ゆるりと崩壊を始めた時の庭園。その中で向かい合うフェイトとプレシア。ジュエルシードの力をまとったフェイトは、
その場から動く事無く、バルディッシュを半身に構える。もう逃げる気もないのかどこまでも真っ直ぐだった。恐れに恐れた、
あの高町なのはのように。プレシアが勝ち逃げするか、それともフェイトが断層を抑えるのか。暴走を止めるのか。

 どれにしても死が待ち侘びていそうだが。異様を見せるバルディッシュの魔力も、手持ち分のジュエルシードの力だろうか。
増幅されている。

4つのジュエルシードがフェイトの魔力を後押ししている。14対4。数の面で見れば圧倒的に不利ではあるが死を厭わぬプレイヤーと、半ば瀕死のプレイヤー。
決するのは何も数ではない。天秤に上乗せされるのは強い想い、それがどれだけ力になるかが勝負の鍵だ。

「バルディッシュ」

『sir.yes.sir.』

 手にする相棒をプレシアへと突きつける。そして、溢れんばかりの封印の力がプレシアへと叩きつけられた。
14対4、数の上では無謀でもそれに賭ける想いだけは、負けたくないとフェイトは願う。
今、立っているのはプレシアでも、アリシアでも、管理局の意志でもない。他ならぬフェイト・テスタロッサ自身の願いであり願望なのだ。

たとえそれが独善だったとしても。

「く……ッ」

 直接的な攻撃でないにしろ、フェイトからの封印の力はプレシアに想像以上の負担を強いた。いけると思った筈の燃料が凄い勢いで抜けていく。
フェイトの力に飲み込まれないように、ジュエルシードを御すのが精一杯、それ以上無理をしようなら咳がまた、喉から血塊を押し上げてきそうでできなかった。
口惜しい。後、一歩。後少しでアリシアに手が届くというところで。最後の最後の邪魔は自分の娘の姿をした、できそこないだった。

  あってたまるかと血をぐびり飲み下す。プレシアも、己の最後の魔力を猛らせる。そして吼えた。

「これ以上 私の邪魔をするんじゃない!」

 何するわけでもなくプレシアは叫ぶ。もう、これ以上フェイトにかまけている余裕も、振り払っている余裕もどこにもないらしい。血塊を吐き出す程の病人が無理をしているというのに。
フェイトも遠慮する気はなかった。事実、フェイトがプレシアを圧している。その様を、クーパーもどこか平坦な気持ちで見つめていた。呆気ないとも言う。

 あれほど、クロノや自分、そしてフェイトを煽ったと言うのに、幕切れはこんなものなのだろうか、と。
とは言っても、この先帰れるかどうかも、怪しいのだが。それもあって、やや達観した気持ちでいる。このまま行けばフェイトも勝てるだろうかと思った時。
プレシアの支配下にあったジュエルシードが、一つ。また一つと力を失う。何事かと思えばフェイトとの力の鬩ぎ合いの末、誰の支配下にもならず、元の状態に戻ったらしい。

「く……ッ!」

 口惜しそうなプレシアの声が聞こえた。それでも、クーパーにできることは何も無い。無力化したジュエルシードを取ろうと思っても、魔法を発動させるだけの力がもう無かった。
既にジュエルシードにも願いは込めているから、できることはただ見守るだけだ。その身が虚数空間に落ちようとも文句は無い。一つ、また一つ。14から13、13から12、
12から...、プレシアの手持ち分が瞬く間に減っていく。これも想いの違いなのか。実際の所は解らない。ロストロギアはブラックボックスだらけの遺物だ。
何が起こっても不思議は無い。もう、プレシアの敗北も目に見えた時奇妙な薄笑いがプレシアの顔に張り付く。

「お前だけは……」

そう呟きながら腕を一閃させ、各ジュエルシードが奇妙な光を浮かべる。それは驚いた事にプレシアがジュエルシードの制御を手放した。フェイトもクーパーも眼を剥く。
ハンドルを手放した車がどうなるかなど、子供でも解る。動揺と怯えを胸に、顔を顰めクーパーは拳を強く固めた。

「…何を考えてる。プレシア・テスタロッサ」

「生憎、私の行き先はアルハザードと決まってるのよ坊や。でも、それも」

 賭け、という言葉が出る前にプレシアはまた、口から血を噴き出す。溺れた人のように咳き込みながらも、やはりその口許は笑みに浮かべる。
最後の嫌味か。血を口から鼻から、穴という穴からこぼしながらプレシアは顔を歪め最後の嘲笑を放つ。

