アースラ医療室。

 なのははベッドの中で毛布を被りながら、小さな体を丸くしながら一つの考えを享受する。
海上での最後の戦いで高町なのははフェイト・テスタロッサに敵わなかった。技量の差ではなく、
意思の違いを見せつけられなのはの心は折れていた。

 フェイトの強さ、フェイトの意思、フェイトの覚悟。その違いは絶対に勝てるという思いはなくとも、
最後の戦いでは勝てるんじゃないか? という余念はあった。

 心は折られた上粉砕された。しかし今は悔しさの残骸を自分で見つめるほどの余裕は持てている。
清清しさはないが、ここまで敵わないと悟ってしまうと落ち込む気もなくなってくる。相手の力を認め、
出自故の辛さも認める。

 なのははノームに拉致られた事も薄ぼんやりと覚えている。プレシアが通信していた姿もクロノと戦った事も。
だがベッドの上でぽつりと呟く。

「……魔法、か」

魔の法。強いけど怖い力、そして、御伽噺の世界の力。ユーノ達にしてみれば極々一般的にありふれている力。
では高町なのはは、魔法に何を見出そうとしていたのか。魔法に酔っていたのだろうか? 少し思う。魔法がなきゃいけない?
高町なのはにとっての魔法とは?

力?

依存すべきもの?

「………」

数々の疑問と、砕け散った自分を見ながらなんとなく思う。体は空腹を訴えていた。
それでも、何かを食べる気はならなかったが9歳の魔導師は何を抱え込むのか。










 真っ暗闇の中鬼火とクーパーが向かい合う。また夢か、と思った時新たな介入者が現れる。それは年端も行かぬ小さな子供だった。
見知らぬ子供である。眼に涙を浮かべ必死に耐えるような顔をしていた。

「嫌だ!」

「……?」

「嫌だ嫌だ!」

「……」

 何がそんなに嫌なのだろうか。クーパーとて子供だがびーびーと文句を言う子供のことが理解できなかった。

「絶対に 「 」になるんだ! なれないのなら潔く死んでやる……!」

 潔く、というよりもそれはただのやけっぱちだ。子供に潔くもクソもない。と、クーパーはただ黙しながら見つめる。

「僕だって……!僕だって……!!」

 悔しいのだろうか、鼻水をずびっとならしながら、目から涙をぽろぽろとこぼしていき子供は姿を消した。
自分の役目を終わりとばかりに暗闇の舞台から退場してしまう。それを見ながら1人になったクーパーは今の子供が、
自分自身かもしれないと推測をつける。失われた記憶の中の存在。

「…僕、か」

 今のクーパーになりたいものなどない。
一生スクライアの人間として発掘に従事して生きていくのだろう、という達観した人生しか見えていなかった。
まだ結婚や、子、異性について考える歳でもない。来る時が来れば誰かと睦みあうのかもしれないと、適当に考えていた。

 もしかしたら一生一人身かもしれない、が。

 ただ、兄と共に在りたいと二年前は思ったが。今は近づくことにさえ億劫な自分がいる。
臆病者だった。そう思った時、壺のようなものが眼の前に現れる。鼎だ。

「……?」

 鼎とは器物の一種であり変な模様の青銅器の鍋と思えば良い。三国志の如く三つ足である。(三国鼎立)
ただ、何故鼎のような器物がでてくるのかは謎であった。遺跡から発掘されそうな銅器なのだが……。
とりあえずそれを手にとってあちらこちらと調べてみるもどこにでもある器物でしかない。

「……??」

 不思議に思っているとそこで夢は終わりを告げた。ちなみに鼎はずっと笑いをこらえていた。喰ったらうまそうな餓鬼だよね、
という感想を持ちながら。尚、鼎の模様はトウテツ紋。その模様が意味するのは、獣名、身如牛、人面、目在腋下、食人である。
トウテツとは化け物である。全てを喰らう逸話の化け物。

