アースラ艦長室。その中でリンディ・ハラウオンは先の戦闘の映像や資料を小ウィンドウに映し出していた。
黙々とそれを見つめている。戦う魔導師同士は3人。1人、高町なのは。1人、ユーノ・スクライア。
そしてもう1人は、敵の使い魔。アルフ。なかなか拮抗した戦いを展開し最終的には白い魔導師。

 高町なのはが撃墜され一先ず終了する。その後のクロノの戦いも推して知るべし。
全てのウィンドウを閉ざすと共に溜息をつく。結果すら得られない無謀な行動にどんな意味があるのか。
独断先行、命令無視、その上撃墜され気絶しました 音のない艦長室に一つ、呟きを落とす。怒りというよりもむしろ呆れを込めて。

「論外ね」

 それがリンディ・ハラウオンの感想だったがいつまでもそうしているわけにはいかない。
席を立つと、艦長室を後にする。無人になった艦長室はどこまでも静かだ。





【Crybaby.第13話】





 アースラの廊下を歩いていたリンディは、ある人物に出くわす。向こうも気づくと、ぺこりと頭を下げられる。

「…お疲れ様です、リンディ艦長」

 右目は眼帯で表情は読み取れないが、左目は、見上げてくる。

「クーパー君もお疲れ様。今から行く所?」

「…はい」

「私もよ、行きましょう」

 2人は並んで歩き出す、とはいってもクーパーが付き従うという形が正しいのかもしれない。腐っても、相手は艦長なのだ。
クスクス微笑んだ艦長だが直ぐに、その表情は真顔になってしまう。歩きながら、話し始める。

「悪いわね。少し嫌な空気になるわ」

「…お気遣い無く。どのような処分が下されようと僕は構わないと思っています。
管理局に協力を申し出ながら独断専行。・・・今すぐ降ろされても、文句は言えないと思いますけど」

「降りても、構わないわよ?」

その言葉に一瞬クーパーの足が止まる。リンディも足を止めて振り返った。
しかしその眼で見たものは歳に似合わぬ薄幸の笑みを口許に浮かべ、失礼と顎を手で押さえる少年、
というよりもむしろ人形を思わせる素振りだった。薄気味悪さを感じさせる子供だ。

「…兄の処遇、兄の対処によっては、それも在り得るかもしれませんね。僕も、曲がいなりにもスクライアの人間ですし。
身内の非で、巻き添えを食らうかもしれません」

 顎に添えた指が離れた時、笑みは消え失せていた。

「…でも子供を前線に出す、能力主義の時空管理局が切捨てをしてもなんら問題はありません。全く、何一つ」

 そういってクーパーは歩き出す。反対にリンディはその場で足を止めたまま動かなかった。
そうね、という言葉は口の中から出てくる事は無かった。クーパーの後ろ姿を見つめてから、
その後を追うようにしてリンディも歩き出す。2人が向かったのは会議室。

 中に入るとクロノ、エイミィ、そしてユーノの姿が見えた。
ここに集まったのは他でもない、先の一件についての処遇を言い渡す為だ。来るべき者が揃い一同席に着く。
当然、場のメインはリンディだ。静かな会議室の中の一同を見回してから、鬼もとい艦長が口を開いた。

「時空管理局は貴方達が都合のいいようにできる組織ではありませんよ。ユーノ・スクライア君」

 その言葉を真っ直ぐに受け止めるユーノ。それでも、緊張しているのは眼に見えていたし座す机の下で、
手が硬く握り締められていることに隣に座るクーパーは気づいた。どうでもいいこと、なのだろうか。リンディの言葉は続く。

「なのはさん、そして貴方の処分をと言いたいのですが……」

「……?」

 リンディは言葉を切り両手を組んで溜息をつく。鬱憤の溜息はどこいくものか。

「ユーノ君に関しては今回に限って厳重注意に済ませます。言っておきますが、二度目はありませんよ」

 破格を飛び越えた対応だ。普通は艦から出て行けと言われてもなんらおかしくはないものだ。
……それほどユーノが惜しい存在だとは思えないが。それ探るように、クーパーが口を開いていた。

