「言ったよ人間の頭は一度に二つの命令は実行できないって」
……言ってないもん!! 子供クーパー心の中で抵抗す。何はともあれ、同時構築の基礎をなんとか突破したのだった。
正確にいえば、同時構築と言っても完璧に同じくではなく擬似同時構築だ。○を少しやってから△を少し書いて、
また、○をやって△も進める。という風に、二つの魔法を交互にこなしているだけ。詐欺だと思うなら当然だ。
擬似、というのが答えだし人間の脳は完全なマルチタスクにできないから同時に見せかけているだけの似非コロンブスの卵である。
テントの中で休む中。クーパーが呟いた。
「…速くて堅くて……ユーノさんはもう少し、手を抜いてくれると助かります」
「そう簡単に抜かれたくないよ」
つい先ほども2人でチェーンバインドを組んでいたが敗者はクーパー。勝者のユーノはころころ笑ってはいるものの、そう簡単に勝ちを譲る気はないらしい。
最近ユーノの魔法の強固さ、そして魔法の構築速度はさらに上を行っている。相変わらず、構築式の勝負は行われているが、なかなか勝利を掴めないでいる、弟
だった。
もう敗北の数は数えるのが面倒臭くなったので、止めた。たったの1勝が嘘のようだ。ユーノには勝てる気がしない。
それがちょっと悔しいが、クーパーにとっては、目標でもあり憧れの兄でもあった。鍛錬鍛錬、日々鍛錬。である。
そんな中、クーパーはふと思った。癖か、指は鉛筆を回している。
「…ユーノさんはデバイス、欲しいと思わないんですか?」
ユーノも指で鉛筆をくるりと回してからキャッチする。
「…どうだろう。以前は欲しいって思った事もあるけど、今はそんなでもないかな」
魔法の発動させる。瞬時にチェーンバインドが姿を見せグリーンカラーの鎖が手の中に現れたり、ユーノの腕に絡みつく。
「ほら、早いでしょ?でも、元々デバイスの役割っていうのは魔法の発動を速くする為の、簡単にいえばショートカットみたいなものなんだよ。
結局デバイスがあってもなくても自分の魔力は使う。しいちいち構築の展開の手間を省くものだし。戦う人は武器っていう側面もあるけどさ。
確かに、時空管理局の人はメリットも多い。デメリットとしては構築式を見つめる機会が少なくなる点かな。満足しちゃうし」
「…ふむふむ」
「ショートカットを使って魔法を発動させるから、構築式はデバイスに設定したもので発動させる僕達のように見つめ返すことも少なくなる。魔法に限らず、
何事も探究心が無くなったらそこで止まるよ。魔法は構築式の組み方一つで大きく内容が変わる。発動速度も性能もね。
構築式はある意味無限の海なんだ。デバイスで速度を取るのもいい。でも突き詰めれば、僕やクーパーみたいにデバイスがなくても速度を求めることもできる。
……という具合かな」
「…何かを得ると何かを失う。ですか?」
「そういう意味でも取れるよね。デバイスを使うことで、何を失うかはクーパーだけの答えを探してみて。
僕はもう見つけてるから」
「…ええ」
「それじゃ勉強再開」
ユーノも、クーパーも、教科書のようなものとペンを取って、また一般常識の学習に入る。
でも、少しだけ別のことを考え、左目はテキストを読みながらも頭の中は別のことを考える。
「(…デバイス、か)」
指示を出せば魔法を組んでくれる便利さ。少しだけ憧れる。興味はあった。それでも、ユーノと一緒に構築式から
組み立てるのもまた、面白いと感じていた。でも、ほんの少しだけ他の人のやり方を見てみたいとも思う。
スクライアの大人とも話はするし、デバイスもたまに見せてもらうがどこか違う。ユーノとは異なった考え、
というのも興味はある。がとてもユーノにはそんなことを言う気にはならなかった。頭を切り替えて、勉強を行う。
筆記具がノートの上に走る音だけが、2人の耳に届いていた。
クーパーがスクライアに来て数ヶ月、遺跡の調査が進み、どうやらスカだったことが判明した。
危険無しトラップ無しお宝無し、文化的価値も無しでまさにスカ。