 まだ彼は知らない。マリアの名も。自分のおいだちも。鼎が自分の体の中にある物だと言う事も。
子供の涙の意味も。そこで目覚める。

 ベッドの上だった、ぼんやりと開かれた左目が周囲を虚ろげに見る。自分の状況をそっと記憶から手繰り寄せて、
色々と思い出す。フェイトの手を振り払ってから、その少し先までは覚えている。ここはアルハザード。

…………

 そんな筈も無くアースラだ。溜息をつきながらボーっとしていると誰かが部屋に入ってきた。
目を向けるとクロノ執務官とユーノだった。クーパーが目覚めていることに気がつくと少しだけ表情が変わった。

「起きたな」

 と声をかけられれば、

「…どうも」

 と体を起こそうとすれば手で制される。僅かにリンカーコアと体が軋んだからおとなしく横になっていることにした。

「どこまで覚えている?」

 クロノだ。

「…アースラに戻ってきた所まで。そこから途絶えてます」

「それだけ覚えていれば上等だ。体調が戻り次第色々と話を聞くことになる」

「…解りました」

 左目を閉じて吐息を吐き出す。眠くはないが、纏わりつくような倦怠感に辟易する。体調が万全になるのは数日先のようだ。

「…僕はどれくらい寝てたんですか?」

「戻ってから、丸々一日眠ってた。そんなに時間は経ってない」

「…フェイトは?」

「治療を受けてから拘置所だ。医療室にいてほしかったが自分の足で入って行ったよ。
面会したいなら好きに足を運んでもらって構わない。なのはも君と同じで体を休めてる状態だ。特に問題は無い」

「…了解です」

 結果を見れば今回の件で死傷者は出ていない。加害者たる者達は悉く死んでいるし、立場が曖昧なフェイトとて重傷ではない。
そこで気づいた。黙ったままのユーノに見られている事に。少しだけそれが居心地の悪さを感じてしまう。
だから、意地悪な言葉がでた。嫌悪感を孕んだ言葉で威嚇する。

「…何ですか。何を見ているんです」

「あ、いや」

 目を逸らしながら、言葉を捜してどもってしまうユーノに、クロノは小さく溜息をつく。
兄といい弟といいどうしてこうなのだろうかと思わざるえない。それでも、ユーノは頑張った。

「良かったよ、クーパーが無事で」

 優しい笑みを浮かべていたが、クーパーは目を背け唇を噛んだ。
とてもじゃないが兄を見ている気にはならなかった。

「…少し寝ます」

 出て行けということだ。クロノとユーノは念話で何か話したのだろうか。
示し合わせたように、また来ると言って退室する。ユーノの寂しげな表情をクーパーは見ないことにした。
どう思えと言うのだろうか?

 早々に出る溜息を殺し目を瞑ると直ぐに眠りに引きずり込まれた。鼎の姿が僅かに脳裏をよぎる。
寝て目覚めてを何度も繰り返した。体内時計が凄まじく狂う。アースラの中は陽射しも感じられず尚更だ。
時計、と顔を動かすと眼帯が近くの机に置かれていることに気づく。手が、右目に運ばれた。傷痕をなぞる。

「……」

 何か鋭利な剣で切られた傷痕が、おでこから頬下にかけて走っている。案外、記憶を失ったのもそれが原因かもしれない。
指先がなぞる傷痕の感触は、酷くつるつるしていて眼球の収まらない眼窩は、へこんでいて瞼越しに触れてもどこか味気ない。
指を左目の瞼の上に運ぶとそっと触れてみる。眼球の弾力を感じる、でもあまり押すと痛い。あたり前か。

 潰れたら激痛が走るであろうに。右目が潰れた時はさぞ痛かったのだろうと妙な感想を抱く。
流石に、左目を興味本位で潰して盲目になりたくはなかった。手を伸ばすと眼帯を取ると右目の傷痕を隠すように宛がった。
これでいつも通りだと思った時に、部屋に医者っぽい人が姿を見せる。恰幅がいい眼鏡の男だ。

