時の庭園から帰還してからというものの寝る度に、鼎が出てくる夢を見るようになった。
真っ暗闇の中で青銅器と対面する変な夢。鬼火のように揺らぐ事も泣き叫ぶ子供のように泣く事もない。
ただ、変な文様の青銅器があるだけ。他にあるモノといえば闇と静寂だけか。
「……」
夢の中では青銅器を注視する。一体なんなのだろうと思い耽るが答えは見つからない。
イベントが在る訳でもなく意識が薄れ目覚めるのが日常になっていた。
体はベッドの上に横たわっていて、微動した左の瞼はゆっくりと開き視界が広がる。
「…………」
不鮮明な意識の中で体を起こしまどろんでいると思い出したくも無い記憶が脳裏を掠めた。
顔を顰める。先日、なのはから大嫌いだといわれたのは、少々堪えた。小さく唸りながらベッドから降りて着替える。
吐息を落とす。
「…執務官には変なこと言ってたし」
自分の発言を振り返ると、苦笑いすらでてこない。フェイトの話をしていたのになのはの成行きなど失笑ものだった。
それほど、クーパーの頭の中はぐっちゃになっていてむきになっていたと振り返る。その原因は一つしかない。
会議室で、リンディ・ハラウオンとの会話のせいだ。そういう自己完結をしておく。
もう次元震の影響が抜ければクーパーがアースラにいる意味も無くなる。もう二度となのはと会う事も無くなる。
嫌われようが貶されようが、知った話ではないのだ。着替えが終ると最後に眼帯を取り、
右目に宛がい紐の部分を回してパチンと鳴らした。これで、いつも通り。
「…さて」
自分の部屋を抜け出して食堂へと赴く。適度な人数がいるようだが食事を共にするような顔ぶれではない。
2人ほど見知った人間がいるが無視する。トレイをとってサラダとパンと水とを乗せてると席について食事を始める。
「クーパーくーん」
「……」
エイミィだ。少し離れた席から手を振っている。そしてクロノも一緒のようだ。顔をあげるべきか迷ったが、
これ以上無視する理由も無い。トレイを手に席を立つと2人の席へと足を運ぶ。
「…どうも」
「やっほー」
「おはよう、その顔はあんまり眠れてないみたいだな」
「…顔はいつも通りですよ執務官」
椅子にどっかりと腰掛けながら挨拶を交わす。フォークを取ってサラダをつつく。
とりあえず、3人で他愛も無い話をしながら食事をする。、特に何か、ということはない。
そして、何かを思い出したようにクロノが相槌を打った。クーパーの左眼も、それに引き寄せられる。
「すまないクーパー、後で模擬戦に付き合ってくれないか?」
「…なのはさんの方がよろしいのでは? 僕では執務官のお相手は物足りないと思いますが」
「君みたいに盾が異様に硬い支援系の人間とは、やったことがないんだ。頼む」
「…構いませんけど」
「すまないな、それじゃ、これを食べて少し休んでからでいいか?」
「…ええ」
話はとんとん拍子で進んでいく。何も知らぬクーパーもほいほいと話に乗っていくが、何かを知っているのか、
エイミィは妙な笑いをこぼしていた。そこを念話で注意されながらクロノが話を切り返す。
「なあクーパー、管理局に入らないか? 嘱託でもいい。君もユーノもいいバックスになれるぞ」
「…考えておきます」
「返事は今でも構わない」
「クロノ君クロノ君、それはちょっと気が早すぎだよ」
そんなことはない、とクロノは憚る。
「エイミィ、ユーノやクーパーのように、デバイスに頼らないで戦える魔導師は必ず伸びる」
「そうかな?」
「…僕は兎も角として、兄さんは伸びるでしょうね。構築式を振り返らない人間は、止まった人間だってよく言ってましたよ」
その言葉にクロノはうんうんと頷いる。何か思うところがあるのかよく解らないが。
魔法の在り方についてクロノとクーパーは共感する所があるらしく熱が入った話を始める。
デバイスに頼りきりはいけないだ、魔導師たるもの常に向上心が必要だなんだと子供2人が語っている姿はある意味滑稽だった。
ちなみにクーパーがカドゥケスを稼動させるのは気分次第。
師の影響が大きいのか、何も考えないとデバイスには頼らない。過去に教わった訓練や懐かしい娯楽代わりの構築式バトルも、
1人で未だに続けている。速度や連度、盾の硬度は未だに余地はある。とかなんとか。
楽しい話はあっという間に時間は過ぎてしまう。
エイミィも適当に切り上げて、2人は進みまくった時計の指針に気づくまで話を続けていた。
そして、慌てて訓練室に向かう。そこで何が待っているのかも知らずに。
「こんにちは、クーパー君」
「…………」
待っていたのはバリアジャケット姿でレイジングハートを握るなのはと右に同じくなユーノだった。