「……何故です?」

 生憎、その意図は誰にも読めない。リンディは、意のままに口を開く。

「惜しいのよ。なのはさんがああなって、AAAクラスの魔導師を相手に空戦かつ前線で立ち回れる魔導師は
アースラにはいないわ。結界魔導師というサポートの人間だったとしても、先の一件というだけで外すのは、ね」

 ようは使い捨てするには勿体無いらしい。

「なのはは、どうするんですか」

ユーノが逃げずに立ち向かった所、リンディ淡々と応える。

「今のままじゃ、なのはさんは無理ね」

「どういう意味ですかッ!」

 思わず、ユーノは激昂しかけ席から立ち上がってしまう。クロノが落ち着けという言葉を投げかけると再び席についた。
リンディが動じる事はない。エイミィは唇をきゅっと噛み締めていた。クーパーはそれをあざとく見つけため息を落とした。

「エイミィ」

「はい」

 リンディの合図でウィンドウの操作をする。表情はやや硬い。会議室の卓上にいくつかでてくる映像。
それは前回のなのはの戦闘映像、落下しながらもアルフにディバインバスターをぶちかまし、
その後フェイトと同じ高さまで上昇した所で、動きを停止している。その隙を狙われてサンダースマッシャーで撃ち貫かれている。

 ユーノにしてみれば自分がもっとちゃんとしていれば、という光景だ。苦々しく見ている。なのはが落下途中で映像は終了した。
続いてでてきたのは、驚いた事にクロノが初介入してきた時の映像。当然、注目されるのはなのはだ。クーパーに抱かれ震えている。直ぐその映像も途切れた。

「何が言いたいんですか?」

「今のを見て解らないかしら?」

 質問は質問で返された。撃墜映像とただ、震えているだけの映像。それを見て何を導けというのかユーノには解らなかった。
歯を噛み締めてから顔を顰める。

「僕には解りません」

「答えは簡単、動揺しているだけよ」

「動揺……?」

 鸚鵡返しの兄の言葉を聴いた時、弟が溜息をついたことにクロノが気づいた。
いつの間にやら眼帯もしかめっ面になっている。話は続く。

「ちょっと大袈裟だけど、心因性の問題って知ってるかしら?」

「いえ」

 首を横に振って、ノーと答える。それを確認してから、説明が始まった。

「一例をあげるとね。心因性の問題はストレスや取り巻く環境のせいで心に問題ができてしまったりするものよ。
動悸が早くなったり、何かパニックが起きると頭の中で普通の人よりも、一層考えがまとまらなくなったりね」

「それが」

「そう、なのはさんの問題。あくまで仮説ですけどね。先の件、そして前々回、それに……」

リンディの指示でエイミィがウィンドウを操作していくと、前回よりも前の戦い。おおよそ初めてフェイトとなのはが
遭遇しぼろ負けした時の映像がでてきた。まだ、管理局がこの97管理外世界に来る前の話だ。

「これは、」

「…僕が提供しました」

 ユーノの隣に座るクーパーが淡々と答える。
初戦闘では些細なミス、というよりもアルフとフェイトの連携にしてやられている。
その後の戦いが映し出されていくと、何処か焦って戦うなのはが垣間見えた。

 フェイトが接近し追い立てられるたびに、表情は厳しくなり余裕というものがなくなっていく。
その状況に導かれれば誰しもそうかもしれない、が。

「クーパー君から、なのはさんの戦闘以外にも色々と話を聞いています」

 映像が切り替わる。1人赤信号を、俯いたまま渡るなのはがいた。
トラックが現れて轢かれる前に、黒い影が僅かに走ってなのはの姿は消えた。

「今のは、なのはさんの学校帰りに、たまたまクーパー君が居合わせたらしいわ」

 ユーノにしてみれば言葉もない。何故あんなことをしているのかも想像だにできない。
余所見、というよりも映像のなのはは最初から信号を見ていなかったように見える。いや、
それだけで全てを判断するのもおかしい。ユーノの頭の中でなのはは何も問題はない。

