……ええ、興味ありませんから。
そんな呟きが耳を掠めた。医者を伴って歩くクーパーに背を向けて歩くユーノの胸の中で何かが呟かれた。
いいんだ。
何がいいのか。自分を言い聞かせるように呪文のように繰り返し紡いでいく。まるでお呪いだ。
そして、横を歩くなのはに声をかけられるまでユーノは地蔵のように黙っていた。
「大丈夫?」
「?」
問われても意味が解らなかった。
「ユーノ君、凄い辛そうな顔してる。無理しちゃ駄目だよ」
逆に、なのはに気を使わせてしまった。自分の顔に手を伸ばし、口許を隠す。
「そんなに辛そうにしてたかな」
「うん、すっごく」
歩くのは止めず、図星な指摘を受けてしまった。胸中で一瞬の否定の後、直ぐにそれもそうかと認めてしまう。
いいんだと重ねていた言葉を全て撃ち貫かれたのだから認める他に無い。小さな苦笑と共に、高々と負けを宣言。
苦笑する。
「そうだね、そうかもしれない」
そうなのかもしれないという辺り酷く他人事だ。なのはの心配そうな表情には申し訳なさを感じてしまう。
「私は2人に何があったのか知らないけど……駄目だよ、仲良くしないと」
クーパーと仲良く友好な関係を築き上げる事はできるのか?、という疑問を打ち立てるも根元はできねぇよと鼻で笑う。
未だに記憶に残るあれがユーノを縛る。それでも、折角のなのはの行為は無碍にはできない。ポーカーフェイスは便利だ。
「あはは、なのはの言うとおりだ」
少々の申し訳なさを織り交ぜる。言う通りにしたいと思う反面できないとも思う。
ユーノにとってのクーパーは、一体何なのだろうか。弟? ただその一言で括るにはあまりにも言葉が足りない。
考えている内に食堂に到着して、適当なメニューをトレイの上にとって2人は席につく。
いただきます、というなのはの声に誘われてユーノもフォークを伸ばす。
なのはは食事をしながらユーノを窺っていた。おかしい、ユーノの様子にどこか翳りが有るような無いような。
パンを千切っては口に運びながら、もむもむと咀嚼しつつあれやこれやと考えに手を伸ばす。先程クーパーと顔を合わせてから
どこか違和感を残している。それが原因なのは間違いないのだろうがどうするべきかと思い悩む。
なのはが知るユーノとクーパー。2人ともスクライア性だが仲がいいようには見えない。
2人が直接話している所を見た事はほとんどない。2人が知り合い関係のようだ、程度しか知らなかった。
ユーノの記憶を勝手に漁れる便利な能力があるわけでもなし。
何か助けにならないかとあれやこれやと考えてみるも、あまりいい言葉は出てこない。こういう時、人は酷く悔しく思う。
尋ねて状悪化が怖くて一歩先には進めない。八方塞ならぬ一方方向な考えにどん詰まってしまう。
何か良い方法はないものかと窺っていると、苦笑いされた。
「ねえ、なのは。そんなに見られると流石に食べづらいよ」
「ご、ごめん!」
慌てて目を逸らすも、苦笑しきりのユーノは吐息を落とす。フォークを皿の上に置いて手を止めた。
「ううん。僕の方こそ、気を使わせちゃってるしさ」
一気に空気が重くなった。引きあてたカードは現状の悪化に思えて息苦しさと罪悪感を感じる。
やっぱり自分は駄目だ、というのを尻目に。意外にもユーノは語り始めた。
「……大人しくて、ちょっと繊細だけど頑張りやで。笑顔がよく似合ってて……凄い優しい子だった。
それが、僕が持ってたクーパーの印象かな」
「……??」
印象というものを聞いて。なのははうんそうだねとは頷けない。もわもわと頭の中に浮かぶクーパーの印象と言えば、
少し無表情で無愛想で人付き合いを避けるように見える。悪い人間ではないが、なんというか一歩下がって話すような。
そんな感じだ。