全力でやる用意ができているのか、ご丁寧に訓練室にはおあつらえの防護結界まで張られている。
クーパーの左目、といわず眼帯を含めた顔ごとクロノに向けられる。
執務官、一笑。
「そういうことだ」
子供、げんなり。
「…どういうことですか」
落胆のため息を落とすとクロノも待機状態のS2Uを翻し、セットアップを行う。
一瞬にして魔導師姿になった。クーパーも溜息をつきながら、黒いバリアジャケットに転ずる。
なのはとユーノに顔を会わせるのは流石のクーパーも憂鬱そうだ。S2Uがぐるぐる動かされる。
「それじゃ簡単に説明するよ。スクライア兄弟対なのはと僕のチームだ。異論はないね」
「…異議あり」
小さくクーパーの手が伸びる。早くしろとクロノに小突かれた。
「…パワーバランスを考えたら、クロノ執務官となのはさんを分けるのが普通だと思いますが」
「それが普通の訓練ならな、ちなみに今日の訓練名は少し違う」
クロノがちらりとユーノの方を見る。クーパーもそれに倣った。なのはは嬉しそうに、にゃははと笑っていた。
見られているユーノも嬉しく無さそうに目を逸らし唇の先を尖らせた。
愛らしい。
「……く……クーパーを矯正させよう……だ……」
「最後までちゃんと言え、淫獣」
「言えるか!! っていうか淫獣って何さ淫獣って!?」
ユーノが顔を真っ赤にしながら吼える。肝心のクーパーといえば至極嫌そうな顔をしていた。
が、ふとなのは目が合えば昨日の大嫌い宣言はどこにいったのか、微笑まれる、
可愛いとは思うものの違和感を禁じえない。一体、この3人は何を考えているのか解らなかった。
「それじゃあ、時間も無いから始めようか」
クロノは飛行魔法を発動させて、ふわりと浮き上がる。何故かなのはは残っていた、不思議に思っていると、
レイジングハートをクーパーに突きつけて、宣言される。
「クーパー君の相手は、私ね」
そこで初めて、なのはが敵意にも似た何かをクーパーに向けてきた。威圧、とでも呼べばいいのだろうか。
ただし、昨日とは違い純粋な敵意だけではない。もっと別の何かを持っている。
クロノにどんなことを吹き込まれたのか解ったものでは無い。
背筋を這う嫌な感覚を黙殺しながら微笑み返す。
「…お手柔らかに」
そういうと、なのはもふわりと宙に上がる。対処方法を考えているユーノが残っていた。
曖昧な笑顔を浮かべている。苦笑いだ。
「よろしく、クーパー」
「…よろしくお願いします」
無愛想な返事を返し、兄弟のくせにクーパーはペコリと頭を下げて飛行魔法の2人と向き合う。
「始める!」
クロノの高らかな宣言と共に、なのはが両手でレイジングハートを構える。
ちなみに、ユーノも被害範囲内だ。そして、なのはの宣言。
「絶対にごめんなさいって言わせるんだから!」
「…は?」
目が点になった。疑問を抱く間もなくレイジングハートのディバインバスターの名前がコールされて、
桃色の砲撃が襲い掛かってくる。ラウンドシールドでついでにユーのを庇いながら砲撃を受け止める。
ぐっと、体を圧縮されるような重みがのしかかってきた。これはつらい。
「…なのはさんは僕をご指名ですので、クロノ執務官のお相手はお願いします」
「解った」
と頷いた時点でクロノが円弧を描きながらスティンガースナイプを。なのはは弾幕を張ったまま誘導弾を送り込んでくる。
ユーノをどうこうさせるよりも早く面倒臭さが勝った、だから叫ぶ。相棒の名を。
「…カドゥケスッ!」
『Rajah.』
頭の中でスイッチを切り替えディバインバスターだけに集中していた思考を分割させる。
片手でディバインバスターを防ぎ、片手でクロノのスティンガースナイプを防ぐ。
今は時の庭園の最終戦のように延々と防がずとも良い。腕輪からグローブに転じたカドゥケスがシールドを1つ追加し、
3点の防御展開で誘導弾を受け止める。クロノも目の色を変えた。
「(なんて奴だ)」
ますます、彼の中でクーパーが欲しいという思いが芽生える。
偏屈な性格をしているが特異性を持つバックスの人間は、目にかかれない。飛行魔法を覚えさせれば最高の支援となる。
そんな事を考えるクロノだった。
それを他所に、ユーノのチェーンバインドが走る。
なのはとクロノは攻撃から逃げに転じざるをえない。
2人の攻撃が途絶えるや否やクーパーもシールド3点をライドスナイプを3門に変更し瞬く間にぶっ放す。
威力は、確かに軒並平均な射撃だが、宙に浮かぶ二人は回避行動を取らざる得ない。クロノは思わず声に出していた。
「クーパー! 今すぐ管理局にサインしないか、今なら僕の下で働かせてやるぞ」
下種な話だった。
「…御戯れを」
互いに笑ってしまう。そこでふと気づく。ある人を放置していることに。
「私のこと、無視しないでくれるかな……」