情報とは違った肩透かしだったようで、大人達はがっかりする人もいたり、笑っている人もいた。
とりあえず移動になるとのことだが、次に移動する場所が決まるまで、直ぐに移動という訳にはいかないようだ。
手が空いた大人達が増えてユーノとクーパーはそわそわした。例え中身が空だったとしても遺跡には変わりない。
スクライアの人間ならば、見ておいて損はないだろう。そんな2人に捕まったのが、不精ヒゲ親父、
今回の遺跡調査の主任だったビム・スクライアは、とても暇そうに。タバコの煙を泳がせているところを鹵獲されてしまった。
「ビムさん、お暇ですか?」
2人が目を輝かせて見上げてくる。面倒臭そうに咥えているタバコを揺らすと先端の灰部分を一気に増え盛大な煙を鼻の穴から出す。
なんともオッサン臭い上、あまりの臭さにクーパーはむせていた。ユーノは手で煙を払っている。
「なあユーノ、悪いけど今オレはとっても忙しいんだ。
解るか?解らんだろう、タバコを吸っているオレの気持ちが……」
ヅィーザス、と大袈裟な身振り素振りをしてみせられた。
でもスルーする。
「生憎、僕はタバコを吸えませんので気持ちは理解できません、遺跡の中は入っても構いませんか?」
「ああ? ……ああ、構わないぜ。トラップ無し仕掛け無し、迷路にもなってもない一本道だ。
好きに入っていいぞ。ああ、ただ暗いから照明だけ持ってけや」
近くに置いてあった照明器具を手渡しされる。お礼を言ってから2人はその場を後にする。ビムは子供達を見送り一気にタバコの面積を灰にしてから盛大に煙
を吐き出す。
「ジィさんも腹黒いというかなんというか、……いいのかねぇ?」
やれやれと溜息をつきながら、咥えていたタバコを吐き捨てる。彼もその場を後にした。照明器具を手に、二人は遺跡の入り口で足を止めていた。
大人達の話では遺跡の中は一直線になっているとのこと。少々の壁画が途中点在するらしいが、どうにも価値は無いらしい。
中の暗さに感心しながら2人の足は止まっている。その時、遺跡の内部ではある者が目を覚ます。クーパーは初めての遺跡に感心しきりだった。
「…本当に暗いですね」
「照明つけて……っと」
やけに高い天井と石造りの内部。どこからか風が吹いてくるのか、二人の顔を柔らかく生ぬるい空気が舐める。
入り口からの風の音が反響し何かが遠くで鳴いているような、幽霊の声のようにも2人には聞こえた。不気味な気がしないでもない。
「…ユーノさんは、この遺跡に入ったことあるんですか?」
「ないね。他の遺跡だったら僕主導で発掘した事もあるけど
「…え?」
流石にそれには驚いた。
「今の発掘には参加してないけどね。ロストロギアの発掘だったりね。結構、僕も……って、何その目?」
「…いえ」
じと目で見られパッと目をそらす。ユーノが遺跡発掘に参加していたとは知らず、少し羨ましかったとは言えない。
「とりあえず行ってみましょうか」
「そうだね」
大人達の手で中の調査は済まされている。何もないことは確認済みだ。ちょっとのがっかり感はあるものの、
子供の冒険心はそんなものでは消えやしない。二人で、真っ直ぐの道を歩く。途中上を見上げたり壁画を目にしながら、
真っ直ぐの道を進む。
「…何もありませんね」
「何かあったら困るよ」
ユーノの空笑いが遺跡の中に響く。二人で並んで歩いているのだが、さっきからクーパーはきょろきょろしっぱなしだ。
「どうかした?」
「…風の音ですよね。なんだか呼ばれているような気がしたので」
「もしかして怖い?」
「…どうでしょう。少し怖いかもしれません」
からかったつもりだったが、素で返される。吐息を一つ落とした。
「平気だよ、ちゃんとみんなが確認済みなんだから」
「そう、ですよね……」
解っているにも関わらず、妙な嫌な感覚に襲われていた。まるで、獲物を狙うハンターにじっと見られてているような気がしてならないのだ。ねっとりと体に
纏わりつく既視感。