それに、よく笑うという印象はなのはの中には無い。何度かはにかみ笑いを見た程度だ。話す時も目すら合わせない。
本当に腹の底から笑っているような楽しそうな笑顔も見たことがない。優しいという言葉も疑問だった。
確かに優しいのかもしれないが、それも表立ったものではない。むしろ、それを隠した上で皮肉を言う風に見える。
それがなのはにとっての、クーパーの印象だった。
「贔屓目かもしれないけど、僕によく懐いてくれたし。かわいかった。いい弟だったよ」
「弟?」
そこで、なのはが目を丸くして動きを止める。当然、ユーノも止めた。
「あ、うん」
「弟って、えと、ユーノ君とクーパー君って兄弟だったの!?」
その表情と声から察するに今まで知りませんでした。という驚きを含ませる。引き気味にユーノは小さくうんと答えていた。
「言ってなかったっけ」
「全然聞いてないよ、……びっくりしちゃった」
「ごめんごめん、とは言っても義理だけどね。僕とクーパーは性が同じなだけ。血の繋がりは無いんだ」
そう言いながらはにかみ笑いを浮かべる。でも、その笑顔は酷く寂しそうで。見ているととても切なくなってくる笑顔だった。
なのはも眉間に小さな皺を寄せる。
「喧嘩、しちゃったの?」
「喧嘩というか。僕がその……」
そこで言葉を濁らせる、若干言い辛そうな感じを残しながらも、改めて言い直す。
「2年前。僕が言っちゃいけないことを言ったんだ。原因は嫉妬かな」
「ユーノ君が嫉妬?」
「そう、嫉妬。僕のどうしようもない一言が、クーパーを傷つけたんだ」
なんて言ったの?
言葉にはしなかったものの、なのはの表情を読んでユーノは続ける。
「苛立ってた僕はクーパーにね。本当の兄弟じゃなくて、清々するよ。これで、もしも血まで繋がってたら……って」
ユーノは鬱憤の溜息をつく。確かにきつい一言だ、とは思ったが
「で、でもユーノ君は謝ったんだよね? ゆるしてくれなかったの……?」
それはもう答えが出ている。ただただ、ユーノは眼を閉ざす。
もしもクーパーがユーノを許しているのならば、ユーノはここまで苦しまずに済んでいる。
「駄目だった、拒まれたよ。もう元通りの関係になんかなりたくないって。
血が繋がってなくて良かったですね……って」
「で、でも……!」
尚食下がるなのはに、ユーノは優しく諭す。
「思いあがりでなければクーパーにとっても僕は大切な人だったんだと思うよ。
自分で言うと、……凄い滑稽な台詞だけどね」
「そんなことないよ。それほどユーノ君のことが大切だったんじゃないの?」
「そうだと嬉しい。でも、あの時確かにクーパーの心にキズを入れたのも僕だし、変える切っ掛けを作ったのも僕なんだ。
それから……クーパーは、スクライアの一族と暮らすよりも前の事は覚えてないんだ。確か」
「ええ?」
「記憶喪失だと思うんだけど、本人もそのことも悩んでた。僕にはよく懐いてたし、いつも一緒にいた。
今にして思えば、僕はクーパーにとって少し特別な存在だったのかもしれない。兄として家族として。
でも、その大切な相手から拒絶されて心にまでキズつけられたんだ。心の瑕っていうのはそう簡単に癒えるものでもないし、
どういう方向にいくかは解らない。クーパーが僕をどれだけ恨んでるかなんて、見当もつかないよ」
そう言いながら力の無い笑いを浮かべる。結局、ユーノはほとんど食事に手をつけずなのはが食べ終えるのを待っていた。
なのはにしても、パンドラとまではいかずとも聞いて良かったのか、悪かったのか判断に迷う話だった。
なのはの知らないユーノとクーパー。ユーノとはよく一緒にいたが暴言を吐いたりなどということはなかった。
想像もできない。同時に、クーパーが笑顔を見せては健気にはしゃぐ、というのも想像できなかった。
