千切れて失せる夢。代打とばかりに左の瞼がパチリと開き意識が動きだす。意識はやや曖昧だった。場所は普段自分が寝起きしているスクライアのテントのようだ。
首を右に動かしていつも置いてある時計を確認する。どうやらまだ、昼間の模様。一度だけ瞼を閉ざしため息をつく。遺跡の事をゆるりと思い出し助けられたんだと吐息を落とす。
ユーノとあの獣がどうなったのかは知らないが、きっと大人達がなんとかしたのだろう。

「………」

 深い事は考えても解らない。左目を閉じたまま顔を顰めてから、なんとなく首を左に動かして目を開くと大きな大きな黒い獣がいた。
ガン見されている。それはとても大きな肉食獣。クーパーの思考が停止した。問答無用に押し迫る恐怖をどうする事もできず、見開かれる左眼。
緊張の上、屈辱のお漏らし二回目決定した。その上で、悲鳴をあげた。

「ん」

 子供達の相手をしていたユーノは遠巻きの悲鳴のような声を聞いてから、やっぱりとため息をついた。
少しだけ、騒動の音も聞こえてくる。呆れ顔で仕方がないねと立ち上がる。

「ごめん、ちょっと行ってくるから」

 子供達をその場に残し、勿論子供達を見ているのはユーノだけではないから、置き去りではないが。
テントを出て、普段ユーノとクーパーが就寝に使っているテントまで戻ってみると、大変なことになっていた。
テントの中で逃げ回ったせいか、テントは崩れてしまっている。立て直せばいいだけの話だが、その崩れたテントの中から、ひぃひぃ言いながらクーパーが這い出してきた。

 他のみんなもなんだなんだと見に来る。珍しく、クーパーが右目の眼帯をしていなかった。よほど慌てていたらしい。
そして、テントから逃げ出してきたクーパーはユーノの前に来るとペタリと座り込んでしまう。

「生きてる、クーパー?」

「…た、たたたた……!」

その上言葉になっていない。ユーノが手を貸すと、やっとこさ立ち上がる。

「…ユーノさんなんであれがいるんですか?!っていうかむしろ僕達はいつ戻ってきたんですか!」

「前者には答えられないよ、後者は救助が来てくれました。だね」

「……そんな簡潔に……」

涙目というよりも半泣状態になってしまっている。ユーノは溜息を落とす。

「正直、僕もあれには手に負えないんだ。長老が許可したから連れてきただけだし」

「…ええ???」

涙目のまま、情けない声を出してしまった。何故、豹の存在を長老が許したのか。
そうこうしてると、崩れたテントの中がもっそりと動き、ゆっくりもこもこ盛り上がってるのが見える。
クーパーはユーノの背に隠れる。

「…移動してます、移動してますよユーノさん!」

「…そうなんだけどさ」

どうしようもない。その大きなもこもこはゆっくりと、崩れたテント出てくる。
ひっ、とクーパーがユーノにしがみつく。

「…見てます、凄いこっちを見てますよ……!!」

「なんでそんなに過剰反応するかな」

「…だって怖いじゃないですか!!」

もはやクーパーは泣いていたが、ユーノは気づいた。

「(……)」

獣の目が、まるで親を見るようにクーパーを眺めていることを。とても悲しそうな眼差しで先の強暴さは皆無。捨てられた子供のようだ。
溜息を落とす。状況は膠着してるように見えたが、杖をついた長老が姿を現す。皆の注目が集まった。

「クーパーや。少し話があるから、その子と一緒にワシのテントにおいで。何、危険はあるまい」

長老が示すその子というのはユーノではない。獣の事だ。皆も見終わった野次馬のように散り散りになっていく。
当然クーパーはユーノに縋った。

「…助けてくださいユーノさんッ!!」

「んー無理?」

「…そんな悠長なこと言っている場合じゃないんですってば!? 長老が連れて来いって……無理です!」

 獣使いになったつもりがないのだが、ユーノはため息を吐く。

「平気だよ、あれ、君には懐いてる」

「…餌の間違いでしょう?!」

「クーパー」

ユーノがまじめな顔で、クーパーを引き剥がし頬をつねってくる。ちょっと痛かった。

「…うぃ」

騒ぎ立てる暴れる感情が、静まり返った。

「僕達は遺跡から二日たつ。その間あの子は、ずっと君の傍にいたんだ。
離れることなくね。僕は君になんで懐いてるのか知らないけど、君とあれは関わりがあるらしいよ。
平気だよ、食べられないから」