「私はお前を許さない。できそこないのろくでなしめ!」

 その一言と共にプレシアは近くにあった杖を手に取り、床に叩きつける。すると崩壊は一層の激しさを増し、プレシアがいた場所も、瓦解しプレシア自身も虚数空間へとその身を落とした。
近くにあったアリシアの亡骸が収まる容器と共に。ただ、フェイトとクーパーはそれを見送ることしかできない。フェイトは、その光景を目に焼き付ける。
楔を打ち込まれた実感はまだ湧かない。だが、確実にあれはフェイトの心に傷を負わせた。今更の話かもしれないが、既にプレシアの姿も見えなくなるが、今はそんなことどうでもいい。

「…フェイト!」

 クーパーの呼びかけに頭を切り替える。いや、言わずとも解っている。バルディッシュの力を最大限にまで跳ね上げて、プレシアが残した最後の厄介者が起爆する前に、無法状態になっていたジュエルシード4つを無理やり封印し取り込もうとする。
空気を無理やり飲み込むようで、体に負担がかかるがこの際無視する。フィンを吹かしクーパーの近くに来る。
そして構える。先程のジュエルシードもあいまって魔力はさらに跳ね上がっていた。吐息一つ、覚悟を決める。

「バルディッシュ、ワイドエリアプロテクション」

『sir.yes.sir.』

 フェイトがジュエルシードに願った頼みはプレシアを止める力を貸して欲しい。だった。
ならば、今もプレシアが残した最後の力に対抗する為に、残った無数のジュエルシードの災厄に対抗する為に、
力を貸して欲しいと切に願う。それが、これの力ならば。

「お願い、」

 誰かを守る為に、ここにいる。名も忘れた片目を守る為に。それにもしもこの場にいるのが
フェイト・テスタロッサではなく、あの高町なのはだったのならばきっと守りきって見せるだろうとフェイトは思った。だから、

「お願いジュエルシード。私の願いを聞いてくれるなら、力を貸して」

 普段では考えられない量の魔力が帯びる。そして、対する魔力もまた、ありえないほどの量だった。不気味な沈黙を守っていたジュエルシード達が、猛威となる。
フェイトが張るシールドに衝撃波が叩きつけられた。随分と重くずっしりとした感触が手に乗る。それでもまだ耐えられると思った矢先、遅れてやってきた本命の衝撃が
シールドを叩いた。

「……ッ!!」

 重いというレベルではない。重すぎるを超えていた。それはフェイトが負える荷重を軽く上回っている。思わずバルディッシュを取り落としそうになるのを堪えようとバルディッシュをただただ握り締める。
耐えなければなんの意味も無くなってしまう。苦しい辛い。全身にどっかりと嫌な何かが乗ってきて余計苦痛を感じていると、全身が千切れそうになる錯覚を覚えた時隣にクーパーが立った。手で無数の印を結び手を翳すや、
フェイトへの負担を緩和させるようにシールドを張る。途端に、顔に苦しそうな表情が去来する。フェイトは8つでも苦しいというのに、魔力ギレのボロ雑巾がたかだか3つのジュエルシードだけで、
どうにかなるものか。

"私がやるから君は下がって"

口を開く気にはならない。念話を叩き込むと肝心のそれは舌打ちしてくる。左目がフェイトを望むことはなく
展開するシールドを見つめる。

"…残念ですが。ここで引けと言われたら、残った意味が無くなります"

"でも、"

その身に受ける暴走するジュエルシードを受けるつらさは、フェイト自身がよく解っている。
そして自身と同じ過重を、クーパーに強いるのも嫌だった。優しさというものだろうか。

"…僕がジュエルシードに願ったのはフェイトを守る事。そのちっぽけな矜持まで、奪わないでくれると助かります"

 皮肉な笑みを浮かばせる。そんなことはないとフェイトは思うものの、慰めにもならない上余計なことを考えていられるほどの余裕はなかった。
暴走するジュエルシードを前にして、2人がかりで盾を張っても、かなり押されている。その上、断層が開くかもしれないという懸念が心を撫で摩る。
疲弊した体と磨耗した精神には何から何まで、嫌な事尽くしだ。荒れ狂うジュエルシードの力に、翻弄されて身動き一つ取れず、庭園崩壊もそれのせいあからさまな拍車がかかっている。

 悔しいが真っ逆様落下コース、だろうか。そんなことは盾を張り体を張る者こそがが一番解っている。

 ただ盾を張ることだけを強いられ、他に何もできない現状を憂う。ジリ貧だ、と解りながらも何もできないが一番悔しい。筋肉が、笑うように痙攣する。歯を食いしばりフェイトは策を探す。
このままシールドを張り続けても庭園が崩壊する。盾を突破されるというシナリオが濃厚すぎた。体力もそこそこに限界だ。無理をしてでも何か策は無いかと頭の中の粗をこそげ落とすように探した時、
一つ。見つけた。発見の際は思考が止まるが同時に、その策は自身が否定する。