レイジングハートを一閃させて、クーパーを見下ろす怖いなのはがいた。なんだか、
プレシアよりもレベルが高そうな気がする。
「駄目なんだからね、クロノ君」
クーパーに向けられていた目がクロノに向けられる。怖い意識はなくなった。が
「ああ、僕は大人しくユーノの相手をしてる」
やれやれと執務官の切り替えは早かった。なのははニコリと笑いながら、またクーパーを見下ろす。
笑顔が、般若に転ずる。
「うんっ、クーパー君は私が相手をするんだから」
超怖かった。
「……」
クーパーは逃げるための加速強化とシールド強化を施しながら、ぶるりと身震いする。
いつの間にか、ユーノもクロノも、そろりそろりと訓練施設から離れていた。
◆
「馬鹿ッ!馬鹿ッ!馬鹿ッ!馬鹿ッ!クーパー君の馬鹿ッ!!!!」
「・ ・ ・ ・ ・ ・ っ ! ! ! !」
馬鹿がトリガーワードになっていた。砲撃が絶え間なく降り注ぐ。
誘導弾などという小賢しい真似はなかった。ただ砲撃あるのみ。
砲撃が勝つか盾が勝つかの二択だった。
当然、クーパーは防戦一方で、大雨の中を小さな傘で濡れないようにするみたいに、必死だ。
完全に、その場に釘付けにされている。
「全然優しくないんだから! 素直じゃないんだから!! そんなんじゃフェイトちゃんも
ユーノ君も私もクロノ君にも誰にも相手されなくなっちゃうんだから!!!」
なのはの声がよく響く。クーパーに返事を返す余裕は無かった。
言うならばあれだ。クーパーは将棋で出だしから失敗した哀れな棋士のように、緒戦の一手を見誤っていた。
それは致命的であり論外だ。なのは相手に余裕も何もなく、ただただシールドを張り続ける。
アルマジロのように身を防ぐしかない。砲撃は一方的だ。
ちなみに、言っている内容は昨日のことらしい。
「ごめんなさいって、言って!」
砲撃を張ったまま、叫ばれる。当然返事は無い。余裕も無い。
なのはの苛立ちが増す。
「馬鹿ァッ!」
そんな無茶な要望ならぬ声が木霊する。あまりにも理不尽すぎて洒落どころか話にもならない。
ますます過激になっていく砲撃にクーパーの体は苦痛になっていく。筋トレのしすぎで筋肉に乳酸がたまる感じに似ていた。
リンカーコアの疲弊である。
ノーネイムが天国でハンカチを振っているのが見えた気がした。まったくもって嬉しくない。
歯を食いしばる。
「…な、にが」
「聞こえないよ!」
奥歯を噛み締める、言いたい放題のなのはにクーパーの苛立ちもあがってきた。
「…何が言いたいのか、解りませんね……!」
たった一言で、なのはの堪忍袋が引き千切られた。
そんな2人を他所に、最初から戦う気もなかったのかクロノとユーノは安全地帯でその様子を眺めている。
ユーノは結界を調整しつつ、苦笑いを零す。
「クーパーも降参すればいいのに」
「馬鹿だな」
2人から溜息が落とされる。ちなみになのはは、砲撃を発動させながらも、
デバイスに次なる命令を送り込む。
「レイジングハート……!」
『yes!』
「!・・・いっちゃうよッ!!」
『standby!』
なのは秘伝。クロノとクーパーが「げっ」という顔をする。ディバインバスターのプログラムを発動させながらも、
自分で撒き散らしていた魔力を収束させて、スターライトブレイカーのプログラムを走らせる、
砲撃を激しながらも、ありえない感覚に、クーパーは身震いする。死の予感だ。
想像して欲しい。
崖にいたとして。
ここの崖は高さが100メートルあるけど落ちても死なないから飛び降りろ。と、背中を押される感覚を。
「…く」
クロノとユーノは頷きながら見守る。スターライトブレイカーの恐怖感、ある種の絶望感は味わったものでなければ解らない。
巻き込まれるのは溜まったものではないと2人揃って訓練室の結界を維持しようとしている。
「スター……ライト……!」
待ったは無い。なのはは王手を叩きつける。
「ブレイカーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
砲撃魔法の上から、怒涛の収束砲撃砲が被せれる。悪寒を抱きしめながら、クーパーも最後の攻勢に出た。
「…カドゥケス、少しでいい。持たせて」
『Rajah.』
デバイスの応答はごめんなさい無理かもしれませんが頑張ります。というものだった。
直ぐになのはの猛威がシールドを叩く。今までに受けた事のない強烈さにクーパーは血が逆流したかのような錯覚を覚える。
あまりにも重いが何も言い返さないまま終わるのも癪だった。最後の反逆にでる。
「…高町なのは!! 貴女が思う程魔法も管理世界も崇高なものじゃない!貴女は夢物語に恋してるだけのアウトサイダーだ!!
