「いいのか?」

 アースラ食堂、食事を摂っていたクーパーの所に、トレーに食事を載せたクロノが正面席に腰掛けた。
左目はちらりとを執務官を見てからごくりと口の中の物を飲み込むと、別に、とだけ答えてまた直ぐサラダを口の中に放り込む。

「ユーノはずっと部屋に閉じこもってるんだろう?、少しは、心配じゃないのか」

 クロノはフォークをとって煎り卵のようなものをぶすりと挿しながら聞いてくる。
相変わらずクーパーは口をモゴモゴさせ終らせてから答える。

「…クロノ執務官。日頃不摂生でない人間が2、3日飲まず食わずで死ぬんでしょうか」

 そういいながらサラダを完食する。当然、食事中に聞いて気持ちのいい話ではない。
顔をぶすっとさせてから執務官は答えておいた。

「体には良くないだろう」

どうでもいいがハンバーガーだけの生活と、2、3日飲まず食わずの生活。
どちらがいいかは推して知るべし。

「…医務室に運ばれたら、顔ぐらいは出します」

 サラダを食べ終えるとご馳走様と残してクーパーは席を後にした。残されたクロノはむっつりとした顔で食事を続ける。
何故こうも、仲が悪い兄弟なのかは知らないがもう少し労わりというものを持つべきだとクロノは思った。プリプリしながら1人食事を続けるのだった。彼もまだ青い。
食堂を去ったクーパーは自分の部屋には戻らずある部屋に向かう。別に労わるつもりはないが一人アースラの廊下を歩きユーノ・スクライア、というネームプレートがかかれた部屋に辿り着く。

 なんら躊躇なく扉を開けると、ベッドで横になり眠っている兄を無視して、卓上のレイジングハートを手に取りポケットに収める。
その代わりとばかりに擬似の紅玉を机の上に転がしておく。そのままクーパーは部屋を後にする。何事も無かったかのように。ユーノは眠っているだけだった。











「いってきまーす」

「おはよう」

「じゃーねー」

「ただいまー」

「いっただきまーす」

「お帰りなさい、お父さん」

「お風呂先入るね」

「おやすみなさいー」

 目覚ましに起こされて一日が始まり、学校に行って勉強して帰宅して夕飯食べて風呂に入って、ベッドで横になり一日が終る。何も問題の無い日常。
夜、暗い部屋の中なのははベッドの上で横になったまま、ぼんやりする。

「……………………」

 思い出すのは、少し前。

 公園の散歩コースの植木に1人の少年がぶっ倒れていた。実はその男の子、魔法使いな男の子。日常は怒涛の如く過ぎていった。戦いと探査や訓練、
フェレットと一緒に来る日も来る日も頑張った。でもその結末は呆気無いものだった。戦いの末気がついたらベットの上なんて夢オチにしては酷すぎる。
高町家の夜。今はもう就寝時間。どことなしに、なのはは声に出して呟いてみる。

「良かったの、かな」

 その問いかけに対して答えてくれる者はいない。部屋にはフェレットもいなければなのは以外誰もいない。孤独だった。1人。ただ1人。
魔法という正解に顔を突っ込み我武者羅に走ったつもりだった。初めて見つけた、自分でもできそうなこと、やりたいこと。それは、呆気無く自分の周囲で煌いて直ぐに消え去ってしまった。
楽しい時間は短いという。でも、内容は濃いようで、とてもじゃないが楽しい事ばかりではなかった。

 それでも、こうやって離れて見ると、またなのはは魔法に対して手を伸ばしたいと思った。人から羨望を得られるからでも、人と違うという優越感からでもない。
その生き方に憧れを抱き、望んだからだ。

 確かに生き急ぐ形になってしまったのかもしれないが。アルフの砲撃を受けた後はどうなったのかは覚えていない。気づいた時にはもう自宅のベッドの上で横になっていた。
御伽噺の魔法のように。まるであの体験が嘘だったかのように思えてならない。ユーノもレイジングハートも跡形も無く消えてしまっていた。魔法使いといっても、レイジングハートが祈願型であった以上
なのはは魔法の構造自体は理解していない。炊飯器、エアコン、テレビ、パソコンといったように、使うことはできるが、中身の仕組みまでは知らないのと同じだ。

 多分、アースラは未だ、地球の衛星軌道上にいる。それでも、ユーノのにも、クロノにも、クーパーにも、誰に念話を送っても、誰一人として応答は返してくれなかった。
繋がっていないのか。それとも、拒んでいるのか。それは、なのはが知る由もない。

