AAAランクの魔導師というのは、半端ない。どれほどクーパーが頑張っても、勝てる相手ではない。消耗戦に持ち込まれれば、
分が悪いのは明らかにクーパーだ。強化の魔法が解け速度の肉弾戦に持ち込まれると割と手篭めにされてしまう。

蹴られた。

殴られた。

吹っ飛んだ。

転がって、

気づけば血反吐も吐いた。そして気づく、そういえば、アースラの食堂で食べた野菜のサラダが吐瀉物となり、
その辺にぶちまけられていた。

痛い。

辛い。

苦しい。

それでも、立ちあがる。

何故?

……

何者にもなれずただの泣き虫で見栄っ張りで意地ばっかりで、

……

生きる価値もみつからない。そんな時はいつも涙が出てくる。記憶も途切れてて、大好きだった人も自分で振り払った。
ただ、1人。いつもそんな風に思っている。棒立ちでそんなことを思っていたらぐーで殴り飛ばされた。また、地面を無様に転がってうつ伏せで動きが停止する。

「その程度?」

 ノームの声に転がった意識を取り戻す。ああ、と心の中の呟きと共に丹田に力を入れてよいしょと立ち上がる。
口許を手で拭えば擦られた血のあとがついてくる。吐息を落としながら構える。やっぱり、こんな人の相手をせずにクロノ執務官に任せればよかったのかな、見栄なんて張らずにお願いすればよかったのかなと思う。一つ、鼻で笑う。

「…ご覧の有様だよ。どう足掻いても君やクロノみたいに前線タイプの人間に勝つ事なんてできやしない。
それは不変であり、どうやっても変わりっこないんだ」

「なら君は、何で私の相手をしているの?」

「…そんなの決まってる」

「ねえ、負けると解ってるんでしょう?それなのに戦う意味はあるの?
負けると解っているのに戦うなんて、意味は無い。決まりきった事だよ」

「…へ」

ニヤリ、それにノームは訝しげになる。

「…?」

「…へへ、へへへへ」

唇は歪め、開いた口からは歯をちらつかせる。口からと言わず歯の隙間からも漏れ出す笑い声を抑えきれず、口許を手で抑える。それでも尚、笑いは止まらない。
伝染し頬が緩み左目が細まる。ノームのことを笑っていた。笑われて、いやーどうもどうも! と喜ぶマゾはなかなかいやしない。ノームもまた難しい顔をする。要するに、
馬鹿の相手をするのは悩ましかった。

「頭、大丈夫?」

ひとしきりに笑うと、ようやく落ち着いたのか言葉を取り戻す。

「…うん。まぁ、大丈夫」

「馬鹿と酔っ払いの話は信用できない。という情報があるけど、前者かな」

「…どうとでも」

笑いを吐息と共に削ぎ落とす。手を口許から離すと笑いは消えていた。その代わりとばかりに、相手を嘲笑う笑みが、貼り付けられる。

「…僕は鋭利な剣じゃない。だから少し堅めの盾を望むんだ。勝てないとは言ったけど負けるなんて一言も言ってない」

「なら勝てるの?」

「…勝てないよ。勝てないけど、負けには持って行かせない。絶対だ。それが僕の意地だし、
馬鹿は馬鹿なりの矜持がある。馬鹿を舐めると痛い目をみる」

それが覚悟らしい。まだ満身創痍、というには甘い姿ではあるがやる気はあるようだ。それを一つ、ノームは鼻で笑う。
勝てない負けない、大した時間稼ぎではないか。その結末にあるものは考える必要はないのかもしれない。

「そんなこと、」

「……」

こと、の後は続かなかった。ノームはただ突っ立っている姿勢から床にぐしゃりと崩れ床に体を叩きつける。
全身を痙攣させ瀕死に紛うことなき有様を晒す。それから、手足千切られた蟻のように弱弱しく体を動かす。
クーパーはそれを見下しながらもう一度口許を拭う。

「…なのはさんを拉致してから……丁度一時間ですね。待ってはいましたが冗談じゃなかったんですか」

 うわべだけのたわごとと思っていたらしい。

「ヵ…ッ!」

 さらに、血とは思えない真っ黒な血塊を口からバシャリとこぼす。口から卵を吐き出す大魔王のように何度も、何度もしわがれた咳き込みに苦しみながら体を起こしていく。
弱弱しく、一気に動きが老人のようになってしまった。クーパーは、デバイスで時刻を確認する。

「…限界なら止めにしませんか。死んでまでやる事じゃないと思いますけど」

眼はギラギラと何かを滾らせる。下手をすれば、殺されるのか。

「私の限界……、その前に、君だけでも始末をつけておく」

「…僕を、引きずり込みますか」

「生き急ぐんだ。どういう結果になるかは解らない。それでも、もう少し付き合ってもらおうか」

喉からは呼吸をするたびに溢れ、腕を動かせば腕から、足を動かせば足からどす黒い何かがこぼれだす。
そうまでして母親の願いを叶えたいのか。

クーパーには、解らない想いだった。
いや、わかりたくなかった。








【Crybaby. 第19話】




 ぼんやりとしたまま天井を眺める。医務室のベッドで横になったまま、フェイト・テスタロッサは虚無に寄り添っていた。
母の言葉は忘れらなかったが、苦しみはさほどなかった。むしろ、体の痛みのほうが辛かった。心の痛みが消えたわけでもない。
でも何故だろうか。

 宣告されたときも、涙一つ落ちなかった。一体どういう事だろう? プレシアを母と思わなかった事はない。
今まで、死ねと言われて戦い続けたようなものだ。

 虚無感が意味するのは、ただフェイトが達観しているが故に生み出されたものだ。フェイトは解っていたのだ。心の何処かで。
自分が「プレシアの娘ではないのかもしれない」という事を。勿論、それを口にする事もないし、考える事もないが、鞭打ちや罵倒は日ごろの話。
褒めてもらったことなんて、結局一度もなかった。そんな中。苦しみの中で過ごすあまり「私の存在」について、フェイトは対策を講じてしまっていたのだ。

 これ以上の苦しみを得ないために。もしも、私が母さんの娘でなくても……、心か片隅にその一言を、置いていた。
事実になる日が来るとは思わなかったし、自身が人造魔導師であるなどとは、思いも寄らなかった。天井を眺めたまま、虚無らしくぽつりと呟いた。

「私は、人間でもないんだ……」

 陰鬱な顔をしたまま休んでいるがいい加減嫌気が差して来た。瞼を閉ざす。瞼を閉ざし視界に闇を迎え真っ暗な世界の中では坩堝にはまる。母親と思っていた人は母親ですらなく、
あまつさえ自身はその人の娘のクローンだと言うでは無いか。笑い話にもなりやしない。鼻で笑いたくなった。泣き言を言って何になるのか。戯言だ。こうしていても不思議と涙一つこぼれない。
悲しい筈なのにその湧き上がる思いに吐息を落とす。再び、眼は開かれた。

「哀れな人形……か」

 闇を抱いたまま自己評価をしてみる。相変らず、辟易の失笑だけが浮かんでしまいなんとも無様だった。母の為、母の為、母の為、母の為、母の為、母の為、突き上がる想いはただ一つ。
それだけの為にどんな苦しみとも相手とも戦ってこれた。でもその支柱が砕けてなくなり、いや、取り払われたせいで今じゃ体一つ、指先を1mmたりとも動かす気にはならない。
誰かに頼めるものならば今。喉元にナイフを埋めさせ殺してもらいたい気分だ。よくも知らない天井を見つめつつ、呟き一つ零せぬ情感に哀れさを抱いてしまう。

「…母さん」

 良くも悪くもあの人はフェイトの母だった。だが今まで散々鞭でしばかれ続けたのもようやく納得できる。
嫌いな子には甘い顔もする必要は無いのだ。鞭でしばいてうさばらし、思わず成る程と納得し低い声で笑ってしまう。
あの人に対する執着心というかあれほど抱いていた想いが薄れていく。

 不思議だった。あれほど願っていたのに。かくも易くかさぶたの如く、剥がれただけで消え失せてしまった。
まだ灯火のように残滓は残っているものの大部分は消えている。じきに全て鎮火して消えうせるだろう。でも先のことはよく解らない。
母への執着がなくなればフェイトはどうなってしまうのだろう? そんな自分を考えた事もないフェイトだった。

 そう思いながら瞼を閉ざす。既に回復魔法で、体は痛まない程度にはされているがそれでも酷く眠かった。母の事も自分の事も、考えを一度脇に退けたくなってくる。
母の為にという願望一直線で生きてきたのだ。少し休む時が欲しくなる。そのまま眼を閉ざしたままでいると、医務室にある人物がかけこんできた。眠りの邪魔だと思いながらもフェイトは眼を開けて様子を伺う。

