとさらなる、疑問が湧き出てきた。兄にとっての魔法、というものが何なのか知りたくなった。
深い理由は考えなかった。

「教えてくれませんか」

「ん?」

「兄さんにとって、魔法って一体何ですか?」

 難しい質問だね、と答えながら2人はテントを出る。並んで歩きながら話し始める。

「便利なもの、自分や誰かを守るための手段、仕事で使うためのもの、……っていうありきたりな
答えを求めてるんじゃないよね?」

「はい」

「そうだなぁ」

 もう一度頭を悩ませてから、ユーノは合の手を一つ。どうやら答えは出たらしい。

「うん、僕にとっての魔法はクーパーを守る為のものかな」

 そうだね、そうだよ、と1人頷くユーノにクーパーは首を傾げる。

「絶対に違うと思います」

「僕にとっての魔法はかけがえのない人を守るものだから、だからクーパーを守る為にあるのかなって」

「その台詞、僕じゃなくて好意を持つ異性に言うべきです」

「告白の時はもっと格好いい事言わなきゃいけない気がするよ」

 軽く笑うユーノ溜息をつく中。違和感に触れたような気がした。兄さんの好きな人?
魔法の存在理由? あれ? と疑問を浮べた時にはユーノはテントから出ていた。慌てて追いかけると調理用のテントに入っていた。
クーパーも腕まくりをしながら続く。

「それじゃあ材料を順々に運びながら始めようか」

「了解です」

 これから、ちょっとスクライアの食事用とは違う料理を大量に作る事になる。
理由は簡単人が来るからだ。誰が来るか? それはこの後のお楽しみだ。
クーパーとユーノは2人で材料をいつも調理に使っているテントに運び込んでいく。

 それが完了すると手を洗ってエプロンをしていざ準備完了。調理開始で黙々と料理を作り上げていく。
時間が経てば経つほど料理の数は増え、日が落ちていく。予定数が仕上がった頃になると、
料理を遺跡近くへとテーブルと共に運び、準備を進めていく。気づけばしっかり陽が暮れていた。

 照明代わりの松明をつける。小さな火の粉が闇に飛んでは消えていく。
後は客人達を待つばかりだ、という時にユーノが何かを掲げて見せた。何かと思えばボトルと、ショットのグラスだった。

「先に1杯どう?」

「みんなを待たずに始めるんですか?」

「そんなに堅苦しく考えずに、準備ご苦労様ってことで」

 グラスを受け取ると琥珀色の液体を注ぐ。二つの杯を命の水が注がれると、2人は杯を掲げて一言。
サルーテ、という言葉と共に杯に口付けた。濃いスモークの香りが口の中を焦がしていく。強い酒だった。
舌の上に大人の味が広がりごくりと飲み下す。

 独特の味だった。ユーノも闇夜を仰ぎ吐息を漏らしながら美味そうに飲んでいた。
沈黙と涼やかな風が2人に寄り添う。嫌な空気でもなく、客人達を待つ間のほんの小さな時間。
ああ、こういうのも悪くないなとクーパーは思っていると、ようやく最初の客人達が姿を見せ始めた。

 複数の足音が闇の中から聞こえ始めそちらに顔を向ける。遠目に見えた姿はとても小柄だった。
次第に近くなり、ようやく見えた時には声がかけられる。

「こんばんは、ユーノ君」

「こんばんは」

 高町なのは、それにフェイト・テスタロッサにアルフ、クロノまでいる。

「いらっしゃいなのは、フェイトにアルフも」

「僕には挨拶無しか、フェレットもどき」

「あー…クロノも」

 ユーノが苦笑しながら色々と話しているのをクーパーはボケッとした表情のまま眺めていた。
この人達が客人だが、その後も続々と来客は増える。アースラのアレックスやルキノ、エイミィ、
リンディ艦長も。