痛いばかりに歯を食いしばり、己の考えを否定する。

「(駄目だ、何も無い……!)」

 打開策は何一つとして存在しない。その悔しさを胸の中でより焦がしどうすることもできない自分に、
苛立ちを覚える。賭け、というのは危険だ。この期に及んで自分以外の者の死に触れる事を拒んでしまう。

"…フェイト・テスタロッサ。貴女の限界が来る前に、一つ苦肉の策の提案です"

目が片目へと動く

"何を"

"・・・賭けです。このままシールドを張り続けても、庭園の崩壊か、僕達の自滅が目に見えている。ならば、

シールド担当が僕、封印担当がフェイト"

苦肉策、と謳ったのは愚かしくもフェイトが考えたのと同様のもの。片方が封印、片方が盾の役割を担うこと。
今更な話だ、そして暴走を続けるジュエルシードに対して、封印の力がどこまで通用するかも定かではない。
それでもフェイトは判断に迷った。

"でもそれじゃあ、君に負担が。それに、暴走してるジュエルシードは封印出来るかも解らない"

"…僕の命はフェイトに預けます"

 間が空く。フェイトは何故と問えなかった。動揺だけが胸の中でぐにゃぐにゃ泳ぐ。人の命をその手に掴み、担うことに戸惑った。
苦しみに喘ぎながら、かろうじて念話を返す。

"できないよ、無理だよ。私は、私には……そんな、"

"…勝負を決するのは、常に力のある者です。だから僕は力のあるフェイトに託しフェイトを信じます。その結果死んでも後悔はしません"

"でも、"

 失敗したらという念が今更になって重く襲い掛かってきた。億? 兆? 京? 名由他? 無量大数?  失敗の果てに見るのは一体どれ程の人の死か。たった一人の人間の判断でそれらが砕け散る。
歴史に名を刻む事件にもなるだろう。改めて突きつけられる事実に、心臓は駆け足になり奥歯がカチカチ足踏みをしそうだ。思っている以上に、怖い。逃げたくなる。
もしかしたら失禁の一つしていたのかもしれない。9歳という少女が天秤を操るには、あまりにも過酷だ。そしてそうこう考えているうちに逃げ場はないということを、改めて思い知らされる。庭園の崩壊も、

 暴走するジュエルシードも止まらないのだ。眼をきつく瞑り、強くバルディッシュを握り締めて、ただ、偏に願う。逃げたい、と。だから怖い気持ち逃げた。

"やっぱり、私には無理だよ……ッ"

 賭けにはでず耐える道を選ぶ。それをクーパーに告げた時、同じくシールドを張る者は、フェイトを見ることも無く呟く。

"…我思うと我思え、故に我あり我思うと思って下さい"

"何を言ってるの?"

"・・・無理と思うのは怖いからでしょう?、むしろ、失敗する可能性を持つのは貴女じゃない。
僕の方です。だから助けて欲しい。この状況を打破する為にも。それに今が終ったら、アルフも、
フェイトと友達になりたいって言った高町なのはだって待ってるんですよ"

"…………、"

 この言葉が敵対する者の言葉ならば言うなと斬り捨てることは容易い。でも、今は違う。未だ、迷いを泳がせてしまう。
果たして、自分にできるのかというあと一歩が踏み出せない。金は、茶色い悪魔とは違う。自分は、という想いが自身を縛りつける。

"…フェイトにできないと思うなら、絶対にこんなこと言わない。
それに忘れたんですか。自分の相棒とジュエルシードの特性を。"

クーパーの片手が拳を作りフェイトの胸を叩き衝撃が体に広がる。臆病となった胸に響く。

"…たとえ仲間が居なくても、自分を信じられなくなったとしても貴女は1人じゃない。
その手で掴んでる頼もしい相棒がいるでしょうに。その相棒ぐらいは、信じられるでしょう?
使い魔だっているはずです"

 僅かに眼を落とせば、フェイトの手は当たり前のようにバルディッシュを掴んでいる。いるのが、当たり前。
頼るのが当たり前と頭の片隅でどこか思っている節もあった。クーパーの言葉はそこまでだ。胸に宛がわれていた手が、
直ぐに戻される。表情は厳しいものになっている。できるできないの問答が未だに燻る。自分の死は厭わずとも

 誰かの死が絡むと、極端に弱くなってしまった。未だにシールドを張り続ける状況の中で、フェイトは己の状況に歯噛みする。
一体どうすればいいのか。どれだけ自身が焦り、困ろうとも答えなぞでやしない。時間も無い。乱れそうになる呼吸も押し殺して、
耐えようとした時クーパーの僅かなうめき声がフェイトの迷いという殻に、皹をいれる。