「…その根拠は」 

「…二日前に戦った時にアレはクーパーを傷つける素振り一つ見せなかった。
あんまり信じたくないけど、あれは君を守ってるように見える。撫でてあげなよ、多分噛まないから」

それだけ言って、ユーノは踵を返してしまう。どこかつっけんどんに見えた。

「……ユーノさん」

「ついでにパンツ、代えておいた方がいいよ」

「……」

 びっちょりだ。とりあえず、恐る恐る獣の横を通り崩れたテントの中に戻り、着替えをして眼帯をつけてから這い出る。
当然の如く獣が待っていた。現実はそう甘くない。大きな体躯の肉食獣というだけで怖かった。
だが、戦った時とは異なり牙を剥く事も敵意を見せることもない。覚悟を決めて手を出してみると鼻先を優しくこすりつけてきた。

 指先は濡れた鼻先で優しく擦り寄ってくる。その姿は凶暴な肉食獣というよりも、ただの子供だ。それを見て、まだ恐怖が消えた訳ではないが、
言う事を聞いてくれるのではないかという気になる。少しだけ暴れる心臓を押さえつけて、言ってみる。

「…おいで、ついてくるんだ」

擦寄られていた手を引いて、こっちに来いと示してみると、獣は目で追ってからゆっくりとついてくる。
何故自分になついてるのか、理由はさっぱり解らない、が。長老のテントまでの道のりは決して心地よいものではなかったが何とか辿り着く。

「…失礼します、クーパーです。……その、あれも入れるんですか」

「おお、来たか。構わんよ。二人とも入っとくれ」

「…おいで」

 獣は頭を下げながらテントの中に入る。動きがなんとも優雅だがどっかりと腰を下ろす。
クーパーも続けて入り、座れと促されたので適当な椅子に腰掛ける。

「さて。早々ですまんが大切な話があっての」

「……はい」

何が大切なのか、この獣との関係は? 不可解な点も少なくはない。クーパーも考えをまとめた。

「さて……どこから話そうかのぅ?」

 長老はゆっくりと口を開く、干し草のタバコにゆったりと火をつけてから少しだけ吸い込み、煙を吐き出していく。
白い煙が宙を泳いだ。そして消えていく。タバコ独特の香りが鼻をくすぐった。ようは臭い。

「ワシと、街で出会った時の事は、覚えておるか。クーパーよ」

「…はい」

 長老はクーパーを見つめたまま、タバコの煙をたっぷりと肺に送り込むと前かがみになり神妙な顔になった。

「……一度だけしか言わんぞ、今からワシが言う男の名を忘れるでない。
クーパーよ。お前の人生に深く関わるやもしれぬ男の名よ。いいか、言うぞ」

「…解りました」

「言うぞ。奴の名はジェイル・スカリエッティ。忘れるでないぞ」

「…ジェイる」

「口に出すでないわい頭の中で言うのじゃ。決してこの男の名を他人の前で出すな。
疑われるぞ。でだな。お前は恐らくこの男に深く関わっていくことになろうて」

 当然、知らぬ名だ。何をしている者かも知らぬ。

「いいか? 忘れるでないぞ。お前が生きていれば必ず、その男と会うであろう」

 しつこいぐらい念を押された。首を捻る。

「どうして、そこまで断言できるんですか?」

「その男がお前の出生が関わっている可能性がある、ということじゃ。
すまんが詳しいことは解らんが、その腕輪なら何か知ってるやもしれんなあ」

 煙が盛大に吐き出される中。腕輪を見る。クーパーがここに来た時に貰ったものだ。
いつもつけているからただのアクセサリと思い違和感はまるでなかったが。

「…これですか?」

「それデバイスじゃい。自分の魔力を通してみい」

 言われるがまま、魔力を通すと腕輪はグローブになる。
珍品を見るように目を瞬かせた。

「…本当だ」

「お前さんのものらしい。さっき言った男がそう言っておったわい」

 何度もでてくるあの男の存在。それがひっかかってしょうがなかった。

「その、さっきの人は何をやっている人なんですか?」

「…あまり褒められるものではない。犯罪者じゃ」

「…人殺しとか」

「もっと悪質で根深いものじゃ。今風に言うと、”マッドサイエンティスト”かの。
奴はしつこくての。引っこ抜いても引っこ抜いても、雑草の様に貪欲に生まれてくる人間の悪じゃ。
できれば関わりたくないものよ」