少しだけ見覚えのある人物だった。その人は、フェイトが横になるベッドの前までやって来た。

「フェイト・テスタロッサさん」

名を呼ばれた。返事をしようか一寸迷ったが蚊も鳴かないような小さな声で、一言返事を返す。

「……何でしょうか」

「動けますか?、私はこの艦の艦長をしています、リンディ・ハラオウンです」

 それはまた随分と大きな人物がきたものだ。慌てているのは何か起こったのだろうか、少なくとも死刑ではないだろう、と思ったが。

「お願いします。貴女の力を貸して下さい」

「艦長」

 医者が口を挟んだ。間違ってもフェイトは患者だ。医者にとっては誰であろうと患者は患者だ。連れ出そうとする艦長に批判をしたが、リンディは一度眼を閉じてから、呟いた。

「状況は切迫しています、一緒に、来てもらえますか?」

「……はい」

医者が口を挟む前に、フェイトはさっさとベッドを降りて、体は痛み残る気だるさを無視してリンディに近寄る。
何が起こっているのだろうか。

「貴女のお母さん、プレシア・テスタロッサが次元断層をも、起こしかねない状況になっています。いえ、このままだと、確実に起こるでしょう。
そうすれば、いくつもの世界に影響を及ぼし、幾つも世界が、滅ぶことになります。お願いしますフェイトさん。私達の為に、力を貸して下さい」

 そう言って、艦長は頭を下げた。でも、頭を下げられてもフェイトはなんと言っていいのか解らなかった。母が、それを望むのだから。
それもいいと思ってしまう自身が愚かしい。今までならば拒んでいただろうが、その母が自分を拒み、娘ではない人形と嘲笑した姿を思い出し、
フェイトは少し、悔しくなった。歯を食いしばる。フェイトはプレシアに拒まれた。今行っても以前と変わらず拒まれるだけだろう。

 だがどうしても母の前で言っておきたいことが、胸には生まれていることに気づく。それにハッとしてから中身を確かめてから顔を上げる。
母に、会いたい。その気持ちが胸を締めつける。だからフェイトも、気合を出した。

「解りました。手伝います」

 バリアジャケットを展開するとやれやれと溜息をついた医者から、あるものを投げ渡される。小さな金の煌きが軌跡を描く、片手でそれをキャッチ。手の中に納まる。
バルディッシュだ。なのはとの戦いでヒビが入っていたが展開するとそのヒビも消え去る。問題はない。あるとすれば、それはフェイト自身だ。何よりもまず、
あの母に会いに行く事が第一だから。目を瞑り呟いた。

「行こう、バルディッシュ」

『sir.yes.sir.』

 リンディは回復魔法をかけてくれた。体は癒える。だが心はどうだ?あの母親に、一言を言う為にフェイトは向かう。
医者は翻される外套を見つめていた。






 蹴りを紙一重のギリギリのスウェーで避けると共に、ライドスナイプを2門放つ、相手もシールドを形成することなくフォトンランサーで迎撃され相殺だ。
相手の強さにクーパーは辟易しておく。AAAクラスは伊達じゃない。さらに距離を詰めてくる相手の速度には対応できない。的確にシールドを出して防ぐ。
腐ろうが、師はあの結界魔導師だ。ノームの拳を受けきる。直ぐにライドスナイプを展開し相手との距離を作る。応戦としてのフォトンランサーも全て受けきり、

 溜息を落とした。呼吸が乱れる。既に加速強化が途切れ、速度の鈍さに苛立ちを感じる。自分の足だけでは、逃げ切れぬと感じながらも。
床を蹴って跳ぶとサンダースマッシャーをなんとか避ける。転がる暇は無く、起き上がった時にはスフィアの形成を終える。
狙いは、サンダースマッシャーの射線元。

「…ライドスナイプ、ファイヤ!」

 3つのスフィアから射撃をはるも、宙で華麗に反転して避けるノーム。そこで、動きを止めた。妙に難しい顔をしている。

「本当に、弱いね」

 一度だけ、クーパーが溜息をつく。もう魔力が随分減らされた。ガリガリと削られていて、そろそろジリ貧だ。
ノームが血を吐いてからも、そこそこいい時間になるが、未だに倒れる気配すら見えない。いつになったら、死んでくれるのやら。
死ぬ死ぬ詐欺だ。

「…弱いからこそ、です。それだけですよ」

 3つのスフィアを形成しながら、問うた。これまでにない魔力を、溜め込んでいく。ノームもまた、手に雷を散らしながら魔力をチャージする。

「なら、邪魔な力は押し通せばいい。それが力だ」

 有言実行。とばかりにその場に構え、魔方陣を開かせた。魔力量があまりにも違いすぎると身を持って感じるが、
クーパーも逃げようとしない。茶色の魔方陣を複数展開しスフィアも維持している。

「…どうあっても、燕雀や鴻鵠気持ちなんて解らない」

 一度口許を拭ってから右手はノームに指し示す、スフィアがいよいよ待ち構える。ノームの、プラズマランサーに仕込む魔力量には身震いする。
なんという馬鹿魔力。シールドごと打ち破るつもりか。ノームもまた構えた。ゆらゆらと体を揺らしながら、呼吸を整える。

「もういい加減限界だ。母さんの為にも、君だけでも抑えておかないと」

血を隠すように魔方陣の金とも黄とも取れぬ色が強まる。そして、二人の魔法が発動した。

「…ライドスナイプ、ファイヤ!」

「サンダースマッシャー!!」

 射撃一門対砲撃一門。衝突するや否や、あっという間にライドスナイプの射撃が圧し戻されて、クーパーのシールドに砲撃が叩きつけられる。
僅かにクーパーが怯むも右手でシールドを張りながら残り2門の射撃を展開する。

「ファイア!」

砲撃には干渉させず一直線にノームを狙う。それでも、ノームには逃げる素振りも防ぐ素振りも見せない。
眼を疑ったが射撃は命中した。だが、サンダースマッシャーは弱まるどころかますます威力を増しクーパーを圧倒し怯ませる。

「…命中……ッしたのに!」

 苦悶の呟きの中で、シールドの限界を悟る。このままではシールドを打ち破られる。魔力にものを言わせ強引に突き破ろうとする馬鹿スタイルには辟易するが認めざるを得ない。
力の差というものを。苦し紛れの誘導弾も一発、二発、ノームに命中しているはずなのに、揺らぐ気配はない。人間がダメージを負わずに、
威力だけを増す事がことができるものか、不可能だ。にもかかわらず体現している奴が目の前にいる。

 再度一門のみの射撃魔法を用意すると魔力を急速に叩き込んで、解き放つも反応はない。諦めずに続けざまに放つ。

「ファイア!」

 射線は真っ直ぐ、だが、同じく、命中するも変化は見られない。明らかに異常だ。ピシリとラウンドシールドにヒビが入った。なにをするにしてもこれで最後。
左手に魔方陣を展開させチェーンバインドを、ノームへと飛ばす。目標を縛るや否や、全力で引っ張った。

「…このッ!」

 黒い髪も四肢と共に縛り付ける、ノームの体が引っ張られると共にサンダースマッシャーが消え失せる。鰹の一本釣りのようにノームの体は高々と舞い上がった。
そのまま、床に直撃する前に鎖を四方に展開させて宙吊り状態にする。そして、クーパーの左手は改めて射撃を展開し今にも発射しようと腕を構えたものの、発射寸前の所でようやく気づいた。
思わず顔を顰めてしまう。突然の来訪に空虚感が漂った。何時だったのかは解らなかった。

 ただ、あの異常さからだろうか。弁慶と言わんばかりの立ちっぷりをしていたが。詳細は解らないまま。黒髪のフェイトは呆気ない程に事切れて死んでいた。
あまりにも唐突な終わり方に言葉もない。胸の内でとりあえず勝ったと思うものの、どこか心の中で否定する。自分はどう足掻いても、前衛の人間に敵う筈もない。
余程の実力がなければ、後衛の人間が前衛に勝てる道理はないのだ。守り7、策1、攻撃2でなんとか相手を凌ぐのがクーパーだ。

 少し予定とは違ったが、相手を此処に釘付けにする、というのはできたはずだがなんとも後味の悪い終焉だ。手を下ろして射撃魔法とスフィアも打ち消す。
そして、チェーンバインドも解除すると落下するノームの体を抱きとめる。それは、酷く軽い女の体だった。まだぬくもりがあるも、強く、死んだ者の亡骸を抱きしめる。

 抗うべきものを間違っている、とはどうやっても言えなかったのだ。涙を流す権利などあるものか。
あったとしても、言ったとしても、どうにかなるというのだろうか。ノームはどの道、戦うことを選んだであろうに。
ノームの体を床に下ろすと開いたままの目に、指でそっと瞼を乗せて亡骸を眠らせる。

『Warning,magic reaction.from the back.』

「…後ろか」

 ケスの警告に振り返る。ライドスナイプの用意は怠らず様子を窺っていると一人、転送されてきた。金の髪に外套纏う魔導師。今しがたまで、黒髪の相手をしてきたから
妙なデジャブを覚えてしまう。フェイトもまた、転送先にクーパーがいる事を想定していなかったのか目を丸くする。