 もしも彼が死んだら?
それは非常に些細な事だ。
だが申し訳が立たない。

 フェイト・テスタロッサは妙な所で律儀な人間だった。

「……バルディッシュ!」

『sir.yes.sir.』

 いつもとなんら変わらぬ返答を返す相棒の言葉に、迷いはない。それを聞けば背を押してくれるような気がした。
お前ならやれる、お前ならばできる。迷いがあろうと無かろうと、常にいてくれる頼もしい相棒の不思議な力だ。
改めて手にする相棒を強く握り締める。刮目し前を見据える。そして一つ頼む。でもそれは頼みと言うよりも寧ろ願望だ。
クーパーにも、目を合わせる。

"直ぐ終らせる、だから耐えて"

"off course"

"…任せて下さい"

 やるからには一気だ。フェイトはシールドを解除するとバルディッシュを変形させて溢れんばかりの魔力を展開する。
クーパーを見るのはやめた。きっと重圧が一気にかかって、苦しいことだろう。フェイト自身が頼んだことだ。心苦しい、が。
今は目の前のことに集中する。相手を気遣っている余裕はどこにもない。

「(やり遂げてみせる)」

 バルディッシュのモード換装を完了させて荒れ狂うジュエルシードに突きつける。
膨大かつ甚大な魔力を収束させて、一度だけ息を呑む。天秤は小さく動き始めた。










【Crybaby. 20話】







 フェイトの封印の力がジュエルシードにかけられるも、相変らず荒れている魔力の本流に、阻まれる。
最悪の出足だがこんな所でへばっている理由はどこにもない。バルディッシュを手にジュエルシードに集中したまま意識を動かさない。自分の呼吸が速いのか遅いのかも考える暇は無い。
ただ、頭は一途に、封印のことだけを求める。

 10秒か20秒か? はたまたどれほどの秒が刻まれたかもわからぬが、フェイトの力は一向に封印へと結び付ける気配を見せない。
ただ1秒進むたびに暴れだそうとする焦りを黙らせれる。それでも、焦りは肥大する。ただただ、目先のジュエルシードに向かって力を伸ばした。

「(お願い、早く……!)」

 ジュエルシードの特性は願いを叶える事、そしてその願いが強ければ強い程良いとされる。
頭の中では願い続けたがそれでも変化は見られない。時間がない。自身が潰れるだけならば命でも投げ捨てると言うのに、
口惜しい限りだ。

「バルディッシュ、まだいける」

 表情に鬼気迫る。もしも、傷一つ無い好調なフェイトの姿を知る者が今の姿を見たら、驚くか。正視に堪えぬだろうか。
形振り構わず場を収めようとするその姿勢は、驚嘆に値するのだろうか。スピードも無く、鋭さも無く。それとも、
ただ力で場を収めようとするその姿勢は、滑稽なのだろうか?、フェイト・テスタロッサたりえぬその姿。

 上昇するフェイトの魔力値は止まることを知らず、ぐいぐい伸びていく。ジュエルシードの特性故か、
どこまでも激しさを増す、うねる封印の力と暴走する魔力。拮抗に拮抗を重ね、無我夢中で状況の鎮圧を望むフェイトがぐびりと口内の唾を飲み下した時ある余念が浮かんだ。
別に考えと言うほどでもない。母の顔。ただそれだけだ。

「…………っ」

 何を今更、と思いながら踏ん張る。母の顔を追い出そうとする。そうすると、余計に母の顔がもわもわ増えていく
。気づけば4人のプレシアに囲まれて鞭で四方からしばかれるという途方も無いことを考えていた。馬鹿げた余計なことを考えたせいでか封印の力が乱れる。
底無し沼のようにもがけばもがくほど嵌っていく。

"…フェイト。"

ただ、名を呼ばれる。いけないと思いつつも頭の中に浮かぶのは高らかな嘲笑を浮かべる母母母、どこまでも、
そしていつになっても、プレシアは存在し続ける。

「(私は、もう母さんに縛られていない、母さんとは違う!)」

 何故か悔しさが込み上げる。そしてそれを振り払おうとする自分がいても、母の幻影は、のらりくらりと高笑い。
胸糞悪い笑い声が耳奥で疼く。役立たずのできそこない、あんたは駄目な子ね、あんたはアリシアにはなれやしない。
振り払おうとすればする程、自身にまとわりついて来る。

「私は、プレシアでもアリシアでもない!」

 振り払おうとする叫びと共に封印の力が一気に強まる。憎い、憎い。胸の中で、水面の奥底で生じた震動が、水面を揺さぶる。
ぶるぶると小さな波が幾重にも生ずる。消える事の無い波が、止まらない。母、自分のオリジナル、プロジェクトF、コピー、劣化、できそこない、役立たず、
幾重の言葉が何度もよぎる。増えていく言葉と共に封印の力が増していく。どこまでも歪んだ願いが少しずつ暴走する魔力を覆い侵食を始め、喰らった魔力を我が物としながら押し始めた。