「…………」

 日常生活が戻ってきてから数日。突然魔法と切り離されて、呆気ないようにも感じたが、生活はなんら不自由なく過ごしている。家族がいて、まだちょっと関係が歪なままだけど、
怒ってるようだけど気にかけてくれるアリサがいて、優しいすずかがいて。魔法が無くても世界は回る。昼間、一度だけ空を見上げた事があった。確かに魔法の無い世界は寂しいような気もしたが、
泣くほどのものではなかった。でも、手に取れるのならば今一度、レイジングハートを手に取りたい。そう思うなのはだった。あの子との決着もまだついていない。いや、負けた上に魔法から切り離されて絶望はない。

 悲しいと思う気持ちと日に日にある気持ちがなのはの心の割合を占める。悔しい、だ。入り乱れる負の感情の中で悔しいという感情は心の中でひっそりと居座りリベンジを願い虎視眈々としている。本心は語る。
あの時、フェイトを潰す気なら、アルフの砲撃を受ける事も負ける事も無かった″と、負け惜しみを重ねる。でも、それでもその悔しい感情に押されあの戦闘を今一度シミュレートするなのはがいた。
もしもフェイトに構わず、いや、まずお話を聞いてもらう為にもアルフを黙らせる事に優先させていたのならば、どうだったのか。

「……………………」

 勝つか、負けるか。ユーノにも構わず誘導弾と共にアルフに突っ込み拳にも構わずデイバインバスターを叩き込んでいたら?
海面に打ち落としてからチェーンバインドで引っ張り上げてから誘導弾、そして砲撃を叩き込んでいたらどうなっただろうか?

 負けなかったかもしれない。でもそれはあくまでも仮定の話でしかない。今と違って、あの時は状況がまるで違う、客観的に眺められることもなかった。
経験則で語っているものでしかない。見知った天井を見つめながら、一つ溜息を置く。手探りでベッドの中の携帯を探して時間を確認するともう随分遅くなっていた。眼を閉ざす。
明日も学校があるのだからあまり夜更かしは宜しくない。毛布を引っ張り上げて被ると誰とも無く、呟いた。もう探査も魔法の練習もしなくていいんだ。楽だ。でも、どこか心は拒んでいる。

「おやすみなさい……」

そして。今一度、アルフに撃墜される夢を見て、ベッドの上から落っこちた。





【CryBaby 第14話】




「…………」

 教室の席に座りながらノートとにらめっこ。ちなみに授業中である。教壇では知ってかしらずか教師が熱弁を振るっていた。

「それじゃあ、調和数は自然数で全ての約数の調和平均が整数値を持つ、数の事で・・・」

 わかりませーんという声もあがる。今の時間は道徳の数少ない暇な時間なのだから。やることがなくて何故か教師が調和数について説明してる。興味がなくて、
なのははただ何も書いていないノートとにらめっこしていた。ただの時間潰しだがしばらくするとチャイムがなって退屈な時間も終り顔を上げる。
丁度、昼食の時間、やや空腹感を感じながら、1人。なのはは弁当を持って教室を出た。まだアリサと仲直りもしてないから1人だ。

 廊下を歩いて校舎を出ると上履きのまま校舎沿いを更に歩く。先生に見つかると怒られるから少し早足に進む。それでも死角になる場所、目的の場所に来た時なのはの足が
思いも寄らぬ者がいて、思わず止まった。

「……………………」

 先客だ。ただし猫、白猫だった。まるで置物のように座っており首に人間の腕輪のような不釣合いな銀のブレスレッドをひっかけている。その猫はなのはが来た事に気づくと顔を上げて一鳴き。

「ナーォ」

その仕草があまりにも可愛くて、思わずなのはは吹いてしまった。

「こんにちは猫さん。ちょっとお邪魔してもいい?」

「ナーォ」

 意味を知ってか知らずか解っているのか、なのはの質問には一鳴きで答える。近寄っても逃げないし不思議な猫だった。
毛並みは随分と綺麗だがどこかの飼い猫だろうか。学校の敷地内にもぐりこんでしまった……としても心配はいらないだろう。
猫は勝手に生きる生き物だ。なのはもコンクリートの床によいしょと腰掛けて、ひんやりとした校舎に背を預ける。期待の昼食の蓋を開けて箸を取る。

「いただきます」

 南無、とばかりに1人でも恒例の挨拶をすると、玉子焼きを箸で切り分けて口へと運ぶ。相変わらず母の料理は美味しかった。
甘い玉子焼きを頬張りながら、ふと、気がついた。

「少しだけど、猫さんも食べる?」

 猫はじっとなのはを見つめている。今しがた、切り分けた玉子焼きを猫の近くに置いてあげると玉子焼き、なのは、玉子焼き、なのは、と何度も見比べてから

「ナャーゥ」

 また一鳴きする。それは食べていいのかな? という疑問系か。はたまた頂きます。という返事だったのだろうか。
どっちなのだろうとなのはが考えていると、座った姿勢のまま、器用に頭を下げて首を伸ばしぱくりと玉子焼きを食べてしまった。
口の中へ入れると早いものでハグ、ハグと二噛み程度で食べ終えてしまう。直ぐに猫は卵焼きを食べる前の状態に戻ってしまう。