「…そんな人が?」

「ワシもお主とあ奴がどういう関係かは知らん。だが、お前を助けた時に奴はワシの前に姿を見デバイスを預けこういった。
ちゃんと育ててくれとな。それだけじゃよ。他は何もわからん」

「……」

「…その人と、会えますか?」

「ならぬな」

即答だ。あまり見ることのない、長老の険しい怒った顔が晒される。

「クーパーよ。まだお前は小さく幼い。奴という影響を受けるには、あまりにも早すぎる。
運命は過酷かもしれぬ。じゃがあまり生き急ぐな。いずれはスクライアを出て行くこともなるやもしれぬが、ワシは止めぬ。
今はユーノと共に在れ」

皺が深く刻まれる骨ばった長老の手がクーパーの頭を撫で付ける。

「忘れるでないぞ。人は決して一人で生きるものではない。時に誰かを助けそして助けられもする。
内にこもってしまった時は振り返ることも思い出すのじゃ。ワシもユーノもおる、皆もな」

「…はい」

「さて、話が長くなったの、そやつのことなんじゃが」

 ひょいと獣を指差して長老が話しを振る。

「それもデバイスと一緒でお前さんの持ち物らしい。まぁー上手く付き合ってやれい」

「付き合えって……」

 どうしろというのか皆目検討もつかなかった。脳裏には未だに凶暴な有様が脳裏にこびり付いている。

「その獣についてはデバイスに入っているそうだ。今見てみぃ」

「…はい」

 工学端末を起動させるとデバイスの内部情報にアクセスする。一人でうんうん唸りながら調べると、
アルトという名前らしい。続けて、組み込まれているプログラムを起動させるとミッド式の魔方陣がオートで起動し、
獣の大きさは平均的な猫と同じサイズになってしまった。

「こりゃまた可愛らしくなったもんじゃのう」

ライオンサイズは恐ろしかったが、普通の猫並みならば恐怖もなかった。
一先ず安堵する。

「ミャァ」

「…声まで猫だ」

大人になるとあんな図太い声だったのに。

「…おいで」

「ミャゥ」

小さな体で、小さな四肢をぱたぱた動かしクーパーの膝の上に飛び乗ると丸くなる。
……大人の体でやられたら死ねる。眺めていた長老も煙を吐き出した。

「とまぁ、話は以上じゃ。ワシらも解らん事が多くてのうすまん。
何、今話した内容がどうであれ、お前の生活が劇的に変化することもないから安心せい。ユーノと共に頼むぞ」

「…はい。ありがとうございました」

「健やかにあれ」

 アルトを手に抱きながら、立ち上がると長老のテントを後にする。
そして、アルトの首根っこを掴み、下半身をぶらーんとさせたまま黒い顔を、まじまじと見つめてしまう。

「…そういえば、どうして僕達を襲ってきたの?」

「ナーゥ」

猫は猫語のままだ。デバイスを待機の腕輪に戻す。
とりあえず、スクライアの今のテント郡の中を歩きながらユーノがいるであろう、子供達のテントへと向かうが中に入る前に、アルトに念を押す。

「絶っ対に、噛んじゃ駄目だよ?」

「フミャ」

『…………』

効果があるのかないのか解らないが、アルトには念には念を押してテントの中に入る。
皆、子供達はアルトを見るや否や、目を輝かせた。

「かわいいー!」

「お兄ちゃん触らせて!」

「名前は?名前は?」

せがんで聞いてきたり、群がられる。早速玩具にされたチビアルトだが、「フー!!」と警戒しながらも、
尻尾を握られてあふんとなると、ごろりと身を委ねていた。玩具になる覚悟が、決まったようだ。
ユーノはというと、

「どうしたの、それ」

「話すと少し長いんですけど」

スカリエッティのことを省いたりしたものの長老との内容を、掻い摘んで話す。
あまりにも、あっさりとした返事が返ってきた。まるで、どうでもいいみたいに。

「そっか。良かったね」

 ほんの少し、ユーノの態度が変わったように感じられた。子供達は皆アルトをいじくって遊んでいる。猫は放せ放せと騒いでる。
ユーノも他の大人も笑顔で笑ってるが何かが拭えなくてしょうがなかった。