 そしてグレアム提督にリーゼ・ロッテ、リーゼ・アリア、レティ提督も。次々と現れる。高町一家に、
アリシアを連れたプレシアも。それにアリサにすずかも。
来た者達から、もう料理を取って酒を飲み交わしてパーティのような楽しい時間が始まっていた。

 誰が音頭を取るでもなく乾杯の合図が響き、みな酒やジュースを手に楽しく話していた。
怒る者なんて誰もいない疑いようの無い楽しい時間。クーパーも作り笑いじゃなくて、心の底から笑っていた。
誰彼選ばず、近くに居た人に絡み共に笑い、共に飲み、食べる。気づけば人の声で遺跡の前は溢れていた。

 クーパーはちらりとユーノを見た時、なのはと楽しそうに話していた。またすぐに新しい客人を確認する。
人数は、5人。濃い闇の中から松明に照らされながら、その姿を現す。

「こんばんは、クーパー君」

 自分の足で歩く八神はやて、そしてヴォルケンリッターの面々。クーパーも杯を掲げていらっしゃい、と歓迎する。

「今日の招待は感謝する、スクライア」

続いてシグナムと握手する。

「ええ、楽しんで頂ければ幸いです」

「はやての料理もギガうまだけど、クーパーのもなかなかだよな」

「そうね、ヴィータちゃん。私もお腹空いちゃったわ」

 食べる気満々のヴィータに、保護者にしか見えないシャマル。そして一人、むっつりしている男がいた。

「すまないな」

「だから歓迎するって」

 ザフィーラだ。

 挨拶もそこそこに、直ぐに八神家も会話の波に飲まれる。誰も彼も料理や会話を楽しみながら笑っているのだ。
心からこの場を楽しんでいる。いい笑顔だ。1人、そんな事を考えていると少し離れた場所からユーノが
おいでおいでをしているから引き寄せられるように近づいてみる。

「ユーノ君のファーストキスの相手ってクーパー君って本当なの?!」

「は?」

 顔を真っ赤にしたなのはに突っ込まれた。
フェイトは興味あるよ、という顔で見てアルフとクロノとエイミィがニヤニヤした顔で見ている。
やっぱり逃げればよかったかもしれない、と思った時には遅かった。誰しもお酒を口にして頭が正常に動いていないのか。
ユーノもクーパーの肩に腕を回し顔を真っ赤にしながらケタケタ笑っていた。

「兄さん?」

「クーパー」

ユーノが首に腕を回しよりかかってくる。正直、重い。フェイトが一人勝手に盛り上がり金の髪をぶんぶん振り回していた。
かくいうクーパーもユーノから逃れようと必死になる。

「何してるんですか!」

「大好きだよー」

「大好きなのはいいですから離してください!」

 というよりも酒臭かった。このユーノらしからぬ態度も納得できるようで、できないようで。

「クーパーは僕とじゃ嫌?」

「ガチの兄弟なんて僕は嫌です!」

「そっか、じゃあ誰とがいいの?」

「誰ととかじゃなくて、いやです!」

 なんとかユーノを引き剥がすとなのは達もいい見世物だとけたけた笑っていたが

「兄が相手じゃ嫌か、クーパー」

 茶化してくるクロノに嫌味な笑みを浮べる。しかし、気づいてしまったからお返しとばかりに嫌味を言う。

「僕の心配より、ご自分の心配をどうぞ執務官」

「何?」

 意味が解らない、というクロノだが背後から迫り来る二つの影があった。揺れる猫耳と尾。
そしていやーな笑いを引き連れる2匹の雌猫達。酔っているからタチが悪い。ガバッと迫られたクロノは安々と

「クロスケーーーーーーーーー♪」

「うわぁぁッ?!」

 制圧された。悲鳴空しく、アリアに背後から押さえつけられ、真正面からロッテにキスの嵐がそそがれる。
そんなクロノをみんなで笑ってやる。思いっきり、腹の底からクーパーは笑えた気がした。
億尾にもせず周囲の目を気にせずにお腹を抱えて笑い続ける。