人が踏み込むべき領域とそうでない領域。その境目に立ち、心はぐるぐると迷い続ける。重い溜息だけがでてきた。
人の心とは面倒なものだ。
【-前響- crybaby21話】
「…ホームシックですか? なのはさん」
「はうぅっ?!」
1人、食堂でマグカップを手にボーっとしていたら声をかけられてきょどった。そのせいでマグカップの中の紅茶が、
僅かにテーブルの上を叩いて水滴を作ってしまう。声をかけたクーパーも、そんなに驚かれるとは思っていなかったらしく
申し訳無さそうに頭を掻く。
「…すみません、驚かせるつもりはなかったんです」
ごめんなさい、と謝りながら正面の席につく。なのはも左胸を抑えながら、平気だよとのたまう。
ユーノはいない。先に部屋に戻っている。
気持ちを落ち着かせる為に1人残っていたが、問題兄弟の片割れが姿を見せてしまったわけだ。
良いのやら悪いのやら。未だ暴れる心臓の鼓動を感じながら水滴を拭き取っておく。
クーパーの手にもマグカップが握られていた。
「えっとね。ホームシックじゃないよ。もう少しで家にも帰れるし」
「……そうですか」
アースラは今、次元震の影響で移動ができない状態になっている。なのはの地球が存在する第97管理外世界に戻るには、
もう少々、安定を待たねばならない状態になっている。
「…何か、悩み事ですか?」
「うーん……悩み事といえば悩み事なんだけど……」
クーパー君が原因だよ。と言える訳が無い。何か適当な話題は無いだろうか、と探してみる。
「…兄さんのことですか?」
そう問われた瞬間、なのは思いっきり顔に表情が出てしまう。しまった、というか。なんで解ったの!?
という類の表情だった。そして、溜息をつかれる。
「…僕のことですか」
「な、なんで解ったの?!」
「…面白いぐらい反応が出てるじゃないですか」
「ぁぅ」
思わず小さくなってしまう。クーパーは苦笑こそないが、僅かに釣り上がった唇を歪ませる。
「…兄さんと僕との過去を聞いてしまって困ってる。どう対処したらいいのか解らない。
そんな時に本人が来たどうしよう? ……そんなところですか」
僅かにぽかんとした表情が晒される。マグカップを握りながら、少しだけ顔が迫ってきた。
「クーパー君は私の心の中が読めるの?」
「…なのはさんはポーカーフェイスとカマカケ、という言葉を知るべきだと思います。
全部当てずっぽうの勘ですよ。兄さんの悩んでそうなことを適当に言ってみただけです」
「ずるいよ、それ」
「…見切り発進もカードの一つです」
マグカップに口をつける。酷く暖かなものが口を通り、喉を通過していった。
そして、なのはも諦めをつけたようで、踏ん切りをつけるとマグカップを両手で包み込む。自分の心が、折れないように。
「クーパー君はさ」
ずい、ずずいとなのはの顔が迫る。
「…はい」
「ユーノ君のこと、どう思ってるの?」
「…あまり近づきたくありません」
言われてるのはユーノ事なのに自分の事を言われた気分になる。
手の中にあるマグカップに口をつけて、なのはは一息つく。まだ戦闘不能なまでに叩きのめされた訳ではないらしい。
頑張るようだ。
「そういう言い方は、酷いよ」
ぷくっと頬を膨らませる仕草は可愛いと思うが、クーパーはさほど気にもしない。
「…兄さんから、僕のことはどこまで聞いたんですか」
「えっと……喧嘩して、酷い事言っちゃったってことぐらいは」
要は全部だ。どこから何を言うべきか。切り口をクーパーは選ぶ、加えて、紅茶に口をつけて唇を湿らせた。
目の前の人物を見やる。高町なのは。ユーノ・スクライアと共にジュエルシード集めをした、第97管理外世界の住人。
規格外な砲撃魔導師。他人のようで、近いようで、友人のようで知り合いで。