「貴方は」

「…管理局の手伝いをしている、民間人です。クーパーと言います。
フェイト・テスタロッサ、アースラに拘留されていたはずですが」

 ここに来る前、アースラで車椅子に座ったまま俯き、肘掛を握り締めていたはずだったが。
それを言うと、少し顔を翳らせる。

「艦長に、お願いされたから」

「…艦長に?」

 怪しくなってエイミィに取り急ぎ念話を送ってみると、間違いでもないらしい。

「…なら、急ぎましょう。執務官がプレシアの逮捕へ。ユーノが駆動炉の停止に向かっています」

 フェイトが頷いた時。時の庭園内に揺れが起こった。あまりの衝撃に、よろめきかけ、バルディッシュを支えにする。クーパーも僅かによろめいた。

「今のは」

揺れが小さくなるも、微弱な震動が続き小刻みに強い振動を含めている。恐らく次元震だ。舌打ちする。

「…始まりましたね。断層が開く前に、急ぎましょう」

クーパーの言葉に、今一度フェイトが頷き、一人は駆けて、一人は飛んで、

…………

「悪いけど抱えるよ」

「・・・面目ありません」

フェイトに抱えられて先を急いだ。フェイトは亡骸は一瞥しただけで見ぬ振りをした。







「次元震の発生を確認! 規模微弱ですが震動は続いています!」

「そう」

 ついに始まった。リンディは発生前にクロノが逮捕してくれることを願ったが、そうもいかないらしい。18個、その数が頭を掠めていた。
十分次元断層を引き起こせる数だ、ましてや、時の回廊を維持する駆動炉もロストロギアならばそれを後押しする形となる。お釣がくる数だ。
アルカンシェルで庭園ごと吹き飛ばしたいが、今のアースラには装備されていない。

「艦長! 次元干渉の雷撃、来ます! 後6秒!!」

「あらあら……」

驚愕に顔を顰める。

 複数のロストロギア、ジュエルシードを発動させながら、まだこれほどの魔法を放つ事ができるのか。
大魔導師プレシア・テスタロッサを見誤ったか、それでもリンディは躊躇しない。

「シールド全開。転送可能宙域まで後退の後、ディストーションシールドで、次元震の干渉を抑えて」

 オペレーターの報告が次ぐ。

「雷撃、来ます!」

シールドに干渉しアースラ内部も揺れた。想定よりも威力が強い。

「第1装甲板大破! 第3システムがダウン!! シールド出力20%下がりました!」

 報告は凄まじい。いくら個人が凄かろうと魔力は知れている。たった一人でアースラに打撃を与えようなど、無理がある。

 「艦長! 第二波確認! きます!!」

為す術がない、既にアースラは後退を始めてシールドも展開している。だというのにこの威力にこの精密さ。

「まさか、ロストロギアを多重発動させているというの?」

 リンディは苛立つ。封印を行いながら、さらにアースラにも攻撃を仕掛けてくるとは想定外もいいところだ。
プレシアの魔法が飛び込んできて衝撃がアースラに叩きつけられる。報告が直ぐに走る。

「艦尾、第三艦橋大破!このままだとアースラ持ちませんッ!!」

 連続した爆発が起きる。だがどうしようもない。リンディはただ、現場の無事と任務の完了を願うばかりだ。
そして、それまでの間この艦がもってくれることを、願うばかりだ。




クーパー、フェイト、アースラがそれぞれ動いた時、丁度ユーノと、アルトも、一息つけそうな雰囲気だった。

「封印、なんとか完了だね」

 アルトに向かい、手にした庭園のロストロギアを見せる。獣は満足したのか、こうべを垂れて尻尾をぱたぱた動かす。
これで、一応なすべきことはなしたが、終わったからさあ帰ろう! という遠足ではないのだ。ユーノは溜息をつきながら近くのエレベータに乗り込む。
不安だったしどこにでるか解らないが、今は信じる以外にない。二人が乗ると、直ぐに起動音を響かせてエレベータは動き出す。少しの停滞の時間。アルトは、壁際に座っていた。

「ご主人様は、よくしてくれてる?」

 でかアルトに聞いてみても返事が返ってくるわけでもない。じーっとユーノを見てからぷいと視線を逸らしてしまう。
まるで、"必要以上に、お前と馴れ合う気はない。"と言っているようだ。小さな溜息をついた所でユーノはエレベータが止まるのを感じる。
アルトも顔が動かしのっそりと体を動かす。僅かな停滞の後扉は開かれた。広い部屋に出たが視界が開いた先では信じられない二人が戦いを繰りひろげていた。なのはと、クロノだ。

「なのは、クロノ?!」

 ユーノの声に反応したのはクロノだけだ。なのはは面倒臭そうに、誘導弾を寄越しシールドを張るよりも早く、
咄嗟に動いたアルトに襟首を咥えられてユーノは難を逃れた。

「手伝えユーノ! なのはが操られてる!」

「えぇ?!」

 素っ頓狂な声あげてユーノは驚いたが、クロノはなのはにのみ集中して結構な戦いを繰り広げている。
というよりも、なのはを気遣いクロノが決め手を打ち込めずにいる、というのが現状だった。それに加え、
なのはは本気で向かっているから、タチが悪い。アルトに離されたユーノが直ぐにクロノの加勢に加わろうと床を蹴った時、
それは起こった。凄まじい縦揺れが起こりユーノはその場でずっこけた。

「二回目……!」

 クロノは苛立ちを隠せない。先程も大きな震動を確認している。恐らく、段階的にジュエルシードを発動させて何かを
起こそうとしているのだと、踏んでいた。力はいきなり発動するものではない。ゆっくりと徐々に起こしていくものだ。
このまま18個、全てのジュエルシードが発動した場合、確実に次元断層が、牙を剥く事になる。それだけは、なんとしても避けたいクロノだった。

「スティンガーレイ!」

「ディバイン、バスター」

 双方が魔法を展開すると、砲撃にスティンガーレイが飲み込まれながらも、桃色の波の中から飛び出し改めてなのはを襲う。
そして、砲撃はユーノのシールドが、クロノへの直撃を許さず受けきる。

「クロノ! なのはの砲撃は全部僕が防ぐ! 攻撃だけを考えるんだ!」

「言うじゃないか、兄フェレット!」

 防御は考えなくていいという援護に、思わず執務官はニヤリと笑ってしまう。
アルトを警戒してか、なのはは浮遊したまま二人を見下ろす。当然、クロノも飛んで迎撃し室内空中戦が展開される。

「ディバイン、バスター」

「ブレイズキャノン!」

 互いの砲撃同士がぶつかりあうことはなく、どちらも術者本体を狙ってくる。
シールドを形成し防ぐがクロノを守るは結界魔導師である、ユーノ。それを確認したのははありえない選択を取った。新たな魔方陣が展開される。

『DvineBuster.』

 まだ砲撃は続いているというのにレイジングハートからの更なる宣告に二人は目を剥いた。炸裂音の展開と共に桃色の砲撃が、ユーノに牙を剥く。

「ユーノ!」

 執務官に、態々返事をくれてやることもない、ユーノはチェーンバインドを展開すると身動きの取れぬなのはを縛りつける。空中の魔導師を鎖が捉えた。
だが、なのはの両腕を鎖が縛りながらもディバインバスターが消える気配は無い。

「(プレシアは、なのはを殺す気か?)」

 あまりにも無茶な魔法運用だ。このままディバインバスターの乱発を続けていれば、確実にくたばるのはなのはだ。
仕方なし、とばかりにクロノがその場から飛び退く。ユーノのシールドと、砲撃も消え失せた。一人、なのはがチェーンバインドに縛られたまま。

「ユーノ!そのまま押さえつけるんだ!」

周囲を飛び回ったクロノがS2Uを掲げ魔力の残滓を排気する。僅かな明滅の後すかさずS2Uを構えた。
目標は縛られたままの高町なのは。

「一撃で決める」

『ブレイズキャノン』

 抵抗させる暇は与えたくない。魔力ダメージのみでの気絶ナックダウン。既にプレシアがロストロギアを発動させている以上、なのはに手を焼いてる余裕はない。
S2Uから砲撃が迸り砲撃になのはは飲み込まれた。あまりの衝動に、押さえ込むチェーンバインドが全て千切れた。その反動で、ユーノはバランスを崩し尻餅をつく。
慌てて起き上がると直ぐになのはを探した、が。砲撃が途切れたブレイズキャノンの中になのはの姿はどこにもない。
墜落した様子もない。

「馬鹿、どこを見ている!」

クロノの一喝に、頭上を見上げれば既になのはと杖同士のつばぜり合いを行っていた。両者一向に引く気配が見られない。

「いい加減目を覚ませ、なのは!」

「…………」

 改めてクロノが呼びかけても死んだ魚の眼で見てくるだけだ。まともな反応がない。杖なのに、カチカチと互いの力押しの状況になる中。
次の手を2、3組み立てて動こうとした矢先、S2Uをなのはの右手が掴んだ。左手はレイジングハートを掴んだままだ。嫌な予感が始まった。