その歳で組織の駒として扱われることの意味が本当に解っているんですか!?
この世界で求められるのは貴女じゃない、貴女のその力だ!
理解してくれる家族や友達を捨て、この道に生きる道理が貴女にはあるっていうんですか!?」
「……ッ」
なのはも直ぐに返答が返せない。胸の中にあった衝動が僅かに尻込みした。
それでも、クーパーのデバイスが構成する盾はもはや限界。一度、溜息をつくとクーパーは肩の力を抜く。
一気に盾には亀裂が入った。終わりだ。最後の最後に置き言葉を残す。
「…僕が我侭というなら、貴女が今している事はなんだっていうんです?」
皮肉を最後に、クーパーは盾を打ち破られ収束砲撃魔法の中に飲まれていった。
当然。非殺傷設定になっているから死にはしないが、意識も吹っ飛ばれ体は紙屑のように吹っ飛ぶ。
結界を維持していた2人も巻き込まれなかった事に安堵の吐息を落とす。
改めてなのはの力の凄さを思い知るに至る。
クーパーが戦闘不能に陥ったのを確認するとなのはは砲撃の手を止め飛行魔法を解除する。
ゆっくりと降り立つ。確かに、勝った。
王将はあっさりと払いのける事が出来た。元々この模擬戦は、元々、2対2というよりも
なのはとクーパーがやりあうのが目的だしお膳立てしたのもクロノだ。
なのはも当初は渋ったがクーパーをぶっ飛ばせるということで受け入れた。
訳だが。
なのはは後味が悪い。ただでは転ばなかったクーパーに小さな溜息を落とす。
手に握るレイジングハートを見つめる。クロノとユーノが視界に入る。
「少しは気が済んだか?」
「…ん」
そして溜息。なのはの意は、否定か肯定なのか。クロノとユーノには解らない。でも、
とりあえずゴミ屑みたいにぶっ倒れているクーパーを医務室に運ぶ為、早々に模擬戦は終了した。
とりあえず、クロノはユーノに振っておいた。
「君も、管理局に入らないか?」
「考えとくよ」
◆
「あ、気づいた」
アースラ医務室、ベッドの上で横になっていたクーパーが目を覚ます。
ゆっくりと意識は覚醒しクロノ、なのは、ユーノがいる事に気がつくと、とっさに手が右目に伸びる。
指先が眼帯に触れると溜息を落とす。余程、傷痕を見られたくないのか。クロノの質問が矢次に飛ぶ。
「気分は?」
「…悪くありません」
「体がおかしいところは?違和感は?」
「…とりあえず、どこも問題ないみたいです。所で…」
なんでみなさんここにいるんです? という前に、自分が砲撃に吹っ飛ばされた事を思い出したようだ。
少しの空白を挟む。
「…見事な砲撃でした、なのはさん」
「え?あ、…うん」
流石に、そこで褒められるとは思ってなかったらしく。ちぐはぐな言葉がこぼれる。
何を改めるのか、クロノがワザとらしく咳き込む。
「起きぬけで悪いんだが、いいか?」
「…はい」
「なのはに謝れ」
「…はい?」
思わず、首を傾げてしまう。一体、何を謝れというのかと考えそうになった時。
食堂からのクロノの行動が、全てこの誘導の為であったと、頭の中で認識すると困惑は止まる。
「…上手なお膳立てでしたね執務官」
「君もだだをこねるのか? 人間関係ぐらいは優良にしておくことを薦めするよ」
多少の差はあれど、クーパーも馬鹿ではない。吐息を落とすとなのはに頭を下げる。
「…昨日は苛立っていたので言い過ぎました。すみませんでした」
なのはも思うところがあるだろう、相手を吹っ飛ばした上に頭を下げられて尚、嫌だという子供でもない。
多少の蟠りもまだあろうが、首を縦に振る。
「…ううん、いいよ。ねえクーパー君。一緒にユーノ君も許してあげない?」
「……」「……」
兄弟は目が合うものの、すぐにぷいっと互いに目を逸らしてしまう。苦笑いと呆れだけが、
その場をゆったりと泳いだ。話が戻る。
「…その、僕が言えた事じゃありませんがなのはさん。
嘱託魔導師については、よくよく考えたほうがいいですよ」
「どういうこと?」