 菌がじわじわと勢力を広げるように、少しずつ、でも着実に暴走するジュエルシードの力を蝕んでいく。
着実に事は動き始めていた。それを見て、フェイトは確信を持つ。いける、と。このままジュエルシードを御し、封印まで持っていく。
その想いが先行した。歪んだ思いは、強く。ただ強く。何よりも強く着実に進むペースは早めていく。

背筋にクーパーがそれに違和感を覚えた時。既にフェイトの力はあまりにも肥大しつつあった。盾を担うクーパーが、
背にひやりとしたものを感じて慄く。恐怖に負けた。盾を張りながら、名を叫ぶ。

「…フェイト!」

 返答は無い。集中力が勝ったか。バルディッシュを握りただ前を見据えるフェイトを止める術は、もはやクーパーには無かった。
黙したまま状況を窺っていると、フェイトの力が暴走する魔力を食い尽くしたかのように見えた。侵食に侵食を重ねた上、
ついにジュエルシードまでも支配下に置いたかのように見える。何せ魔力の波が止まったのだから。だが、終わったように見えただけだ。
状況がどうなったのかまでは解らない。どうにも、本人には思わぬ事態らしい。顔が渋すぎる。

「駄目だ……」

 フェイトがバルディッシュを手にしたまま、諦めを吐く。まだ内面も読みきれぬクーパーには
事態がどう変化したのかはまでは、解らなかった。

「力を制御しきれない」

 歪んだ願い、不安定な力、そしてプレシアの願いを受けて動いていた力、どこまでも歪で不安定な膨大な力を、フェイト1人では担えなくなっていた。
流石に膨大なまでの魔力量は想定外の範囲らしく、戸惑いを隠せない。暴走する魔力を支配下にしたというのに、それも言う事の聞かないじゃじゃ馬になっている。
ジュエルシードも、後少しで封印までもっていけるというところだったのに、最後の最後でしくじった。

各ジュエルシードは不気味な光を発生させる。それを必死で制御しようと、四苦八苦するが、駄目押しがかかる。フェイトが手にする相棒、
バルディッシュのメインコアとなる金玉に大きな亀裂が入った。動揺が走る。

「バルディッシュ?」

『s・・si r. n p  b・・』

 ノイズまじりの声が返ってくる。でもそれは酷く痛々しくて、聞くに堪えない。その動揺がジュエルシードにも広がったのか、力は乱れフェイトを中心に魔力余波が吹き荒れる。
当然、直ぐ近くにいたクーパーは吹っ飛ばされる。盾は四散し、カエルのように地面を転がる。その状況で、ただただフェイトの胸の中で動揺がのたうつ。バルディッシュはいかれ、
クーパーは役に立たない。この状況下で、力を御す事も敵わなかった自身が、逆転の一発を自身が担えるのか?フェイトは惑う。

 ぶり返す不安や戸惑いだけが自身を侵食していく。ただ怖い。止まることを知らぬ感情が入乱れている。今も自身の制御が一杯一杯だというのに、これ以上の好転があるのだろう。
目を逸らし耳を塞ぎたくなる。どんなに必死にやっても、足掻くことのできぬ力。どうすべきかフェイトは再び判断に迷う。命を賭けることは厭わない。だが、これ以上の失敗は許されない。
小さな選択ミスで、取り返しの付かないことになるというのが、恐怖だった。どうするべきか、一度だけ唾を飲み。

 未だ健在のジュエルシードと対峙する。心臓だけが、1人早く行けと暴れている。どうする? 葛藤を繰り返しながらもフェイトは未だに握るバルディッシュに聞きたかった
。不安でたまらない。その背を押す様に地面に這いつくばったままクーパーからの念話。来たのはただ、一言。

"…僕はフェイトを信じる。"

 ただ、一言。その一言が念話となって頭の中に入り込んでくる。それはするりと頭の中に入り込んできて、慣れ親しんだイスに腰掛けるようにすとんと収まってしまった。
でも、とクーパーの台詞を聞いて恐怖が一層フェイトに上乗せされた。手も震えて、これじゃさっきの状態に逆戻りだと自身で思う。
フェイトの震えはバルディッシュをにも伝わり、体の細部に渡り震えてしまう。暗い暗い、水面の奥底では小さな少女が蹲ってべそをかく。

怖い、怖いよ。お母さん。

 そんな囁きを言おうが聞こうが、肝心の母は既に虚数空間の中全てを振り払うように、震える体はもとい腕は、バルディッシュを天高く突き上げて。柄を、地面に叩き付けた。
奥歯が強く噛み締められる。弱い自分に声をかけてくれた人がいる。今は、何も必要ない。クーパーも、母も、逃げたいと思う気持ちも。
やるだけやれば、いい。どうせ失敗したら死ぬのだ。悩む暇などない。だからフェイトは叫ぶ。相棒の名を。

「バルディッシュ!!」

『s..s r...』

sir.