「体調はどうかな?」

回診だろうか、よく解らないが素直に答えておく。

「…まだ少しだるいです」

「そうだろうね、まぁお腹減ったら食堂行って好きなもの食べていいよ。若いんだからもりもり食べなよ」

「…食欲はありません」

「水分補給を忘れないように。サラダなんかつまめるといいかな。でも今回の件で重傷者がでなかったのは本当にラッキーだよね」

 男はウインドウを出現させて、コンソールをカタカタ叩いている。
ふと疑問が浮かんだ。

「…フェイト・テスタロッサはどうしてますか?」

「ん?ああ、あの金髪の子ね。おとなしくしてるみたいだよ」

「………………そうですか」

 そういうことを聞きたかったんじゃないとは言えず真面目な顔で頷いておく。
医者もベラベラと他の者のことを語るまいか。仕方ないか。妥協するしかない。
入力を終えたのかウィンドウを消すと医者は顎で廊下を示した。

「行く?」

「……?」

何処へだ。

「もし良かったら拘置所まで案内するけど、行くかい?」

 目を丸くする。ベッドから出るなと言われるかと思っていたが。

「…いいんですか?」

「いいよ。言ったろう重傷者はいないって。医者としてベッドに縛り付けておきたいの出てないのさ。
気分が悪くなったらベッドに戻ればいい。そこらへんの自己判断は君に任せるよ。魔導師なんだしさ」

 確かにと一つ頷くとベッドを出て一緒に部屋を出る。歩くたびに体の気だるさを感じるが無視しておく。
歩けない程でもない。廊下を行く。しばらく案内にしたがっていると思わぬ人物と出くわした。なのはと、ユーノだ。
とりあえず、クーパーはなのはに笑顔を作り軽く会釈しておく。

「なんだか久しぶりだね」

えへへと笑うなのはに影は無かった。

「…そうですね」

「今ね、ユーノ君とご飯食べにいくの」

「…それは、楽しい食事になるといいですね」

 差し障りの無い返答を返しておく。立ち話もいいが、とりあえずフェイトが先だ。
案内してくれる先生も待たせる訳にはいかない。何より、ユーノと一緒にいたくなかったクーパーは失礼しますと切り出した。

「…すみません。行く所があるので。なのはさん、また」

「うん。またね」

 じゃあ、と挨拶を最後に医者先生と歩き出す。
一切ユーノを見ようとしないクーパーに、ユーノと医者はそれぞれは溜息をついていた。
よく解っていないなのはが、頭に?マークを浮かべる。

「ユーノ君?」

「ううん、行こうなのは」

そして

「良かったのかい?」

「……ええ、興味ありませんから」

 シビアすぎるコメントに、医者も苦笑いをこぼした。
アースラの拘置所の区画は、然程大きいというわけではない。とはいえ、牢屋と呼べるものは存在している。
目的の場所までくると医者先生がコード入力して入室させてくれる。区画の扉は開かれた。

「出る時は勝手に出ちゃって平気だから。じゃ、お大事に」

「…案内までして頂いて、ありがとうございました」

「いいのいいの。じゃあね」

 医者を少しだけ見送ると、左目は拘置所の区画図を眺める。どこにフェイトがいるか聞き忘れたので確認する。
割と奥だった。アルフの名も見つける。少し離れた牢に別々に入れられているらしい。フェイトよりもアルフの方が先のようだ。
一言声でもかけておこうと思いながら、拘置所区画に脚を踏み入れる。

 静かだった。

 クーパーの足音だけが響く。牢の中を一つ一つ伺いながら歩いてく。入っているのは大半が男でたまに女。
どいつもこいつも足音でクーパーに気づいているらしく、べったりとした視線を送ってくる。
他人事のように動物園の獣を眺めるように歩いていると、一人目を見つけて足を止める。

