ヴィヴィオは既に眠りの中。時計の針の音が大きく聞こえる。
暖かい一杯の珈琲を机の上に置いて眺める。踊る湯気を眺めながらフェイト・テスタロッサはコーヒーを飲みながら昔を思い出す癖があった。
一時間、二時間。珈琲を眺めながら惰性に浸る。深夜になり湯気が失われようとも眺めていた。あまり、意味は無かった。珈琲という媒体を通して別の者を見ているからだ。

『またそんな事して。明日も早いんだから寝なきゃ駄目だよ』

 元相棒は優しく諭してくれるかもしれない。
もっと尖っていた子供の頃なら、つっけんどんな言葉に違いない。

『…何をしているんですか』

 それだけだ。そんな事を考えてフェイトは口許に笑みを寄せる。長い付き合いと言っていいかもしれないが仕事仲間という割り切りで恋愛感情はなかった。
そもそも、あれはフェイトをそういう目で見ることはなく晩年は別の女性に一途だった気がした。フェイトとあれは似ていた。だから、フェイトは求めたのかもしれない。
彼はもういない。でも時は進む。すっかり冷めてしまった珈琲を一息に煽るとメールが届き光学端末が起動する。badreportの完成はもう直ぐ。

 外では雪が降り始めた。























crybaby.













 人は痛みを知ると慄く。事故に巻き込まれ死をさ迷う経験を持てば横断歩道でも確認を行うようになる。
自分よりも強い者に殴られ脅されれば身の振り方を覚え無意識にブレーキを踏むことを覚える。これ以上は駄目だ。
これぐらいなら大丈夫。それは己が安寧の為。痛みと恐怖から逃れて生きる。

 それが人だ。しかし鮮烈な痛みが記憶から薄れると大胆になる。そして痛がる。何度も繰り返す。
何度も何度も何度も何度も。愚かしくも災いは忘れた頃にやってくる。
病室のベッドの上で子供が手鏡を見ながら笑っていた。頬を指で押し上げ、試行錯誤をしている。

 看護婦はスル―した。通りかかった大人は不思議がる。何が面白いのかと。でも尋ねない。何せ他人だ。薄気味悪くもあった。
誰も子供には尋ねない。鏡を覗く子供は笑顔を作り続ける。そんな矢先、見舞いに来た老人は首を傾げた。
故に尋ねた。

「何をしているんじゃ?」

 鏡を手に顔を上げた子供はやはり笑顔だった。
でも、話すと顔面の筋肉がゆがみぎこちない。

「…笑う練習です」

「んん??」

よく解らなかった。
子供は続けた。

「…笑うの自信なくて。上手に笑えてますか?」

 ぎこちない笑顔は何度見てもぎこちない。老人の脳裏に数週間前に出会った姿浮かんだ。
飛び交う蠅。死も認めていた虚ろな眼差し。薄汚れた体。悪臭。目の前の子供が現実を受け入れ立ち向かおうとしているのは間違いではなかった。故に老人も笑う。

「勿論」

皺を深く刻ませて、とてもよい笑顔を返した。
子供は尚笑う。

1.

 見上げれば青空が広がっている。雲一つない空。綺麗だった。
一部の人工物と遺跡を除いて荒野が広がっている。砂漠程枯渇していない。
乾燥地帯にゲルに似たテントが幾つも立ち並び賑わいを見せている。

多種多様な人種が混在し、中には背に翼や尾を生やす者や角を生やす者も見受けられる。風も湿り気を帯びず、涼やかさが頬を撫でた。
彼等は皆、ファミリーネームはスクライアと名乗る一族で発掘や古代文字の解読や、遺跡関連の仕事をこなす事が多い。
多様な人種で構成されているこの一族は、様々な世界に飛び個人で調査を行う者、グループで行う者など、一括りにはできない集合体の一族なのだ。

 血の繋がりも皆無とは言わないが、かなり薄い。そして、来る者拒まず去る者追わず。
そんな一族に一人の少年が迎えられようとしていた。少年は老いた老人の後ろを歩く。周囲の居並ぶテントや元気な子供達、
そしてなんらかの仕事をしている大人達を眺める。

口は噤んでいた。顔には僅かな緊張が浮かんでいた。子供の容姿たるや、右目に大きな眼帯をかけ片目で頭は黒い髪をしている。
あまりにも黙ったままでいたせいか、先を歩く老人に話しかけられる。