 今まで頑張って特訓も重ねてきて問題は一つ一つ乗り越えられてきたのだからと、思っていや願ってやまない。
そう考える以上下される判断は不名誉なものになる。

「戦闘中の判断の鈍り、周囲への注意力の低下。これらが見受けられる以上。アースラはなのはさんを戦いに出す事はできないわ」

 異議あり、とユーノは声をあげる。

「ちょっと待って下さい、本当に、本当になのはに問題があるんですか?
この前も海上での戦いもただ負けただけじゃないんですか?」

 ユーノは心の中では否定材料を探しリンディの意見を拒みたいとする。そんな焦りの中で建前の言葉しか張れない。
認めたくなくても相手の意見を何処かで認めようとする自分の認識まで、否定したかったのかもしれない。
そんな中、隣が口を開く。クーパーが淡々と言葉を被せてきた。

「……負け続けると言う事、連敗による劣等感。兄さんの手伝いや、訓練を続けなければならないという苦痛。
勝手に芽生えたジュエルシード集めをしなければならないという重責。なかなか話を聞いてくれないフェイトとその使い魔。
奪われっぱなしのジュエルシード。……兄さん、少し荷が重すぎたんじゃないんですか?なのはさんはジュニアスクール、
…この世界でいう小学校でしたっけ、それにも通ってます。
魔導師としての生活もこなし一般人としての生活をこなす。艦長が言った心因性の問題、
というよりもストレスを蓄積するには十分なんじゃないですか?
兄さん、貴方はどこかでなのはさんのことを、勘違いしてませんか?」

「僕がなのはの何を勘違いしているっていうんだ」

「…何の為になのはさんに魔法を教えたんです? ジュエルシードの収集の協力の為? それともただの自己満足?」

「そんなわけあるかっ! 僕は自己満足なんかのためにレイジングハートを渡したんじゃないッ!
魔法を知ってしまった、あの子を守る為に少しでも力になるようにって……ッ!」

 怒声が、会議室に響き渡った、クーパーはとても冷めた眼で隣に座る兄をみている。他の面子は黙っていた。

「…じゃあ」

左目は、半分閉ざされる。

「…方向を誤りましたね。貴方はなのはさんを買い被りすぎです。どうあってもジュニアスクールの学生にすぎないんです。
管理内世界人間ならまだ解ります。でもなのはさんは違う。ここは魔法なんて無い世界ですよ。魔法? 戦い? 戦闘?
そんなの、一部の職業軍人がやるべきことです。戦いとは全く無関係の子に戦いも普段の生活も強いてどうするんです?
その上相手は使い魔持ちの優秀な魔導師。分が悪すぎです。魔導師の戦いは一朝一夕でどうにかなるものでもないでしょう?」

「っ……」

 認めざるえないのが、悔しい限りだ。なのはは違うなのは大丈夫だ。そう思いながらも今までといい認めてしまう節があった。
あの子はまだ小さな学生なのだ。ユーノとは違う大容量の魔力、そして強力な砲撃魔法。それに、魅せられていたのかもしれない。
訓練すればするほど伸びて、有望にしか見えない相手なのだから。

「まあ、そういうことで」

 リンディの呟きと共に、クーパーの左目が開かれその眼は艦長を見やる。

「なのはさん関しては残念だけど、あの子はジュエルシードの一件からは降りてもらうことにするわ。
ユーノ君。それからもう一つ。彼女から、レイジングハートを押収したいと思います」

 それには思わず拳が机を叩く音が響き、エイミィは驚いた。クーパーは見る価値もなしとばかりに反応を示さない。
クロノは、小さな吐息を落とすと先程と同じように促す。

「落ち着け、レイジングハートに関しては、君の元に返そうということになっている」

「え?」

「元々の所持者は、貴方ねユーノ君。今は確かに、なのはさんのデバイスかもしれないけれどこれ以上、現地住民である彼女を
危険な戦闘行為に巻き込む訳にはいかないわ」

「でも。僕はこうやって艦に残ってるのに、なのははレイジングハートまで取り上げられるんですか? 差が大きすぎやしませんか?」

「君は元々、魔法の世界の人間だろう。でも、なのはを件の件から外す一番の要因は、少し別だ」

「なら心因性の問題も放置しているのに、それ以上の原因ですか?」

「だから落ち着け、然程離れてはいないが、何よりも問題なのは戦闘中の行動停止だ。心の問題も確かにそうだが、あんな状態で前線にでられていつ行動停止されるかわからない。
そんな状況じゃ、とてもじゃないが戦闘に使うことはできやしないんだよ、ユーノ」