そんな、

そんな楽しい時間だった

 ユーノがいてなのはがいてフェイトがいてプレシアがいてリンディがいてアリシアがいて八神はやてがいてシグナムがいて
ヴィータがいて、みんな、みんないる、でもそれは本当なの? 杯に口付けながらクーパーは一人笑いをこぼした。
生憎、楽しい笑いではなく皮肉笑いだ。

 この楽しい時間とは裏腹に、自分の相棒がいないことに、そしてこの舞台がおかしなことにはもうとうの昔に気づいていた。
笑いは止まらない。嘘だ。全部嘘だ。違和感?兄との会話の節々にも何も気づかなかった?
この状況に疑問すら抱かなかったのか? どれもこれも違う。

 全部嘘だ。

 全部気づいていた。

 誰一人欠ける事の無いこの素晴らしい舞台に1人、もとい1匹足りない存在がいる事も。
クーパーがこの世界に甘えていたのはユーノがいたからだろうか、それとも自分が失った時間を。
そしてありえない状況にも関わらず皆が笑っているというこの場所が、あまりにも甘美で逆らい難かったからだろうか?

 色んな笑いが混ざって笑いすぎて、涙が出てきた。一頻りに笑いきると吐息を落としながら涙をぬぐう。
ゆっくりと、笑いが消えていった。でも、いい表情だったのかもしれない。みんなまだ楽しんでる。こんな世界、
2度と味わうことはできない。

「どうかしたのか、スクライア」

 近くにいたシグナムに声をかけられるも気にしないで、と返答しておく。
ついでにグラスをとり、シグナムが持っていたグラスに口付けの音を鳴らして乾杯、と今1度祝杯を掲げ酒を煽る。
胃に落とされる命の水は、ああ美味いと心から思う。こんな状況でなければこの人にこんな態度を見せることも無い。

 出会いが違っていれば、きっとシグナムもヴィータもいい友人になれたに違いない。騎士達はむしろ尊敬に値する人物だ。
4人ともだ。だから、

だから。

「シグナム」

「ん?」

「ありがとう、貴女に会えて良かった」

 無駄だと解っていても、クーパーはこの世界のシグナムに言わずにはいられなかった。
元の世界のシグナムがどうなるかは解らない。こんな声をかける事もないのだろう。
もしかしたら、先程の乾杯はシグナムと、そしてこの世界に対してなのかもしれない。

 そんな皮肉、今は考えたくは無いと思いながらもクーパーは踵を返しシグナムの元を去る。
杯も適当なテーブルに置いて、クーパーは一人、遺跡の中へと潜る。闇が彼を迎えた。
最初は皆の声が聞こえていたのに1歩また1歩と進む毎に声が遠のいていく。

 今ならまだ戻れる。

 きっとここは理想郷だ。いつまでも居続ければきっといい夢を見続ける事ができる。
そんな素敵な世界に別れを告げて、遺跡の行き止まりまで差し掛かると穴の中に体を落とす。
もうみんなの声は1声たりとも聞こえなくなっていた。

 これは夢だ。

 クーパーが望み、誰も欠ける事無く笑顔であり続けるという素敵なもの。
落下の後、遺跡の最深部にたどり着くと遺跡の中を見渡す。
暗く広い間。

 此処こそがクーパー・S・スクライアの始まりだった。
アルトとの出会いも兄弟の亀裂や喧嘩の発端も別れも含めて。壁に刻まれる壁画を眺めながら小さく呟く。
それは、自分が望んだ淡い夢を指でなぞり、確かめる行為にも見えた。誰もいない場所で自分を確認する。

「夢なんだ」

 両目の瞼を閉ざし甘い夢を思い返す。兄と、スクライアの人達との、そしてみんなとの記憶を。
どこまでも咲き誇る笑顔だけがあった。こんな世界の中で自分も笑っていたのかと思うとたまらない気持ちになってくる。
そんなクーパーに、背後から声がかけられる。あの時と同じく、あの人の声。