「…まだ地球の学校に通っている未成年が、管理局で働く事を1人で決めていいんですか?」
「…う」
それは痛い問題だ。ちなみになのはは、海上でフェイトとやりあい、ノームに拉致られてからここ数日。
高町家に連絡を何一つとして入れていない。親御さんに、途轍もなく心配をかけているのは言うまでも無い。
一応、リンディが説明に行くとは言ってくれているものの、今、一番向き合いたくない問題だったりする。
「…なのはさん立場上、まだ御両親の庇護下にあります。だというのに、偶然手にした力が強大すぎるからといって、
働き始めるのは、どうかと思います。これが管理内世界なら口出しはしませんが、管理外だと事情が違いすぎます。
だというのに、嘱託に意欲を見せるなのはさんも、巻き込もうとする管理局も認めたくなかった。それだけです」
目がクロノに向く。どちらかというと、クロノを見てリンディを見る、といったところだろうか。
ふと、なのはが首を傾げる。
「それじゃあ、昨日のフェイトちゃんの話は」
「…フェイトについての意見は変えませんがただの八つ当たりです」
「…………」
どこか、なのはは納得しづらそうな顔をしているが何か言ってくるでもない。
「…そんなに納得できないなら、行きますか?」
「え?」
「…説得はしません、でもついていくなら構いませんよ」
クーパーはベッドから下りるも、体がぐらついた。ユーノが手を伸ばそうとするが、それは拒む。
待機モードになっていたデバイスを再起動し、腕輪からグローブにした。
「…カドゥケス、アルトを」
『Rajah.』
足元に魔方陣を浮かばせるや否や黒くどでかい獣を召喚する。その体の上に乗りながら、
行きましょうとなのはを誘う。
「ユーノ君とクロノ君は、どうする?」
振られて、ユーノはいいやと首を横に振った。クロノも同様だ。だが、頼むと一言おまけにしてくる。
結局、行くのは2人と1匹。
「それじゃ、ちょっと行ってくるね」
クーパーを乗せたアルトとなのはは医務室を後にする。1人と1匹は拘置区画への道程を行く。
「そういえば、最近アルト見てなかったけど、どうしてたの?」
「…此処最近のご主人様は、エイミィさんになってました」
相変らずだるそうにしているクーパーは、ぐりぐりとアルトの眉間を押す。
すると、やめろご主人と頭を振られてしまう。無理強いはせず毛並みに指を預けて何度も撫で付ける。
「なんでエイミィさんなの?」
「…抱き枕代わりだそうです」
「にゃはは、それはいいかもね」
笑い声が廊下を飛び跳ねる。アルトの尻尾も、まんざらでもなかったとばかりに尻尾が右へ左へ。
「今度私も借りてもいいかな?」
「…ご自由に」
アルトがのしのし歩くたびに、クーパーの体は上下に揺れる。それが変な感じ、と思う。
さて、拘置区域へと足を踏み入れると、いい加減クーパーも歩けるようになったのか、
アルトから降りて自分の足で歩き始める。サイズも元に戻して、腕の中に抱える。
幾つもの牢の道を抜けて、2人はフェイトの牢までやってきた。相変らず、簡素な椅子に腰掛けてフェイトはボーっとしていた。
2人には足音で気づいていたらしく、微笑まれる。
「いらっしゃい、なのは。…クーパーが来てくれるってことは、何かあったのかな?」
少し着たいしている風にも見えないが、クーパーは手を振って断りを入れる。
「…別に何もないよ。今日の僕は、ただの付き添いだから」
「あ……そうなん、だ」
フェイトの顔に翳りがさす。なのはは、以前フェイトがクーパーは氷と評していたがなんとなく解る気がした。
彼は接する人間によって、まるきり態度が違うのだ。勿論人は、人其々という言葉もあるがあまりにも違いすぎる。
でも、フェイトの笑顔に陰がさした事で、思わず念話が飛んだ。
"駄目だよクーパー君、もっと思いやりとか、優しい心をもって。
ほら、フェイトちゃんは、だーい好きなユーノ君だと思って!"