「クロノのいうとおり、他の者達を危険に晒されるかもしれない状況を、私は作る事はできません。
今はなのはさんを前線に配置することはできないわ。……彼女にしてもまた何かあったら見殺し状態だもの。それに、いい機会じゃないかしら?
魔法の世界から足を洗って、元の日常に戻る。元々彼女は、こちらとはなんら関わりのない現地の住民ですしね。これ以上の関わりは無用と判断します」

 その言葉に、ユーノは了承の返事はできなかった。ただ拳を固めて、うち震えるのみ。クロノもリンディも意見を変える事はない。

「以上を以って、先の処分報告とします」

 決定は覆らない。誰しも席を立ち会議室を後にする中で、1人。ユーノは立ち上がる事ができなかった。誰も、いなくなってしまった会議室の中で一人、手は硬く握り締められていた。
そして、誰も居なくなった会議室に念話が舞い降りる。





"…だから、件(くだん)の件から手を引けと言ったんです"







追い討ちをかける念話に、ユーノは手を握り締めた。

指先が、真っ白になるほどに。





 二時間後また別の会議がスケジュールに組まれていた。今度は先程の面子に加えアースラのオペレーター混ざっている。
正直、会議には出たくなかったユーノだが出ない訳にはいかない。なのはがいたから管理局に参加要請しましたなのはがいなくなったら参加要請しません。
というわけにもいかない。エイミィがウィンドウを操作すると、卓上のウィンドウに、3人の人物が浮かび上がってくる。

 1人はフェイト・テスタロッサ、その使い魔アルフ。そして新たに、黒い髪をしたフェイトにそっくりな、アンノウン。nonameなので略してノーム。と称された。
リンディの説明が始まる。

「前回の件で、新たに一人の容疑者が、リストアップされました。エイミィ」

「はい、今だします……っと」

さらなる操作を加えると四人目。髪の長いおばさんの画像が浮かび上がってくる。

「ノーム、そしてフェイトから何度か、母さん。という発言が確認できてることとテスタロッサ、
という同姓からプレシア・テスタロッサが当事件の黒幕と仮定して、今後は動きます」

 ユーノとクーパーはプレシアの映像をまるで動物園のパンダを見るような目をしている。
犯罪者に詳しい一般人がいたらそれはそれであれなのだ。元時空管理局所属、そして人造魔導師の生成に手を伸ばした事を説明していき、一通りの説明が終るとリンディが続けた。

「フェイト、ノームは両名はプレシア・テスタロッサの身内、という事とプレシアの命令で動いていると想定します。一応推測だから、断定はできないけどね」

 これからの方針についても述べられていく。

「エイミィはプレシアについての資料を。今後、3名との戦闘になる場合が多いと思いますのでクロノ執務官、
クーパー君、ユーノ君に関してはよろしくお願いします」

 あらかた話しただろうか、間合いを見計らってクーパーが挙手する。

「どうぞ?」

「…クロノ執務官の技量を、疑うわけではありませんが、僕達はあまり攻撃に特化していません。
そうなると執務官は苦戦を強いられると思います。もう一点。なのはさんの処遇は、本当に覆さないおつもりですか?」

「申し訳ないけど、個人でAAAクラスの魔導師の戦闘を行えるのがうちはクロノだけなのよ。
後は武装隊で人数頼みになるだけ。ジュエルシード争奪戦のように、速度を求めるなら、貴方達とクロノだけの人選になってしまうわ。クーパー君は、前衛できない?」