「クーパーはいつまでもここにいていいんだよ?」

 声の主は誰か解っていた。何度も何度も頭の中でリピートしてきた人物。そして求めてばかりいたユーノだった。
ゆっくりと振り返る。ああ、こうして目覚めている兄と向き合う事がもう一度できただけでも、短くも儚く幸せな夢だった。
確認を続ける。深呼吸を1つ。背筋を伸ばす。

「僕の名前はクーパー・S・スクライア。意地固くて皮肉屋でひねくれてる貴方の弟です」

「うん、知ってる」

「そんな弟が望んだ世界です。確かに甘美としか言いようがありません。正直、このままここに留まりたいです」

「なら、」

 ずっとここにいればいい。近づいたユーノは手を伸ばうとしたが、クーパーに触れる事は無かった。途中で手は下ろされる。
あまりにも真っ直ぐな瞳に見つめられ、頑なな意思に気づく。もう、これと決めたら覆さない者の目だった。

「どうしても、行くんだ?」

「夢は所詮夢でしかありません。夢を見る人間は、遅かれ早かれ目覚めるものです。違いますか?」

「ううん、違わない。その通りだね。でも、その言い方はシビアでクーパーらしいや」

 あはは、なんて苦笑いが落ち僅かな沈黙が舞い降りた末にクーパーが右手をポケットに突っ込み何かを探し始める。
でも直ぐに見つからない。探しながら尋ねた。

「1つだけ教えてくれませんか」

「ん?」

「ユーノ・スクライアにとっての盾。それから、結界師って何なんですか?」

その質問に対し、悩む素振りも見せずに答えが返ってきた。

「僕自身かな」

「………」

 ユーノがクーパーにより近づき、手を取ると自分の左胸にそっと添えた。直ぐに、心臓の鼓動が伝わってきた。
一定のペースで動き続ける命の囁き。

「僕は結界師として誰かを守ることができればって思う。攻撃手段は僕にはないけど、でも敵の攻撃から誰かを守るんだ。
少しでも誰かの役に立ちたい。それは結界師の盾としてだけだけじゃなくて、人としてもね。忘れないでクーパー。
誰かを恨んでしまった時、恨まれた人の気持ちを。恨まれた側はとても辛い思いをするんだよ。
逆に誰かに優しくできれば、その分人他の人も優しくもなれる。全てを、受け止められる強い人になって。
人は弱いよ。忘れないで」

 左胸に添えられていた手が離れ顔を俯かせる。クーパーが吐露したい心情としては無理ですの一言だった。
ユーノが倒れ、意識を失い気づけばここまで来ていた。
これが夢の世界で補正がかかっていなければ八神はやてやヴォルケンの面々は殺していたか殴りかかっていたに違いない。

 そんな浅はかな人間にユーノが言うことを守り通せると思うのか?
無理だった。顔はいつの間にか渋くなり、唇を噛み締めている。
ユーノとクーパーじゃ違いすぎる。この想い、どう処せばいいのか未だに解らずにいるのだから。
建前とは違いすぎる現実は酷く厳しい。

「クーパー、顔上げて」

言われた通り、顔を上げ口を開いたところでおでこにパチンとデコピンが叩き込まれる。
チクリとした痛みが走った。その上、左胸を指でトンと突かれた。

「辛い時は下を見ず前を向き上を見るんだ。良い事なんて地面には転がっていないよ。それに、僕はもうここにいるよ」

 ユーノが示すのは、クーパーの左胸を叩く指。心、だ。自分の存在を誇示するように、とんとんと叩いてみせた。

「失敗は誰にだってある。めげそうになってもめげちゃ駄目だ。僕もそれは同じ。
忘れちゃ駄目だよ、僕はいつでもクーパーの中にいるんだ。その形がこの盾だよ。僕の、いや僕達の盾は砕かれる度により硬く、
より強固になる。その気になればなのはのスターライトブレイカーだって、アルカンシェルだって防げる」