『sorry.Kurono,』

 レイジングハートが、謝ってきた。そして何故か桃色の魔方陣が形勢されてディバインバスターとは違う、明らかにおかしな、魔力収束が始まる。

「……スター……ライト……」

 チャージが長い、明らかにやばそうな砲撃だが、執務官は押し切る選択をとった。

「駄目だクロノ!  なのはのスターライトブレイカーの直撃を貰ったら!」

 そんなユーノの言葉が聞こえたものの防御はお前の仕事だという文句はでてこなかった。時間がないのだ。
これ以上なのはに構っている暇も余裕もどこにもない。

「……ッ!」

 決断は一瞬だ、執務官に迷いは無い。なのはの額を手で鷲掴みにすると飛行魔法を全開にしてなのはごと壁に突っ込んでいった。
ユーノはその光景に眼を剥いたが見守るしかない。ごくりと、唾を飲んだ矢先。壁まで突っ込んだクロノは、なのはの後頭部を、壁に叩きつけ、左手を離すや否やなのはの額に頭突きも叩き込んだ。
今一度なのはの頭が壁とクロノの頭に挟み撃ちにあい、力が抜ける。変化が見えた。そのまま、力が抜けたなのはをクロノは突き飛ばし落下させるとS2Uを構えた。容赦無く、慈悲も無く。素晴らしきかな非殺傷設定。

「ブレイズキャノン」

 砲撃がなのはに叩きつけられた。当然、床に叩きつけられてなのはは倒れた。
その場で見ていたユーノはぽかんと口を開けから、思わず叫ぶ。

「鬼だ!」

「五月蝿いな、あの砲撃の前に立ってから言ってくれ」

 頭突きした頭を押さえながら下りてきた。ゆっくりと着地してゆっくりと吐息を落とす。身震いした、というのが正直な感想だ。あんなのを受けて、平気でいられる人間がいるはずがない。
クロノとて、ユーノがシールドを張っていたとしても無事でいられたかどうか。ズキズキする頭を抑えながらなのはを伺うと、信じられない光景に眼を疑った。
倒れた姿勢のままで未だにレイジングハートを握り、スターライトブレイカーの収束を再開している。
桃色が溢れていた。

「な……ッ!」

 クロノよりも早く反応したのはユーノ、即座にチェーンバインドでなのはを締め上げる、腕は締め上げられ手はレイジングハートを取り落とした。それでも魔法の行使は止まらない。
なのはの左手の中指は突き立てられ、貴様らはfuckyouだと示している。クロノ、回避を取ろうとしたが、頭が言う事を利かない。ユーノを庇うように咄嗟にシールドを張った。そして、
二人はスターライトブレイカーに飲み込まれた。まるで活躍のしてないアルトは諦めた。

光が、全てを覆う。







「凄い魔力反応。多分、あの子だ」

クーパーを抱えながら飛び続けるフェイトが呟いた。

「……あの子?」

「高町なのは、今凄い反応があったからもしかしたら、母さんとやりあってるのかもしれない」

「……仮に、そのお母さんがなのはさんと戦えと言われたら、フェイト・テスタロッサ貴女は高町なのはと戦うんですか?」

 意地悪な質問をするとフェイトは言葉を詰まらせた。未だに母親という言葉が彼女自身を縛るのか。
僅かな空白を置く。顔は何か考えているようではある、が。出てきた答えは、なんとも落胆を招きそうなものだった。

「解らない」

それが今のフェイトの答え。とはいえクーパーにしてみれば想定の範囲内なのか、範囲外なのか。抱えられたまま、
格好つかないのにさらりと毒を吐く。

「…当たり前ですが、敵に回るなら容赦はしません」

「……………解ってる」

 自分でも迷いは断ち切りたいのかクーパーの言葉に重ねてくる。とはいえ、クーパーとて。できもしないことをよく言えたものだが。
しばらくクロノが倒した傀儡兵の残骸の道を辿りながら、飛行を続けているとようやく広い部屋に出たがそこは死屍累々と倒れている者達がいた。
フェイトは一旦はクーパーを下ろす。その広い部屋の中は、惨状という程でもないが中の有様に顔を顰めた。

 なのは、ユーノ、それにアルトも倒れている。それぞれを確認すると素人判断だが息はあるし問題はないように見える。

「気絶してるだけみたい」

 だった。フェイトが安堵の溜息をつく中で、クーパーはユーノの無事を確認すると溜息をつきながら呟いた。

「…死んでないんだ」

 それを聞いて、フェイトは頬が引きつる思いだったが、ひとまずクーパーはアースラに連絡を取ると、2人と1匹を収容してもらうように連絡する。
その際、クロノは先に進んだ旨を、聞かされる。

「…プレシアは近いんですか?」

クーパーの問いに、フェイトは頷く。

「後少し、かな。母さんはいつも、奥に人を寄せ付けないから」

「…急ぎましょうか」

 クーパーは横になっているアルトを小さくすると、ユーノの腕の中に、添えておいた。とりあえず死屍累々なのはアースラにお願いして、その場を後にした。
なのはとユーノを置いて2人は先を急ぐ。再びフェイトが飛ぶ。途中、今までとは比べ物にならぬ揺れが庭園に轟き飛行中ながらフェイトは危惧する。
小さかった揺れも次第に大きくなってきている。状況は、刻一刻と悪化していた。

「まずい」

一層と加速する。速度が増す中で、クーパーは問うた。

「…後どれくらいで?」

「もう20秒!」

 言葉どおり遠くに扉が見えて一気に突っ走る。レースゲームのゴールのように通過すると舞台役者は揃っていた。
プレシア・テスタロッサとそれを渦巻く18個のジュエルシード。満身創痍ながら、対峙するクロノ・ハラオウン。
そして液体入りの容器の中で漂うアリシア・テスタロッサの亡骸。既に9個のジュエルシードが発動しているようでなんとも言えぬ光を放つ。

 フェイトから下ろされてクーパーは着地した。プレシアも気づいているのか、フェイトを見るや否や卑猥な笑みを浮かべる。おぞましくも、あり。見慣れた笑みであった。
フェイトは心臓が早足に動き始めるのを感じる。ただ一言自分に念じた。逃げるなと。

「何しに来たのかしら。木偶人形が今更舞い戻るのね。もうお前に用はないのよ。フェイト」

 改めて、母としていた人にそれを言われるとフェイトはたじろぐ。仮にも、自身の中の偽りの記憶、プレシアの記憶では母は自分に微笑みかけて、いい子ね。という言葉をくれているのだ。
その人に改めて拒まれ面と向かって言われるのは、なかなかつらいものがある、唇を噛んで耐える。そうでもしなければ自分が壊れそうだった。いつまでもそんな言葉を投げられたら泣いてしまいそうな程に。
それでも自分の胸の中の感情をフェイトは頼る。今はただそれだけが頼りだった。真っ直ぐに母を見据える。

 クーパーを下ろし、フェイトも降りる。

「私は、貴女に言っておきたいことがあっただけです」

「何かしら? 役立たずのできそこない。壊れた人形が今更どうしたのかしらね」

 たじろぎ目を逸らしそうになる。それでも怖いものは怖い。駄目だという感情がフェイトの中で渦巻く。母親はどこまでいこうが母親だ。怖くてたまらない。この人に嫌われるのだけは嫌だと言う感情が渦巻き混沌とする。
爪が皮膚を食い破ろうとするほどに手を硬く握り締めた。今しがた立ち向かうと決めたばかりだと言うのに、もう挫けそうになっている。そんな情けない自分に握り締める手は震えていた。その時、念話が頭に響く。
送信者はクーパーだった。

"…どうでもいいですけど、ここで逃げたら貴女は一生後悔し続けますよ。フェイト・テスタロッサ"

 あまりにも呆気ない。つい先程まで話していた声だ。母親から眼をそらしたままで念話が続く。

"…どんなに最低な人間だったとしても、掌を裏返されても。プレシアが君の母親だという事実は変わりません。
家族っていうのは血の繋がりが全てじゃありません。言いたい事は言ったほうがいいですよ。言える内に"

「何を黙っているのかしら。用がないなら消えなさい。フェイト」

 恐怖の感情は未だにフェイトの心を締め付けたままだ。口の中が酷く乾いて逃げ出したい感情に襲われながらも、
立ち向かう。プレシアの眼を凝視しながらも、足は酷く竦んでいた。それでも、フェイトの心は一歩、前へと踏み出した。

「大好き、でした」

 フェイトは忘れない、悲しくもあり恐怖に慄いているが、ここ数時間で新たな感情が中には生まれている事を。
今頼れるのはその感情だけ。それはさておきプレシアは人形の有様に顔を歪めた。蔑む表情は汚物を望むようにも見えた。

「私は大嫌いだったわよフェイト。あなたは私を慰めるだけの愛玩具以下の人形だったもの」

 心には見えぬ瑕をつけられる。それはもう二度と治らない傷。知らぬ間にフェイト頬を涙が流す。止めようの無いそれをフェイトは拭おうとは思わない。それでも、穿たれたる心は別の感情で無理やり埋める。
酷く空しくもあり切なくもあるが、今悲しみの絶望の淵で倒れ伏せるものではなかった。苦しみの中でプレシアと、アリシアの亡骸を見つめてから心を放つ。
一度だけ力が入っていた拳を緩める。涙は流れ続けていた。その涙も恐らく、母親に捧げる、最後の形にした優しさだったのかもしれない。幾度となく顎から垂れる雫にも構わず口を開く。