「噛まないとお腹壊すよ、猫さん」

「ナャーゥ」

 玉子焼きはもうない。次くれー、腹減ったー、もう無いのかー。
猫の言っている事が何なのか、なのはには解らない。苦笑してしまう。

「もうお仕舞い、後は私の分」

「ミャーゥ」

 それも鳴声を返してくれる。なのはに近寄ってせがむ事も無く、猫はおとなしくその場に座っていた。

「お名前、なんて言うの?」

「ナァーォ」

 当然解らない。食事中だというのに苦笑しきりだ。何か言えば猫は鸚鵡のように鳴声を返してくれる。
器用というか人に媚びているというか。不思議な猫を相手に不思議となのはの舌もすべる。
誰もいない校舎裏で1人、猫相手に色々と話しかけてしまう。

「猫さんは、ご主人様いないの?」

「ナゥ」

「今日は1人? お友達は?」

「ナァーゥ」

 一つ一つに返事を返してくれて健気には変わりに無いが、何と言っているのかわからない以上苦笑するしかできない。
どういう対応をとっていいのかも解らない。猫の声から多少の機嫌は窺えるが、それでも意味は解らないのだ。
なのはは猫に話しかけながら食事が終ると、ご馳走様。と告げながら弁当箱を片付けて一息つく。

 残っていたお茶に口をつけながら猫を見る。それをずっと見ていると、クーパーのアルトを思い出して繋がりからか、
魔法のことを思い出す。

「なのはは駄目な子だから、……猫さんみたいに一生懸命やっても駄目だったよ」

 思わず愚痴ってしまった。猫に何を言っているのか。元より誰にも聞いてもらえない相談だが。猫を見ながら溜息までついてしまう。
これは重症だと自己診断しながらトホホと立ち上がる。昼休みの終りまでまだ少し時間はあるが余裕をもって戻っても損はないだろう。
午後の授業の支度をしてもいい。空になった弁当箱を手に今一度、猫に挨拶をする。

「それじゃ私もう行くね、猫さん。ばいばい」

最後の最後で猫は返事をくれなかった。些細ながらも残念と思いなのはが歩き出そうと背を向けた時。
不意の念話に、足が止まる。

"…力が欲しいですか"

 前へ踏み出した足は上履き越しにコンクリートの硬い床を踏んだ所で、まるで杭を打ち込んだ様に動かなくなる。
突然の念話に、なのはの思考が停止した。ここ数日、一度たりとも送られてくる事の無かった、もとい、
そんなことよりもだ! なのはは止めていた体を反転させると猫に振り返る。相変わらずジィとなのはを見つめていた。

「猫さん?」

逸らす事の無い動物の眼差しを一直線に受ける。猫はつぶらな瞳だがそこに何故か、魅力とは異なった何かを感じる。

"…力が、欲しいのですか。高町 なのはさん"

「…クーパー君?」

 念話の声からそれが誰なのかを探りあてる。それでも、クーパーの姿はどこにも見えないし、魔力反応はどこにも見当たらない。
レイジングハートもないから探査の魔法がかけられない以上、それ以上の詮索はできなかった。

"…質問の回答をお願いします"

「どういう意味?」

"・・・そのままの意味です。魔法使いとしての高町なのはがこのまま死ぬか。それとも魔法使い高町なのはは、
もう一度大空を舞うか。その二択です″

 だが、なのはの頭の中では葛藤が働いた。もう一度アルフやフェイトとやって勝てるのか?今まで蓄積してきた数々の敗北が、
背から、そろり そろり と這い上がってきて耳元で薄ら笑いながら、囁いてくる。



―――-お前じゃ無理だよ。この役立たず。



「えっと、あの……」

 とても言いづらそうにしているなのはに、猫は、さっさと去ってしまった。
猫の体は見えなくなり一度だけ言葉が送られてくる。

"・・・明日、また伺います"

 それだけ言い残して猫は消えてしまった。しばらくの間なのはは棒立ちになっていたが授業のことを思い出すと、慌てて教室に戻って教師に注意されたのは言うまでも無い。
しかし時間は止まる事を知らない。午後の授業も受けてから家に帰っても、なのはは悩み続けた。夕飯を食べてベッドに入っても悩みは止まってくれない。
立ち止まろうと、指針は動き時間に後戻りはできないのだ。

 猫、クーパー? の言葉が気になってしょうがない。もう一度魔法の世界に戻るべきなのだろうか。あれほどアルフには負けないはずだったと思う自分はどこへ行ってしまったのか。
弱い考えしかでてこない。結局、ベッドに潜っている間に眠ってしまった。翌日も学校に赴きどしりと自分の席に腰を下ろすと溜息をついた。こう、改めて魔法を目の前に突きつけられると、
怖くて仕方が無かった。こんなつもりじゃなかった。そして、自分でも思っても見なかった程の臆病さに呆れてしまう。アルフに勝てるとか言っておきながら、何様だ。