クーパー・S・スクライアと高町なのはの関係はきわめてあやふやなものだった。
でも、2人を結び付けたのは、クーパーの兄であるユーノの存在があったから、こそである。ユーノを起点にする2人。
クーパーにとっての高町なのは。
それは、信じる信じないは兎も角として、クーパー自身も気づかない程小さな声で、心の奥底で何かが訴える。
賭けるのはいいだろう、と。クーパーにとっては認めたくないと思う気持ちかもしれない。
高町なのはは、この現状を打ち破ってくれるかもしれない者、という恋心にも似た淡い期待に。
そして、微かな期待を寄せてしまう哀れな己を殺してしまいたくなる。甘い気持ち、持っているだけ無駄だと言うのに。
マグカップの中の中の紅茶を煽る。一気に胃の中へと飛び込ませた。何もかも無視して口を開く。しかし、先に名を呼ばれていた。
「クーパー君?」
「…兄さんにはどう接したらいいんでしょうね。自分でも、よく解りません」
少々の間。
「…僕の記憶のことも、聞きましたか?」
遠慮がちになのはは頷く。とクーパーも続けた。
「…記憶も無く、道端で生活していた僕はスクライアに引き取られました。待っていたのは兄さんです。
一緒に生活して色んなことを教えてもらいました。今でも尊敬はしています」
それじゃあ、と切り出そうとするなのはに待ったをかける。
「…嫌いか、嫌いじゃないか。好きかどうかの有無で決められる話じゃないんです。
上手く言えなくてごめんなさい、好きも嫌いも混在してます。僕は、2年前から一歩も進んでいない」
手をぐっと握り締めると、力の入れすぎで白くなりつつ打ち震える。歯を食いしばりながら、何かに耐える。
表情に僅かな険しさが混じり、進む度に険しくなっていく。
「……怒りも、悲しみも、慄き続け僕も手をつけることができません。穿たれた心をどう処せよって言うんですか?
幼かったにせよ、あの時の僕はあの人が全てだったんです。本当に。あの人の言葉が僕にどれだけの影響だったか、
どれほどの苦痛だったか。なのはさんに解りますかこの気持ちが? ただ仲直りさせたいが為に立ち回る貴女に解りますか?
あの人のお陰で、僕は二度裏切られた。もう、二度と他人に執着なんかしたくない。目障りだ」
二度、というのがなのはには解らなかった。一度目はユーノ? それとも逆? 二度目はユーノ?
一度目でも二度目でもどちらでも構わなかった。別の誰かに裏切られたのだろうか? それが、解らなかった。
クーパーは拳を固めたままなのはを一瞥する。当然、なのはは何も言えなかった。
ただ、仲直りをして欲しいと思った人間に、どうしろという話だ。
クーパーは溜息をつきながら、固めていた拳の力を解き、緩める。
「…すみません、言い過ぎました。でも、どだい無理な話ですよ。僕と兄さんの関係を戻そうなんて。
そういう気持をもってくれたことには感謝はしますけどね」
無理をしている遠慮気味な笑顔に礼を言われる。再起動したなのはも、慌ててそんなことはない。と首を振るが、
脳裏にはアルフの言葉が去来する。
"何も知らない、能天気なガキ"
その通りだ、が。悔しくてたまらない。知っているから、偉そうな態度を取っていいのか? そう思うと酷く腹が立つ。
表立った態度には出さないものの、立ち会った者や、知っている者達が傲慢に思えてならない。
マグカップを両手で抑えるのは、自分の心を抑えるように黙する。それを見かねて、紅茶を一息に飲むとクーパーも席を立った。
「…僕も部屋に戻ります。失礼しました」
相談に乗る所か、クーパーはただなのはの頭の中を掻き乱しただけだ。ムカムカイライラする。それが収まるまで、
暫くの間そこから動くことができなかった。残っていた紅茶も、気づけばぬるくなっていて、飲むと、酷く味気なかった。