同じ金髪だし、というなのはの意だがさらりとクーパーには流される。
"…僕にとってフェイトは、知り合い程度の仲なんですが"
"だから駄目だよそんなんじゃ! フェイトちゃん萎れちゃうよ?!"
"…意味が解りません……"
それを聞くと、思わず溜息が漏れてしまう。なんという甲斐性の無いガキだ。泣けてくる。
「なのは?」
当然、念話を受信していないフェイトは状況が解らず、首を傾げる。
「聞いてフェイトちゃん、クーパー君ったら酷いんだよ?!あ……んっと……、
フェイトちゃんは、クーパー君のことどう思ってる?」
「え?」
「……」
柵越しに質問を受けて、思わず疑問系の声が飛び出してしまった。
そして、片目を見ると、ジーーっと注視する。返事には困っているようだが、なんとか手探りの中答えを探し出す。
「私とクーパーの関係……は、友達になれると嬉しいかな…」
「ほら!」
フェイトの発言に目を輝かせたなのはが食いついた。流石のクーパーも空気を読む。
「…でしたら、僕とフェイトの関係は交友関係にあるんでしょうね、なのはさん」
「…硬いよクーパー君、もっとこう、なんていうのかな。僕とフェイトちゃんは友達だね!って、できない?」
「……」
「……できないんだ」
流石に、クーパーに笑顔で今のを言え、というのは無理がある。
困ったように頭を掻くとフェイトには笑われる。やれどうしたものかとなのはを見るが
……
ネタが無いらしい。仕方ないとばかりに小さな溜息をつく。
「…フェイト。なのはさんは生きる望みにはならない?」
なのはとフェイト、共に「え?」という顔をする。当然なのははその意味を理解しかねる。
フェイトは曖昧な笑顔を作るだけだった。こんな数日で答えを求めても無駄ということはクーパーとて解りきっている。
なのはの意見を否定したのは、頭ごなしではなくフェイトの意志を尊重してというのもあるがそれをなのはが知ることは無い。
続ける。
「…フェイトは1人じゃないんだ。世界は、そこまで狭くないよ」
答えは無い。俯き、拘束具付きの手は握り締められていることに、クーパーもなのはも気づく。
そして搾り出した声は、あまりにもフェイトの荒んだ心を表していた。
「生きる希望なんて無い」
絶望的な答えだったが、相槌も冷淡だった。
「…そう」
「クーパー君?!」
なんでそこで認めちゃうの!? というなのはが腕にしがみついてくる。結構痛かった。
アルトを片手で抱きしめつつ、クーパーは俯き続けるフェイトを見る。
「…僕は、プレシアに激したフェイトも、今のフェイトも好きだよ」
でも、もう反応は無かった。クーパーはなのはの腕を払い、行こうと告げる。
「…それじゃ、また答えを聞きに来るよ」
それだけ言うと、クーパーはフェイトの牢を後にする。なのはも一声かけるが、反応は無い。
心配になりながらもクーパーの後を追う。
「クーパー君……っ」
「……そんなに心配なら、なのはさんも一緒に牢屋に入ります?」
心の中でNO、と言ってしまう自分が酷くあさましかった。フェイトの希望、フェイトの生きる道。なのははただ、
何もできない自分が悔しくて、レイジングハートを握りながら、ただそれだけを考え続けた。
◆ ◆
次元震の影響が収まるとアースラはようやく第97管理外世界に進路を取った。そこからは遠足の帰り道の様に、
時間を感じる事も無くほいほい進んでしまう。地球につくと、なのはのご両親の説明の為に、
艦長まで態々足を運んだりと忙しいようだ。その結末がどうなったのかは、クーパーは知らない。聞く気もなかった。
高町なのはが魔法少女を続けていようがいまいが些事なことだ。
しかし、そんな高町なのはから要望でクロノ、クーパー、ユーノは第97管理外世界の公園にいた。
無論日本。勿論鳴海。
フェイトちゃんと外で、どうしても話しがしたいそうだ。