 ノイズを絡めた声の返答が聞こえる。ごめんと心の中で謝りながらも、あえて酷使する。相棒を巻き添えにするのはあまりいい気持ちではないが、暇は無い。物として扱い、
ノイズだらけの動作に克を入れて無理やり動かす。突き刺さる罪悪感も押しのけて、ただ見つめるは魔力の本流。暴走していた自身とジュエルシードの力を絡めとるも、
肥大しすぎていることには変わりない。制御の利かぬ化け物魔力を相手にすることは唯一つ。

 虚数空間に叩き落す。同じ轍は踏まないとばかりに、最早封印する気もないらしい。大きすぎる力に対してほんの少し。切り込みをいれて指向性を持たせる。
それがフェイトにできる精一杯の選択だった。もとより、こうしている間にも虚数空間は増え悠長なことを言っていられる余裕は、どこにもなくなってきた。
崩壊を進める庭園と、無法状態のジュエルシードが転がっている状況では。生か死か、そのどちらに転ぶかなど解ったものではない。神がいないと解りながらも、

 フェイトは初めて、宗旨も無くただ神という不明瞭な存在に、小さな祈りを捧げた。

「(お願いします。神様)」

 いないと解りながらも、あえて祈る。何かに縋りたいと思ったのはただの気まぐれだ。片割れだけでも生き延びさせたい。そう、思ったからだ。
しかし、もしも神がいたとしたら、人造魔導師たる、フェイト・テスタロッサを造ることをお許しになった神は、酷い方だ。
試練にしては、随分と過酷すぎる試練をお与えになる。死ぬのは簡単だと言うのに、生きるということはどこまでも過酷だ。

 でも、これからの人生鞭でしばかれることはきっとないだろうと思い唇も僅かに歪んだ。
バルディッシュのコアを鈍く光らせる。あれもそれもこれも、求めたらキリが無いない。捨て身で、歪みきった自分の魔力に立ち向かう。
もう封印することもかなわず、すべての制御が叶わずとも……。

 ほんの少しの変化を齎せば、大きな力は多大なる変化を催す。何かに反応して、ジュエルシードは魔力を大きくうねらせながら、
位置を動かし始める。そのまま落下してくれれば御の字だが、そうもいかないらしい。最後の抵抗とばかりに、
自身の制御下に置けぬ魔力はのたうつ。死に際の大蛇のように、飛び跳ねるような、飛び散るような、厄介だ。

「く……ッ!」

 盾を張りそれを防ごうかと思ったが、叩き落すことを優先させる。魔力余波に吹き飛ばされそうになるのを堪え、
一気にジュエルシードを虚数空間へと導く。しかし、なかなか落ちてくれない。

じれる。

「早く……!落ちろッ!」

 苛立ちと鬱憤を吐き出す声を撒き散らす。その時、既にスタートは切られていた。フェイトの誘導がジュエルシードに
最後の駄目押しを叩き込んだ時、落ちる間際の最後の抵抗を受ける。猛烈な魔力余波にフェイトの体は吹き飛ばされた。
直後、宙を飛びながら一つ思う。

「(死んだかな)」

 恐らくも無く、虚数空間にその身を落とし母と同じ道を辿るのが脳裏をよぎる。飛行魔法を発動させようとしても、
力は途切れ途切れで上手くいかない。体の力は抜いて、成り行きに任せた。虚数空間に落ちるのも良し。落ちなければ、
それも良し。眼を閉じる。それでも尚バルディッシュを握っているのは、定かでもないが。吹き飛ばされた体は、

 きっと地面に叩きつけられるのだろうと矢先、痛みの無い、何かに抱きとめられる感覚が体を襲う。

「?」

 クーパーだった。ただし、表情には余裕らしいものが何一つ覗えない。片腕でフェイトを抱きとめつつ、
片手はシールドを張り魔力余波を凌いでいる。まだ手持ち分のジュエルシードを使える余力があったのか、と思う反面顔を顰める。

「…バルディッシュ、アースラに向けて転送用意。急いで」

 しかし反応が無い。クーパーは顰めた顔のまま舌打ち一つ。

「…転送魔法でアースラに戻って下さい。これさえ凌げば後はどうにでもなります」

「ちょっと待って、君は」

「…残ります。それよりも盾が持ちません。お早く」

 苦味しばった表情の原因、そしてフェイトまでも顔を顰めた理由。盾を発動させたはいいが。ものの数十秒で砕けそうな、普段の彼ならば、もどきにもなり得ぬ半端な盾を作っていた。
現に、こうしている間にも盾にヒビが入り決壊を催そうとしている。それでも尚、フェイトは続けた。

