この物語に観客は少ない。それでも、手を叩く者の為に再び始めよう。
静寂の中でヴァイオリンは弦を押すように、片目が、関西弁が、騎士達が、魔導師が動き出す。
悲しみのと絶望とはちきれんばかり激情を迸らせる舞台を。人が人としての劣情を走らせても尚生ける有様を、誰かに見せる為に。

 カーテンコールまではノンストップ。クーパーが盾としての新たな何かを見る為にも。
観客席に座る1人の男は、興奮に身を浸しながら一人忍び笑いを漏らす。

「楽しみだよ、クーパー。でもまだだ、まだ物足りない。君の絶頂はこんなものじゃないはずだ。
君のカルマはまだまだ先にある。ああでも……君の根本に似るモノは目の前にあるしなぁ、
Fの遺産には手を貸したけど、まだ見えぬ闇の書の主はどうするんだい?
殺すかな?くくく……いいな、いいな!! 君が殺人鬼になったらここに招待して生の声で語り合うのも楽しそうだ!
その時は腕もいいものをあげよう。クーパー。もっとだ。もっともっと楽しませてくれたまえ。ああ。本当に楽しみだ。
はやく私に楽しい楽しい実験材料をおくれ……」

 止まらない笑いを抑えながら、一人開演を待つ。名は、ジェイル・スカリエッティ。
クーパーと同じSの男。黒猫は胡散臭い瞳を向けていた。





 雪だ。97管理外世界も雪が降る季節になった。何か着ていないと風邪を引いてしまう季節だ。それでも、冬には冬の味がある。
冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ時の匂いは嫌いではなかった。ピンと張った空気も冬でなければ味わえない。
その冷たさの中の心地良さにどれだけの人が気づくのだろう。手と足が冷え切り寒さに身を震わせたとしても。

 口許から出る、白い息は好きだった。何度も何度もその白い息を楽しげに見ていた。子供たちは、健気にはしゃぎまわる。
そんな外の様子を、暖房が入った図書館の中から見るクーパーだった。
他の人が来ないような資料のような本棚の近くの窓際にいる。

 そっと窓に指を添えてみると、外の冷気がひやりと指を冷やす。中の暖房も相成って水滴が指につく。
少し指を動かせば絵を描いているようだった。外に見える子供達は鞄を背負い、楽しそうに走りながら友達と帰宅していく。
こけると危ないのに。指を動かす。水滴を帯びた窓ガラスに絵を書いて遊ぶのかなと経験の無い子供心を探る。

 本を読むか資料を漁るか遺跡を調べることばかりのクーパーとは大違いだ。水滴に濡れた指を袖に押し当てて拭うと、
グレアムについての資料を思い出す。クロノの話にあった特殊製造されたデバイス。名は氷結の杖デュランダル。
名前の通り、極大の氷結魔法に特化して並大抵でない化け物クラスのドラゴンや、化け物を凍結魔法で封印できるらしい。

 クロノは闇の書もろとも封じるのではないか、と言いながらも闇の書を完全封印は不可能だと言っていた。
押しても引いても洒落にならないロストロギア・闇の書。と思うが化け物なのは今更な話だ。
下手をすれば10年後、20年後、30年後も出現するのはありえない話でもないがグレアムは蒐集を進ませ、

 闇の書を完全封印をもくろんでいるでは? という話も出ている。
曰く、あの提督は10年前の闇の書事件で当時部下だったクロノの父を失ったらしい。その負い目だろうか。
クーパーも、解らない話ではないと思った。むしろグレアムの立場ならそれはあの騎士達も同じだ筈だ。

何かに縛られた人間は一途にその想いを貫こうとする。強迫観念にも似た何かを。
クーパー自身そうだ。だから、"僕"は"僕"を貫こうとしている。
我がものを言う。ユーノがいない世界に招かれたクーパーの激情の火は未だ燻る。

 窓越しの冷気を受けながら外を見つめる。白い息は出ない。この時、クロノからクーパーに知らされていない事実が一つあった。
グレアムは97管理外世界の口座から定期的に金が振り込まれていることに。その先はまだ調べている最中だから口をつぐんだが、
それが思いもよらぬ方向に向かうとは、思いもしなかった。と、左目は窓の外に月村すずかを見つける。

 向こうも気づいたようで、手を振ってきた。迷うものの遠慮がちに小さく手を手を振りかえす。
直ぐに図書館の入り口の方に足を向けてしまった。こちらに来るのだろうか。仕方が無いのでその場で待っていると、
直ぐにすずかが姿を見せた。

「こんにちは、クーパー君」

 笑顔を作り頭を下げる。

「…どうも」

 はやてという緩衝の役割を担う人物がいなくてもぎこちなさはなくなってきた。

「…今日は、アリサさん達と一緒じゃないんですね」

「うん、私も後で本返したら直ぐ帰るよ」

「…そうですか」

 他愛の無い返事を繰り返しながら雑談を繰返す。
それも仕方ないと諦めをつけておく。

「また今度、アルトと一緒にうちに来てね?」

「…喜んで。紅茶も話も、とても有意義でした」

「うん、待ってる」

 猫好き、と認識されているのか。猫好きの同士と認識されているのかは知らないが、
猫繋がりと認識されているのは間違いないらしい。月村すずかとの関係は嫌ではないがよく解らなかった。

「そうだ。今度アリサちゃんとなのはちゃんと、はやてちゃんのお見舞い行くんだけど
クーパー君も、行く?」

 ああ、と思い出す。はやては今入院しているらしい。もうほとんど図書館に姿を見せなくなっている。
前々から体が悪いのは聞いていたし1度ぐらいは見舞いにとは思っていたものの、
騎士達との面倒続きで後回しになっていたのも事実だ。

「…ええ、お邪魔でなければ」

 それを聞くとすずかは嬉しそうに笑う。

「良かった、はやてちゃんも喜ぶよ」

 それを聞いても、素直にうんと言えないのがクーパーだ。少しだけ首を傾げる。

「…そうでしょうか?」

「勿論っ」

 図書館の中だからおっとと声を窄める。腕時計を見ると思いの他時間が進んでいたらしい。
そもそも、クーパーの為に態々寄るあたりがいい子なのだろうが。

「本返して、寄らなきゃいけないところがあるから、またね」

「…ええ」

 じゃあね、と手を振り、クーパーも小さく手を振ってすずかを見送る。また、1人に戻った。
妙な気分になる。月村すずか、八神はやて、彼女達を"友達"と認識しているからだろうか、
離れると僅かな寂寥感が寄り添う。

 寂しい、と感じる自分がクーパーは不思議でならなかった。
2年間1人でいて何も問題はなかった。高町なのは、フェイト・テスタロッサと一緒にいた時とも違う何かを感じる。
それが何なのかは解らなかった。埃臭い本棚を眺めながら疑問に耽る。クロノ・ハラウオンは兎も角として、あの2人は。

 本の繋がりや話しやすい話題というのもあるが怪しげな仮定を打ち出してみる。自分を理解してくれる人を求めているのかと。
でもそれならばアリサ・バニングスの方が早そうだ。
彼女は年相応に見合わぬ知識を持ち、むしろ感性は一般人のそれを上回っている。