「できないこともありませんが、クロノ執務官クラスになるときついです。それに、僕は飛べませんので海上や上空でやられると手も足も出ません」

「そう。それから、なのはさんに関してですが」

全員の注目が再び艦長に集まる。オペレーターの面子が注目する。まだ、聞いていないのだろうか。
ユーノは、また、手をぐっと固める。

「不安定な力に頼る訳にはいきません。色々と問題もある為、先の一件を持って艦から降りてもらうことになりました」

 その言葉を聴いてユーノはやや気落ちしたように見えた。確かになのはは不調だ。やはり信頼しなければならない前衛に配置した所で、負けるのが目に見えているのならば戦いに出すのは問題があるだろう。
質問は、再度あがらなかった。

「よろしい、では次にフェイトが現れた時の対策について……」

 会議は淡々と進められる中で、ユーノの心は此処に在らずという風だった。誰しもそれが解っていながら会議を進められる。ユーノには会議内容が頭の中に入ってこない、
認識はしているもののどこか他人の話のように会議の様を眺めていた。内容を覚えているような、覚えていないような。あやふやなものだった。
それでもちゃんと、必要事項にはメモを取っているあたりはユーノだった。今後の対応や説明が終ると、誰しも会議室から出て行く。

 誰もユーノに声をかけるものはいなかった。再び一人でぽつりと取り残された会議室の中で、机の上を見つめながら呟いた。

「僕は、間違っていたのか?」

 なのはに対して、そしてクーパーに対して、管理局に対してやフェイト達に関しても。なのはの人生を掻き乱しそして始末に負えなければ、手放すという管理局にも従っている。
自分は一体何がしたかったのか。ジュエルシードを集めるといいながら一人ではままならず、こんな有様だ。引きずるように、昔の記憶があふれ出す。唯一クーパーが感情を乱した時の記憶。
決別した遺跡の中で弟は僕は使い捨ての人形じゃないと言っていた。

 なのはに対してはどうなのか。なのはをどう見ていたのか。ただ心を罪悪感で雁字搦めにされてしまう。何一つできやしない。
個人と言うちっぽけな力を手に、何がしたかったのか。今ではもう、それすらも解らなくなってくる。道は、誤っていたのか。答え一つ出せずユーノは誰にも知られず涙を流す。
自分に力が無い事も現状にも憂う。涙は頬を歩んで膝の上に落ちる。それも直ぐに消え失せた。泣こうが、現状が変わるわけでもなし。

 涙は毀れ続ける。コップに入った水をひっくり返して床に叩きつけるように、感情は止める所を知らず。それでも、ひとしきりに泣ききると涙を拭い眼を真っ赤にしながら席を立つ。
このままいつまでも泣いている無様な姿でいるわけにはいかない。まだ、どこかスッキリしない頭で会議室を出る。出た所である人物が壁によりかかり腕を組んでユーノを待っていた。
アースラの切り札と言われている、クロノ執務官である。それでも、ユーノはとっととその場を去ろうとすると声がかかる。

「君のだ」

 足を止めて振り返れば赤い何かを投げ渡される。それを両手でキャッチすると息を呑む。渡されたものは、紅玉。
なのはが使っていたレイジングハートだった。両手で包み込むようにしてじっとそれを見入ってしまう。
自分との思い出は少ない。むしろ、なのはが持ちなのはの相棒としての印象が強い。

「そのデバイス、頑なだな。ジュエルシードを渡そうとしない」

「え?」

「主以外の命令は聞かないそうだ。ばらして無理やり取り出そうとしたら、
自前のロックをかけて取り出せないようにしている。取り出せるようなら、やっておいてくれ」

 それだけ言い切るとクロノはその場を後にする。残されたユーノは去り行く執務官の後姿を見つめながら呆然としていた。そして、
今一度レイジングハートを見入る。紅玉はどこまでも紅玉だ。なのはの首にぶら下がりなのはのデバイスとしてあった時と、
なんら変わらない。そしてふと意識が急転するや否や慌ててクロノの後を追いかける。まだ後姿は見える、あらん限りの声で叫んでしまった。