「どうして、」

「・・・ロストロギアを発動させたまま転送なんて博打、僕はしたくありません。盾が砕ける前に、早く戻って下さい。
これだって魔法で作り上げたものではありません。いつまでもつか」

 その言葉に一瞬間を取られたフェイトだが、思わず、クーパーの襟元を掴んで首を絞める。
左目がようやく動いた。肉体の苦痛はようやく終わったと言うのに、フェイトは歯を食いしばる。

「一人置いて戻ろうとは思わない。それに、」

「…この余波がいつ終るかも解りません。その前に早く戻って下さい。
この場が崩壊し虚数空間にいつ飲まれるか解ったものではありません。早くして下さい」

「そんなの……っ」

 ここまで来てはいそうですか首を縦に振るフェイトでもない。彼の言い分にも一理がある以上。
強い反論はできなかった。しかし、考える余裕も無し。ジュエルシードが生む盾にますますのヒビが入っていく。
左目がそちらを見やり、苦虫を踏み躙る。

「…早く。もうこれ以上は」

「駄目だよ」

 その言葉と共に、フェイトはクーパーの手を振り払うと自分の足で立ち、バルディッシュのヘッドを地面に突き刺しクーパーを望む。

「母さんの迷惑で、君を死なせる訳には行かない」

その覚悟を聞いてクーパーは今一度、舌打ちを放つ。相変らず、顔は顰めたままだった。

「…馬鹿な事を」

 そして盾は砕け、強烈な魔力余波の波が押し寄せる。その前に、とばかりにフェイトの手が
クーパーの襟首をむんずと鷲掴みにしていた。片手にバルディッシュを、もう片手には、片目を。
絶対に離さないと心に誓ったが、途中で地面を穿ったバルディッシュが根こそぎ持ち上げられて、

 フェイトとクーパーはついに吹っ飛ぶ。そこで一度。意識は途絶えた。














どぷん


どぷ


どぽん


 水面に 石が投げ入れられる。何かの音に意識を揺さぶられた。フェイトは瞼を動かし、眼を覚ました。場は変わらず時の庭園。
ただし、もう大半が虚数空間に飲み込まれていた。フェイトを目覚めさせた音は庭園が崩れて、虚数空間の中に飲み込まれていく瓦礫の音だった。
覚醒したての意識は状況が飲み込めず、一秒、二秒とその場で停止してしまったが、近くにバルディッシュが転がっていて、
立ち上がり手に取ると待機モードにして手許に収める。そうしている間にも、ガラガラとどこかの瓦礫が虚数空間の中に呑まれていく。

 それ以外の音は何も無い。他の音が何一つしない静かな庭園は嘘みたいに静かだった。震動もしていなければ、騒ぐ者も誰もいない。
最後に抗っていたジュエルシードも、虚数空間に叩き落せたのだろうか? そして、はたと片目のことを思い出す。まさか、
虚数空間に落ちたのかと思いサッと血の気が引く。慌てて周辺を捜してみると、いた。相変らずボロ雑巾のように、転がっていた。

 まだ死んでいない。後は転送魔法で一緒に戻ればいい。と思ったが、

「…駄目だ。魔法を使う気にならない」

 疲労が激しすぎて、集中力が定まらない。ふらふらと片目の近づこうと一歩を踏み出した時、まるで、大岩を砕いたような破砕音が庭園を劈く。
フェイトは眼を剥いた。クーパーが転がるすぐ手前でヒビが入った。フェイトは疲れも忘れて、疾駆する。
ここまで来て死なれては後味が悪すぎる。それを嘲笑うかのように、地面に走る皹が大きくなっていく。

「クーパー!」

 思わず叫んだ。走りながらも頭の中が真っ白になる中、さらなるヒビが走った時。フェイトを欺くように、
ヒビが入った一帯が落下する。

落ちる!