 唇が笑っていた。アルカンシェルなんて100万光年経とうとも防げる気がしない。そもそもあれは防げる代物でもない。
そんな馬鹿げたことを言う兄だから、涙がこぼれ、渋い顔に苦笑がこぼれた。馬鹿馬鹿しい、あまりにも馬鹿馬鹿しい。
そんなクーパーをユーノは忘れないでと抱き締める。

「盾は小さな力でいいんだ、僕達はいつも1人じゃない。なのはもいるフェイトもいるクロノもいる。
今のクーパーにはもっと多くの人がいるはずだよ。僕達は誰かを守って、誰かに頼って。
ほんの少しでもいいから優しくしてあげることを忘れないで。そうすれば、きっと」

 ―――きっといつか、みんな笑顔になれるから。

 ―――そんな夢物語の為の盾があったっていいじゃないか?

  誰かが泣いて苦しむよりよっぽどマシで。ユーノの肩に顔をおしつける。
この人がいなければ、路地裏でどんな生き方をしていたのも解らない。あの地獄の日々は消し去りたかった。
鼻水をすすりながら額を押し当てる。顔を隠してすすり泣く。

「…いつか」

「うん?」

「…いつか兄さんが戻ってきたら、」

「うん」

「…また、」

 それ以上続けていたら溺れそうになるのが解った。このまま泣き崩れて縋ってしまいそうな気持ちが渦巻く。
いつまでもここにいる訳にいかないとぐっと歯を食いしばるもユーノから離れられない。どうしても甘えがでた。

「…また一緒に、」

抱きしめられたまま言葉を濁す。言葉が思うように続かない。無数の想いが言葉にならない。
ユーノは笑っていた。背をなでてくれている。涙が止まらず言葉にならない。
嗚咽を繰り返してえずくのを他所にユーノは楽しそうに笑っていた。

「それは素敵だね。クーパー」

 大好きなユーノはクーパーの頭をぽんぽんと撫でて頑張りなと応援してくれる。こんなつもりじゃなかった。
もっと格好よく去るつもりだったのに、情けない。2人は離れ、クーパーはぐしぐしと左目の涙を拭いながら鼻水をすすった。
右手がポケットから眼帯を取り出し、右半分の世界を封じる。ここからは、もうただのクーパーだ。
この優しい世界に別れを告げる。

「…もう行きます」

「うん、またね」

 名残惜しさはあるが、踵を返しその場を後にする。アルトが元いた部屋を目指し歩く。どうしようもない程振り向きたかった。
夢に戻りたい自分がいるのを押し殺して、クーパーは前へと進む。その後姿を眺めながら、幻は1人涙を流す。知ってしまった。
自分が無力な存在であると同時に弟の真実を。傀儡の科学者の手により弟は歩む道は普通でないことは、確かだ。

「まだ、自分に気づいてないんだね」

 それがクーパーの耳に届いたかは定かではないが、前へと進み奥の部屋の扉を開くと意外な事にザフィーラの姿があった。

「…本物?」

 尋ねてみると、腕を組みながら壁に寄りかかっていたのがため息をつく。

「背負ってやった駄賃がそれか。スクライア」

 本物らしい。今一度鼻を鳴らしクーパーは笑ってやった。

「…はは、本物だ」

「よく解らないが急ぐぞ。時間が無い」

「…ああ。解ってる」

 1度だけクーパーは振り返った。でも、もうそこにユーノの姿は無かった。ただ暗い遺跡が見えるだけ。
むしろそれでよかったのかもしれない。また甘えたくなる気持ちぶり返すぐらいなら、居ない方がマシだ。
闇を見つめながらも目の奥ではあの人を見ていた。大丈夫、貰ったものは全部ここにある。

「…行ってきます、兄さん」
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