要は護衛だ。本来ならば通る要望でもないが、今回の一件の礼も兼ねて、ということで特別にフェイトは牢から出る事が叶った。
おまけでアルフも。
「…いい天気だね。アルフ」
「そうだね」
男3匹&拘束具付きのアルフは、適当なベンチに座りながらぼへーっとしていた。
フェイトとなのはは少し離れた所で2人きりで話している。
当然、フェイトも拘束具付きではあるが。
「…ああ、そうだ。何か飲み物を買ってくるよ」
「いいのかい?」
「…これからまた辛気臭い牢屋に入るんだから、それぐらいは」
じゃ、と言ってクーパーはその場から外す。当然、残るのは男2匹とアルフ1人。
少し離れた所で話しているフェイトとなのはを見ながら、アルフは溜息をつく。
「一体、何を話してるのかねぇ……」
「さあね」
クロノが短く応じた。くっくと、アルフの短い苦笑が跳びはねた。
「なんだ?」
「いや、別に?」
アルフの視線の、先。フェイトとなのはを見つめながら、思いを馳せた。いつか、
いつか、フェイトと一緒に牢を出る事が出来たならお日様を眺めながらのんびり散歩でもしたいもんだね。フェイト。
「(ごめんね、アルフ)」
フェイトは、繋がりのある使い魔の機微を感じ取り、心の中でそっと謝罪を添える。
今はなのはと話しているのに違う事を考えて申し訳なく感じてしまう。目の前で、明るく話している相手を見ていると、
ただただ、やるせなさだけが胸を焦がす。
「フェイトちゃん」
「え?」
ふと、ボーっとしすぎたのか。なのはの声ではっとする。……と、なのはの手がフェイトの頬をぐにっとつまんでいた。
「聞いてた?」
「ご、ごめん……」
全然聞いていなかった。ただ見てただけだ。なのはの話す様を、人形のように、マリオネットのように。
「そっか・・・それじゃ、レイジングハート。お願いね?」
「は?」
聞いていなかったフェイトも悪いが、首にかけていたレイジングハートを首から外して、紐を綺麗に纏める。
紅玉と共に、拘束具がつけられるフェイトの手をとって無理やり掌の中に押し込める。
「え?え……?」
ただただ、フェイトは現状が理解できず、戸惑うばかり。掌の中を見れば、紐付きの紅玉。
なのはの相棒たるレイジングハートが握られている。何故に? なんで? 何の問題ですか????
フェイトの頭の中がぐるぐると回り始める。何故自分がフェイトのレイジングハートを握らされているのか。
なんでレイジングハートなのか。話を聞いていなかった者には、解らない。
「な、なのは……?」
「しょうがないなぁ・・・それじゃ、もう一回だけ言うね。フェイトちゃん」
笑顔で、ただ一度だけ大きく息を吸い込む。空以上に、なのはの笑顔は澄んでいて、綺麗だった。
「私ね、もうレイジングハートを持つの、止めようと思うんだ。だからお願い。私の代わりに、
レイジングハートのマスターになってあげて。フェイトちゃん」
1秒
2秒
3秒
4秒目でフェイトが再起動した。
慌ててその手の中のものを返そうとする。拘束具がはめられた腕でだ。でも、なのははひょいと逃げる。
「だ、駄目だよなのは!! 受け取れない!無理だよ!」
「何が無理なの?」
ん? と笑顔で聞いてくるがフェイトの胸の中はカオスだ。こんなもの、受け取れる訳が無い。
「だってレイジングハートはなのはの大切な……」
「本当に聞いてなかったんだね、フェイトちゃん」
「う……」
何一つとして聞いていなかった。なのはは胸元をごそごそと漁るとレイジングハートと同様、
紐をつけた玉を、じゃんっ、と取り出す。フェイトの眼でも解る。それはデバイスだ。
但し、管理局の魔導師が一般的に使ってそうな酷く一般的なモデルで、えらく地味ータイプだった。色は緑。
「リンディさんにお願いして、一つだけ譲ってもらったんだ。……ああ、レイジングハートを譲るからっていう意味じゃないよ?