初めてなのに体は拒んでいない。何度目か解らない遺跡の天井を見上げる。
「(…風の音)」
自分を納得させるように一度大きく息を吸い込んで呼吸を整える。平気だ、と自分に言い聞かせる。
相変らず真っ直ぐの道は、進む事しばらく。行き止まりに突き当たった。石壁に遮られて、それ以上先はない。ただの壁だった。
「……」「…………」
顔を見合わせてしまう。唐突に訪れたゴールはあまりも呆気ない。
「探索魔法でも、試しにかけてみようか」
「…そうですね」
折角来たのだ、それぐらいしても悪くはないだろうと二人は、魔力を動かし、
探査の魔法でそれぞれ、遺跡のスキャニングを試みる、と。
「何もありませんね」
「そうだね」
直ぐ中断する。それはそうだ。大人達がさんざ調べたのだ。今更何かあってはスクライアの一族も名折れである。見学、といっても見るものがあまりないが、
今回の遺跡散策はこんなものでいいだろうと、二人とも見切りをつける。
「戻ろうか」
「…はい」
と、振り返った所でようやく遺跡が入ってきた子供達に対して出迎えの準備が完了した。
二人の足元が無くなる。足元に床が無いと人間はどうなるのか?答えは簡単だ。
落下する。それだけだ。
「?!」
「!?」
悲鳴を上げる間もなく、二人は闇の中へと落ちていった。遺跡は、何事もなかったかのように
闇の穴を閉ざすのみ。下へ、下へ、下へ、落ちていく。ただしユーノは、直ぐに飛行魔法で止まるが
「…落ちるぅううう……!」
「クーパーッ!」
クーパーは飛行魔法の習得はしていない。お預けにしていたのが裏目にでた。
直ぐに追いかける。垂直落下に加速をつけてクーパーへと手を伸ばし、彼の手首をしっかりと掴んだ。
「よし……!!」
後は姿勢制御するだけ、と勢いづいた時には時にはもう遅い。落下地点が床でなかったことは幸いしたが待っていたのは水だった。暗い暗い、闇の果て待ち受け
るものは、
水だった。二人とも水の中に突っ込み盛大な水柱を作り上げる。
「ゴボゴボゴボ……」
「(クーパー…ッ!!)」
即死はなかったが水面を叩いた衝撃で全身に痛みが走る、ユーノの手はクーパーの手首を掴んだまま。
強く握り締められている。が、暗い水の中でまずいことに気づいた。落ちてくる者達の受け皿が水なのはいいが水面か上か下か解らなかった。
水の中は暗く闇と同じだ。恐怖に苛まされながらも、自分を落ち着かせると体の力を抜いて浮遊するのを待つ。
二人はゆっくりと浮上し水面に顔を出した。ユーノは胸いっぱいに酸素を送り込むも照明はなく水中と同じ暗闇だった。
「照明は上に置いてきちゃったか」
観念する。幾つかのスフィアを展開して魔力光で周囲を点す。
ちゃぷちゃぷと水の音が聞こえていた。
「なんで落とし穴なんか」
ここも既に調査済みなのか、ユーノには解りかねたが探査の魔法をかけて、生物、罠などの探査を行う。
すると一つ、だけ。探査に引っかかったものがあった。生物らしい。ユーノは真っ直ぐ遠くの闇を睨みつける。
どうやら、今いるエリアをを真っ直ぐいった奥の部屋にそれはいるらしい。できれば来ないで欲しい。と思うが遺跡を守る守護する者ならば厄介極まりない。
手で水をかきながらゆれる水場から抜け出す、服が水を吸って重くなっていた。ぐっと、クーパーも引き上げるが、水を飲みすぎたらしくさっきから反応がな
い。
とりあえず引きずるようにして呼吸を確認してみると顔を顰めた。
「息してないの?!」
このままでは、死ぬのは目に見えている。少し気も引けるが仕方ないのでクーパーの顎をしっかり引いて、気道の確保すると、口いっぱいに空気を含む。
リスか、フグ顔になるユーノだった。
「(ふむむ、んーんー!)」※行くよ、クーパー!
唇に、自分の唇に接着して、空気が漏れないようにしっかりとしてから酸素を送り込もうとしたところで、
クーパーの左目がカッ!!と開かれて、ユーノを払いのけるや否や呑み込んでいた水を鉄砲魚のように、ピシューーーーーーーーーー!