「いつか。……いつか貴女が心から笑ってくれる日を、それだけを夢見て私は貴女の指示に従い続けました。
でも、もうそれも終わりです」

プレシアの眼が凄む。

「言いたい事は、それだけかしら」

「はい。私が言っておきたかった貴女への決別です。母さん」

 頬を伝う涙を拭う。削られた心を生めているのはアリシアとプレシアに対する、嫉妬、怒り、侮蔑。あまりにも、やりきれぬ心が生んだもの。
止まる事の無い涙と共にバルディッシュをセットアップすると頭をもたげ魔力刃が噴き出る。今にも飛び掛りかねないフェイトを、クロノがとめた。

「やる気のところ、話の腰を折るようで申し訳ないんだが」

 あまり、というよりもどこからどう見ても元気そうにないクロノが溜息をつく。一応、クーパーは焼け石に水と解りながらも回復魔法をかけていたりする。

「今それに手を出したら、大変なことになる」

 忌々しくもクロノはプレシアを見ながら毒を吐く、可笑しくもそれというのはジュエルシードも含んでいるらしい。

「プレシアを捕らえようにもジュエルシードを発動させている今、下手に術者を動かしたら発動中のジュエルシードが、暴発しかねないんだ」

恐らく、クロノもまたプレシアに宣言されたのだろう。クーパーとフェイトは息を飲む。
当たり前の話だが、ジュエルシードの暴発が招くものは脅威でしかない。その力は言わずもがなだ。

「…ちなみに、今プレシアは」

「9個のジュエルシードを発動中よ坊や。もうそろそろ、力を開放していくからそこら中に、虚数空間が発生するわね」

 クロノが何も手出しをできない理由、それは、下手に手を出せば暴走の連鎖が発生し、一気に次元断層が発生しかねないからだ。
18個のジュエルシードならばそれを引き起こす程の力がある。プレシアは唇を歪めて笑った。

「貴方達にできることと言えば、ただそこで指を咥えて見ているだけ。今術を動かしている私を止めようとすれば、暴走が起きて確実に次元断層を引き起こすわ。
安心なさい、私もエルハザードに行くだけだから扉が開けばいいだけだもの。
断層まで呼び起こす気はないわ」

妖艶に唇は笑うが信用はできない。

「…クロノ執務官、仮にジュエルシード18個が全て発動したら」

「次元震も次元断層も開くのに明確な基準は無い、でもあれほどのロストロギアが一斉に力を解放したら断層は間違いなく発生する」

 プレシアが待てというから待ったとしても、当たり前だが断層は発生する可能性は高い。かといって手を出せば暴走の危険性もある。
お手上げ状態だ。口に出す事もできず念話で問う。

"…執務官、手は?"

"無い、今苦肉の策でディストーションシールドを張っているけどそれでも、いつまで抑えられるか"

そんな二人を見透かすかのようにやはりプレシアは笑った。ただでは、転んでくれそうに無いのがプレシア・テスタロッサ、なのかもしれない。

「見ものね、時空管理局の執務官はこんな時にどんな判断を下すのかしら?」

「……ッ」

 為す術は何も無いのか。微笑むプレシアを前にクロノは歯噛みするだけだ。そしてぽっと出のクーパーに案を出せと言われてもいきなり出る訳が無い。
むしろ執務官が為す術なしと言っている状況で、案が出せる訳が無い。どう足掻こうが、次元断層は起こるのか。誰も答えを出せない中でただ一人平坦な表情を映し出す者がいた。

「バルディッシュ」

『sir.yes.sir.』

「シーリングモード、展開」

『Sealingform.Getset.』

バルディッシュがヘッドを動かしモードを換装する。ロストロギアの封印用フォーム。
無機質な変形の機械音だけが、よく響く。フェイトの手の中で一度だけ、バルディッシュは魔力の残滓を排気した。
僅かにデバイスを握ったままフェイトは俯いた。戸惑いではない。

「唯一ジュエルシードに、複数の力の干渉をかけても問題ない力」

 表情は見えない。垂れ下がる金の髪を尻目にプレシアは嘲笑った。

「私の邪魔をしようというのかしら?フェイト」

顔は俯いたまま、でもしっかりとした言葉で答える。顔は、上げなかった。

「はい。私は貴女に背きます」

プレシアの顔に醜悪に刻まれる。
 
「できそこない……、小賢しい真似を」

 その一言にだけは小さく頷いて。僅かに唇を動かしフェイトが動く。飛行で一気に宙を駆ける。金が一陣の風となった。
飛べない豚の瞳孔も金の軌跡を追いながら、クーパーは手を翳し魔法を唱える。魔方陣を展開しブーストデバイスたるカドゥケスをフェイトに向けて解き放つ。
加速強化、魔法強化、防御強化を施す。フェイトも自身にかけられた強化魔法に気づいたのか、加速する。宙を泳ぎながら速度が倍になった。

 プレシアを意識しつつバルディッシュを向ける。

「行くよ。バルディッシュ」

『sir yes sir.』

 フェイトとてプレシアがそう素直に降参するとは思ってもいないが、やらなければならない。現在、プレシアを中心に9個のジュエルシードが、起動している。未だ起動していない。
9つの内の1つに向けてバルディッシュを振りかぶった。どんなことがあろうとも、やらねばならぬ事がある。フェイトの想いとプレシアの執念。

『Sealing.』

 封印の力が迸るが、問屋とラッキョが降ろさざるというべきか、プレシアの手が振り払うとフェイトの力も消し飛ばされる。そう簡単にはいかないらしい。

「…チェーンバインド!」

 クーパーから鎖の手が伸びるブラウンの縛りはプレシア絡みつき動きを抑えた。だが、その程度で抑えられる大魔導師プレシア・テスタロッサでもない。
鎖に体を繋ぎとめられようとも動揺の色など一切合財見せつけず、クーパーが目にしたものは嘲りと苛立ちだ。まさに、大人が小便臭い餓鬼を見下す目。
そして、クロノとて手出せないと言った傍からクーパーの在り方に眼を剥いた。

「邪魔だね」

「クーパー!」

 前者はただ怒りを後者は何をやっているんだという叱責に近い叫びを。それでもクーパーが狙うものは目先の小石ではないのか、
左目はプレシアがチェーンバインドを砕くのと同時に新たな鎖を伸ばす。触手か雑草の如きしぶとさに辟易しつつ、プレシアは手をはらうと伸びて来た鎖を砲撃で一掃する。
当然、クーパーはそれをシールドで防ぎながら布石は完了した。

「…フェイト・テスタロッサ!」

『Sealing.』

バルディッシュから封印の手が伸びる。まったくもって無駄な行為だ。プレシアは軽がるとフェイトを打ち払おうと嫌な笑みを零す。その嘲笑に王手と言わんばかり、
クーパーがプレシアへと手を伸ばす。

「…いけ!」

リングバインドがプレシアの首を締め付けた。喉笛を抑え付け呼吸器官を圧迫する。突然の体の豹変に、プレシアが眼を剥く。
フェイトに伸ばそうとしていた手が、出ない。実際はバリアジャケットがあり弊害はないだろう。だが、一瞬の隙を穿ち無理やり邪魔という名の壁を押し開く。

 フェイトに強化された魔法の力は一気に2つのジュエルシードを封印し、最高速で離脱する。それを見届けるとクーパーもバインド類は全て弾けとぶ。
プレシアの砲撃の手も止まっていた。代わりのにらみが怖い。糞を見る目から小賢しい厨房を見る目に変わったのだろうか。
糞餓鬼を見ていたら思わぬ所で糞を投げつけられましたという具合に。残り、プレシアのジュエルシードは16。
思わず、クーパーは笑ってしまった。

「…あんまり、僕やフェイトにかまけていると、ジュエルシードの制御が疎かになりませんか。
雑魚を甘く見ていると足元を掬われますよ。プレシア・テスタロッサ」

 その言葉に何一つとして返事は返ってこなかった。ボールを投げただけで終わり、キャッチボールのキャの字も無く睨まれている。
一気にフェイトや、クーパーの殲滅でも考えているのか鋭い睨みを利かせたまま黙している。そんな中、クロノが溜息をついた。

「君も、随分と心臓に悪い事をするな」

「…手が無い以上、賭けをするのも一つでしょう。執務官」

 ディストーションシールドで次元震の影響を抑えるクロノは、重い溜息をつく。本来ならばこんな戦い方、邪道だ。下手をすればジュエルシードが暴発しかねない。
クロノとしては叱責かまして殴ってでも二人を後方待機にでもさせたいところだが、状況が状況すぎる。半端とはいえスターライトブレイカーを頂いたクロノは何もできないのが現状だった。
2個、まずは奪えたジュエルシードの数が頭を巡るが、いつまでもはっぱ隊気分で居る訳にはいかない。未だ相手は16個もジュエルシードを擁し、今や9個のジュエルシードを発動中なのだ。

二桁の数ものロストロギアが発動されれば、状況はますます悪化していく。フェイトはプレシアの様子を窺っていると念話が飛んでくる。

"…フェイト・テスタロッサ"

この声はあの眼帯だった。宙に浮かびながら見向きもせずに答える。

"さっきの、もう一度いけるかな"

"…やるしかないでしょう。これ以上のジュエルシードを発動、許したくはありません。
次元断層が発生するかもしれない以上、可能な限り封印してしまったほうがいいでしょう"

"そう……だね。"