「クーパー? どうしたの?」

「え」

 立ち竦んだままなのにユーノに声をかけられた。見上げる眼差しに恐怖を感じるもの臆するなと念じながら唇を噛んだ。

「……え、ええ」

 曖昧な言葉と共に腰を下ろす。直ぐに、四つんばいで進んでくる赤ん坊が膝の上に乗ってきた。
柔らかい体に触れながら左目を閉じた。フラッシュバックが走り胃液が喉を駆け上る。

「(落ち着け……)」

 動悸が少し早い。動揺しているのが眼に見えた。大丈夫という言葉を何度も自分にかけつつ無垢な子供の相手をしてごまかす。
盗み見るユーノはやはり子供たちと接している。少し大きめの吐息を落とし、子供達に意識を向ける。ユーノはため息を落とした。




「どういう事ですか?」

 ビム・スクライアはいつもどおりタバコを吸っていると、ユーノに迫られた。重々しい眼差しは冗談で逃げられる風ではないが焦りは見せなかった。
クーパーが目覚めるまでの二日間。ユーノの中では疑心が渦巻いていた。

「何がよ」

「遺跡の事です。……クーパーの事といい。あのアルトって獣だって」

「ああ。あれな」

「…………」

 盛大にタバコの煙を吐き出した。

「知らねーわ」

「嘘をつかないで下さい」

「おいおい嘘ついてない人間に無茶振りすんなよ。クーパーがここに来るまでどんな人間で何をしてたかなんて当たり前だけど知らないんだぜ?
身内の余計な詮索をしないのもスクライアだ。俺は何も聞いちゃいねーし知らねーよ」

「僕の怪我は無駄ですか」

「ユーノ」

「はい」

「お前も魔導師で大人と同様の扱いを受けるなら上の力に屈する事も覚えとけ」

 音もなく拳が握り締めれていた。
それを表情に出さないあたりユーノは大人だった。ビムはタバコをもみ消すとその場を去る。その後姿を見送った後踵を返した。
向かった先は長老のテント。

「ユーノです」

「入れ」

 ここでも待っていたのは煙草臭さだった。まるで大人の象徴でもあるかのようで辟易する。

「何の用だ」

 白く長い髭を撫でつつ煙管煙草の煙が泳ぐ。

「クーパーの事です」

「言えんな」

 即答だった。また、ユーノは拳を固める。

「何故ですか」

「アレのおいだちは聊か厄介でな。御主が負った傷には申し訳ないがそれに免ずる訳にはいかん」

「あの猫も。……デバイスの事に関してもですか」

「左様」

 面白くはなかった。でも、納得できないわけでもなかった。

「解りました」

「すまぬな」

「いえ」

「あれの事、よろしく頼む」

 最後の一言が余計で何も言わずに長老のテントを後にする。あの猫は何なのか? あのデバイスは何なのか?
ユーノの中で疑問が芽生えた。クーパーは大切な兄弟で弟だった。それは間違いないが別の感情が芽生えたのも事実だった。
翌日になるとクーパーは目覚め二人の生活は続くが、ユーノはクーパーを見ると胸が痛んで仕方が無かった。今まで覚えた事のない感情に戸惑い、そして封殺した。

 クーパーは猫とデバイスを上手く使っているようように見えた。うらやましさはない。しかし解らない何かの感情は膨れ上がるばかりだった。
日に日に、感情を意識しない日はなくなりクーパーに対する感情が変貌しつつあった。それに引き換え現実は残酷だ。クーパーは魔法の腕を飛ぶ鳥を落とす勢いで伸ばしていく。
兄弟子として褒めなければならない。大切な弟とわかっていてもそれができなかった。笑顔を上手く作ることができない。苦痛だった。クーパーは嫌っていない筈なのに。

 そう思いながらも、感情は膨らみ続けた。そこで、ユーノは考えるのを止めた。クーパークーパークーパーと考えるぐらいなら、仕事や勉強に埋没した方が楽だった。
しかし、ずっとそうしているわけにもいかない。兄弟子であり、一緒にいる事も多いのだ。そして、ユーノは気づいた。抱いている感情の正体を。
魔法の腕をあげていくクーパーは、ユーノの腕前に並んでしまった。勝負も一進一退となっていた。もう上から目線なんてできない。ライバルといっていい。