「…………」

 授業のノートと教科書を取り出しながらまた溜息をつく。形にするならば、なのはの体にどろどろがまとわり、ついていてねちねちと文句を言っている様な状態だ。
それのせいでなんとも体とやる気が奮起できないでいる。惨敗がただただ、頭の中を泳ぎ回るお陰で、出るのはやはり、溜息ばかり。どうしたものかと思っているうちに、
授業が始まってしまう。も一つ溜息を置いて頭を切り替える。一時間目、二時間目と時間は過ぎる。時間は止まらない。

 そして、いよいよ四時間目まで終了してしまう。昼休みの時間が始まりチャイムの音が際どい音のように聞こえてしまう。周りの生徒達が賑やかに昼食を始める中、
そんな気にはならず昨日のクーパーの台詞だけが頭の中を巡る。明日また伺うと言っていた。そして今が昼休み。逃げたい。でも、逃げれば多分一生後悔する。
このチャンスを逃せば二度と魔法には手が届かないかもしれない。なのはの両手は机に叩きつけられ勢いよく立ち上がるや否や、イスは勢いよく倒れる。でかい音を立ててしまう。

 教室内の注目を誘いながらも、慌ててイスをなおすと脱兎の如く飛び出した。他の生徒達を気にするでもなく廊下を走り、一直線昨日の場所へと向かう。
弁当も持たずに。走りに走って、人の来ない校舎の影まで来ると昨日と同じく白猫がいた。置物のように座っていて顔だけがなのはを見上げる。
少しだけ走ったせいで肩が上下し、呼吸は乱れている。それでも、なのはは迷わない。いや迷う。心はいまだ、定まらず。それでも心をぶちまけた。

「ごめんクーパー君。私まだ迷ってる。でもまだ魔法を手放したくなくて、フェイトちゃんにもお友達になろうって言えてないから絶対、このままで終るなんて嫌だよ。私頑張るから、だから……」

「ニャァゥ」

 猫は一つ、頷きながら鳴いた。目を細めてから前足が顔を掻く。

"…力が欲しいか、なんて傲慢な聞き方をしましたが、実際に僕がなのはさんにしてあげられることはあまりありません。力、というのも具体的なものではありませんし、
やる事は非常にスパルタでもしかしたら間違っているかもしれませんがそれでも、やりますか?"

 言葉につまりながらも、なのはは頷いた。

「う、うん。やる」

 その言葉は後で後悔することになるのだが、今のなのはには知る由もない。クーパーの質問はYESとサインされてしまった。確認も取った。
猫はちょいと頷く仕草を見せてから、首にかかっていた大きな首輪、人のサイズでいう腕輪をなのはの前で体をよじって外す。コンクリートの床とキスをして軽い金属音が鳴った。

"…これを″

「これ、何?」

"…僕のデバイスです。預かってて下さい。腕にでも、どうぞ″

「あ、うん」

銀の腕輪を手首に通すと、……別に、変化はない。腕輪だった。

"…名前はカドゥケス。発動した場合、レイジングハートのように杖ではなく手袋になりますので人前に晒しても、問題はありません。今日の学校が終了したらを起動し、ナビゲートに従って下さい″

「うん。解った」

"…以上です″

 それだけ言い残すと、猫はもっそり立ち上がり、すたすた歩いて立ち去ってしまう。一瞬追いかけようかと思ったが走られたら勝つのは向こうだ。
そして、なのははある重大なことに気づく。周囲を見回しながら携帯を取り出し時間を見る。それほど時間は経っていないものの、今から教室に戻って弁当を取り出して、食べている暇はあるだろうか?
 急いで教室に戻ったなのはだが、走りつかれたせいで、あまり食欲は湧かなかったがそれでも食べた。母親が作ってくれたものを残す気にはならなかった。






 午後の授業は、あまり頭に入ってこない。授業中も袖に隠しているカドゥケスをなぞりながらぼんやりと考える。一時貸出という形だがレイジングハート以外のデバイスを触るのは、初めてだ。
ユーノはデバイスを持っていなかったし、当然のことながら、フェイトのバルディッシュに触る機会なぞありはしなかった。欲を出せばレイジングハートが欲しい所だが、今はそうも言っていられない。
デバイスがなければ念話以外、まだ魔法らしい魔法も使えないのだから。