 次元震ですら危ういのに断層となればもはやDEADENDだ。プレシアがどこまで力を催すのかは解らないが、確実に、ここにいる面子はお陀仏になるのは間違いない。
もしかすれば、狭間に落ちればアルハザードに到着して助かるかもしれない、などという馬鹿げた観測的希望は0%も持てない。死ぬのが目に見えている。
そうさせてはならないから、こそ。バルディッシュが金色のコアを輝かせると、フェイトは再び封印の力を強めて動こうとした時、事は起こった。

 立っていられないほどの揺れが襲い建物内の空間がぐにゃりと歪んだ。そこらかしこに異なった空間が生じ始める。
クロノは片膝と手を床につきながら顔を歪める。できれば、いやまだもう少し時間的な余裕が欲しかったが、
そうもいかないのが運命というものらしい。皮肉なものだ。

「始まったか」

 苦々しく吐き出す、プレシアとの戦いも始まったばかりだというのに早々と後がなくなって来た。アルハザードへの入り口たる虚数空間が開いた事を確認しながら、プレシアはただ1人ほくそ笑む。
これでアルハザードへの道が開かれたからだろうか。喜悦の笑みがただ静かに場を闊歩しては消えていく。

「ようやく……ようやくよ」

 嬉しそうに眼を剥いたプレシア。ようやくアリシア復活の念願からか。そこにはもう母親や魔導師としてでもなく、
一つの目的を果たす為の狂人がいた。9個の発動というジュエルシードだが追い討ちをかけるように、
10個目のジュエルシードの発動を許してしまう。蒼い光を浮かばせて力がゆらりふらりと泳ぎ始めた。
3人が3人、状況を苦々しく思う。

"…フェイト・テスタロッサ。これ以上ロストロギアを発動させるわけにはいきません"

"解ってる、解ってる!"

 フェイトの苦渋の返事が行動となって現れる。プレシア以前に、ジュエルシードが及ぼす魔力の余波のせいでとてもじゃないが、プレシアに近寄れない状況になりつつあった。
それがより焦りに繋がってじれてしまう。目の前にいるのに手が届かないという歯痒い状況が苛立たしくも悔しくもある。それを顕著に表すのか、バルディッシュを握る手には一層の力がこもる。
その姿を母は嘲笑う。顔には喜悦が走り豊かな笑いを撒き散らす。

「お前はできそこない、何をやっても半端な役立たずなのよフェイト」

「……ッ」

 奥歯が強く噛み締められた。否定もできずそして無言の意地ならぬ、無言の地団駄を踏む。水面の最下層、奥底を突かれた。
どこかで違うと否定しながらも図星の念が自らを縛る。それに抗い、争う。このまま無様に引き下がろうなどということが、
一番あってはならない。そしてそれをフェイト自身が許さない。

「私は……っ」

「死ぬのがお似合いよ」

 プレシアの手が、フェイトへと向けられる。咄嗟に回避運動を取ると連続して砲撃の牙が金色の軌跡を舐めていく。反撃しようにも、魔力余波にも阻まれて上手くいかない。
状況が悪化し続ける中で苛立ちが山積みとなっていく。逃げの一途を辿りながらもうねったジュエルシードの魔力に姿勢を捻じ曲げられるとフェイトは確信した。死ぬ。と。
ここをプレシアが逃すはずも無く、砲撃の手が伸びてくる。来訪するその牙を目にしながら、やっぱり死んだな。という感想を抱いた時、ブラウンの魔方陣が目の前に弾けて盾が生み出される。

 襲い来る砲撃の手を阻みフェイトを守る。見覚えのある魔力光は、アルフ……と思いながらも自分の使い魔はオレンジだったことを思い出す。既視感もあった。

"…無茶しすぎです、テスタロッサ"

 遅れて念話が来る。クーパーの方を見ることは無い。ありがとうと念話を速攻で返すと、即座にその場から離脱する。直ぐに盾は打ち破られ藻屑と化す。
命はまだある。フェイトも短く吐息をつく。まだ死んでもいないし致命傷を受けた訳でもない。呼吸を止める。

「バルディッシュ」

『sir.yes.sir.』

 名を呼ぶ、頼もしくもある相棒を両手に携え、見据えるは母。プレシア・テスタロッサ。自らの心の中に問いかける。
何故自分はこの場にいるのか。母に言いたいことを言う為? 言いたいことはもう全部言った。世界を守る為?
そんな正義感溢れた心はさらさらない。管理局にお願いされたから? それも、どこか違う。

ならば何故?

「(母さん)」

 どんなに否定され蔑まされようと心を砕かれても、必ず子は母を見る。恐怖や願望を抱きながら母を、望んでしまうのだ。今更抱いて欲しいとは願わない。ただそれでも。
どのような一時になろうとも、母親が落ちぶれた屑で、今次元断層を生み出す根源になりさがろうとも、母を望み何かを願ってしまう。そしてその何かは解らず、
不器用な子としての在り方。改めて、バルディッシュを手にしながら魔力にものを言わせる。亜空間に突っ込もうともかまわなかった。バルディッシュのコアを一度輝かせてから、強化された加速と魔力を猛らせる。

 飛行する体を翻しプレシアへと迸る。目障りな魔力のうねりも突き抜けた所で砲撃も紙一重にかわすと、一気にプレシアへと肉薄する。ジュエルシード封印の力を帯びたバルディッシュを振り翳した。
笑いは収まり、目の前の何かをプレシアは見つめた。

「ミスクリエイトが、何をそんなに猛るのかしら」

 振り切ったバルディッシュをシールドが阻む。ジュエルシードを封ずる力はプレシアの盾とぶつかった。それは、厚くとても堅い。
直感的にやぶることが適わないと悟り苦渋の色に犯される。文句を言う暇も無く、一度退くべきかこのまま押し切るかを脳が迷う。
それは1秒と要さないものの、僅かな停滞を敵に見せる事になる。プレシアの砲撃が眼前のフェイトに向けられる。目の当たりにしながら、選択にフェイトは迷う。時間が無いという束縛が、より選択肢を狭めていく。

 焦りが増える。

「消えなさい。フェイト」

「……く……ッ!」

 無謀にも、フェイトははなのはのように押し切ることを選択する。時間が無いという状況に駆り立てられながらバルディッシュで盾を突き破ろうと踏ん張るが
放たれたプレシア砲撃の突破はならなかった。後方、クーパーは頭の中で術式を結ぶのも面倒になり、デバイスを起動しグローブまとう掌を2人に翳す。

『protecion.』

砲撃の発動と盾の発動、攻めと守りが同時に生じてぶつかりあう。フェイトは、無傷だった。が、
受けを担当するクーパーは顔を顰め念話を飛ばす。

"…砲撃は10秒以上は堪えられるか解りません、早く"

10秒はなんとも短くも長い時間だ。金の閃光が頭と魔力の流れを切り替えて一気にその場から離脱すると、再びプレシアへと急行する。しかし、同じ手は通じないとばかりに
プレシアの盾にまた阻まれて。

「芸が無いわね、できそこない」

"…シールドは僕が砕く、任せて"

誘導弾が1つ。飛び込んでくるや否やプレシアの盾に接触し意図も簡単に、盾を砕いてしまう。
強固な盾はガラスのように四散し、呆気無く終ってしまう。

「こざかしいまねを……!」

「バルディッシュ!」

その、間。手が早かったのはフェイト。封印の力を浮遊するジュエルシードに向かい
一気に流し込む。

「封印!」

「目の前でチラチラチラチラと……」

 プレシアの苛立ちばかりが募る。後少しでアリシアと共に生きる未来が手に入るというのに失敗作と邪魔をする管理局のせいで、それも台無しだ。
目の前の娘に似たできそこないは娘の形であるがアリシアではない。アリシアの皮を被った別の何かだ。ただの目障りな存在でしかないのだ、
プレシア・テスタロッサという人にとっては。

「消えなさい」

 砲撃魔法が生ずると共にフェイトは空中にて体を二転三転させ回避に泳ぐ。封印を持続させたままその集中力と持続力が衰えることはなかった。そして、
後方でクーパーが盾を張るかどうか迷う程、バルディッシュを手に至近距離の接戦が続く。

「私が人形なら、貴女は執着に踊らされてる糸繰り人形だ……っ自分の娘の死を受け入れられないだけの、人形だ!」

 フェイトの声は慄き震えている。
母も応えた。

「お前がそれを言うものではない、できそこない!!」

「そのできそこないを作ったのも、貴女です!プレシア・テスタロッサッ!!」

 フェイトの力がプレシアを犯す。もはやシールドを張る暇は無い。速さと鋭い魔力で勝負をかけるできそこないに圧倒される。大魔導師たるプレシアが
一介の人造魔導師如きに押される理由はもう一つあるが、それを差し引いたとしてもやはり押されていた。娘の顔をした何かが続ける。
フェイトの顔は歪む。

「もしも私が貴女の条件を満たせば、私はアリシア・テスタロッサになれたんですか?
貴女は人形を作りながら自分にとって都合のいいモノならば娘と呼び、満足に至らなければ破棄するのが貴女の愛ですか?
娘の死を受け入れずに思い出に焦がれるだけの夢をそんなに見たいなら一人で見ていればいい!
私は貴女の娘の形をしたもどきでもオモチャでもない! 私の命が、たとえしがないモノだったとしても……ッ!
私は人間だ!!! フェイト・テスタロッサだ!」