と、吐き出してしまった。その後、激しい呼吸が収まると何故か酷く落ち込んでいた。
「だ、大丈夫クーパー?」
「…だ、大丈夫です」
もはや何も言うまい。何故か顔が赤い。ゴシゴシと唇を拭う。
「(…………)」
「ま、まぁ二次災害ってことで」
ユーノも唇をゴシゴシ拭う。それはさておき。目も闇に慣れてくると周囲はとてつもなくバスケットコートぐらいの広さで天井が高い遺跡だった。
周囲には壁画が見える。感心しながらも視野を広げる為、クーパーもスフィアを複数展開し照明の変わりにする。
手は、服の裾をしぼっていた。水がぼたぼた落ちる。
「これからどうします?」
「さっきからやってるけど上との連絡はとれない、念話の無差別送信も駄目。端末も駄目。
僕だけ飛んで戻ってみてもいいけど、多分上には戻れないよ。上の床はきっと元通りになっていて通れなくなってる。
遺跡トラップの定番だね」
「進むんですか?」
「と言いたいんだけど、まずいことになってる。クーパーも探査魔法、使ってみて」
「…?」
言われるがままに使ってみると、一つだけ、生体反応がある。何がいるかは解らないが。
神妙な面持ちで話は続く。
「選択肢は幾つかある。一つ、助けを待つ。最悪の事態は僕達の救助に誰も来てくれないことだけど、
僕達のことはビムさんに伝えてあるし、上の遺跡には照明装置を落としてきたから誰かが、僕達に何かあった事に気づいてくれることを願う」
「……」
「二つ、真っ直ぐ行って生体反応とやりあう。これも少し難有りで、
僕もクーパーも攻撃魔法は得意じゃないだろ?」
「…はい、射撃を少し覚えましたけど」
聊か不安のある答えだ。
「二つ目の生体反応とやりあうは命の危険を伴う。多分、失敗したら死ぬかもしれない。その生体反応の部屋に行って抜け道があればいいけど、そのガーディア
ンを倒さないと
脱出の鍵も手に入らないっていう場合もある」
「三つ、・・・言い忘れてたことがある。バリアジャケットをお互いに着よう。
濡れたままだと体力が奪われる」
互いに、バリアジャケットを構築して寒さを凌ぐ。ユーノは部族の格好だが
クーパーは自前が以前からあるのか、黒いバリアジャケットだった。
「救助を待つにしても体力が一番の問題かな。最悪来ないということになった場合……
食料もない僕達は力尽きてるきてる。最悪餓死するかもしれない」
「…できれば、一つ目の選択肢をとりたいです」
「救助を待つという選択肢を取りたいけど、仕方ない。それが一番最善かな」
ため息をつく。どれも悪手なのは解った上での選択なのだ。とりあえず、
スフィアを照明代わりに周辺の様子を窺う。
「…?」
その時、抜け道がないか探査の魔法を再起動していたクーパーが気がつく。背中を、嫌な汗が伝った。
「…せ、生体反応が動きました、こっち来てます!」
「みたいだね」
早々か。反応は凄まじい勢いでこちらに近づいてくる。二人とも、生きた心地がしない。
「どんどんこっちに来ますね」
「クーパー、倒そうと考えなくてもいい」
心臓がやけに暴れているのに気がついた、怖かった。クーパーは、スクライアに来てから本物の恐怖を始めて味わう。
魔法は何度も練習してる。でも、戦うのは初めてだった。
「この部屋に……入ってくる」
「……」
二人は構えた。現在の部屋は大きく、生体反応が入ってくると思われる場所は少し遠くで暗くて見えない。
スフィアの範囲外。入ってきたと思われる位置で反応の動きが止まった。なんだろうと目を逸らした時、ユーノの怒声が飛んだ。
「クーパーッ!!」
顔を上げた時にはユーノに突き飛ばされて、ユーノは、生体反応自らの突進をラウンドシールドで防いでいた。
「くそ!」
「…そんな……」
顔面が白くなる。距離はかなり開いていたはずにも関わらず、生体反応は一瞬にしてそれを殺して襲い掛かってきた。