「…ご機嫌は如何ですか」

「普通だよ、普通」

 どこかぶっきらぼうだけど、敵意のない態度。
フェイトの使い魔・アルフは牢の中の簡素な椅子に腰掛けている。
2日ぶりの対面だった。

「起きたんだね。気絶した時は死んだかと思ったよ」

「…死ぬ気でいましたから。安堵のあまり気絶したんじゃないんですか?」

 他人事にのたまえば、アルフは自分の事なのに可愛げの無い奴だねと笑った。
椅子に座ったまま、少しだけ顔を上げて目線を寄越してくる。

「悪かったね」

 意味が解らない。

「…何がです?」

「いや、あんたに今まで糞餓鬼だなんだって、言ってさ。それに、あんたは命を賭けてフェイトを助けてくれたんだ。感謝してる」

 そういう事らしい。納得して頷くが受け取りはしなかった。

「…貴女も僕も事情ありきです。謝罪は受けますけど、必要以上の感謝は貰いません」

「つまらないねえ、素直にはいって言っときなって」

「…はい」

 互いに苦笑をこぼして、小さく笑う。あの時。最後の場面でクーパー、そしてフェイトを助けたのはアルフだ。
クーパーが落っこちる前に、チェーンバインドでフェイトとクーパーを吊り上げて転送。ただそれだけ。
クーパーがアルハザードに辿りつく事もアリシアやプレシアともう一度顔をあわせることもなかった。

 年増と死体の行方は解らない。

「本当は、もっと早く行けたら良かったんだけどね」

「…タイミングとしては絶妙でしたけど」

「この艦の連中に足止めされたのさ。全く、私の命とフェイトの命なんか比べられないってのに。何考えてるんだか」

 苛立たしげだった。まずなのはに叩きのめされたアルフは牢に入れられて、なかなか姿を見せぬ主に不安になる。
念話を送っても返事が無い。苛立った。その上でフェイトから念話で一方的に、おとなしくしててと送られてくる。
状況も解らず、耐えに耐えて待った末業を煮やし脱走。

 しかし庭園に行こうとすると局員に危険だから止めろとリングバインドをかけられて止められる始末。
状況を知らされると一層煮立った。主が死ぬかもしれない瀬戸際に指を咥えてお留守番している程、
アルフはお行儀の良い使い魔ではないのだ。局員を振り切って2人を救出に来てくれたという顛末らしい。

 無論、戻ってきたアルフは暴れることもなく、自らの足で牢に入ったが。

「…命についてなら、きっとフェイトも同じ事を言うと思います」

「ご主人様に似てるって言われるのは悪い気はしないけどさ。……なんだかねぇ」

 自分を捨てるっていうのは、ね。
と呟いた。
いい主ではあるが、心臓に良くない話である。苦笑はしない。でも、

 自虐でもなく自己犠牲の精神を持てる事に対しての判断はしなかった。
そこで、クーパーは表情を翳らせる。アルフも気になり眉を上げた。

「…僕は、ただ状況を利用していただけに過ぎません。貴女も、フェイトも、なのはさんも」

「……ふーん。で?」

「…僕は僕の目的の動いていた。ということです。すみません、愚痴を言いました。忘れて下さい」

 うーんとアルフは首を傾げる。柵越しのガキはどうにも素直じゃないらしい。少しだけ、いや訂正する。
どこかフェイトに似ていると思ったアルフは自分が馬鹿だったと訂正する。どこも似ていない。目の前のガキただのガキだった。
口に出してみる。

「別にいいじゃないか。あんたの目的がなんだったのかは知らないけど、私はフェイトに害をなすのが目的じゃないなら、
それでいい。それに、あんたはフェイトを助けてくれたんだ。感謝はしても、怨みはしないさ」

 結果論だが一理ある。クーパーは溜息をつく。

「…そういって頂けると助かります」

「あんたもほとほとに暗いねぇ、もうちょっとクールかドライだと思ってたんだけどさ」

「…そうでしょうか?」

 やっぱり、ただの子供だった。今の姿は泣きそうなただのガキにしか見えない。
それもお皿を割って親に恐る恐る告白する子供そのもの。アルフとてそれほど大人というわけではないが、
弱弱しいクーパーを見ていると失笑せざるえない。