 クーパーが水面を覗くと違う違うと透き通りかけた感情に否定されてしまう。何なのだろうか。
友情か? それとも恋愛感情か?……違う違うと水面は波紋を寄越す。テトリスのブロックを動かしながら、
当てはまる部分を探すように。1つだけ嵌ると肯定される。思わず、口に出していた。

「…兄さんがいなくなって寂しいから……?」

 認めたくない擦れる小さな声だった。でも、言っている事は自分でも理解はできていないのに、
心は頷いているのに違和感を感じる。クーパーの穿たれた穴を埋める優しさだというのだろうか?
様々な問いかけを心に投げかけてみても、心は違う違うと否定するばかり。パズルは上手く組みあがらない。

 にしても、ユーノの代打という安さがクーパーは気に食わなかった。彼女達は安易な道具ではない。
嫌気が挿しているのに気づき考えるのを止めた。頭の中がぐちゃぐちゃしてしょうがない。窓際を離れ館内を歩き始める。
本棚の林を歩く。左目が本の背表紙を見ては次へ、見ては次へを繰返す。

 ここ暫く、仮面の者達は姿を見せてはいない。いや、仮面でなくリーゼアリア、そしてリーゼロッテだったか。
不気味な程に沈黙を護っている。グレアムが動く理由を資料通りかつ安直に導くならば。私怨か負い目か責務か。
それとももっと深い理由か。思惑がなんであれ傍迷惑なことには変わりは無いのだが厄介な話だ。

 途中、気になった本があると足を止めて手にとって開いてみる。

 面白ければ読書魔法で速読しつまらなければ本棚に戻す。興味が失せるとまた歩き始める。
10年。それは長いようで振り返れば短い年月だ。人間は80年生きれば御の字。
仮に、今回も蒐集が完了しアルカンシェルが使われれば10年後に再び闇の書は現れる。

 人間、歩くのは長いが振り向くのは簡単だ。言うと同じく行うもだ。よぼよぼになって振り返れば呆気ないものだろう。
老獪な9歳児しみじみ思う。そして、先程も肯定したが、グレアムがやろうとしていることをどこか肯定するクーパーもいた。
私怨に走り使い魔を弄して独断に動く事。組織的、人道的観点で言えば論外だろうが人間としては間違っていないと考えてしまう。

 その辺り、クーパーも歪んだ人間なのだろう。口は出せない。

 10年は長く、そして重い。過去より現在に至るまで、提督が腹に溜めたものは計り知れないはずだ。
10年前のクロノの父はクライドというが、クロノはまだ幼くリンディという妻がいたはずだ。
そんな部下を自らの手で危めた人間の所業。その人間の立場になれば、否定できる筈も無い。

クロノの立場からすれば言語道断なのかもしれないが。そして多分騎士達も。
と考えたところでクーパーは考えを振り払った。グレアムはまだしもあの連中の身になって考えたくは無かった。
誰も彼も己が最優先。グレアムも騎士達も、そしてクーパーも。

 自分の意見を優先させることの何が悪いと言えばそれまでだ。
悲しみや憎しみがあるとしりながらも"己"を貫き通す姿を見てしまうとなんとも言えない気分になる。
瑣末な話をすれば、日頃のなんでもない話しでもそう。何かを押し通そうとすれば、第三者が苛立ちを覚えるのも確かだ。

 それに気づかない人間はある意味幸せかもしれない。ふと、クーパーの足は児童書で止まる。
大き目の文字にカラフルな背表紙が多い中、目に止まった大きめの本があった。
手に取る。少し傷ついた表紙に触れ指の腹でなぞってみる。題名は子供でも読みやすい平仮名を崩してこう書かれていた。

おおあめ さん

 左目が大きな本を眺める。絵本のようだ。読書魔法は走らせずに表紙を開いてページを捲っていく。
大きな絵、大きな文字で飾られていた。絵本は読んだ事は無い。
それでも、きっと母親に抱かれながら小さな子が読んでもらうのだろうと感慨に耽る。

 ページを捲れば、物語が進んでいく。

ざー ざー あめがふります。

ざー ざー きょうもいっぱい あめをふらせます

ざー ざー おこっているひと わらっているひと ないているひと いろんなひとに あめをあげるよ

ざー ざー いろんなところに あめをあげるよ

ざー ざー

 そこまで読んだ時、ページを捲る手が止まった。いつからいたのか。隣で、クーパーより小さな子がじっと見上げていた。
当然見知った顔ではない。言葉も無く子供と眼が合う。何か言いたそうにしているが口は噤んだまま訴えかけてくる眼だった。
幼子の意図も解らぬままでいると、母親らしい女性が姿を見せて、クーパーが持っていた本に気がつくと小さく笑った。

 幼子の頭に手を伸ばし撫でる。

「お兄ちゃんが読んでるから、今日は諦めなさい?」

 子供に諭しその子が意図がようやく解った。幼子は今読んでいる絵本が欲しいのだ。
両手が本を閉ざし、本を差し出す。すると暗かった子供の顔が晴れた様に明るくなる。
クーパーと、母親を見比べてからおそるおそる尋ねる。

「いいの?」

「…うん、いいよ」

「ありがとう!」

 両手で絵本を受け取り、花のような笑顔をくれる。母親にも「ごめんなさいね」と一言頂いた。
子供は片手で本を抱かかえながらポケットを探る。

「……?」

「はい!」

 差し出された掌の上には、包装されたキャンディが一つ。見るからにはくれるらしい。
いや、と切り替えして断ろうかと思ったが、無碍にするのも可哀相だった。

「…いいの?」

「あげる!」

 ありがとう、と告げてそのキャンディを受け取る。笑顔の母親と、本を抱え軽い歩調の子供はその場を後にする。
そんなやり取りがクーパーの耳に残り、手の中には受け取ったキャンディが1つ。包装を開けて口の中に放り込む。
舌で転がせば口の中で柔らかい甘さが広がった。小さく喉笛が動く。

 世界が常に、雨降って地固まればどんなにいいか。多種多様な人間が蠢く数々世界の世界で地は歪んでいるか砕けている。
1度だけ、クーパーの目は今しがたの母親と子供の姿を思い出す。あの子供に邪な気持ちはなかったはずだ。
本を譲ってくれてありがとう、ただそれだけだ。世界がそんな純粋さに溢れていたら、どうなるのか。

 あの子の笑顔を思い出すと、皮肉を吐く気にはならなかった。
口の中で飴玉が首を傾げた。






 はやての見舞いに行くことになった。図書館ですずかに言われた通り3人+クーパーになる。
アースラから高町家前に転送してもらい、途中で花を買ったりはやて用に本を買ったりしてから残りの2人と合流する。
買った花を見てアリサは「随分明るい色ね」と突っ込んできた。その上で、「上出来じゃない」と評される。