とてつもない俊敏さと跳躍力だが生体反応の正体を視認した時、ユーノもクーパーも恐怖に慄いた、目の前には、一匹の大型の黒豹ならぬ、
黒い獣がラウンドシールドと拮抗している。あまりの恐怖に、クーパーは小便を漏らした。
◆
金色の双眸。体は黒くでかい。人間という生物など餌としか認知されていないのだろう。喉を鳴らしていた。
ユーノはラウンドシールドを展開しながらも、チェーンバインドを展開して黒豹を捕らえようとするが、バインドの発動に勘付いた黒豹は咄嗟に飛びのく。
そのしなやかさに比例して体躯はライオン程の大きさもある。卑怯だと思いたくなる程にサイズがでかい。グリーンの鎖は空しく宙を絡め取っていた。
「………」「………」
情けないと考える前に、クーパーはようやく、自分が小便を漏らしていたことに気づく。股間のあたりが、やけに生暖かい。びちゃびちゃと床がぬれる。
今すぐ叫んで逃げ出したかった。そんな欲求に駆られながらもそれができずにいた。そもそも逃げ場などないのだ。獣の絶対的な存在感はなんと恐ろしいこと
か。
場の空気に呑み込まれていた。
「(……………………)」
ユーノは獣とラウンドシールド越しににらみ合ったまま、動けずにいた。怖いかと問われればYESだったが、クーパーを守るという大義名分が幸いした。
もしもこの場にいるのが一人で、あの獣と向き合っていたとしたなら先の一撃で食われていたかもしれない。もしくは尻餅をついて無様に食われていたかもしれ
ない。
距離を置いたまま睨み合いが続く。獣もユーノも動かずに睨みあうが獣がゆっくりと動き始めた。
四肢をもたげ正面から左に移動を開始する。金色の双眸は明確にユーノを睨んで捉えていた。
ユーノは心の中で舌打ちする。獣はその大きな体躯をゆったりと動かし、均衡がとれた美しい体を見せ付けるように回り込む。
一歩、一歩と。黒い体は滑らかに動く。
荒野で打ち合いをするガンマンのように、ユーノと動く獣は睨み合い拮抗する。
牙と爪が滴る肉と血潮をぶちまけるか。それともユーノの反応と魔力構築が獣を上回り、鎖で絡めとることができるのか。
移動を続けていた獣の位置がついにユーノの真左、90度の位置にまできた時。獣が挑発するように喉を鳴らす。
それに対しユーノは眼球、目の動きだけで獣を追う。これ以上、後ろに回りこまれたらまずい。クーパーを守る以上無為な動きは避けたかった。
心の中で盛大に舌打ちする。先の接触で状況を把握していたユーノは、速度、判断力、力、攻撃力、何をとっても相手が上回っている事に苦虫を潰す。
余計な事をして均衡を崩せば食われると考えていた。動く獣を目で追い集中力は切らさなかったが、もう、限界だった。
もしも首を動かしてまで奴を追えばきっと獣はその隙に飛び掛ってくるだろう。
笑うまい。この獣が普通の生き物でない事は明らかだった。思考然り。拳銃や質量兵器の類をもってしてもしとめるのは困難な筈だ。
両者の距離は10m程。それが肝だった。
しなやかで美しい体のバネを使い、とびかかってくるに違いない。ただの獣なら凌ぐのは容易い。だが、10メートルの距離を潰すのに2秒。
初手は凌いでもスピードがついた状態での相手を対処しきる自信はなかった。唾も飲めない緊張感に襲われた。
呼吸も大きくはできない。油断は自分自身の命にも関わる。
……
黒い獣は、ユーノの左に位置したまま、動かなくなった。互いににらみを利かせたまま時が停止する。クーパーもその場に動けずにいる。一獣とユーノの瞳は
どちらも攻めの意思は捨てず、拮抗し続け、
いつの間にか。ユーノの額からは汗が浮かんでいた。口の中で舌を動かす。
「(大した罰ゲームだよ)」
そんなことを考える。汗が額から落ちて眉とまつげの山越えて眼球に飛び込んでくる。違和感でぐらついてなるものかと、ユーノの、汗にうたれた眼球も