 だが、クーパーの顔色は元に戻ってしまう。演技なのか。
はたまた素なのか。子供のようでそうでない危うさはどうしようもないのだろうか。一つ溜息を落とすアルフだった。

「いいさ。フェイトを助けてくれたんだ。少しの弱音でも懺悔でも聞いてあげるよ」

「…世迷い言だと思って下さい」

 やれやれとアルフは立ち上がる。柵越しにクーパーに近づく。
手枷で柵に阻まれるが手を差し出す。

「握手。あんたの敬意と、弱さを表して」

 クーパーはアルフを見上げる。相手のほうが一枚上手らしい。それでも手を伸ばしアルフと握手する。
1、2と。互いの手を握りこみ双方の手が止まる。離す前にクーパーは思いのほか上手く笑えた気がした。

「…優しい使い魔さんに、感謝を」

「なんだ、子供らしい顔もできるじゃないか」

 手を離す。アルフの拘束具が小さく鳴いていた。

「フェイトにも顔を出すんだろう?」

「…そのつもりです」

「そっか」

 そう言って、アルフはイスに戻ると腰を下ろした。じゃあねと別れ言葉を残す。
クーパーも、それではの一言を残してその場を離れる。目指すはフェイトの牢。
陰鬱とした囚人達を見切りながら一つ、また一つと牢屋を過ぎ去り、収まっている人物を見切っていく中で割と直ぐに足が止まる。

 アルフと同じく、簡素な椅子に腰掛けるフェイト・テスタロッサを発見した。ただし俯いている。
表情を窺うことができなかったが、顔が向けられていることから気づいてはいるらしい。顔をあげ覗かせた顔は無表情に近い。
まるで無機物。人形のようだ。

「さっき、アルフが念話で知らせてくれたよ。起きたんだね……」

 声は留置場の静けさよりも静かだった。纏う空気も異なり別人なのかと疑ってしまった。
クーパーも平静を装う。

「…寝て起きてを繰り返してました。外傷が少なかったのが幸いだったみたいですね」

「そっか……」

 聞きながら、目線を落とし支給されたであろう服の上から腕を摩る。服の下には、包帯が巻かれている。
酷く痛々しい。そこで初めて表情を出した。俯いて僅かに眼線を何かを探すようにさ迷わせる。

「駄目だね。私はここに来て、治療を受けて、眠ってから数時間で目が覚めたんだ。体が覚えてるだ。
何度も鞭で叩かれて静かな声で罵倒されてジュエルシードを探す事だけを指示されてきた。激痛で気絶しても勝手に目覚める。
それで言うんだ。戦え、探せ、敵を倒せ。お前が求めるのはここじゃない。お前は……」

 言葉は途中で途切れ間が空く。フェイトは顔を上げクーパーを見る。そこには無表情のフェイトでなくこの前のフェイトがいた。
端正な顔立ちは僅かな笑みを浮かべるが仄かな寂しさを漂わせる。それがクーパーには引っ掛かった。

 何も言わずにいると言葉は続く。

「戦え役立たずって母さんの言葉が耳の奥でずっとざわついてる。魔法みたいに何度も何度も繰り返される。
ねえ、クーパー。私は偽物じゃないって自分で言い切ったけど、私に意味はあるのかな。本当に、価値はあるのかな。
耳の奥でずっとずっと聞こえる声が、途絶えることはあるのかな。答えが見つからないよ」

 目線は自らの手に注がれる。震えてはいないものの何度か開いて閉じてを繰り返し、最後に強く握り締めた。
クーパーも、柵越しの牢に目線を泳がせる。先程アルフに見せた弱さなど微塵にも見せずに淡々と述べた。
目線は僅か外に向けられる。彼は人と話す時も相手の目を見ない。

 スクライアでも、アースラでもそうだった。最後にユーノと目を合わせた日は覚えていない。

「…僕は、フェイトが普通に生きられると思いますけど」

「人の言葉の力は強いって言えばいいのかな。母さんもクーパーもアルフも、高町なのはも。いくらでも、どんな言葉でもいえる。
でも、私は考えれば考える程解らなくなる。それに、君は私を裏切った……のかな。そういう風に考えちゃう自分が私は嫌だ」