「今日からお前もスクライアの一員じゃ。そう、畏まらんでもいいわい」

「…は、はいっ」

老人は陽気に笑いながら歩き続ける。子は追う。

「直ぐに慣れる。お前と年が同じ子もおるでな」

「有難う御座います」

 畏まるよりも緊張しているという風に見える中二人は少し大きめなテントに入った。少し薄暗く怪しい雰囲気が漂う。

「…直ぐ迎えが来る。待っておれ」

 老人、もとい長老はどっこらしょと適当な椅子に腰を下ろすと、干草のタバコに火をつけてぷかぷか煙を浮かべ始めた。
子は邪魔にならないよう部屋の隅に移動すると好きに座れと言われても辞退した。丁度その時、迎えであろう者の声がテントの外から聞こえた。

「長老、ユーノです」

 ややトーンの高い綺麗な声だった。中にいる二人の眼が入口へと誘われる。

「来よったか。入りなさい」

「はい」

 綺麗な声の主が、テントの入り口に手をかけて入ってくる。瞳は綺麗な翡翠の色。部族特有の衣装を着ていて髪はショートだろうか、中性的な顔立ちは性別の判断がし辛い。
男か女か片目の子供には解らなかったが眼が合い軽く頭を下げる。長老が煙草から口を離し、口許から白煙がゆらりゆらりと泳ぎ独特の臭さが広がる。

「ユーノよ、新しい子じゃ。お前と同い年じゃから色々と教えてやりなさい」

長老の言葉に、ユーノと呼ばれた子は片目の子を見た。再び眼が合う。
慌てて頭を下げる。

「…今日からお世話になりますクーパー・S・スクライアですよろしくお願いします」

間も挟まず一息に自己紹介を済ませ今一度頭を下げる、顔を上げたときに迎えてくれたのは暖かい笑顔だった。

「ユーノです。よろしくね」

ユーノは手を差し出してきたが、クーパーはユーノの手を見て、顔を見てを繰り返す。
長老はしわがれた声で笑いを漏らした。

「クーパーよ、握手じゃ、握手。シェイクハンド」

「…あ、は、すすみませんよろしくお願いしますっ」

顔を真っ赤にして、慌てて手を握り握手をする。

「うん」

終始笑顔のユーノだった。再び長老の煙を吐き出す吐息が聞こえた。タバコ臭いが増す。煙がだらしなさそうに泳いでいた。

「用件は以上じゃ。すまないが頼むぞユーノ」

「解りました。では失礼します。行こう、クーパー」

「…はい。ありがとうございました。失礼します」

 ユーノの後に続いて暗がりのテントの中から出ると、眩い日差しと青空に迎えられ左目を細める。
クーパーは目元を手で翳しながら、ユーノと並んで歩く。二人の背丈は同じぐらいだった。先ほど老人が同い年と言ったのが頷ける。

「良かったよ」

「…え?」

ユーノの言葉に、クーパーは目を丸くした。

「…何がですか?」

「ああ、いやごめん。ずっと歳の近い子っていなくてさ。他の子はもっと小さいんだ。
だから、僕らは年長組」

「そうなんですか」

尚二人は七歳。

「うん。でも同い年っていいね。今まで年上と年下しかいなかったから新鮮だ」

そのやり取りが緊張のほぐしになったのか、2人はあれこれと話しを続け口許には笑みが漂う。

「ああ、クーパーは魔導師の適性もあるんだってね」

「…そうらしいですね」

「一般教養も魔法の勉強も、僕が教える事になるから」

「…そうなんですか。よろしくお願いします」

まだ硬いクーパーに苦笑を隠すユーノは、洗礼へと彼を導く。

「ここの生活も直ぐ慣れるよ。みんないい人達ばかりだから。っと、その前に。
こっちだ。まずはあのテント」

「…………?」

長老のテントとは異なった意味で、少し大きめのテントに案内される。
そして、つんざくような子供の声が聞こえてきた。また眼を丸くしたクーパーに、ユーノは軽く笑って見せる。

「最初の仕事。行けば解るよ」

「…は、はぁ」

 何か嫌な予感がしたクーパーであったが、大人しく従う事にした。恐る恐るテントの中に近づき、中を覗き込むと
いたのは小さな子供と幾人かの女性。豆柴かウリ坊のようなのがテントの中ではしゃいだり、騒いだり、泣いたりとそんなのばかりだ。
入口で固まった。が、元気な子供達はめざとくもクーパーに眩い視線を送る。

「誰!?」

「新しいお兄ちゃんだー!」

「突撃ーーッ!!」

「…ひゃぁぁあ!?」

 上ずった戸惑いの声を上げる間もなく、小さな子達に群がられ靴を脱がされ。助けてという間もなく、テントの中に引きずりこまれておもちゃにされる。
その光景を、ユーノも遅れてテントに入ると隅で偲び笑いと共に見ていた。膝の上では、ぐずっている子をよしよしとあやしている。他の女性達には紹介をしたり、
でも結局笑っていたり。クーパーはというと。馬乗りにされたりしながら、やっぱりもみくちゃにされていた。
眼帯を取られそうになったり、髪を引っ張られたり、涙眼の叫びが聞こえてくるのであった。

南無三。

「ごめんね、ここに来ると必ず、こういう歓迎を受けるんだ」

聞こえていたかは、定かでない。結局子供達が昼寝を始める頃まで続いた。





2.