見開いたまま獣を直視し続ける。さて、何分が経過しただろうか。にらみ合いが続いた所で、ふと、獣が顔を下を向けて、
「………?」
飛び掛ってきた。ユーノの反応が遅れる。人間が反応可能速度を超えていたかもしれない、ラウンドシールをさらに遅れて張る、それでもぎりぎりの所で獣は
シールドに激突するも、
直ぐに飛び退き最小限の動きから、シールドの無い死角めがけて更に突進を仕掛けてくる。やはり速い。
「くッ!!」
それでもユーノのラウンドシールドが展開される。獣と激突。
しかし、ラウンドシールドの効果範囲から逃れた前足が懸命に伸びてユーノを襲っていた。
爪が肩を掠める。
「…ッ!!」
可憐な血の花が咲いた。でも直ぐに萎れる。ユーノの体は崩れ落ち血も地面に転がっていた。
「ユーノさんッ!!!」
クーパーの叫び声が、場に迸った。それでも獣は待ってくれない。敗者は大人しく死ね、とばかりに獣は先程衝突したラウンドシールドの効果範囲外に、瞬時
に回り込んでくる。
左目がその動きを必死に追う。今まで、何百回、もしくはその上を行く回数をこなしてきた魔法が当たり前のように発動される。
「チェーンバインドッ!!」
「ゴゥう!!」
辛うじて獣を抑え込んだ。茶色の鎖が床から飛び出して束縛している。獣は必死に抵抗するが、
なかなか強固にして抜け出せそうに無い。
「グルルル…………!」
怒りを伴う唸り声が転がる。お前そいつ食い殺すの邪魔すんじゃねぇ喉笛食い千切って、顔面貪んぞと言わんばかりの憎しみの瞳がクーパーに向けられる。
牙を剥き、口からは泡が吹き出している。今すぐ、貴様らの肉を食いちぎらせろ、内臓よこせと呻きをあげる。
せりあがる恐怖は凄まじかった。クーパーは、とてつもなく怖くて、泣き叫びたかった。今すぐ逃げ出したい気持ちはある。
でも、小便は出し尽くした。もう何も出ない。その代わりに、体の震えが止まらない。まるで寒さに凍える人のように震え続けている。歯がカチカチと音を立て
ているが。
目の前に倒れているユーノを誰が助けるというのか。色々な教えてくれて、自分のことを家族とも兄弟と言ってくれた大切な兄を、そして魔法の師を見捨てると
いうのか。
「…ユーノ、ユーノ、ユーノ、ユーノ……ッ!!!」
恐怖のあまりに、クーパーの左目からは涙が溢れ出した。当人は気づいていない。怖いが逃げ出したくはない。
大切な人を守る為に、どんなに体が拒もうとも、どんなに小便垂れ流して無様な姿を見せようと譲れないものがあった。
手を硬く握り締めてチェーンバインドでより強固に獣を押さえ込むのだが。
「グルルルル……」
「なんなんだお前は……!クソ………!!!糞……!!」
拳と歯が悔しさに震える。手は強く握り締めすぎているせいで爪が皮膚に食い込んでいる。
痛みが唯一の今だった。狂気なくして獣との対峙を維持できそうない。睨み合う金色の双眸は言う。
口に出さずとも獣の仕草が語るのだ。
”今すぐ我を放せ、さすれば貴様の喉笛を一撃で喰い千切り、貪ってやる”
獣を見つめる中、息は荒く、まるで合法ハーブをやってぶっ飛んでる人間のように、息が弾む。
凝視し続けていいことも何一つとしてない。恐怖は増えるばかり。1秒奴を見れば一歩心を侵されるようで、
ユーノがいなければ今にも笑い出して気が狂いそうだ。
「グルルル…………!」
再度、獣は言う。
"我を解き放て。我を生かせ、我を望め。弱き者よ。力に屈することは悪い事ではない、力ある者が舞台に立つのだ。
覚悟無き者は早々に去るがいい。貴様のような、脆弱な者が表舞台に立つなど愚の骨頂よ"
そんな声が聞こえた気がした。やはり、幻聴だったのかもしれない、獣の目を直視しすぎたせいで
もう恐怖に頭が狂いそうだ。それを振り払うように、クーパーも叫ぶ。
「…ぃや……だ、誰が諦めるもんか……っ誰が諦めるかッ!! 家族をとるな!!