 袖に隠している腕輪を何度も指でなぞったりを繰り返しながら早く授業が終る事を願った。でも、そういう時に限って授業が終るのが遅く感じる。それでも、再び魔法を手にした事への期待を胸にシャーペンを取ると
ノートに走らせる。思わず魔法と書いてしまい慌てて消しゴムで消した。授業が終るまでの一時間。なかなか大変だったのは言うまでもない。それでも、うずうずする気持ちを抑えつつ小学校特有の帰りの会を終らせると、
鞄を手に学校を出た。左胸に手を当てずとも心臓の鼓動が強く刻まれているのが解る。ペースが随分と速い。深呼吸で落ち着きを手繰り寄せつつ収まらぬ鼓動と共に袖をそっと捲り上げる。

 姿を見せたのは、銀色で装飾の無い腕輪。なんの変哲も無い腕輪だが。

「えっと……起動、でいいのかな」

 レイジングハートはお願いすれば、勝手にセットアップしてくれたが。この腕輪がどうなのかはそういえば聞きそびれた。

『Rajah.』

 なのはの心配を他所にデバイスは返事をしてくれて、腕輪は直ぐにグローブの形をとる。使用者の手にあわせるためか、
とてもしっくりしている。しかし、他人のデバイスというのはどうにもしっくりこない。

「クーパー君から、話は聞いてるのかな」

『yes,Please go straight on this road. It is an arrival when turning to the right 1200m
ahad, and advancing 600m there is bank in the right turn point.』

「……?」

全ての英語を把握しきれないなのはにチカチカ明滅したデバイスが先に対応する。

『あらごめんなさいお嬢さん。 ではミス高町。日本語で対応させて頂きます。この道を真っ直ぐ行って、右折して下さい。
右折地点の目印には、銀行です。現在地と右折地点の距離は、およそ1200mです」

「あ、鳴海銀行だね。解ったよ」

 少なくともこの辺の地理は把握している。1kmと200mは少し距離があるがいけない距離でもない。とりあえず移動を開始しながら
道中はカドゥケスにあれこれ話しかけてみた。無論他の人には注意をしながら。勿論、ブーストとインテリの差異など、なのはが知る由もなかった。
ましてや、機能など。

「私、あんまりのデバイスのこと知らないんだけど、カドゥケスはレイジングハートとは違うの?」

『ミス高町が御使用していたレイジングハート、あれはインテリジェントデバイスです、
高性能AIを搭載した優秀なデバイスです。私は、ブーストデバイス。基本的に、なのはさんの向けのデバイスではありません。
後方支援向けのデバイスです』

「んー・・・ユーノ君向け?」

『そうとって頂いて、構いません』

「ふーん、そうなんだ」

『恐らく、ミス高町が私を戦闘に使用した場合。出力不足を感じるかと思われます。』

「そうなの?」

『先程も申しましたが私は前線向けのデバイスでは、ありません。
ちなみにマスターとミス高町を比べた場合。月とスッポンと申しましょうか。当然、ミス高町が月になります。』

その答えを聞いてある疑問が胸の中に湧いた。聞かずにはいられなかった。

「じゃあ」

止めたほうがいいと思うものの、口は動いていた。

「フェイトちゃんと、私は?」

『魔力量を申し上げれば差は無くフィフティーフィフティーでしょうか。』

「……そう、なんだ」

それは安堵すべきことなのか。だがなのはの胸の中では安堵していたことは認めざるえない。
フェイトに対する劣等感はそう簡単には消えはしないだろう。

『ちなみに、月とスッポンの語源は江戸時代。スッポンの甲羅は丸い事から丸という異名をとりましたが同じ丸でも、
美しい満月とは大違いである。ということを示しています。他にも朱ぼんに月下駄に焼き味噌などの類似がございます』

「ふ、ふーん」

 なんで、そんな変などうでもいいことを知っているのだろう、と考えていると図書館で学びましたとのたまる。
となると、デバイスに手足は無いから、持ち主が行くしかない。

「海鳴の図書館?」

『はい』

「へー……クーパー君図書館なんて行ってたんだ」

 なるほどね、とケスと会話をしながらようやく右折地点まで来た。看板にはでかでかと海鳴銀行と書かれている。
なのはは右折する。

『目的地までは残り600m、真っ直ぐ前進で到着します。目的地は右手。マンションの7階804号室になります』

「後ちょっとだね。解った」

 再び真っ直ぐの道を行き、歩くこと600m。見上げれば、どこにでもありそうなマンションが聳え立っている。
一体何階建てなのか解らない。かなり高いから下から数える気にもならなかった。ずーっと見上げれば首が痛くなってくる。

「ここ?」

『はい』

 確認してからマンションの中に入る。エレベーターが直ぐ視界に入ったので昇りのボタンを押しておく。
エレベーターホールという程でもないが待っている間に周囲を確認してみると、どこにでもありそうなマンションだった。
特別汚なくも綺麗でもない。