 相変らず蛇と蟇蛙の関係は変わらない。苦笑する。病院なんて何処も同じで到着した建物を見上げるとカルナログを思い出した。
当然、脳裏を過ぎるのは兄の顔でしかない。憂鬱さを引きずりながらはやての病室へ。
すずかとアリサは既に見舞いに訪れたことがあるらしい。

 受付には立ち寄らずエレベータに乗り、目的の階まで赴く。すずかとアリサが言う部屋番号に向かい歩いていく。
809号室、という声に導かれてクーパー達は八神はやての病室に到着する。
すずかがドアをノックすると、中から「どうぞー」というはやての声が聞こえてきた。

 扉は開かれる。すずか、アリサ、なのはと続いてクーパーが入ろうとして足が止まった。
病室の中にははやてのベッドの直ぐ近くの椅子に腰掛けるヴィータ、そしてシグナム。話したことは無いシャマルがいた。
思考が止まった。心臓が死神に握り締められる。

 何も考えられずに頭の中が真っ白になった。それでも、全身は粟立ち波のような悪寒が走る。
感情が激しく揺れた。海は沸騰し消え去る。海の底にいる無数の餓鬼が哂った。
左目は騎士達を凝視し続け。ヴィータは厳しく、シグナムは難しい顔を、シャマルは困った顔をしている。

 ジグソーパズルが一気に出来上がり絵ができてしまった。
後は、崩すだけだ。

「クーパー君?」

 病室に既に入っていたすずかが声をかけられた。入り口で立ち止まったままだ。
クーパーは仇を目の前にしている。なのはも戸惑いを隠せないようだ。顔に戸惑っていますと出ている。

「ちょっと、なにやってるのよ。早く入りなさいよ」

 アリサにまで声をかけられる。クーパーは左手を硬く握り締め、真っ白にし ながら自分を保つ。
床と同化したような重い足を、1歩、また1歩と前に踏み出す。
適度な場所にまでくるとようやく足が止まる。

”駄目だよクーパー君、今は、抑えて ”

 なのはの念話にも応じなかった。眼差しも向けられるが見向きもしない。

「はやてちゃん、具合は大丈夫?」

「うん、来てくれてありがとなすずかちゃん。最近は調子ええし、順調かな?」

 他人事のように、心配する声と気遣う声が聞こえた。
ヴィータはクーパーを睨みつけていた。思い出される戦闘の記憶の数々。
ヴィータは言っていた。手前だけは許せない、手前はこのままにしておくわけにはいかない。

 シグナムも言っていた。不安の種を除くと。
騎士達がはやてに侍る意味は1つしかないはずだ。
猛る心臓は左胸に手を当てずとも鼓動が全身に響く。

 クーパーの左目がはやてに向けられる。
目が会った。

「クーパー君綺麗な花買ってきてくれたんか、ありがとな」

 でも、クーパーは何も言わなかった。病室に沈黙が走る。
なのは今すぐクロノに来てもらって引きずり出してもらいたいが連絡も取れない。
クーパーがどんな行動を起こすか全く解らず、またヴォルケンリッター達もどんな行動を取るか解らない以上動けない。

「ほ、ほらクーパー君。お花、おはなっ」

 なのはが取り繕うとクーパーの身体がびくりと動くが、何か言おうとしても言葉にならない。

「何やってるのよ、まったく……」

 アリサがその花を奪って、はやてに差し出す。

「はやての前だから緊張してるんだって」

「あは、そうなんかクーパー君」

 それにも何と言っていいのか解らず、クーパーは口ごもってしまう。慌ててなのはがカバーに入る。

「う、うんそうなんだよはやてちゃん!、お花屋さんでも凄い真剣に悩んでたし、最近もはやてちゃんが
図書館に来ないからってすっごい寂しそうにしてるんだよ」

「そうなんか…それはちょっと照れるなぁ」

 本当に照れ笑いをするはやて。でも、しばらくするとクーパーが復活して動き出した。電池切れの壊れたロボットが、
修理して動き出しましたと言う風に。大きく息を吸い込んでから朗らかな笑顔を浮かべる。
尤も、後ろに回されている左手は強く握り締められていた。

 力の入れすぎて真っ白になり打ち震えている。

「…ごめん、八神さん。ちょっと色々考えすぎちゃって」

 笑顔。

 笑顔。

「そうなん?いやー、ごめんな図書館にもいけなくて。良くなったらまたいくから、相手したってな?」

 笑顔。

 笑顔。

「…それは、勿論」

 改めて、ヴィータとも眼が合う。あからさまだろうとなんら問題無く受ける。

「こらっ」

「いだ!?」

 そんなヴィータに、はやての拳が落ちる。

「なんでそんなにクーパー君睨んでるん。あかんやろ」

「だ、だって……」

「だってもない、あかんよヴィータ」

「うん……」

 ヴィータが小さい子のようだった。それを見ているクーパーの右腕に血管が浮きでているのになのはは気づいた。
はやてからは見えないようにこっそりと動く。気が気でなかった。

”クーパー君”

 再度念話で呼びかけてみるが返事が無い、ちらりと様子を伺うと、やはり八神はやてを見ている。表情は割りと普通だが、
何を考えているのか解らない以上、怖くてたまらなかった。

"駄目だよ、クーパー君!"

”…ええ、解ってます”

 反応は帰って来たが何が何を解っているのか怪しかった。頭を抱えたくなる。
今はすずかとアリサがはやてと話しているものの、居座り続けるべきじゃない。

 なのははクーパーを引きずってでもこの部屋を出て、アースラに戻るべきだと考えた。
最低でもこの病院から出るべきだ。123でごめんなさいと切り出そうと決めた。

「はやてちゃん、私達なのはちゃんとクーパーにお話したいことがあるので、ちょっと失礼しますね」

「私もです」

「あたしもだ」

 ヴォルケンリッターの3人が3人、顔には出さないものの挑戦的な態度を見せる。なのはは胃が潰れる思いになる。
この状況で3対2はよろしくない。この場で始めないのがせめてもの救いなのだろうか。
シャマルの言葉にクーパーが頷く。

「…ええ、僕も話したいことがありますので。是非」

 なのはの心情を表すならば、ムンクの叫びだろうか。耐え切れずエイミィに念話を発しているが繋がらない。
よくよく考えればここは敵の巣なのだ。

 騎士達が先に部屋に出るが、クーパー、なのはにすれ違う際、ヴィータから逃げんなよと念話が送られてくる。
クーパーは思わず口許を隠した。

「…来たばかりなのにすみません、八神さん」

「あ、うん」

「…ええ」

 それだけいうと、クーパーも踵を返して部屋を出て行く。この時、黒い毛を部屋に落としていったことには誰も気づかない。
なのはも適当な挨拶を済ませると、クーパー、そして騎士達の後を追う。それぞれがエレベータの前で足を止めた。
3対2が向き合う。緊迫した空気だった。

「ぜってぇー……許さねぇ」

 軋んだような、ヴィータの低い声が落ちる。凄まじい形相で睨まれていた。クーパーは無言を貫く。
この嫌な空気の中、まだかまだかと待ち続けようやくエレベータが到着する。扉が開けば中は空。
なのはには棺桶のように見えた。