◆
数日が経つ。まだ97管理外世界に戻れる見込みは無く、なのははベッドの上で天井を見つめていた。
「…………………………………………」
そして、寝返りを打っては壁を見つめ、溜息をついては気だるそうに寝返りをうってまた別の壁を見つめる。
ナマケモノのように一定のペースでそれを繰り返すと、大きな溜息をついてむくりと体を起こすとベッドから下りる。
することも然程無いが、気分転換をしようと部屋を出る事にした。
暗い廊下を1人歩く。あの2人の対処方法はないものか、答えも出せず考えあぐねていると。
「どうしたんだ、いやに暗い顔をしてるじゃないか」
「クロノ君」
だった。手に書類の束を持った執務官の登場である。見るからに忙しそうだ。
「何か悩み事か?」
「う、ううん。そんなんじゃないんだ」
手をぱたぱた振りながら嘘を言う。なんだか、前回のクーパーと同じペースになりそうで、怖かったらしい。
それでも、クロノは溜息をつく。
「悩み事か、今からフェイトのところに行くんだが。君も来るか?」
「え……」
その名を聞いて、しばし迷う。フェイト・テスタロッサ。会いに行っても構わない、という話は数日前にされていたが、どうにも。顔を会わせる気にならなかった。
その答えは自分でも解らずにぐだぐだと数日が経っていたが、クロノもいる、ということだし。
心は、いい加減スクライア兄弟以外の気持ちを欲しがっていたので、素直に頷いておいた。
「うん、行く」
「解った」
2人は拘置所の区域へと向かう。現状の状況とかクロノは、クーパーと話をすると皮肉ばかり返ってくると文句を言ったり、
適当なことを話していた。それでも、拘置所の区域に到着し、クロノが何かを操作すると電子音と共にドアが開く。
少しだけなのはは緊張する。いくらアースラの中とはいえ、入っているのは犯罪者なのだ。クロノに変化は見られない。
当たり前か。
「あんまり、格子には近づかないように。掴まれたら何されるか解らないから」
「う、うん」
その時は僕が守る、と心では思ってるクロノだが、そんなこと知ってか知らずか、なのははやや体を硬くしながら、
真っ直ぐ歩く。クーパーの時同様、牢の中からの視線がチクチクと突き刺さって痛い。長時間此処には居たくないと思いながら歩き続けていると、見知った顔を見つけた。
一瞬眼が合う。相手も虚を突かれたようで、表情らしい表情は無かった。
2人は足を止めないが為に、直ぐに過ぎ去ってしまう。次の牢、次の牢。それを繰り返すと目的の人物が入る牢に行き当たる。
なのはとクロノが、足を止めた。金色の髪を持つフェイトは、拘束具をつけたまま壁に背を預けて座っていた。クーパーが訪問した時とは違い、
簡素な椅子には腰掛けていない。
「来たよ、テスタロッサ」
クロノは手に持つ書類を整理しながら、話をスタートさせる。
「こんにちはクロノ執務官。それに、高町なのは」
笑顔はないものの、敵意も無く淡々迎え入れられる。フェイトが立ち上がることも、頭を下げることも無かった。
クロノもそれには構わない。なのはは何と返せばいいのか解らず緊張がなのはを抱きしめる。
「なのはでいいよ」
ただ、沈黙だけが場に降り注いだ。返事はない。少々の不安が襲うが、それにも構わずクロノは書類に眼を落とす。
「君のデバイス、バルディッシュは駄目だったよ」
一呼吸にも満たない間が挟まれる。それでも、フェイトの眼はクロノに注がれていた。
「コアは?」
「致命的な破損があってもう修復はできないそうだ。残念だったな」
フェイトは少しだけ床に目線を落として言葉を捜す。なのはは考えた。なのははレイジングハートが壊れたら、酷く悲しむであろう。
その気持を感じているのかと思っていると、フェイトは再び目線を上げる。