 同様にフェイトも盗塁する走者のように、体を投げ出して飛ぶ。虚数空間へと落下を始めてクーパーへと手が伸びた、そして。
虚数空間との境目、体をギリギリの所まで投げ出し、伸ばした左手がクーパーの右手首を掴んだ。それでも、クーパーの体の重みのせいで体が前のめりになる。
フェイトも虚数空間へと落下しそうになるのを、なんと踏ん張った。

 近くで、瓦礫が落ちる音が聞こえる。歯を食いしばったまま予断は無い状況に辟易する。フェイトは片腕にクーパーの全体重がかかり軋みという名の悲鳴を上げる。
痛いし重いし、肩が外れるじゃないかという気がした。それでも手は離さない。

「……クーパー」

喉から声を絞り出す。少しでも気を抜けば、虚数空間の中に落としそうで、それが酷く怖い。

「…お願い、起きて」

 でないと自分も巻き込まれて落ちそうだった。片手でなんとか掴んだ状況にしたのはよかったものの。引き上げるのは無理だった。
現状維持でいっぱいいっぱいだ。周辺の崩れる音も耳には入っても頭には入ってこない。ぶらぶらと揺れるクーパーの体。
それ以上は、どうすることもできない。その現状維持を数秒しただけで、フェイトは余裕が無くなる。

 腕が千切れそうになる痛みを堪えながら、モルトを飲み下すように、唾を胃に落とす。ジリ貧な状況続きだったが、今もさして変わらない。

「クーパー、起きて」

 早く、という呼びかけをただ続ける。目覚めてもらわない限りどうしようもないのだから。ただ声をかける。
時間の経過はどれほどか解らぬものの、呼び続けることしばらく。クーパーがぼんやりした表情で、目を開いた。

「ストップ。落ち着いて、動かれると私も落ちそうなんだ」

「………」

少しの間黙っていたが、クーパーは状況把握か、左目をしきりに動かしていた。そして、
自分が蜘蛛の糸に助けられてることを知ると、とんでもないことを言う。

「…手を離してください」

衝撃

か?

 助けた相手が手を離せという、離せば虚数空間の中にまっさかさまだ。離せるはずもない。
必死になって助けてる相手からそんなことを言われて、いい気分になれるはずもない。

「君は……っ」

「…早く手を離してください」

 当然苛立つ。暗に、殺してくれて結構です。と言っているようなものなのだから。
フェイトとて命からがらクーパーを助けているというのに、むかつく話だ。

「クーパーは、生きたいと思わないの?」

「…フェイトも落ちそうじゃないですか」

「…………」

 確かに、手を離せば今すぐ負担が無くなって楽になる。アースラにも楽に戻れる。
そんなことを考える己が、フェイトは嫌だった。今目の前にある命を、というよりも。むしろ

「私は、初めて私を信じてくれた人を死なせたくない」

「…それは、買い被りです」

「買い被りでもいい。アルフ以外で初めて言葉にして私を信じてくれた人を、私は失いたくない。だから、……私は」

 そこで言葉が途切れた。クーパーにしてみれば確かに状況が状況故に、
フェイトのことは信じたものの、そこまで深入りされるものとは思っていない。
虚を突かれた。が、小さく鼻で笑う。

「…僕は落ちてフェイトは助かる」

「だから……っ!どうしてそうやって直ぐ諦める! まだ助かる道だってあるかもしれない、
ゆっくり反対の手を伸ばして、」

 その時、フェイトの手が掴むクーパーの手首が僅かにずれた。掴む手は震える。まだ、落ちなかったものの、
もうクーパーが虚数空間に落ちるのも間もなくか。そんあ必死なフェイトを見つめながら、ぼやいた。

「…お願いがあります。ユーノ・スクライアに嫌いじゃなかったと伝えて下さい」

「自分で言ってッ!」

「…はは」

フェイトらしからぬ絶叫に近い返答を貰ってしまい、苦笑いする。手の震えは当然クーパーにも伝わる。最後を感じ取ったのか。
遺言です。と言葉を続ける。

「……怒ってばかりだと、顔がプレシアになっちゃいますよ」

その台詞に何を感じたのか、フェイトは言葉を詰まらせて僅かに黙った後。冷たい何かをクーパーの頬の上に、
一つ。二つと落とす。悲しみよりもむしろ推すのは、悔しさか。言ってる傍から掬いようの無い。

「そんなことを言う暇があるなら……っ、」

「……最後に、アルトの面倒を見てくれると助かります。ああ、それからフェイト……」

「だからっ……、」

流れ続ける悲しみを受けつつ、偏に見切りたくなる。ごめんとこの後思うものの、直ぐにはでてこなかった。
それでも、時は待ってくれないとばかりに庭園を揺るがす最後の地響きが動きはじめる。
フェイトは離すまいと必死になるが、クーパーは曖昧な笑顔を覗かせて、最後に一言を置いていく。

「…生きてなのはさんと楽しい人生を送ってください。僕は君を恨んでもいないし、これ以上生き急ごうとも思いません。
それじゃ」

さようなら

 その一言を尻目に。クーパーは軽く笑いながら掴まれている片手を振り払った。一瞬だけ体が宙に浮く。
最後の最後でフェイトと目が合う。虚を突かれた表情を見た気がした。そして転ずる。
数分後、時の庭園は完全に崩壊した。
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