 5人が乗り込むと、シグナムが屋上のボタンを押して、棺桶エレベータの扉はゆっくりと閉まり個室になる。
僅かな震動が体を揺らした後、上昇を開始する。その中で、壊れた玩具にスイッチが入れられた。

「…っ……ぷっっ……くくっ……っくっくっくっく……」

 クーパーが笑い始めた。低く、人を小馬鹿にしたような笑い方だ。
4人の眼を集め、それでも尚、笑いを抑えきれずに口許を抑えて笑い続けた。どうしようもないぐらい楽しそうだ。
ふぅと一息ついた時、エレベータは一階、また一階とスムーズに登っていく。

「…お前達が僕を襲い続け、敵意を剥き出しにしていた理由はこういうことか、シグナム」

 口を歪め、喜悦を持って二人を睨みつける。ええどうなんだ? という疑問を垂らしていた。

「…僕が八神はやてと繋がりがあるから危機感を持ち狙い続けた。ヴィータ。お前にとって僕はただ邪魔な存在だったから?
友人というポジションにいる僕が目障りだったから? 管理局の人間がいて危うかったからあんなに怒ってたのか」

 なのはは、こんなクーパーが見たことが無い。そして、こんな笑い方をするのも知らなかった。
ヴィータとシグナムもまた顔を顰める。

「…ああ、そうそう。シャマル。始めましてじゃないですよね?」

「え?」

 問われて、戸惑った。顔を突き合わすのも、口を交わすのも初めてのはずだが。
ニコニコと笑いながら、楽しそうに片目はのたまった。

「…見覚えがあると思ったよその指輪。僕のリンカーコアを抜き取って蒐集してくれたね。
ありがとうございます。あの時は今までの人生で2番目苛立ちました。その腕、切り取ってあげたかった」

 返事はない。あったのはただの強張った顔だけだ。棺桶エレベータがやや大きめの振動で止まる。終点である。
Fマークが点灯した。誰も降りない。扉が閉まろうとするのをクーパーの手が抑えこむ。
ガゴンッ、と音をさせながら扉はまた戻っていく。騎士達を一瞥した。

「…礼儀正しい騎士の皆さん。人の幸せを奪って自分達が幸せになるっていうのは、どんな気持ち?」

 回答は無かった。なかなかドアが閉まらないエレベータが、ビービービーッと警告音を流し始めた。
早く閉めろと言っている。

「…お先に」

 まず、クーパーが降りた。残されるは4人、なのはは降りようと思いながら3人を見た。

「あの…悪いようにはならないと思いますから、投降……」

 小さな尋ねたが返って来るのは解りきった沈黙だった。仕方なしとなのはも降りる。
それに続いて、シグナム、ヴィータ、シャマルが棺桶を降りた。エレベータの扉は閉ざされる。
屋上に2人の魔導師と3人の騎士。棺桶で運ばれたのならばここは黄泉への途中だろうか。

 なのははエグゼリオを握り締める。
切り出したのはシグナムだ。

「もう止まれんのだ」

 続けてヴィータ。

「そうだ……ッ私達ははやてと一緒に、幸せに暮らすって約束したんだ、だから……だから!!」

 シグナムも、ヴィータも、本当はこんなことしたくないとばかりに声を詰まらせる。
しかし、クーパーの声は酷く冷めていた。

「…なら、管理局に投降して主の身を案ずるという選択肢が何故無いんだ」

「ふざけんな!! あんな連中信用できっか!」

「…管理局が全て良いとは言わない。でも闇の書の主を即刻死刑にするような組織じゃないけど」

「手前に何が解る!!はやては病気で、もう後が無いんだッ!!
闇の書さえあれば体は治る、あたし達と一緒に幸せに暮らす事だってできるんだッ!!!!!」

 泣きながらヴィータはわめき散らす。左目が細くなる。解ろうともしなかった。いや、解りたくは無かった。

「…お前達がしていることは八神はやてを殺そうとしているだけだ。過去数100年の間、
全ての蒐集が完了した闇の書はバグまみれの防衛プログラムが当時の主達を飲み込んで暴走しただけだ。
力を得た主なんて1人も無い。暴走は個人の魔力で抑えきれるような生易しいものじゃないし言ったはずだ。
過去どれだけの人と世界が迷惑を蒙ったと。暴走した防衛プログラムは触れたものに侵食し、
転移しながら無差別破壊を繰り出すだけの破壊の化身になる。蒐集が完了していない時点なら闇の書の主は助けられる。
でも、蒐集が完了して暴走体に取り込まれたら管理局が取れる手段はただ1つ。アルカンシェルで闇の書を転生させるだけだ」

「それを」

 シグナムが、剣のペンダントを取り出し身を紫の炎に晒す。直ぐに騎士甲冑を纏い剣をクーパーに突きつけた。

「私達が信じるとでも思っているのか?」

「そうだ!!」

 ヴィータも同様に、鉄鎚を騎士甲冑をまとう。シャマルも同様だ。そして、結界が張られる。どうあっても戦うしかないらしい。
解り切った答えに吐息を落とした。

「…信じる信じないはそちらの自由。でも、お前達には八神はやてが死んでも次の主がいるから些細な事だよね」

「んなわけあるか!」

 クーパー、そしてなのはがバリアジャケットをまとう。エグゼリオも手にしていた。叫んだのは、シャマル。

「はやてちゃんは私達を大切にしてくれた……、」

「…そんなに大切なマスターならホルマリン漬けにして闇の書にでも埋めておけばいい」

 その言葉に、ヴィータの理性が弾けた。アイゼンを手に飛び出していた。

「クーパーッ!! 手前は、手前だけは……ッ!!!」

 当然とばかりに盾と鉄鎚が合間見える。その時、なのは両足を深く落としエグゼリオを構えた。
目を閉ざし、ゆっくりと落ち着いたチャージを初める。

「ハァアア!!」

気合一閃、シグナムの斬撃がなのはに伸びるが、クーパーの右手からの盾に防がれる。

「スクライアッ!!」

「てめえぇえ!!」

 怨嗟の声が響く。全て防がれる。片目の盾の硬さは、騎士達も身を持って知っている以上、苛立ちが大きい。

「…悪いけど、お前達の相手をしている暇は無い。失策は2つ。
1つ、重砲撃魔導師のなのはさんと僕を分離させなかったこと。
2つ、君達の主は今、護衛が誰もいないこと。おかしいね。僕といつも一緒にいる黒い獣がいないね、どこにいるのかな?
あれ?君達のご主人様のところかな?」

 嫌な笑いを浮かべる。3人が3人、愕然とした。
目の前の餓鬼から念話が飛んでくる。

" …八神はやてを殺す "

「ふざけんなぁぁぁーーーー!」

ヴィータの絶叫と共に、なのはがスタートする。

「ディバイン……!!」

 カートリッジの空薬莢がガシュンガシュンと音立てて飛び出していく。桃色の魔力が、緑色のコアを覆っていた。

「バスターーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」

 一直線に結界に噛み付くと、シャマルに苦悶の顔が浮かぶ。
おまけだ、とばかりに嫌味のライドスナイプをクーパーはシャマルに叩きつけておく。そして、軽々と結界は砕かれた。