 そこで目を丸くした。
不意打ちだ。

「…裏切った?」

 眉根に皺を寄せて疑問系で返した。フェイトの言葉に探りを入れる。

「クーパーは私を信じると言ってくれたのに、最後の私を信じてくれなかった。私は君を信じた。でも君は違った。
私の手を離した。人は誰かになりきることはできない。私がアリシアになることもクーパーになることも」

 言葉一つ一つ縋るように紡がれる。それでも、フェイトの話が進む度にクーパーの気分は冷めていく。
フェイトの頭から、胸、腰、足と頭から足先まで眺めていく。一度だけ、隣の牢を見やる。見えはしない。
耳障りで目障りな女と感想を抱く。それでも付き合った。

「…人は傲慢で強欲で自分勝手な生き物です。僕も完璧超人じゃありません。謝罪を要求するのでしたらいくらでも謝りますけど」

 他人事だった。ただ、フェイトの眼が貪欲に見つめてくる。

「生きる事も、人の意味も、私には解らないよ。君は最後に私の手を振り払った光景が今も焼きついて離れない。
君も母さんは私を最後の最後に」

 裏切った、だろうか。

 その眼に切望される。ほんの少しだけ、先程のアルフに救いを求めた自身とその姿を重ねてしまう。
この場にいるのがアルフならば、もっと優しい答えもあったかもしれないと頭の片隅で想う。でも、自身は自身でしかない。
うまい言葉をさがしたが、駄目だった。溜息をついて見切った。
もしかしたらもう二度と口を聞いてもらえないかもしれないと思いながら相手にも聞こえる吐息をわざと落とす。

「…あの、一応一緒に戦いましたし、フェイトは嫌いじゃないから言っておきますけど必要以上に依存されるのはお断りですよ。
君は僕に何を求めるんです? 恋人でもなければ家族でもない。あの状況だったから君を信じると言った。
そして君に生きて欲しかったから、手を振り払った。それだけです。生憎ですが今フェイトの為死ねるかと聞かれたNOです。
一緒に牢屋に入るのも、長時間延々と慰めを言うのも御免です、やめて下さい気持ち悪い。一体何を言っているんですか。
君と僕の関係は濃密というほどでもありません。事件を通して知り合った仲、一緒に戦った仲、それで満足して下さい。
それができなければ今ここでお別れです。二度と会う事は無いでしょう」

 それを聞いて、フェイトは後頭部を壁に預けて、笑みとも取れぬ唇を歪ませる何かをを漏らしてしまう。
皮肉だったのかもしれない。互いに。互いへ。

「辛口だね。私は、そこまでは無理だよ。弱いから」

 どちらからともなく、大きな吐息が漏れた。クーパーの眼差しは平坦だ。感情の色を示さない。

「…深い関係でもないのに執着されるのが嫌なだけです。嫌悪します。吐き気がします本当に。
でも、友人としてなら話は聞きますよ」

 フェイトは頬に伝ったものを拭う、顎から垂れて床を叩いた跡は足が踏みにじる。
ついでに溜息一つ。迷って仕方が無い。今一度、口許に笑みが浮かぶ。

「簡単に悩みを見切れたら苦労はしないよ。ねえクーパー。あの時私は私だ、アリシアでもプレシアでもない。
囚われてもいない……って思ったけど。全然駄目だった。母さんに囚われていないと強がっていただけで、
母さんの手の中で遊ばれていたようにしか思えない。結局ジュエルシードの制御もできなかった。
観客のいない劇場で、1人で勝手に劇を演じてた哀れなマリオネットみたいだったよ」

 牢に収まる少女は壊れた人形のようだった。
壊れたまま動き続けるマリオネット。クーパーからフェイトに向けられるのはある種の同属嫌悪。
人は自分を見るのがいやなようにクーパーも暗いフェイトを見るのが嫌だった。過剰は悪だ。