 叫ぶと同時に、フェイトの封印の力が未発動のジュエルシード2つの封印に成功し、手繰り寄せてバルディッシュの中に二つを収めたが後方のクーパーは見た。
封印直後。フェイト・テスタロッサがその身に砲撃魔法を浴びて吹き飛ばされるのを。プレシアの怒りは沸点を超えたのか。度し難いものがあるようだ。
虎の尾を踏みにじり過ぎたか、そしてフェイトを砲撃から守れなかった自分に苛立ちに覚え顔を顰めつつ、落下するフェイトにキャッチ用の魔法を展開する。

 フェイトが落ちた。これが舞台の限界だろうか? ジュエルシードの配分はフェイトが4、クーパー3、プレシアが13。そんなことを考えた瞬間クロノが何か言ったかと思えばマルチタスクが災いか。
別のことを考えた瞬間プレシアの砲撃に襲われた。咄嗟に展開した盾で防ぎながらも、今までの消耗の激しさに堪え切れそうに無い。盾が砕かれる前にその身を投げて逃げるが、
逃げた所で誘導弾を連続して叩きつけられ転がった体はさらに舞って、空中に綺麗に体を泳がしながら無様に転がった。

 そして、四肢をもがれた蟻のように体を震わせながら立ち上がる。

 口の中が裂けた。

そんなフェイトを横目に、クーパーは口許を拭いながら回復魔法を遠巻きに唱える。近くじゃないから効果が薄いと解りながらもそれでもやらずにはいられない。
そんな中、プレシアからはさらに砲撃の手が伸びる。それは、フェイト、クーパー、クロノと距離が離れた
ズタボロトリオめがけて、それぞれに向かって発射されている。まだ諦める時ではない。

「…カドゥケスッ!!」

『Rajah.』

 右手はフェイトを、左手がクロノを、そして頭の中では自分用の盾を構成しそれぞれに防ぐ。流石に高威力の砲撃を3展開で防いだ事は無い。
魔力をゴッソリと持っていかれ1000m全力疾走した後カラカラに乾いた喉で息吸え息吐け呼吸しろ、と言われてるようで酷く苦痛だった。
それでも、何かしないわけにはいかない。

 クーパー!!

 ……誰かが呼ぶ声が聞こえた、それが、クロノだったのかフェイトの声だったのか解らない。ただ盾を作り、一身にその砲撃を受け止める。
痛い、苦しい、辛い。只管にそんなことだけが頭で文句を言ってくる。それでも手は止められない。きっと、もしもこの場にいるのが自分ではなく、ユーノ・スクライアという人だったならば、
絶対に盾は砕かれないであろう。あの人は結界魔導師としての誇りを持ち、そして誰かを護ると頭の隅で考えていた。沢山の苦痛を抱えながらも、まだ何か考える程を余裕がどこにあるのか。

 クーパーの魔力もいい加減ジリ貧だ。リンカーコアが軋みをあげるような感覚だが、文句は言うまいて。溜息を一つ置くと限界を知る。
悔しいがプレシアの砲撃魔法と延々とタイマンを張って勝てるほどまだ技量は無かったらしい。と諦めをつけて少ない魔力をかき集める。
リンカーコアが悲鳴をあげてやめろ馬鹿というのを無視しておく。

 今だけは、手を抜けない。自身がやることはプレシアを打ち破る事でもなければ、トップを狙うことでもない。
その技量が求めるものはただ味方の補助になればいい力だ。クーパーしかり、カドゥケスしかり、そういう力なのだ。

 だから、限界を超えて、フェイト、クロノに転送魔法を仕掛けて移動させるとその場から移動させる。
もっと、上手いやり方もあっただろうに。咄嗟にはそれしか思いつかなかったのか。そこが、限界だった。クロノのディストーションフィールドは崩させる訳にはいかないと思ったのが先立ちすぎた。
自身を守る盾にピシリ亀裂が入ると、もうそれ以上耐えられる気はしない。砲撃魔法をその一身に受けるなんて、あまり気持ちのよさそうな気はしないが、卑屈にその唇を歪める。鼻で笑う薄い笑いが漏れ出していた。

「…死にたくないな」

直後に盾は砕け、その身は砲撃に晒される。







 だるい体は言う。プレシアの笑顔が見たかった。好きだった。それに偽りは無いと思いたいが、これもアリシアの過去の感情なのかと思うと嫌になる。

『sir?』

 横になった体だがバルディッシュの声に目を開く。回復も雀の涙だったが、無いよりマシだ。今し方の転送魔法のおかげで、状況を把握するのに数秒要する。
クーパーはボロ雑巾のように倒れているしクロノはとてもじゃないが、動けるようには思えない。アースラでリンディの治療があったとはいえ、
フェイトの体はガタガタだ。体に鞭を打って、バルディッシュを支えに立ち上がる。まだ、くたばるには早いらしい。瞼を落とし眠るにはもう少し頑張らねばならない。

「……まだ、まだいける」

それはバルディッシュと、自分自身に対する言葉だったのだろうか。プレシアは相変らず13個のジュエルシードと共に悠然としている。奪えたのは4個。クーパーも3個持っているから併せて7個。
14対7、というのは大穴という程でも逆転勝ちを狙える数字だろうか。それでも悪戦苦闘必須なのは確かな事だ、現状としても悪戦模様だが踏ん張り所か。
ボロになっている外套をまといプレシアに向かい歩みを取る。一歩、また一歩と近づく中そういえば、と思い出す。

 いつの間にかクーパーからの強化魔法が解けていた。もう一度強化して欲しい所だが、肝心の術者はボロ雑巾みたいになってるから無理だろうと諦める。さりとて、
距離もいいところになるとフェイトは足を止める。周辺は少しずつ亜空間が広がっていた。
落ちれば二度と戻ってこれないであろう蟻地獄だ。それもまたいいかな、と心の何処かでは思っていた。

「しぶといまがいものだね」

 プレシアの声に眼線を交わせ唇と舌と顎と筋肉を動かす。

「違う」

「私はアリシアとアルハザードへ行くのよ。
あなたは邪魔だからもう用はないって、何度言えば解るのかしら?」

「……もう、貴女にどうこうしてほしいとは思っていない」

「なら消えなさい。目障りよ」

 貴女がアリシアに執着するように私も貴女に執着している。などと、心の奥底から浮上してきた言葉を言える筈も無い。
何故かと問われれば、理由こそない。だが、この事件にかかわりそして高町なのはにも盛大な迷惑をかけた。
あれ1人だけではない。ボロ雑巾のようにくたばっているクーパーにも、疲弊が酷いクロノも、アースラの人達にも、アルフにも。

 他にも多くの人に迷惑をかけてきた。だから、だからこそフェイトは前を見る。下を見ていたくはない。

「貴女を止める。理由は、それだけで十分」

 プレシアは溜息を一つ。

「本当に……、できの悪い失敗作ね」

 10のジュエルシードが妖しく光る。その上、未発動の4までも光を帯びて、よろしくない事態に輪をかける。プレシアの手持ち分となる14個全ての発動となってしまう。
時の庭園の駆動炉は既に停止されているものの庭園内で蠢き続ける虚数空間と、次元震の揺さぶりがフェイトの重圧となる。間に合うのかという問いはない。
間に合わせるしかないのだから。プレシアは、妖艶に微笑んだ後、奇妙な言葉を吐き出す。

「時間が無いのよ」

「……?」

「もう、後戻りも振り返る事もできない。私はアリシアと共に…、ただ」

それだけを望む。プレシアからフェイトに砲撃の手が伸びてバルディッシュのコアを煌かせて飛行で飛び退く。既にプレシアは全てのジュエルシードを発動してしまっている。
どのような手段で状況を収めるか頭が痛い。砲撃の手は止まずに避け続ける。

「(やっぱり、ジュエルシードを虚数空間に叩き落すしか)」

ないのか。プレシアの砲撃の手を見定めて一気に接近する。やはり速度と急激な力しかない。たとえクーパーの強化が無くてもやらねばなるまい。
砲撃をどれも紙一重に避けては進み、プレシアの眼前に降り立った彼女はバルディッシュのヘッドをもたげさせ、魔力刃を噴き出させた。切断をする気はない。このまま砲撃を受けてもいいから
虚数空間にぶっとばすと意気込んだ所で、想定外のことが起こりフェイトの動きを止まった。

「……」

 フェイトに手を伸ばし、恐らく砲撃を放とうとしたプレシアの体が崩れ、床に膝をつき激しく咳き込む。手で口許を抑えてはいるものの決壊したダムのように、指の間からは、幾重にも血があふれ出てくる。
そして、床へ。それを目の当たりにして動きが止まってしまった。ジュエルシードおろか、プレシアにも手を出す事は敵わない。それでも後方へと逃げて距離を作る。

「……呆れもするわね、こんな時に戻ってくるじゃじゃ馬なんだから……」

 プレシアは面倒臭そうに口許の血を拭い、乱れる呼吸を平静に戻す。その姿はまさに気力だけで生きている。つい先程までまともに戦っていた者がこうも不調になるものか。

「……せめて、アルハザードへ行くまでは余力を残したかったというのに……管理局といい。何から何まで邪魔してくれるわね」

13の眼が妖しく光を放つ。凄まじい魔力を呼び起こしながら、時の庭園に地響きが走る。

「時間と空間が砕かれた時、その狭間に滑落していく輝き。そこにこそ私が行くべき道はある。次元断層を引き起こしても構わない。私は私の為に今ここにいる。そしてアリシアの為にも」

 言っている事は同じことの繰り返しだが、黙って状況を見ていたクロノが噴いた。

「その傲慢な願いの為に多くの人の死を呼び起こし、自分と同じ悲しみを浴びせるっていうのか!」

「……だから、他人なんてどうでもいいことだわ。10億の人間が死のうとも、
アリシアが生き返るのなら省みることはないのよ、執務官の坊や」

「ッ……!」

体力を大幅に奪われていることが悔やまれる。厄介極まりないものがなければ、今この場を御しているのは、クロノであったろうに。そう思っているとエイミィから通信が入る。

"クロノ君!クーパー君! まずいよ…、このままだと次元断層が発生しちゃうよ! 今から戻ればまだ間に合うから!だから脱出急いでッ!!"