どちらかと言うと、フェイトちゃんが牢を出たら連絡を取る為……かな」
「うん。あ、そうなんだ……って、違うよ!!全然説明になってないよなのは!」
「えー」
「えーじゃないよ!これはなのはの大切な……」
拘束具付きの手を握られる。そして何故か、ニッコリと微笑まれてた。
「大切な、相棒だからフェイトちゃんに託したいんだ。私ね魔法のことに首突っ込むの辞めたわけじゃないんだけど。
しばらくお休みにするんだ」
手を握られたまま、意味が解りかねた。まだ、胸の中はてぇへんだ!とばかりに激しく乱れている。
「どういうこと?」
「うちの親とも色々話したんだけど・・・・・・なかなか説得できなくてね、とりあえず大人になるまで
管理局の仕事を手伝うのも、お預けになっちゃったんだ」
それをどうコメントしていいのか、フェイトには解らなかった。そして、そういった事情があったからこそ、
レイジングハートを託されたのかと思うと胸が詰る。
「ああ、今のはレイジングハートに関しては全く関係ないんだ、ごめんごめん。
でもね、私がフェイトちゃんにレイジングハートをお願いするのは、生きて欲しいから。ただそれだけだよ」
なのはとフェイトの眼が合う。
フェイトは澱んでいて、なのはは澄んでいて、酷く対照的だった。
「フェイトちゃん、お母さんもバルディッシュもいなくなって、寂しそうだったから、
っていうだけじゃないんだけど、私なりに見つけて欲しいって思ったんだ。生きる理由。
……んーごめん、なんだか上手く言えないや。レイジングハートを守ってあげたり、
一緒に生きたり、支えになればいいなって私は思うよ。新しい相棒を大切にしてあげてね。フェイトちゃん」
「そんな……、でも」
紅玉を手にしながら、未だ渋るフェイトに、なのははふっと吐息をつく。
そして
「先に謝っておくね、ごめんね?」
「え?」
さっきから困惑しっぱなしだ。何?という前に、今度はなのはの張り手が思いっきりフェイトの右頬を叩いた。
いい音が響く。音と突然の衝撃にフェイトはなす術も無い。驚いたまま呆然としていると、今度は胸倉を捕まれてしまう。
どちらかというと大人しい、あのなのはに、だ。
そして叫ばれる。
「あんた何ぐちぐちしてんのよ! 前を向きなさいよ! 前を!! 下見てたって何もありゃしないわよ!
苦しかったら頼りなさいよ!! クーパーでも、私でも、ユーノでも、クロノでも、管理局の人だって、誰だって!
必ずいるわよ下以外に!!」
ぽけっと、なのはを見る。今のは一体誰だ。本当に高町なのはなのか。
そう疑いたくなる程あっけに取られていると、なのはもまた小さく笑う。
「今のね、私の友達の真似。私がフェイトちゃんに連敗してた時に似たような事言われたんだ。
あ、ちょ、ちょっと強く叩きすぎちゃった? ご、ごめんね、痛かった?いたかったよね……??」
直ぐにあたふたとするいつものなのはに戻ってしまう。
それでも、フェイトはジンジンする頬の痛みが、決して嫌なものだとは思わなかった。
てんぱっているなのはを尻目に首を横に振って、違う。ありがとうと告げておく。
レイジングハートを握る手は、硬く握られていた。
「それにね、私のお家ケーキも作ってるから、フェイトちゃんに、絶対美味しいって言ってもらうのが今の私の目標なんだ。
だから、待っててね。絶対にほっぺたが落ちるぐらい美味しいケーキ、作れるようになるから!」
「うん、うん…………」
もしも、フェイトの手に拘束具がなければ、なのはにだきついていたかもしれない。自分が不幸、と思うのは簡単だ。
クーパーしかりなのはしかり、多少の勇気はもらえたと思いたい。そうでなければ、今もフェイトからこぼれた涙に、
意味がなくなってしまう。自分は幸運だ、と思って歩けるのならばいいが。
「…あちらは感動のお別れですか?」
缶ジュースを抱えたクーパーが戻ってくる、アルフは手渡しでりんごジュースを受け取る。
「…執務官」
「ありがとう」
でも、受け取ってラベルを見たクロノは顔を顰めた。
『ミックスエリンギきのこジュース!』と書かれている。
どこからどう見ても美味そうには思えない。
「…兄さん」
今度は投げ渡される。アルフと同じく、りんごジュース。そして何故か、クーパーもりんごジュースだった。
クロノ一人、きのこジュース。
「クーパー」
「…なんですか、執務官」
「取り替えろ、交換だ!」
「…嫌ですよ」
にへっと、クーパーはいやらしい笑みを浮かべながら、缶をあけて口にする。
クロノがなにやら騒いでいるが、気にしないでおく。二人も笑っているし、チョイスは間違っていなかったと思いたい。
そんな感想を抱いていた矢先、カドゥケスから声がかかる。
『One letter has come.』
「?」
疑問に思いながらも、片手を腕輪からグローブにして内容を確認する。と、クーパーの動きが止まった。
りんごジュースに口をつけていたユーノがそれに気づいた。
「クーパー?」
「…いえ」
何も言わずに、デバイスを腕輪に戻す。そして、またりんごジュースに口をつけていた。涼やかな風が公園を走り抜けていた。
その心地よさと風の音に抱かれながら、事件は一先ずの終息を見る。
Crybaby無印編 了.