 少しだけ拗ねてるというか、凹んでいた。子供達と遊んでいたら夕刻になりそのあとはユーノとクーパーは食事を作る手伝いをしている。
ユーノは時折大人に混じって野菜を洗ったり運んだり、炒めたりしている。一人黙々と芋の皮を剥き続けるクーパーは働く大人たちやユーノを眺めながら手際の良さに感心していた。
ふと、ユーノが近づいてくる。

「疲れた?」

 隣に腰を下ろした。ナイフを手に芋の皮剥きを始めたるがとても滑らかだ。クーパーの手つきとは段違いである。
どうしても比べてしまい苦笑する。

「…少しは。でも、ユーノさんは凄いですね」

「え?」

疲れの吐息混じりの発言に、ユーノも目を丸くする。

「…子供の相手も、料理の支度も。みんな手際よくて芋の皮むきも上手ですし」

ああ、と相槌を打たれる。

「大丈夫だよ、その内慣れるから」

「…………」

「発掘のやり方もそう、調査にしてもそう。
勉強も魔法も自分であれこれ試さなきゃ。習うより慣れろって、言うでしょ?」

「…確かに、その通りですね」

「だからこれから一緒に頑張ろう。僕も同い年の子がいてくれると、色々助かるんだ」

 その笑顔に応えられるように、クーパーも頷く。

「…はい、ご期待に添えられるよう頑張ります」

 こうして、ユーノとクーパーの二人三脚えっちらほいの生活が始まる。
あれこれ話していると声がかかる。

「向こうの準備できたってよー」

「さ、まずは食事だね」

クーパーは自分が剥いた生芋を見やる。まだ調理すらされていない。

「それは明日の朝食用、行こう」

 だそうだ。まずは食事をする事に。席につきながら左目が周囲の様子を覗ってみると、
本当に多様な人種や種族で老人から赤ん坊まで色んなのがいる。ある種のパーティーのようにも見える。

 スクライア一族の懐は深いらしい。クーパーもそうだが、孤児を引き取り教育を施したり、学校にもやったりしている。勿論それはスクライアの名を継いで欲しいからというのもあるが。
それでも、この優しさに触れられて良かったと思うクーパーだった。路地裏の闇の中でうずくまっているのと、こうやって色んな人と話をする食事の差は大きい。

「はいはい! 食事の前にちょっと紹介があるんで御静粛にー食べながらでいいので御清聴あれ」

 がたいのいい男が皆の前に立って声を上げた。勿論、皆が皆一緒に頂きますなんて事はないので、皆スプーンやフォークを手に食事を始めている。
ただし、賑わいは減り静かになっていく。

「今日からまた新しい家族が一人が増える。パーパー君御起立!」

 何やら、名前を間違えられている。引き笑いの笑みを浮かべるのをよそに、ユーノが声を上げる。

「クーパーですよグンさんっ」

「おおっと失礼間違えた」

 どっと周囲から笑いが巻きあがり、野次が飛ぶ。それらを他所に、クーパーは立ち上がった。
皆の注目が集まる。野次は止まり周囲はしんと静まり返った。ユーノが隣で自己紹介と小声で小突いてくる。

「…え、ええと。紹介を頂いたクーパーです。まだ解らない事も多く御迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします」

ぺこりと頭を下げると共にやんややんやの喝采が上がる。

「よろしく頼むぜー」

「うちのガキの世話よろしくなぁ!」

「解らない事があったらいつでも聞いてねー」

 皆、歓迎してくれている。
それが少し恥ずかしいのか、四方にこ頭を下げながら腰を下ろすとユーノが笑っているのに気がついた。

「僕の時はユージくんだった」

「…はは」

どうやら誰でも一度は通る道らしい。
苦笑していると、「魔導師の人だけだけどね」と添えられる。
かなり微妙な気分で苦笑する。

「さぁ食べよう!」

周囲も食事をとり始め、クーパーもそれに従った。
美味かった、というだけは覚えている。後、とても楽しかった。
こんな食事は初めてだった。

 食後は色んな人達の紹介を受けたりしながら話をして、ユーノと一緒に風呂に入り、同じテントで寝ることに。
照明を落とす。おやすみと声をかけるとおやすみなさいと返ってきた。お腹もいっぱい、眠さも少々。
後は、意識を手放すだけでいい。