「7階の、804号室だっけ」

『はい』

 確認をとった所で丁度エレベーターが下りてきてさっさと乗り込む。7階のボタンを押して閉じるのボタンを押すと
指示を受けたエレベータは命令された内容を実行に移す。扉は閉まりいざエレベータは7階へ。2階、3階4階と、止まる気配も無くどんどん階を過ぎていく。
さらに待つ事数秒ご多望でもないが7階に到着。僅かな揺れと共にエレベーターは停止し、扉が開かれる。降りると、7Fと書かれたエレベーターホールを確認する。

『右手、四つ目の部屋です』

「ありがとう、カドゥケス」

 従うがままに一つ、二つとマンションの扉を通過し三つ目四つ目を迎える。なのはの足が止まった。ネームプレートには何も書かれていない。

「ここだよね」

『はい』

  間違いないことを確認するとドアノブに手をかけてゆっくり捻る。鍵はかかっていない。そのままドア引くと視界が開けた。目の前にはえらく殺風景なワンルームが広がってた。
1LDKである。見知った顔と獣が壁際に座り込んでいる。顔を上げて眼帯付きの顔が見上げてきた。

「…お待ちしていました。なのはさん」

 床に手をついてよいしょと立ち上がる。若干、なのはよりもよりも背が高く僅かに目線が上になるが些細なことか。
もしかしたら、ユーノと身長は同じぐらいだろうか。

「…どうぞ、靴を脱いでおあがり下さい」

「あ、うん」

 スリッパもなく歓迎の意もクソも無いのだが靴を脱いであがる、本当に何も無い部屋だ。クーパーの左の瞳から忌避感や嫌悪感は感じ得ないないものの、
流石に何も言われないと戸惑いはあった。その先を得ようとするとなのはは解らなくなる。感情の色を一切示さない無口の人間から何を得ろというのか。

「…フェイト・テスタロッサ」

そんなクーパーが、ようやく口を開き話が始まる。沈黙の時間は閉ざされた。

「なのはさんが友人になりたいっていう、あの人の戦闘能力が高さで仮定すると」

 ブラウンのスフィアを一つ形成して宙に浮かべる。それは2人の身長程の高さへと登っていく。

「…これぐらいだとします。そして、」

 もう一つ、新たなブラウンカラーのスフィアを形成すると今しがたのスフィアと同様に、
身長程の高さまで登っていく。

「…二つ目のスフィアの高さが、なのはさんの戦闘能力だとします」

 スフィアはほぼ同じ高さに並んでいた。これではほぼ同じ戦闘能力という風に見える。
それが納得いかなかった。

「でも、おかしいよ。私がフェイトちゃんに勝てた事は一度も無いもん」

「…単純な戦闘能力の比較ならば、フェイト・テスタロッサとなのはさんは、ほぼ同じぐらいだと思います。
では何故差が出るのか。突き詰めていくと割と簡単に答えがでてきます。経験、勘といったものをそれぞれにプラスすると」

 少しばかりフェイトのスフィアが上にあがった。なのはにしてみれば残念ではあるが、やっぱりね。という溜息ものの結果だ。フェイトが自分よりも勝っている。
ネガティブな考え方がポジティブに勝っている。

「…という結果に終りますが、この程度の問題は、大した問題ではありません」

 意外な回答に目を丸くする。

「そうなの?」

そうなんですといいながら宙に浮いていた二つのスフィアが、彼の手元に戻ってくる。
両手をそれぞれ受け皿のようにすると、その上にスフィア2つが浮かぶ。

「…では2人を隔てている違いは何なのか。その答えは簡単です」

手がぎゅっと握り締められるとスフィア2つは消失する。その代わりに足元で横になっていた小柄な猫アルト四肢を動かしが起き上がる。
その身は主の傍に侍っていて相変わらず。クーパーの左目はなのは一直線。

「…フェイトにあって、なのはさんにないもの。それは」

気づけば、アルトにまで注目されている。獣からの視線に囚われ、なのはがクーパーから目を逸らしている間に言葉は紡がれていた。

「…覚悟です」

「覚悟……」

「…そうですね。フェイト・テスタロッサは死ねと言われれば躊躇するかもしれませんが、目的の為には死んでみせるかもしれません。
なのはさんはできないでしょう? その分の加算がフェイトの強みです」

 解らないでもなかった。なのはは普通の子供だ。覚悟なんてものはない。
もつはずもない。もつ意味もない。閉ざされていたクーパーの手が開かれる。

「…然しながら。正直な話なのはさんの魔導師としての強さは現在の段階でも確固たるものがあります」

「?」

「…ああ、すみません。しっかりとしていているという意味です。その歳でたったあれだけの経験で(ミッドチルダ)魔法の世界の魔導師達がどれ程望もうと届かない位置になのはさんはいるんです。
ご自身のことですから信じられないかもしれませんが、魔力量や技量、戦闘の勘については非凡の才を持ち合わせています。そして、これからも伸び続けるんでしょうね。
ちなみに僕やあのフェレットもどきの戦闘能力は……ここです」