「…感情に因る心情のブレでしょう。フェイトはネガティヴに浸る気質にあるみたいだし。
ポジティヴに生きられるなら、もっといい見方をできますよ」

「そうかな?」

「…ええ。それから、フェイトがマリオネットだとしたら、僕は壊れたブリキの人形です」

「そんなことは」

「…ないとは言い切れません。僕も僕で相応に歪んでるっていうことです。フェイトはそう思わなくても僕はそう思ってますし。
自己評価なんて、案外あてにならないものです。それは心の片隅に置いておくと、いいかもしれません」

「救いになる?」

「…そうあることを願います。他人は自分になりえることはできずまた自分は誰かになれやしない。
それを知りながらもフェイトが前に進み、生きることを望める人になることを僕は望みます」

「急には無理だよ。まだ、私はここから動けないから」

「…でしたら考えが変わった時にでも連絡でも下さい。
待ってますから」

「私が死ぬまでこのままなら?」

「…フェイトが生きる希望を持つ事を願うだけです。さっきも言いましたが、僕は完璧超人じゃありませんし
話し相手ぐらいが精一杯です。それ以上の悩みは専門家にどうぞ。
でも、もしもフェイトが死ぬまで下を向いたままならお手上げです」

 フェイトは返事をせずにゆっくりと頷いてみせた。冷たい言い方をすれば、クーパーは然程フェイトに興味が無い。
今後は真っ当に生きてくれるならばそれはそれで良いだろうし、彼女の人生に無理に絡もうとは思わない。
この後フェイトが死刑になるというなったとしても。

 愛し合う事もない。
きっと、クーパーはフェイトの裸を見ればたつものもたたず嘔吐する。それでも、似たもの同士と呼応するのは皮肉か。

「…参考にならなくてすみません」

クーパーは頭を下げる。フェイトは黙ってその動作を見つめていた。

「ねえ」

「…なんでしょうか」

 何を言いたかったのか、フェイトは何か考えるように言葉を口の中で泳がせる。だから、クーパーも適当な言葉をチョイスした。

「そんなに憂鬱なら、聖王にでも救いを求めたらどうです?」

 その世界は多分皮肉に素敵世界だ。フェイトもクーパーも、いわずとも解っている。でも、フェイトは鼻で笑いあえて聞いた。

「紙に救いを?」※1

「…それもいいでしょう。自分が救いようの無いと思ったら懺悔をお勧めします。貴女にはアルフもいます。
人に弱さを吐ける強さも必要だと思いますが」

…うん、という小さな声が静かに耳を掠めた。もう一度問われる。

「クーパーも紙に救いを?」

心の中では即答した。僕はそんなもの求めちゃいない。
でも、直ぐにそんな答えは捨てられる。左眼はフェイトを望み頷きながら応えていた。一抹の優しさだった。

「…ええ。求めていますよ。僕もちっぽけな人間ですから」

 その答えを吐いた時、フェイトが何か呟いたが、何を言ったのかは聞き取れなかった。
自身が言っていることは欺瞞だ。でも、それ知って尚信じることができるのならば、それはそれで悪くはない。

クーパーはそう思う。

 その後2、3言葉を交わしフェイトの元を去った。結局、最後まで詐称という気持は消えなかった。
もしかしたらフェイトも気づいているかもしれないが、聞く気にはならなかった。尚別れ際に注文をつけられた。
敬語は無しにして、とのこと。とりあえず了承した。

 別にいいだろうと思っていると帰り道のアルフにも同じ要望を突きつけられる。
一人歩きながら、クーパーはフェイトの言葉を想い返した。

「(…神様がいるならベルカ教は唯一無二だよ)」

 右手は、胸元で逆十字を切った。
彼もまたフェイトと同じように弱い人間だった。
そして聞こえなかったフェイトの言葉。

「嘘つき。君は神様なんて信じてないよね」

 現実世界で高町なのはとフェイト・テスタロッサが明るい二人のように。
虚構世界でのクーパーとフェイトは陰鬱と冷静、そして痛烈と爽やかな皮肉に満ちていた。




※1 誤字ではありません
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