 沈黙が訪れる。時折衣擦れと2人の呼吸が、潮の満ち引きのように聞こえていた。
それから、時計の音も。秒針の音を認識すると、コチ、コチという一秒感覚の時の時の刻みが耳から離れなくなる。
そんな中。暗いテントの中で、横になっていた人影がもぞりと起き上がると出て行った。

 ユーノは黙って見送った。

「(トイレかな……)」

 深く考えなかったが、目を閉じて眠りに落ちたが眠りは浅く直ぐに目が醒めた。気にすることなく寝返りを打って再び眠りの中に戻るが、寝ては起きてを繰り返した。
寝苦しくはないが、寝付きの悪さに苛立ちを覚えつつ無意識に横を首を横に捻るとクーパーの姿は無く、布団の中は蛻(もぬけ)の殻だった。

「(……………)」

 自分の呼吸だけが静かに聞こえた。丁度いいと思いながら、ユーノも布団の中から抜け出しテントを後にした。
外は寒くもなく暑くもなく荒野は寂しげだ。涼しい風が吹いている。髪が揺れる。時刻は深夜を周り、明かりもほとんど落とされ
大人達も寝ているのか静かだ。テントの森を抜け荒涼と広がる地平線を横目にする。人気のない方へと黙々と歩いて行くと、ぽつんと、クーパーが背を向けて座っていた。夜空を見上げている。

「何してるの?」

隣に腰を下ろして顔を見た際、眼帯が外された右目を見てしまう。大きな傷跡があった。反射的に、手で隠され目を反らされる。
尚瞼は合ったが右目は無かった。

「ご、ごめん」

「…いえ」

咄嗟に謝る。直ぐに眼帯をつけられ、あくびれもなくクーパーは笑った。

「…気にしないで下さい。別に、見られちゃいけないって訳じゃないんですし。ただ、傷痕を人に見られるのってなんか嫌で」

眼帯の紐が指先で弾かれる。

「見られたくないものって誰でもあるよ。ごめん」

「…はい」

 流されるようにユーノも頷いていた。風に揺れながら淡く優しい時間が過ぎて行く。その後は沈黙が続いた。ユーノがちら見するとクーパーの左目は閉ざされている。
風の音が静かに聞こえる。子守唄のようにも聞こえた。でも眠れない。

「…ここの人達は、僕が何をして生きていたのか聞かないんですね」

 唐突な呟きに、空を見つめていたユーノは虚を突かれる。
それでも、取り乱さずに肯定しておいた。

「色々と事情がある子や、親がいない子も少なくないから、そういう理由は聞かないんだ。
クーパーが話したくなったら話してくれればいいよ。無理に聞こうとは思わない。話したくないこととかあるだろうしさ」

「…ありがとうございます」

 丁度、ユーノは目を開いた。クーパーも目を開いていた。
ふと気づく。

「(……あれ……?)」

 泣いていたらしい。頬を拭いながら、クーパーは立ち上がった。

「…戻りましょう? すみませんお手を煩わせて」

「……そんな事ないけど」

ユーノも立ち上がる。

「ねえクーパー」

「はい?」

「今泣いてた?」

 そう尋ねると、クーパーの頬に朱が走る。
図星を突かれたようだ。思わず、ユーノは噴きだした。

「そっかそっか」

「…な、なんですかその笑顔は」

「いや、クーパーも可愛いところがあるなーって思ってさ」

「…泣いてませんよっ」

「いいんだよ、泣いてもお兄ちゃんって呼んでくれてもいいんだよ。抱きしめてあげるよー」

「ユーノさんっ!」

 顔を赤くして追い縋るクーパーに、腹を抱えてユーノは笑った。
気分は良かった。気分は最高、だった。

「…泣いてませんし僕子供じゃありませんから!」

「えー」

「…不満そうな事を言っても駄目ですっ!」

「えー?」

「…えーじゃないですからっ!」

 楽しさは続いたが、一頻りに笑うとテントに戻る。
布団の中に潜り込みながら目があった。静かだった。月並みだが、この世の終わりのような静寂さだった。

「おやすみ」

「…おやすみなさい」

 眠りの中に戻るために目を閉じる。そんな寝ようとした矢先。

「…僕」

 ささやくような小さい声が聞こえた。まだ、ユーノも目を閉ざさない。もう一度唇は動いたが今度は聞き取れない。
何か言おうとしている。でもクーパーの表情は澱んでいた。目は迷っているように見える。さっきまであんなに楽しかったのに。

「クーパーがどんな過去を持ってても。どんな傷跡を持ってても。
大丈夫。僕はちゃんと受け入れるよ」

 そんな囁きと共にそっと頭を撫でられた。髪をすく優しい手だった。
今までにない愛情に再度涙を零しつつ何度も相槌を打つクーパーだった。

「……おやすみ」

 瞼を閉ざした。





3.