「スクライアッ!!!!!」

「待ちやがれ!!!!」

 前衛の騎士2人が鬼の如く飛び掛ってくるが、もう遅い。クーパーはずれていた眼帯をなおしながら嬉しそうに笑った。

「…僕の大切な人を奪ったんだ。代償は払ってもらうよ。役立たずのポンコツプログラム」

 転送魔法が発動し、なのは、そしてクーパーの体がその場から消失する。そして

 八神はやての存在も、病院からロストし舞台は急展開を迎える。




【Crybaby.-Classic of the A's10-】


 なのはとクーパーは一時アースラに戻ったが、直ぐにクーパーは姿を消した。
闇の書の主のあらましと現在の状況と、さらにクーパーが姿をくらませたことを聞きクロノは舌打ちを放つ。
闇の書の主を拉致したのだろう。もしかすれば、殺すかもしれない。あれほど兄を奪った奴が憎いと言っていたのだ。

 目の前に餌をぶら下げられて噛み付かない訳が無い。アースラ総動員でクーパーを探す中、オペレータから急な報が入った。

「第97管理外世界海鳴で、仮面の男2名と騎士3名の戦闘確認!」

「な……っ」

何故、というのはもう野暮だろうか。一体、何がどうなっているのか。



 軽い痙攣のように手は震えていた。

 夜の学校。薄暗い教室の中でクーパーは、机に腰掛けながら震える手でペットボトルを握っていた。管理局、騎士達、
そして仮面の男達から逃れる為に、幾重にも結界を張り準備は整った。足元ではアルトが寝そべっている。
そして、教室の一番後ろ、並べられたロッカーに背を預けて座っている八神はやて。まだ、意識は無いのか俯いたままだ。

 アルトが誘拐し、転送を重ねて逃げてきた。誰にも捕捉はできていないと確信する。今だけは、
クーパーだけが八神はやてを処することができる。左手で握りこんだペットボトルが、メキメキと音を立てて潰れ、
中の水が漏れ出した。涙のように腕を這い、床に落ちていく。それを手放すと手にまとわりつく水滴を残し、

 ペットボトルは軽い音を立てて床の上に転がった。

 机を離れるとはやてに近づいていく。パジャマのような病院服を着ている。
焦げ付く程願っていたにもかかわらず、さっさと殺してしまわない優しさにクーパーは惑う。
水面に浮かぶ波紋は言う。良いの? 八神はやてとの関係を崩しちゃって、本当にいいの?

 衝動と優しさが手を引き合う。
同情もした。
哀れみもした。
本を手に共に過ごした。

 殺す殺さないという2つの力が綱引きを続ける。

「…………」

 顔を歪める。唇を噛み締める。嫌いじゃなかった。八神はやてという人間は好きな部類の人間だった。
はやての前で腰を下ろす。濡れていた左手がはやての頬に触れる。柔らかい頬。
まだ大人の艶と呼べず子供らしい。病人だというのに。

 冷たさに触れたのか、八神はやての体はびくりと動き睫毛がぴくりと動かした。
感情の海は大きく変化する。憎しみ一色だった世界は真実を飲んで混沌としているが。
海の底にいるものは憎しみの群れでもカオスでもなかった。

 それに気づいて唇を噛んだ。
顔を顰める。震える手で頬から目尻へとなぞっていく。恋人ならば口付けて愛を囁く。
カオスは囁いた。八神はやてを殺しても、殺さなくても騎士達は転生する。

 10年後にまたのさばり主主といいながら蒐集をするのだろう。

「(…それは少し悔しい)」

 はやてに宿る温もり。これを騎士達は望んでいるのだろう。
でも処す前にどうしても確かめねばならない事があった。

「ん……」

 はやての顔が動いて左手が触れる頬がずれた。睫毛が動き瞼が僅かに開いた。半開きになる。
まだ覚醒しきっていない意識の中瞳孔がクーパーを捉える。唇が動いた。

「クーパー君……?」

「…うん、そうだよ」

 はやての瞳はぼんやりとクーパーを捉えている。クーパーの左手が、優しく頬を撫で付けた。
まだ覚醒しきっていないはやての瞳を見つめながら、クーパーは優しく語り掛ける。

「…もっと早く、はやてに会いたかった」

 そんな言葉にはやては戸惑った。どういう意味なのだろうか、と。
そして、丁寧語でなく名前で呼ばれていることにますます混乱したようだ。表情に戸惑いが見える。
頬から手を離し、膝に手をかけてよいしょと立ち上がる。近くの席に置いてあったコンビニ袋から
ペットボトルを取り出し、それを手に戻ってくる。はやての前で、再びよいしょと腰を下ろし床に座り込んだ。

「…水いる?」

ぼんやりとしていたはやては頷いてペットボトルを受け取ると、封を開けて口をつける。
ごくごくと喉に清涼感のある水を喉から食道へ、食道から胃へと落としていく。ある程度で口許を拭う。

「って、ここどこなんかな…?私、すずかちゃんとアリサちゃんと話してて……」

「…覚えてないのはそこから?」

「う、うん……その」

「……うん?」

「あんな、どうしてクーパー君がおるん……?ここ、どこ……?」

 やや不安気に尋ねてくる。うん、とクーパーも頷いてみせる。

「…あのね」

「うん」

「…先に謝る。実は僕、アメリカの大学うんぬんっていうのは嘘なんだ」

 はやての目が丸くなった。

「そ、そうなん?」

「…うん。それからね。この世界の人間じゃないんだ」

 それを聴いた時何の冗談を、と思ったが頭の中であることがひっかかった。シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ
非現実的な家族がいるではないか。

「…僕はね。魔法の世界の住人なんだ」

 笑顔はなかった。しかし、作った表情というのはよくわかった。

「…でね、どうしても確かめたいことがあってこの世界に来たんだ。そこで色んな人にあったよ。
八神さんにも会えたしね。シグナムとも、ヴィータとはよく戦ったよ。強かった。ずっと探してた。」

 言っていることの意味が理解できない。戦う?誰と?