大切な家族なんだッ!! これ以上奪われるもんか!!!」
手からは、一雫の血が垂れる。爪が皮膚を食い破っていた。左目からは未だ絶えることなく涙がこんこんと溢れる。恐怖と怒りが混同する。
獣は牙をむき出しの唸り声を収め、驚くまで静謐な表情を差し出してくる。
”ならば、その覚悟を見せてみろ”
と、いわんばかりに獣が行動を開始した、四肢をたわませ改めてチェーンバインドを引き千切ろうとしている。
「…させないっ!!」
クーパーもまた抑え込もうとするが獣の覚悟が一枚上手だった。獣も全力だ。
四肢が地面を押し拘束から逃れようとする。爪が床に当たりカチカチ音を鳴らし、
口からは再び泡を吹き出しながら静かな反抗を見せる。
「…くそ、くそくそくそくそ!!!・・・チェーンバインドが引き千切られてく……!」
チェーンバインドの鎖一本一本が、無理やりの力に歪み弾け飛んでいく。新しいバインドで抑えようにも、
引き千切られるのに引きずられて、まともに力が出せない。やはり、訓練だけの力量では実戦に勝るものではないか。
獣は高らかと咆哮を掲げた。
「ゴオァアアッ!!!!!!」
全ての鎖を引き千切り、ついに束縛から逃れる。
覚悟を見せろ、小僧
黒い獣が後方に疾駆し距離を取る。闇と同化する。
60m程距離を取った所で、ようやく足を止めた。そのような距離、
獣にしてみれば一瞬で詰められるだろうに。一息つく間もなく。
構えた時、肩を抑えるユーノが声をかける。
「クーパー、無理はしちゃ、駄目だ……」
自分の傷口にヒールをかけるユーノにうなずいた。多分、獣は真っ直ぐ一直線に狙ってくるだろう。
なんとなくクーパーにもそれが解った。盾の使い手としての瀬戸際だ。そして、闇の中で黒い何かが走り出す。
もはや一瞬で詰められる距離が、黒いのが走り出した瞬間にクーパーは今一度チェーンバインドの構成を開始する。
より強固に、より速く。茶色い縛りを生み出そうと最高速で構築式を練る。デバイス無しでも負けられない、
そんなものに頼っている暇があれば自分で自分の命を護る。
自分には、これしかなかった。
「チェーンバインドッ!!」
チッ、チッと獣が地面を蹴り際に地面を爪を弾く音が聞こえてくる、歩み寄る死神の足音だろうか。
悠長でない闇は一瞬で迫る、チェーンが構成し終えた時には大口を開けた牙を剥き獣が飛び掛っていた。
「…捉えろッ!!!」
獣に絡ませていく鎖。それでも、神速を極める獣を完璧に捕縛することは敵わず。巨体を鎖が抑えることはできない。
バインドが完璧に捉えるよりも早く、一人と一匹はもつれ合いながら倒れこむ。しかしながら獣の顔はクーパーの顔の横まで伸ばされ、と歯と歯の噛み合わせが
力強く聞こえた。
クーパーは後頭部をごちんと床に打ち付けて気絶してしまう。それを見ていたユーノは顔を白くする、クーパーが殺されると思わず声を上げる。
「クーパーッ!!」
『no problem.』
が、静止の声が飛び込んだ。当然クーパーでなければ獣の声でもない。何の声かと思えば、
獣が首だけ動かしてユーノをジーッと見てから、ゆるく立ち上がると、クーパーの襟首を咥える形で、
ずるずる引きずり、ユーノの元にぽとりと落とす。そのまま、近くに座り込む。
何事かも理解できずユーノは目を丸くするばかり、そんな中。
『no problem.』
再度声が響く。
「……? クーパーの腕輪から?」
気絶しているクーパーの腕輪がチカチカ光を灯し、魔力反応を見せる。
ただの腕輪かと思っていたが、どうやらデバイスらしい。
「…………?」
しかし、それ以上は何も反応を示すことはない。訝しげにたずねてみる。
「デバイスなの?」
だが、待てども待てども返答は無い。非人格デバイスなのか、
よく解らないが発言のしようとしない。苛立ちながらも、しばらくすると遺跡の床は破壊され、
ユーノ、クーパー、そして獣まで、移転の魔法で救助された。
釈然としないまま、遺跡への来訪は終了する。