「壊れると解ってて、あの時は使い続けたから」
「そうか」
クロノが持つ書類が捲られて、パラパラと音が聞こえていた。それからは、ただ形式的な質問が続いた。
なのはは特にするもこともなく、棒立ちになっているだけ。フェイトも必要以上の言葉は示さず、淡々と回答していく。
必要以上の感情は示さず、無感動な言葉のキャッチボールが続く。
なのはは割と暇だった。ただただフェイトを見つめる。拘束具と簡素な服、それに包帯。美麗な金髪と顔作りとは裏腹に、別な何かを孕んでいるように見えた。
自身とは、まるで住む世界が違う住人に見えた。自分ならば、こんな牢に閉じ込められるのは耐えられない、と思う。
そして、不意にクロノとフェイトのキャッチボールが終った事に気づいた。
2人の声が途絶えていた。そして、最後とばかりにクロノから言葉が投げられる
「自分の生き方を変える気はないのか?」
なのはには質問の意味を解りかねる。一度、クロノを見て、またフェイトを見る。クロノから投げられた言葉を、
フェイトは受け取ったものの。
「無い」
ぼとりとその場に捨てた。確かに言葉は返したが、その辺に転がして終わりだ。態度からするに、
これ以上話す気もない。という風にも見える。クロノは、吐息を落としながら諦めていないらしい。
手許の書類をまとめる。
「気持ちが変わったらいつでも言ってくれ」
そこに返答は無かった。フェイトは投げられたボールをただ見送るだけで、会話は終ってしまった。
「僕は戻るが、なのははどうする?」
「え、……っと」
どうするべきか迷ってしまう。残ってフェイトと話すべきか。一緒にクロノと戻るべきか。
気持ちは残りたいに傾いていたが、沈黙と無表情を纏うフェイトを相手に残って話すべきか迷ってしまう。
どうすべきかおたおたと迷い続けていると、フェイトに見られていることに気づく。
さらにどうすべきか迷う気持が加速する。
決めあぐねていると、クロノは残るんだと言いながら肩に手をぽんと置いて先程来た道を戻って行く。
その後姿を見送りながら、なのはおたおたしてしまう。ぷるぷるふるえる小動物そのものだった。
表情も変えぬフェイトがじぃと見つめている。
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
軽く笑った。フェイトがだ。なのはは怯える小動物のように、びくりと挙動した。
戸惑うばかり。
「ごめんね、そんなに怖がるとは思わなかったんだ」
何が面白かったのか、フェイトは嬉しそうだった。笑いすぎた口許を隠しながら、天井を僅かに仰ぎ、いすぎた己を自重させる。
再び顔がなのはに戻ったとき、無表情でないにしろ、微笑みは消えていた。
「なのはって、呼び捨てで呼んでいいの?」
「う、うん。私もフェイトちゃんって呼べばいいかな」
「好きに呼んでくれて構わないよ」
ようやく、心の糸が緩む。妙な親近感が2人を繋ぐ。フェイトは両手を拘束し座ったまま、
なのはは立ったまま。
「なのはは、不思議だね」
「私?」
「うん。もっと我が強くて、我侭な人かと思ってた。なんでもかんでも、力で押し通す無理な人」
「そ、そんな風に見えるの?」
「見えてた、それじゃあなのはは、私にどういうイメージを持ってた?」
「え゛…………」
勿論、無理を無理で押し通しながらも、強い意思を持った人、だ。空笑いを浮かべる前に、それを伝えるとやっぱり笑われた。
納得がいかず指摘してみると、やはりフェイトは、ごめんとしか言わない。不公平だ。
笑いに終わりを迎えた時、フェイトは新たな自嘲を浮かべる。
「こうやって柵越しだから言える。私は、なのはと戦う度に負けるんじゃないかってひやひやしてた」
「そんなこと……」