「く、クーパー君?」

 クーパーは一度立ち上がると、ポケットからあるものを取り出してから、膝を折りかがんだ姿勢ではやてと向き合う。

「…ずっと探してた。会いたかった。会いたくて会いたくてしょうがなかった」

はやても歯が浮くような台詞を言われ、言葉が詰まる。右へ左へ、意識が転がされるような気がしてうまくものが言えなかった。
そんなことは知ってか知らずか、左目は僅かに落とされる。そして呟きも落とされた。

「…傷がね、疼くんだ」

目線は床を張ったまま、はやての手にはペットボトルが握られたまま。
言っている意味は、まだ解らなかった。言葉が続く。

「…疼く度に言い聞かせてきた。忘れるな、立ち止まるな、腕が千切れてもいい。死んでもいい。
お前が立ち止まるのはここじゃない。足を止めるのは片がついてからだ」

「な、なん、」

 左目が戻り、目線ははやてを貫いた。その瞳孔に直視されると恐怖が浮き上がる。
訳の解らない恐怖が纏わりついてくる。ペットボトルを掴む手が縋るように、僅かに動いていた。
右腕の袖を捲り、包帯を晒す。

「…この傷が無かったら憎しみは消えていた。今も、そうかも」

 指先が包帯を引き裂く。床に白い螺旋階段が降りてくる。腕を覆っていた包帯が全て取り払われると、」
悪魔の口のように歪み、黒ずんで笑う傷が露呈する。縫合している糸が牙のように見える。
グロテスクな様相にはやては身を硬くしてしまう。

「…これはシグナムに斬られた傷。ヴィータにはコンクリートに埋められかけた。シャマルにもザフィーラにも世話になった。
4人とも殺せるなら殺したかったけど出来なかった。それが幸いだったのかは解らないけど、兎に角会えて嬉しいよ」

 怯えた瞳と貫く左瞳が向かい合う。はやての体は震えていた。
頷きながらゆっくりと言葉を吐き出す。

「…ずっとずっと会いたかったよ。闇の書の主」

 はやては震えた声で返事をしようとしたが言葉になっていない。何故その本を知っているのか、全く理解ができない。

「…質問に答えろ。回答内容によっては殺す。黙っていてもだ」

 クーパーの指先が光っていた。
暗い中でも怪しい光を放ちはやての眼がそれを追う。ペットボトルから垂れる水滴が、幾度と無く床を叩いている。
それが彼らの僕と私の何かだったのかもしれない。






「…深呼吸を繰り返してから水を飲むといいよ」

 それほどまでに、はやては見た目に怯えていた。
病人で、華奢で、女の子で。もしもこの事件に関わりが無ければ罪悪感で胸が押し潰されてる。目を逸らしながら溜息をつく。
やりづらい。はやてはうんともすんとも言わずに固まっていた。握るペットボトルの水滴が手にまとわりついている。

 クーパーは立ち上がると溜息をつく。

「…首を振るだけでもいい、君は守護騎士達に闇の書の蒐集を命令した?」

 それにはやては首を横に振ってから、意外にも口を開いた。

「し、してへん。私は何も命令なんかしてへん……」

「…それなら」

 闇の中から何かがのっそりと動き、近づいてくるのにはやては気がついた。
思わず、呼吸を止めてしまう。金色の双眸の獣がゆったりと近づいてくる。
クーパーの近くまで歩みよると、鼻っ面を彼の足に擦り付けていた。心臓が激しく動く。逃げたい、が

 足は動かない。苦虫を潰したようなクーパーの顔に、左目は酷く印象的だった。

「…君は騎士達が蒐集をしているのを何も知らなかった? 知っていた? それとも見てみぬ振りをしていた?」

 それを聞いた時、はやての脳裏に浮かんだのは、シグナムとヴィータが居間で話しているのを聞いたことを思い出す。
あの時ヴィータが片目、と言っていたのは……はやての顎がカチカチと音を鳴らす。

 それを見る限り指示していたわけではなさそうだが何も知らなかったというわけではなさそうだ。
その様を見ていると余計に苛立つ。

「…なんで」

 はやてを睨みつけ、締め付けられる胸の苦しみは抑えられない。
理不尽な怒りがこみ上げる。

「…何故止めなかったッ!! シグナム達が何をしているのか何故疑わなかった!! なんで聞かなかった…ッ!
ただ家族ごっこをしているだけで満足だったか!?」

 双眸は激怒するクーパーを見つめたまま、ただそれだけ。体を震わせながら返答の言葉も返せないで居る。

「…僕の兄は君の家族が君の命を護る為に犠牲になったんだ。遷延性意識障害を背負わされた。
勿論君のせいじゃない、でも僕はこの怒りをどうすればいい? ただ単に肉親を奪われたから憎いんじゃない!
僕の全てを奪ったからだ!」

 聞かされているならば兎も角、そんな単語、解る子供いるはずがない
クーパーは自らを抱きながら苦悶した。

「…兄さんは植物人間だ。闇の書の蒐集行為は人の魔力を根こそぎ奪うだけで通常命の別状は無い。
だから、悪魔の悪戯だったかもしれない。それでも……それでも、あの人がいなきゃ駄目だったのに、
次いつ目覚めるか解らないなんて言われてはいそうですかで納得できる訳が無い。
蒐集を命じる闇の書の主を八つ裂きにしたかった!ずっとだ!この手で縊り殺してやりたかった!
………………………
だのに君は違うという」

 力を抜いて吐息を落とす。それでもまだ、クーパーの手は震えていた。
もう1度はやての前に跪くと口付けた。愛なんて無い。ゆっくりと離れる。

「はやてはもう直ぐ殺されるかもしれない。シグナム達に」

「え……?」

 誰が?

 誰を?

クーパーは続ける。

「…シグナム、ヴィータ、ザフィーラ、シャマル。騎士達は君の病気を治す為とか言ってたけど、
闇の書は盛大なバグプログラムを抱え、他人から蒐集した魔力で666ページを埋め尽くすと防衛プログラムが暴走を開始して
持ち主である君は飲み込まれ破壊の化身となる。止める手段は無い。今何ページまで埋まってるのか知らないけど、
残り数ページの所まで来てる筈だ。この惑星も滅ぼしちゃうかも。君は、死ぬんだ」

「…嘘やろ?」

 首を横振る。

「嘘なんやろ、これ、何かのどっきりやろ? なあ、そういってや、なぁ!」

「…僕も嘘だと嬉しかった」

アルトの頭に手を置き撫でながら言っておく。それに返ってきたのは、ただの嗚咽だった。喉を鳴らし、
悲しみに溺れ、ただ涙を流すしかできない少女の有様だが、

「……し……、」

 涙を垂れ流しながら震える少女は、歯と歯がぶつかる小さな音を響かせる。

「……しに……、」

 歯をカチカチと鳴らし、嗚咽に喉が引き攣り、何か言っているのが解るが、何を言っているのかまではは解らない。
幾度と無くをそれを繰り返した上で、ようやく聞き取れた。

「死にたくあらへん、まだ、まだ……、」

 目の前の少女はあまりにも弱かった。想像していた闇の書の主とはあまりにも違った。
殺す気もおきず胸の奥で茶番だと憎しみは声をあげる。吐息を落とし目を閉じる。今は何も考えたくなかった。
殺すか殺すまいか、迷いながら魔力を溜めた時。魔方陣がクーパーとはやての間が現れる。