「え?」

 戸惑いの声をあげてしまう。再びスフィアが形成されると自分達の腰元の辺りに位置づけられた。
先程、自分達の身長程の高さにあったスフィアに比べても全然違う。

「…あくまで、僕が適当に位置づけしているだけですけどね」

「ちょっと待って、ユーノ君は私と一緒にアルフさんとも戦ってるし、1人でフェイトちゃんとアルフさんを抑えた事もあるよ?」

「・・・それは防御面での話です。確かに僕達は防御に関して秀でています。でも、逆を言えばフェレットもどきや僕は攻撃を防ぐことはできても、余程の事がない限りフェイトやなのはさんを倒すことはできません」

 再びスフィアを消す。音も無くブラウンの球体は消え失せた。

「…話が逸れました。先程覚悟と言いましたがどのような覚悟がないのか? 順を追って実際に見ていきましょう」

 この時、初めてクーパーが微笑を見せた。今までも割と端正な顔立ちをしているとは思っていたものの、笑い方がユーノと一緒だ。と思ったのはなのはの内緒だった。
そんな中クーパーが指をパチンと弾かれると、足元にいる猫サイズのアルトと唸り声をあげてなのはに威嚇する。でも、今は猫に等しい大きさだから、怖いもなにもない。
手を伸ばせば噛まれるなり爪を立てられるかもしれないが。たかが猫。そう、まだたかが猫に過ぎない。顔をあげる。

「これが、私の覚悟が足りないことを意味してるの?」

「……まだ、そこまで辿りついていません。今の状態を今までの状況に当てはめると、ジュエルシードを捜索していたなのはさんはフェイトと遭遇し戦闘を開始した……と言った所でしょうか。ああ、なのはさん」

「?」

「…何があってもアルトから目を離さないで下さい。いいですね?」

「うん」

「…では次の段階に進みましょう」

クーパーは左腕に通す腕輪から、片割れのブーストデバイスを起動すると魔力を通し詠唱を開始する。足元にブラウンの魔方陣が走った。

「…始めよう」

『alto sizerelease,』

 クーパーの魔法に応じて光がアルトを包み込む。その光が収まった時、それまで猫程の大きさだった筈の獣が今度はゴールデンレトリバー並の大きさになってきた。
しっかりとした肉付きにしなやかな四肢、揺れる尾。そして顔に皺を寄せ、なのはに対して牙を剥き喉を唸らせて威嚇してくる。それを見ると思わずむっと、反応してしまう。

「…眼を離さないで下さい。襲い掛かるかもしれませんよ」

「う、うん」

仮に、襲い掛かってこられたらなす術も無い。腐ってもアルトは獣だ。牙を喉に突き立て噛みつかれればアウトだし痛いでは済まない。
なのはは威嚇するアルトと睨めっこを続ける。緊張感が走っていた。

「…今の状態が……そうですね、戦闘が始まって半ばという所でしょうか。フェイトとなのはさんは、互いの戦闘能力が拮抗しあい白熱した展開を見せています。どちらも一歩も譲りません」

 なのはとアルトの睨めっこも続く、む~、と。直立不動のなのはは目を逸らす気はない。アルトもまた見上げる形でなのはを喉と姿勢で威嚇を続ける。
決着というならば睨めっこに終わりはなさそうだが、クーパーはそれを見切る。

「…2人の力は拮抗し一向に決着がつきそうにありません」

 なのははアルトの眼を見続けながら聞いている。負けない、という思いがどこかで膨らんでいる。でも、こんなことをしてなんの意味があるのかと思った時。
クーパーの足元に再びブラウンの魔方陣が走る。

「…埒が明かない状況にフェイトとなのはさん。互いに必殺の一撃を以って勝利を掴もうとします。
さあ、果たして勝者はどちらか?……サイズをあげるよケス」

『release.』

 再びアルトが光に包まれる。そしてその姿を再び改めた時、なのはは息をするのを忘れた。目の前にはライオンサイズの獣が現れたのだから。ここはワンルームのマンション。
子供が檻の無い状態で獣と向き合い、目の前で狂猛な威嚇行動を示された場合、どうなるのか。睨まれただけで軽く圧される。

「      」 

 口は開かれたままだった。

「…目は、離さないで下さい」

 クーパーの声も聞こえたのか定かではない、唸りをあげる獣の喉に睨みつけてくる金の双眸。そして、顔に皺を寄せると一撃でなのはの喉と言わず顔面を食い千切るであろう、
獰猛な牙と見えてきそうなうねる吐息が感じられる。口の中に詰まった牙はてらてら光り、なのはは思った。怖い、と。人として当たり前の感情が前進に走りながらも、逃げることも適わない。