無い、と言い切らせてはくれない。
「なのはは、戦いを重ねる度に三段跳びで成長していたから、私は戦う度に、負ける事ばかり考えてた。
正直、怖かったよ。あの砲撃も、なのはの強い意思も。敵わないかもって心の何処かで思ってた。
だから、私が勝てたのは運かな。今やったら絶対に勝てないよ。なのはは、強いから」
「………………」
も う、フェイトの心の支えはない。簡単になのはの砲撃に吹き飛ばされるだろう。
でもそれを言わない辺り、フェイトなのだろうか。
「私は、フェイトちゃんに勝てないってずっと思ってた」
「?」
それでも、なのはの真顔にフェイトも唇を噛んだ。相対する人の表情が真面目すぎて、
「だって、戦っても戦っても、一度も勝てなかったんだよ」
「私は生まれてこの方、訓練だけを続けてきた。でも、なのはは、ついこの前まで訓練もしてなかったんだよね。
なら、十分凄いと思う。もしも一度でも私は負けてたら、多分。その後連敗になってたと思う」
「……ん」
「納得できない部分があるかもしれないけど、妥協してくれると嬉しい。
私は、素人だと見下していたなのはに追い詰められたんだよ。
この後も訓練を続けるなら、なのはは私なんか目にならないぐらい強くなる」
確かに、なのはは強さの道を駆け上がった。だが、これからどうかと言われると答えは出ない。
それをおくびにもださず、一つ頷いているなのはがいた。フェイトは壁によりかかったまま、思いに馳せる。
「最後の最後で、止めてくれてありがとう。私が、最後になのはと戦った時、私はなのはに負けてよかったんだと思う。
母さんもバルディッシュも死んじゃったけどなのはやクーパーに会えた事は良かったんだ。本当に」
「フェイトちゃん……」
なのはにしてみれば、最後のあれも、勝てたとは思ってはいない。でも意地をはる時と、そうでない時ぐらいの分別はある。
頷き返す。フェイトもまんざらでもなさそうに、小さな返事を返していた。
「あのねフェイトちゃん、本当はもっと早く言いたかったんだけど、私と、友達になってくれるかな」
それを聞いた時、フェイトは、目を丸くし、動きを止めた。で、止まってまた直ぐに動き出す。
「……私と?」
「うん」
「なのはが?」
「うん」
「友達?」
「うん!」
そしてまた会話が止まった。何故? という疑問まではでなかったものの、柵越しの無垢ななのはを見ていると、悪い気はしない。
強く、ただ強く。そして純粋で。フェイトから見た高町なのはというのは、酷くまぶしい存在に見えた。それを考えると、
自嘲がこぼれた。座ったままのフェイトが、拘束具で両手が固められた手を床につきながら、うまく立ち上がる。
金の髪と僅かな笑顔が揺れていた。
「ありがとう。なのは。私でよければ」
「うん!」
なのはは笑顔で頷いた。胸の中でホッとする。確かにフェイトは立ち上がったがその場から、動こうとはしなかった。
暫くの間雑談を興じなのははフェイトの牢から立ち去った。檻の中のフェイトは、なのはがいなくなってからしばらくの間、
その場に立ち尽くしてから、簡素な椅子へと体を運び腰を下ろした。僅かな軋む音が耳を掠める。壁に背を預け吐息を落とす。
「友達、か……」
素敵な言葉だ。今までなかった言葉だった。もしかしたら、誰よりも欲していた言葉かもしれない。
拘束具で抑えられた両手が、ゆっくりと持ち上がり前髪を抑えつけた。抑えられない感情に顔は折り紙を潰したように、
クシャリと歪んでいた。腕がそれを覆い隠し、表情は見えなかった。
「……友達だよ。バルディッシュ」
新しく手に入るもの、そして失ったモノ。膝の上にに、感情が零れ落ちて濡れていく。震える声でフェイトは笑っていた。
「私にも友達ができるんだ……」
歓喜の涙だった。