 白いベルカ式。屈んだ姿勢で現れるザフィーラだった。
ため息を落とす。

「…僕が敷いた結界にはなんの反応も無かった。闇の書の特殊仕様かな」
屈んでいた姿勢から立ち上がるのは盾の守護獣ザフィーラ。

「我が主には、指一本触れさせん」

 拳を握り締める音が耳を掠める。互いに、間合いは無いに等しい。
手を伸ばせば触れられる距離で向かい合い互いに睨み合う。

「…八神はやてはアースラにつれていく」

「断る」

 左手の拳部分をシールドで包み硬く握り締められた。

「…ぬけぬけと」

「無意味と知れ」

 ザフィーラも構える。クーパーもスイッチを切り替えた。飛び出してきた右の拳を盾で弾く。
続けざまに教室の床より無数の鋼の軛が飛び出してくるのも、全方位の盾で防ぐ。

「…無意味だって?」

 ザフィーラの蹴りに慌てて飛び下がり距離を開けた。八神はやては茫然としている。
 乾いた唇に一度だけ舌が這う。僅かに首が傾げられた。眉間に寄る皺と閉ざされた唇の中で噛み締められる顎。
抑え様の無い何かを漂わせる。スナイプを構え4門の射撃をザフィーラが展開する盾に阻まれる。

 その間にも両者の距離は潰し拳が激突させる。
クーパーは膂力で勝てないが、皮肉にも拳先端部のガードナックルが相手の力を抑え込む。
加速強化、攻撃強化、防御強化等、続けざまに施されていく。
拳と拳の打ち合いが続き、ザフィーラのローを跳躍で逃れると足を掴まれぶん投げられた。

 机の森に突っ込むと派手な音を立てる。呻きながらも立ち上がり、笑いそうになる膝を気力で保つ。
握り締めた拳も怒りで震え始めた。その手こそ、内なる感情の揺らぎだろうか。すぐさま突っ込んでいく。
拳を振るい、右で、左で攻め立ていく。もう八神はやてを同行する気もなかったが苛立ちは収まらない。

 再び憎しみが首をもたげる。

「…大切なご主人様に言ったらどうだ? 私達は主を助ける為に他人の命を吸い取っていました、
主と共に在る為ならば、人殺しも、どんな犠牲も厭いませんでも主様には秘密にしますって言ってみろよ!
何澄ました顔してんだ! なんでお前達はそうなんだ! 100年200年じゃないだろうに!
長い刻を生きながらなんでこんなことばかり繰り返してるんだッ!! 悲しみをどれだけ積み重ねる気だッ!!」

 攻め続けながら、心に穿った穴から漏れ出すは涙と言葉涙は頬を撫で顎から床に落ちそして怒気と振り払ったはずの負を背負う。
硬く握り締められた拳が振るわれ続けるが、途端に鋼の軛がクーパーに殺到し全方位の盾が防ぐ。

 続け様に新たな軛が打ち込まれるその数20。それでも、先と同様に盾は動じない。全て盾に砕かれる。

「口を噤め、スクライア」

「…言えないのは、主にしてる隠し事がばれるのが怖いからか。
今そこで大事なご主人様は聞き耳立ててるっていうのに、おかしな話じゃないか? ええ?どうなんだザフィーラ」

 返答は無かった。再度構える。一度だけ、全く別の理由でクーパーは顔を顰める。

「…八神はやて」

 呼びかけられると、びくりと体が挙動した。ゆっくりと、恐る恐る顔が向けられる。

「…君の家族は隠し事をするのが好きだそうだよ。自分達は騎士だってちゃちなプライドに縋ってね。
おかしな話だよまったく……ベルカ自治区じゃ、お前達とのかかわりはないと否定してるっていうのに」

 返答は無い。闇はただ闇で在り続ける。ただ、沈黙が舞い降りた末、ザフィーラの双眸が閉ざされた。
途端、幾百の軛が殺到してくる。盾は防いでみせるがはたと気づく。触れる軛はシグナムの刃のように鋭利だ。
殺傷設定が含まれている。もしも貫かれたならば今までと異なり、死に至るだろう。

「…本音ってやつかよ」

 ザフィーラが双眸を目を見開けば、紅の瞳が燃え上がるように揺れていた。

 拳を撓ませている。そして、はやてに強固な結界を張りはやてが何か言う前に見切る。
ザフィーラはクーパーに向かい一歩を踏み出した。獣としての匂いを漂わせる。
両目の紅が闇に残像を残す。誘蛾灯のように揺らぎ、

「我は盾の守護獣、ザフィーラ。主の盾であり、」

「…知ってるよ」

「牙だッ!!」

 空気が変わる。知っていたのはあくまで盾としてのザフィーラであり猛獣が猛った。
反応が遅れ顔面を鷲掴みにされると、豪腕が唸りをあげた。
咆哮と共に教室前方黒板に向かいぶん投げられ叩きつけられる。

「…がぁッ!」

 バリアジャケットが無ければ意識が飛んでいたかもしれない。床に崩れるよりも早く、眼光の赤い軌跡を残す猛獣が迫る。
脳が全てを拒絶する。防がないと死ぬ、防がないと、殺される。両腕を眼前で交差して防御の姿勢を取り盾を展開する。
ザフィーラの鉄拳が盾に叩き込まれると共に、盾が歪む。左目が驚愕に歪む。

「(…バリアブレイク!?)」

 違った。クーパーの背は黒板に叩きつけられその黒板も無理ですごめんなさいと凄まじい亀裂が入る。

「ぉぉおあああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」

「…っ」

展開する盾が歪み、拳から放たれる震動波がシールドを突き抜けて広域に及んだのだ。
潰されると悟る。逃げる事も叶わず、ザフィーラの一撃に、黒板と言わずごと壁を砕き隣の教室へと吹き飛ばされ
またもや黒板に叩きつけられる。

 糸を断ち切られたマリオネットのように、体は教壇の上に沈んだ。漏れる吐息の色は苦痛だ。

「…く」

 額が教壇に口付けている、左目は数センチ先の木目を見つめながら瞳孔をすぼめた。歯を食いしばり体に動けと命じる。
再起動した脳ですぐさま今の対抗策を模索するが今の技に対して防げる案が何も浮かんでこない。
絶望的すぎる。足音がする。瓦礫を避け砂利を踏みゆっくりと歩み寄ってくる音だ。

 起き上がれと頭は命令するが体は動いてくれない。紅の瞳が死神が歩み寄る。手が、探るように動く。
頬の筋肉が微動する、やや笑っていた。舌の端をぶちりと噛んで痛覚と口の中に血の味を呼び起こす。
口内に傷口を押し当てながらごくりと唾液混じりの血を飲み下すと鉄の味がこみ上げる。

 足音が止まっていた。全身に渇を入れて体を動かし始めた。起き上がる。

「盾とは、誰かを守る為に在るものだ」

 膝に手をあてて立ち上がる、左目はザフィーラを睨む。3m程離れていた位置で御丁寧にも待ってくれている。
手が杖代わりに掴む、膝は笑っていた。また拳を作ると太腿を叩く。笑うなと戒めるがそれでも膝は小刻みに笑う。
もう一度力を込めて太腿を殴る。それでも体が戻らない。憎しみを以って睨みつける。