 そして、遺跡も本当は未探索の箇所があるらしくユーノやクーパーも混ざって更なる探索が始まった。思ったよりも相当深いらしい。
今まではただの休暇とお膳立てだったらしい。それを知ったユーノは思った。「ふざけるな」と。彼が抱いた感情。それは「嫉妬」だった。
弟なのにデバイスを持つ。弟なのに使い魔もどきまでいる。弟なのに魔法の扱いが同じ。弟なのに、弟なのに、弟なのに……もはや何を疑い、何を憎んでいるのかもわからなかった。

 そしてユーノは気づいてしまった。クーパーに、嫌悪感を抱いている事に。その事で自らを嫌悪しながらも、放棄する事はできなかった。
赤子のように、無垢に笑うクーパー見ると尚の事だった。ある日の夕刻。クーパーは料理用のテントに向かいいつもより早く支度を始めて黙々と下ごしらえをしていた。
未だ彼の中ではあの時のユーノの違和感が燻って仕方が無かったのだ。何より、最近のユーノは仕事に勉強に集中して話す機会が減り寂しくもあった。声をかけても、スルーされてしまう事が度々だ。

 ユーノが来てくれる時には何時も通りと思いながら。作業に専念する。せっせと作業する。何も考えないでいる方が、
よっぽど楽だった。そうこうしてると時間が経ち、ユーノがやってくる。

「ごめんクーパー、遅れた」

 姿を見せたユーノはクーパーが見た限り何時も通りに見えた。良かったと安心しておく。何時も通りだと安堵する中で、その安心は打ち破られる。
ユーノがエプロンをかけ手を洗ってから、制止の言葉をかけてくる。

「もういいよ」

「…え?」

僅かな驚き。そして突き放すような一言が頭の中を侵した。

「後の手伝いは僕一人でやるから手伝わなくていい。子供達と遊んであげて、それに。あの猫が子供達を噛んだら大変なんじゃない?」

 言われた瞬間、クーパーは本当に頭の中が真っ白になって何も考えられなくなった。返事をしたつもりだったけどちゃんと言えたのかも解らずじまい。
きっと、傍から見ればとてもうろたえていたに違いない。まるで、ユーノから逃げるようにテントから飛び出していて、走って走ってとにかく走った。
気づけば人から見られそうに無い場所に訪れていた。走ったせいで、自分が肩で呼吸していることに遅れて気づく。だが

「…あ、…あれ…?」

 それ以上に、何も考えられなかった。ユーノは明らかに怒りを含んだ言葉を向けてきていた。あの冷淡な言葉、優しいユーノは言う筈がない。
もしかしたら聞き間違いかもしれない。そう思いたかった。でもこれまでの不安が一気に噴出してしまった。ずっと抱いていた感情だ。クーパーは人一倍臆病な生き物であり、
弱かった。大人たちにも、ユーノにも嫌われたくない外れ者にされたくないという一身で縋ってきた。最初も。今も。

 体の奥底から冷えただただ恐怖した。優しいユーノと怖いユーノ。どちらも同じ人間とわかりながらも、以前の優しさに縋りそして求めていた彼は後者に恐ろしい程恐怖した。
自分が嫌われるという事など、微塵にも考えていなかった。怖くてたまらなかった。ユーノがいなくなるということはクーパーにとって壊滅的な状況に等しい。
現在のスクライアのキャンプの中で、唯一歳が近く兄と慕うその人に、嫌われるという事。考えたくはなかった。心臓の鼓動がせわしく感じられる。

「…う……っ」

 胸が痛んだ心も痛んだ。でも、それ以上に自分の頭の中が真っ白になって思考が上手く回らない。心臓が激しく暴れる中で、謝罪の言葉と求め怒ってる理由を探すが
頭の中が何かがすっぽぬけていて何も考えることができない。空回りする。どうしたらいいのかも解らなかった。笑顔で優しいユーノが消えていく。誰だって人間だ。
ユーノだって人間だ。怒る事だってあるはずだ。そう思いながらも、どうしてこんなことになったのか? 何がいけなかったのか? まるで解らなかった。

「うく……」

 左目からは涙が溢れる。手で左目を隠してしまえば世界はほら、簡単に闇が訪れる。家族と思っていた人からの拒絶は、思いの外。心を傷つけた。一人、泣き続ける。
それから、ブーストデバイスは、インテリジェントデバイスのようには、喋らない。それを、クーパーは知らなかった。心が萎れそうだった。
何もかもがしらないことだらけ、分からない事だらけ。解らなかった。フラッシュバックが起こりクーパーは苦悶した。
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