 今更な話だ。当然、そんな台詞を聞いても逃げる気には、毛頭なれやしない。ここで自身がなんとかしなければならない。
そんな時に、都合よくか知らないが、クーパーが体を横にしたまま呟いた。左目はクロノを見据えている。

「……執務官、戻りましょう」



「何を言っている、僕は」

 そんな回答ノーサンキューだ。だというのに、この片目はのたまう。

「…10を救う為に1を切り捨てる。それは間違った事じゃありません。そして僕達は十分やりました」

 そんなこと聞いてはいない、だから一層苛立った。

「だから君は、何を言ってるんだ!!」

 罵声が響くも、体を起こさずにクーパーは溜息をつく。

「…次元断層が発生すれば、被害は周辺の世界を飲み込み、甚大な被害を催すでしょう。でも、どちらかといえば、僕はプレシアと同じ口です。
他人よりも自分を優先する人間です。自分の命が惜しいと思い、エイミィさんも逃げろというなら逃げます。正義の味方なんかじゃありませんからここで任せろ。
なんて言えるほど剛毅じゃありません」

「僕は残る」

 あまりにもあっさりとクロノは言い放った。だが、瞳に宿す意志は愚かしいほどに真っ直ぐな志を持っている。
見切るには、あまりにも難しすぎた。

「…この場で命を天秤に載せるのと、今すぐアースラに戻るという選択。
どちらを選んだほうが賢明かは聡明な執務官ならお解かりになるでしょうに」

「それでもだ。僕はこの場を見捨てる事はできない」

 この後も生き続けて執務官ないし管理局の人間として職務を全うする。それとも、ここで死ぬか生きるかを賭けるか。
むざむざ断層が発生するのを見過ごすべくか。答えが解りきっているというのに、良心の呵責に苦しむ。
今アースラに戻りここを見捨てれば多くの世界に被害が及ぶ。それはもはや億どころではない。

 下手をすれば兆の位の人間が死ぬかもしれないのだ。それを見捨てるという後味の悪さは無い、命を見捨てる。たとえ、それが最良の選択だったとしても納得も理解はしたくはない。
それが若さか。それとも青さか。沈むかもしれない命の多さに蝕されたか。クロノもクーパーも、
引こうとはしない。それでも時間が無いのは変わらず、答えを出さねばならないのだ。クーパーは、言葉を押し出した。

「…エイミィさん、転送をお願いします」

「しなくていい、エイミィ」

 次の瞬間、クロノを迎えたのは転送では無く金色のリングバインドが二重三重となり体を縛る。
身動き一つ取れない。そして、それがクーパーの所為ではないことを知る。魔法の主はフェイトだった

「君は……!」

 そして何よりも憎かったのがクロノの虚を突き、一瞬の間で転送の構築式を完了させたクーパーならぬカドゥケス。
当然クロノはバインドを解そうとするが、転送の発動の方が早い。体を捩った時には彼の体は揺れる庭園の中から
消え失せていた。クーパーは溜息をつく。

「…自分用に残しておいた、最後の魔力だって言うのに」

場に残った味方はただ1人。ちらりとフェイトを見やる。

"…逃げるなら、まだ間に合いますよ。"

そういわれると、プレシアと相対していたフェイトは、返答に困る。どう返せばいいのか戸惑ってしまう。
クロノとの話が始まる前にクーパーの頭に一つ念話が叩きつけられた。




"聞こえてないかもしれないけど、私は残る"


 ちなみに、クーパーは起きていた。プレシアの砲撃に呑まれてからというものの、へばったままで体力回復に努めていたのだが、
思わしくない状況に、俗に言う死んだふりをしていただけなのだ。まったくもって、する意味はないのだが。でも、フェイトからの念話を聞いた時、一つ思ったことがある。

僕は死にたくない。

 残りたければ残るがいい。と思う反面。死なせたくないという背反も生まれる。ただ人として、見殺しにするのも頂けないと思っただけだ。
どうすべきか、などと一過性の迷いが生じた時、フェイトの次の言葉が迷いを消し飛ばす。呆気ない迷いを終わりだった。

"ジュエルシードで、なんとかするから。君達は行って。"

 火が水面の前で飛び散っては消え失せる。別にどうということではない。ただフェイト・テスタロッサという人は、今この状況で死をも厭わぬらしい。
その覚悟と同等のものがクーパーにあるか、と問われれば即答はできない。となれば質問を変えよう。その同等の覚悟をお前も持てるのかと、その質問が心臓を鷲掴みにされた時。
この状況で無様に逃げようなどと言う程、腐ってやいやしない。自分にどれほどの価値があるか?、無い。

 それは断言できる。そして、たった一人の人間が、見えもしない1億、10億、100億。1兆。という、名も覚えきれぬ程の有象無象の人間達の為に、してやれる価値があるというのか。
正義を振り翳す、大義も、道理も無い。何一つとしてある筈が無い。逃げた方がいい。楽に決まっている。それは、誰しも明白な事だが。クーパーは鼻で笑う。存外、馬鹿は馬鹿なのだ。

 馬鹿だからこそ馬鹿なのだ。フェイトは言った、ジュエルシードでなんとかする。と。火花は、水面の上で飛び跳ねては消え失せる。笑いもまた、消えることはなかった。
気づけば、カドゥケスを纏う手は小刻みに震え、水面に波紋すら及ばせぬ、水面の奥の奥を映し出す。なんて無様、それでも引き攣った笑いを。
唇を噛んで押し殺しながら、自分の役目と決め付ける。逃げるのも一つだ。決して間違った道では無い。

 ただ、いや。それでも尚、クーパーも覚悟を決める道を手繰り寄せる。恐怖に慄きながら念話を返した。

"…僕も、ジュエルシードは持ってますから"

 そう返していた。そしてクロノは還される。崩壊を始めている時の庭園を眺めながらだらだらと溜息をつく。やっぱり逃げれば良かったかもしれないというのは後の祭りな訳で、もう、もしかすれば地獄の釜へまっさかさま。
という天秤の上に載ってしまった。途轍もなく不安定で心臓が懸命に動いている。心臓の上、肋骨を挟み胸の上に手を当てずともその鼓動は全身に広がる。水面に波紋が立ち、広がるように。よいしょと体を起すとジジ臭く、
腰をとんとんと叩く。

 クーパーは賭けてしまった。フェイト・テスタロッサという一人の少女に。後戻りはできない。振り返ればどうせ名残惜しさに泣くだけだ。そっと左目を閉ざす。

「…ケス。ジュエルシードを展開」

『Rajah.』

 手甲の部分から3つの青い宝石が排出される。そして、意思を持った瞳のように強い輝きを放つ。自分とは比較にならぬ魔力を携えながら、手綱を引く。もう後ろも振り返らない。

「…いくよ。僕からの願いは唯一つ。フェイト・テスタロッサを守る事」

『Rajah.mymaster.』

 ジュエルシードは不思議なロストロギアだ。願いを聞きその願いをかなえてくれる。人の願いが強ければ強いほどに力は増幅される。無論不安定で危険な代物には変わりはないが。
それでも、魔力を使い切ったボロ雑巾の小僧には丁度いい。少しでもサポートができるなら本望なのだから。決するのはフェイト自身である。だが、やたらと場を揺るがす震動が酷い。
もはや意を決しているプレシアは庭園を崩し、入り口である虚数空間に入ろうとしているのだろうか。だとすれば、狙えるチャンスは一度だけか。

"…テスタロッサ"

"解ってる。それから"

"?"

"フェイトでいい。一々テスタロッサと呼ばれるのも変だから"

"…了解"

 よほど集中しているのかそれ以上の反応がない。自分の魔力にジュエルシードに上乗せして、何をしようというのか。クーパーには、フェイトが4つのジュエルシードに何の願いをかけたのかは解らない。
それでも、フェイトとプレシアは向き合ったままで、崩壊を始めた庭園の中で向かい合う。母と、子。歪みとできそこない。稜線のように見せては、螺旋のように近づいては離れていく。そんな不器用な親子が、一つの答えを出そうとしていた。
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