「クロノ執務官!」

 少しだけ、その声の大きさに五月蝿い思いながらも、足を止めて振り返る。

「なんだ?」

 心臓がもたげそうな気分。それでも聞かなきゃいけないとユーノは思った。

「……なのはは、どうなったんです?」

「もう、自宅に転送済みだよ。二度と魔法の世界に関わる事もなければ、関わらせるつもりもない。
あの子に近づいたり、そのデバイス、渡したりしないように」

 解ったな、と釘を打って。再びクロノは踵を返して歩き始める。その去り行く姿を見送る事しかユーノにはできなかった。
手の中のレイジングハートの感触だけが心許なく何かを語りかけるようだった。ただ1人、廊下で馬鹿みたいに突っ立って
溜息を落とす、そして、手の中のレイジングハートを見つめてからその場を後にした。

 与えられた部屋があるからそこへと向かう。とぼとぼと廊下を歩く、誰も、道中ではすれ違うことはなく、部屋の前に来ると電子開錠して開かれた部屋の中に入る。
照明がついていないから真っ暗だ。手探りでスイッチを探して、パチリとボタンを押せば部屋の中が直ぐ灯される。でも、照明がついて部屋の中に見えるようになっても
中は誰もいない、無機質な部屋。ベッドと机と少々の道具があるだけでとても質素というか、簡素な部屋だ。手の中のレイジングハートを机の上に置くと、自分の体はベッドの上に投げ出す。

 衝撃はスプリングが悲鳴をあげながら緩衝する。ごろりと転がった体は何もやる気が起きず、惚けていた。もしも今フェイトがどこかに出現して出撃したら何もできずに撃墜されるだろう。
そして、気を緩めばなのはのことばかり思い出してしまう。いけないなと思うのは何がいけないのか。ぐしゃぐしゃの考えを紛らわすように寝返りをうつ。会議室でもさんざ泣いた事だし眼が重い、
もう、寝てしまおうかと瞼を閉ざす。うとうととベッドの上で眠ろうか眠るまいかを続けていると、ユーノは何かに気づいて瞼を上げる。その何かが気になって重い体を起こすと卓上のレイジングハートが明滅していた。

 そして声が聞こえる。

『I want to meet mymaster.』

「……レイジングハート」

 ぼそりと名を呼ぶ。机の上に置かれた、紅玉が明滅し、語りかけてくる。

『please,Yuno.』

 ベッドから立ち上がり、ゆっくりと机に近づく。

『I want to meet Nanoha.』

「………………」

『please,Yuno.』

 会いたい。ただ、主を求め会いたいというデバイスを前にして、今のユーノができることは唯一つ。机の前にして立ち尽くすことのみ。
主を失い尻尾を振り続けながらさ迷う子犬の如く、願い続けるデバイスの願いを聞いてやる事もできない。明滅と同じ言葉を繰り返す
レイジングハートを見ていると、顔を顰め、ユーノの体は崩れ落ち床にどすんと尻餅をつく。その時にイスを弾き机を揺らし、紅玉のレイジングハートは転がって、机の上から床に落ちた。

 ころころと、紅玉は床に転がりユーノの前に再び姿を見せる。

『please,Yuno.』

 何もできない。何もしない。渾沌とする自分が嫌だった。顔を手で覆い隠す。気づけば歯が臆病者のように鳴っていた。
あれほど泣いたと言うのに、手で隠された双眸からはまだ頬を涙が伝う。嗚咽がゆっくりと姿を現し、止まらなくなっていた。
でも、どうしようもない。震える手でゆっくりとレイジングハートに伸ばすと、ライトグリーンの魔方陣を展開する。

 もう、なのははいない。お前の主人は、魔法の世界から足を洗ったんだ。

『please,』

 最後の願いを、尻切れトンボに聴いた時。レイジングハートの機能を落とす。インテリジェントデバイスの機能をダウンさせて黙らせた。
それでも、ユーノの涙が止まることなく蹲るようにして嗚咽だけを漏らした。罪悪感だけが心を占めてどうしようもなく、彼は泣き続けた。
いつまでも、レイジングハートの声が反響し己の中で響いていた。
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