 自分よりも巨大な存在を前に、動くことも敵わない。背を見せればそれだけで爪で背を裂かれそうで、逃げなくてもその爪で引き裂かれてしまいそうで。なのは本人も気づくことはなかったが胸が苦しくなり、
呼吸が、次第に早まっていた。マラソンランナーのように、ペースをあげていき呼吸が乱れる。

「は・・・、は・・・ッ」

 引き攣った喉と不安定な呼吸がクーパーの耳を掠める。真っ当な人間の反応だった。気づいた時には、水音が床を叩いていた。太腿を伝いぴちゃりと床に水溜りを作る。
なのはには永遠に感じられたかもしれない時間だったかもしれない。頼れるものは何一つとしてない。頭の中がぐるぐると勝手に動き回り、何も考えられない。
どうしようか、と考えることすらできない。

「…もう、いいですよ」

 左目を閉ざしクーパーが宣言した時、丁度なのはの意識は昏倒を選んでいた。
多分、合図の声は聞こえていなかっただろう。電源を切ったロボットのように、なのはの体が前に倒れそうになるのを腕を伸ばして受け止める。恐ろしい程軽い体だった。














 なのはが意識を取り戻した時、部屋の中がオレンジ色の夕暮れに染まっていた。体は床の上で横になっていた。朦朧とする意識で記憶を手繰りよせると体を跳ね越こす。

「……」

 ぬちゃりと嫌な感触を味わった。と、反対側の壁にはクーパーと小さくなっていたアルトがいてペットボトルの水を、口にしている。それを飲み終えるとキャップの口を閉めている。口を開き、
淡々と語り始める。

「…ゲームや小説漫画に夢物語。現実をそう思えるのでしたら今日のことは忘れたほうがいいですよ。デバイスを返して下さい。なのはさんには平穏な人生が待っている。
多少の波はあるかもしれませんが人並みのものでしょう」

 それでも、なのはは手で胸を抑えながら我慢強い様子を見せる。気丈な子だった。先ほどのことを思い出す。

「アルトが一番大きくなった時が、フェイトちゃんとの戦いで私が負けた状態?」

「…相手の強大な力、もしくは何らかの理由でパニックを起す。動揺をして行動を停止させてしまう。それが、今なのはさんにあって、フェイトにないものです」

「そんなの……」

 誰だってあんなものを目にすれば、怖いと言おうとした所、先言われる。

「…仮に、アルトに挑戦したのがなのはさんではなくフェイトだとしたら、恐らく一番大きなアルトととも、睨みあったままことを終らせたでしょう。
あの人の場合、何がなんでも勝つというような、確固たる意思の強さがあります。それが、なのはさんには無い。
迷いは、戦いの中に不要でしょう?おままごとじゃありません。戦いの中で最終的に自分を支えられるのは自分でしかありませんよ」

 それを言われると黙るしかない。俯いて、黙ってしまう。そんな姿を左目は見つめながら言葉を上乗せしておく。

「…戦いの最中頭が真っ白になることがある。なのはさんが克服すべき点は、そこです。そこを治しさえすれば戦闘にでてもなんら問題は無くなるでしょう」

 なのはが顔を上げた。その表情は驚きに満ちている。クーパーは右の人差し指を立てて、続けた。

「…むしろ、敵はいなくなるかもしれません。どうします? デバイスは返却しますか?」

 なのははぎゅっと唇を噛んで腕の中の腕輪を掴んだ。ここで引く訳には行かない。己にとって魔法とはかけがえのないものだ。
友人も得た何かも見出そうとしている。他人にたとえ馬鹿だと言われようとも、はいそうですかと引く気にはならなくなっていた。
他人に言われるがままにレールを敷かれるのは好きじゃない。

「やる、私絶対にやるよ。言ったよ。中途半端は嫌だって」

 反感か、強い意思を持ったなのはの燃える瞳がクーパーに叩きつけられる。何事にも負けないという、意思だった。クーパーは一つだけ頷いてみせる。

「…また空に戻れるかどうかは、なのはさん次第ですけどね」
















「…じゃ、それではまずシャワーをどうぞ。タオルと、男物ですが着替えは置いてありますので」

 それを言われるとなのははきょとんとする。でも理解すると固まって石になってからなのはの顔は、沸騰したやかんのように真っ赤になる。そして爆発した。

「く、クーパー君の馬鹿、馬鹿!駄目だからね!!ユーノ君に言ったりなんかしたら絶対駄目だよ!!」

年頃の女の子らしく、ぎゃーぎゃー騒ぎながら、シャワー室に消えていく。アルトが一つ欠伸をしていた。クーパーは黙って手を伸ばすとなでる。
小学三年生にもなってお漏らし。そんなの、誰にも言えることじゃなかった。
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