「…あんたはそうだろうさ」

 膝についていた手を離し、無理やり上半身を起こす。体をのけぞりながら顎でザフィーラをしゃくってみせる。

「憎しみの果てに何を見る」

「…そんなの知らないよ。それに、僕の憎しみはもう終わったんだ」

眉間に皺が寄りより強く、何かが固められる。

「…でも、憎しみをどうやったら消せるのか。どうやったら八神はやてを憎まずにいられるのか。
答えがあるなら、今すぐにでも教えて欲しいもんさ」

カチ、

「…お前達に兄さんを奪われ、僕は抗えない憎しみを植えつけられた。事を思い出すだけで腹の中が煮えくり返る。でも」

コチ、

「…それでも、解ってる。はやてやそれにお前達を殺したところで兄さんはもう元通りにはならない。
復讐程冷たい不味い飯は無い」

 時計の音だけがいつまでも一人歩きする。止まってはくれない。時は止まらない。時計を砕き音を止めたとしても、
自らの心臓が時を刻み続け前に進んでしまっている。1歩1秒と過去を思い出してしまう。兄を失ってしまった辛さを。
そして、楽しかった日々の事を。涙は止まることを知らず、病院で嗚咽に震え歯の根をどれだけ音を鳴らそうとも。
顎は、口は、唇は、冷め切った復讐という味を拒まない。復讐という何かを孕ませて食べ続けるしか能が無い。それが、
復讐に生ける者だ。自分は違うと思いたかった。

「それが人間だ。スクライア、お前は間違っていない」

ザフィーラは肯定する。

「先程の答えだ。結局己の敵は己でしかない。利己に囚われた人間は何処までも浅はかになる。
その自分とどこまで向き合い、己の心を殺す事ができるか。それが鍵だ」

「…でも、はいそうですかって納得できるほどできた人間でもないんだ。奪った奴を前にして、
冷静でいられるほど僕は大人でもない」

 クーパーが動く。時計の音はもう、耳からは消えていた。相とも変わらずザフィーラに拳を振るう。
でも、児戯の如くをあしらわれ蹴りに吹き飛ばされる。壁に叩きつけられたが今度は倒れない。
壁に寄りかかり苦痛に顔を歪ませながら、なんとか体を保たせる。

 そこにザフィーラが突っ込んできた。その様が、昔々、アルトと初対面の時の事を思い出す。
牙を剥き唾液を飛び散らし襲ってきた獣だ。それに似通った何かを見る。例えるなら、熊か?そんな余念が頭を過ぎ去っていく。
それでも、今はどこにも暇が無い。自分の背後にもラウンドシールドを形成し壁代わりにする。そして、腰を深く落とす。

「…来いッ!!!!!!」

「てぉおおあああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」

 前面にもラウンドシールドを形成する。対抗策は、無い。何も無かった。
ファルケン、ギガントと違い特徴がつかめず、その能力に対抗策を導き出せないが防がねばならない。
先程とは微妙に異なる構成のラウンドシールドに魔力を注ぎ込んでいく。

 クーパーは両手を突きだした。拳とシールドが激突する。

「む……」

 衝撃波に体が圧迫されようとも、盾が歪まずにいる。一瞬の安堵が及ぶものの盾はぐにゃりと歪み、まるで水飴のようにぐねる。

「……ッ」

「終わりだッ!!スクライアッ!!」

 ザフィーラの膝が飛び出してくる。あんなもの、バリアジャケット無しに受ければ肋骨が折れると思うが、
体は動いた。膝に合わせ、右手の拳にガードナックルが形成され合わせる。見た目には相殺だが万々歳としてもいられない。

「これで防いだつもりか」

「…どうだかね」

 また、次が来る。ザフィーラの肉弾戦ではなく、現れるであろう鋼の軛を想定しクーパーは全展開の盾を形成する。
剣山が、クーパー目掛けて一直線に伸びてくる。盾で防ぐが拳で打ち破られ鳩尾に一発。
胸倉を掴まれると机の列に投げ飛ばされた。

 椅子に机と一緒に床を転びながら呼吸の苦しさを覚える。咄嗟に全方位の盾を張る。
続け様に剣山のような鋼の軛が襲い掛かってくる。なんとか防げた。
何度も咳き込みながら立ち上がったところを蹴りでまた吹き飛ばされる。知覚が遅い。

 再度机の群れに叩きつけられる。今度は軛が来ない代わりにザフィーラが追撃してくる。
なんとか、立ち上がる。ここは今、逃げ所じゃない。先程と同じように背面にと前面にラウンドシールドを張り、
今度は前面を二重構成にして立ち向かう。

「てっぇぇええあああああ!!!!!!!!」

拳が、来る。撃鉄を叩くように盾と衝突した途端。歪む盾。相手の魔法構成が解らないという悔しさに
打ちひしがれながら新しい盾を形成する。ザフィーラの拳が来る。衝撃、新たなを生み出す、拳が来る。衝撃、
盾が、拳が、盾が……生産性の無い戦いが続く。

 でも、それが続くと苦しくなってきて弱い心が躍り出る。マラソンランナーのように延々と動き続ける。
盾とシールドの衝突を繰り返しながら、クーパーは叫んだ。

「…ザフィーラ!!一体いつまで闇の書の蒐集行為を繰り返すつもりなんだ!!」

「無駄ではないッ!!」

「…っ!!」

 主が助かると信じている以上、それは覆らない事実だろうか。一際強い拳が盾を叩くと、クーパーの顔も歪んだ。

「お前には解るまい。悠久にして永劫の時を生きる我等の無念を」

「…そんなの解って堪るか!!僕だって……!こんな憎しみも欲しくなかった!!
八神はやてとも友達のままでいたかった!! こんなに苦しい想いもしたくもなかった!」

「てええええええええええええええええおあああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」

 一際大きな叫びと共に、拳が来る。受ける自信は無かった。
闇雲に受けてもジリ貧だ。解らないものを無理に受けようとしても偶然勝てばいいがその先の大将を求めた。
八神はやてという大物を。横に飛び退き、クーパーはザフィーラの拳をやり過ごした。直ぐに、紅の瞳にぎろりと睨まれる。

 追撃が来るよりも早く、クーパーも構築を終えていた。ザフィーラの体にチェーンバインドがまとわりつく。
2重、3重と4重、5重と重ねられてようやく止まった。、がちゃがちゃと、重々しい音がした。掴まえた。
胸の中に、その考えが広がった途端クーパーの体も、リングバインドで拘束される。

 何が起こったのかは理解はできなかった。そんな一瞬の間を置いて、教室の扉がカラカラと小さな音を立てて開かれた。
見えたのはスーツ姿だった。ゆっくりとした歩調でその人物は教室に入り、ぱたんと扉を閉ざす。
そしてその人物は2人を見る。2人も、その人物を見ていた。

「そこまでだ」

「………」

 その人物を、どう呼んでいいのか。クーパーには解らなかった。現、時空管理局提督。かつては艦隊指揮官、
執務長官も歴任している大御所である。穏やかな表情をした写真の老人グレアムが姿を見せた。
少しだけしわがれた声が落とされる。

「君の憎しみは正当だが、殺させる訳にはいかないのだよ。スクライア君」
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