 はてさて。子供の世話、食事の支度、一般常識等の勉強。それらをユーノと一緒にこなす日々が続いた。たまに余裕があると遺跡の手伝いや、
仕事関係も学ぶ。が、ある日を境に教えるものがまた一つ増えた。スクライアにも慣れ始めた日の事。

「よい……しょっと」

「…?」

食後に満腹でぼんやりする中。教材と思わしきの本を手にしたユーノが姿を見せる。
テーブルの上に置かれる本の山は一体なんだろうと思いながら、聞いてみた。

「遺跡の本ですか?」

「ううん、違うよ。これは魔法の勉強をする為の本だよ」

「…ああ、魔法ですか」

 返事は凡庸だった。あまり関心がないのか、それとも興味がないのか、既知でないからか素っ気無い。
関心は薄いように思えた。それでも、ユーノは笑顔を崩さない。

「そろそろ魔法の勉強も始めないとね。スクライアで遺跡の仕事をするなら魔法は必須だし。
それに、リンカーコアを持ってるなら魔法の基礎を知ってても損はないんだ」

「…成る程」

「というわけで余裕のある時に少しずつやっていこう」

「…はい、了解です」

 勉強はスムーズにスタートした。乾いたスポンジのように、クーパーは知識を飲み込んでいく。
あまりのはやさに、ユーノも舌を巻いた。

「本当に覚えてる? 解ってない所解ったっていうのは駄目だよ?」

「…なんか、一度やった感じなんです。やった範囲は覚えてるんで復唱できますよ」

 試しに適当な部分を指摘すると淀みなく答えられ正解されてしまう。勉強というよりも、復習をしている気分のユーノだった。
時間が過ぎるのは早く、二時間が経ち10分休憩の際に首を傾げられた。

「…ああそうだ、大人の皆さんが持ってる……なんていうんですかね、あれは」

「デバイスのこと?あれは魔法を使うのを補助してくれる道具だと思えばいいよ。欲しい?」

「…基礎が不完全の僕には無用の長物ですよ」

 と言って笑った。休憩を挟んで再び勉強を始めるとクーパーは本を眺めながら挙手する。

「このスフィアって……出してみてもいいですか?」

 まだ攻撃にも防御にも、なんにも役立てない赤ん坊状態の魔力で出来た球体の事だ。

「いいよ、試してみて」

 本を片手に、魔法の内容をぶつくさ言いながら試してみる。……と、光が形作られる。
勉強の進行速度には本当に舌を巻くユーノだった。初日は理論だけで済まそうと思っていたのだが、
Hello Worldなど一足飛びに進んでいる。

「出たね」

「出ましたね」

茶色い光を放つ球体がクーパーの隣でふよふよ浮いている。風船のようだ。

「色は、人によって違うんですよね」

「うん、ちなみに僕の場合は緑だよ」

ユーノもスフィアを形成して、宙に浮かせる。確かに、緑色をしている。

「…綺麗。でも不思議ですね」

「魔力光と魔力量は生まれた時に大体決まってるから、どうしようもないかな」

こればっかりはね、とユーノはため息をつく。何かは、クーパーにはわからなかった。
魔力量が少ない彼にとって、それはある意味ネックだったが、弟に言ってもしょうがない。

「それじゃ、このスフィアをぐるぐる動かしてみて」

ユーノは見本で光る球体を動かしてみせるが、それに習いクーパーも本に噛り付きながら、
動かしてみようとするものの球体は直ぐに消えてしまった。

「…あ」

「魔力の供給と、後は意識の問題かな」

「…もう一度っ」

「頑張って」

 憎むべきかは解らないが、それからクーパーは魔法の力を伸ばしていった。とは言っても、性格からか驕ることがない。
一歩下がり遠慮してしまうのだ。・・・ユーノさんのおかげです、が、彼の弁だが。月日が流れるにつれて、研鑽は進む。ユーノもそれに触発されて、魔法の勉強が進む。
ユーノもクーパーも探査や防御といったものをメインに学んでいる。ここはスクライアの一族であって戦闘種族でもない。

 防御や戦いを凌ぐ魔法を二人は模索していた。タイプとしては結界師のソレに近く大人からアドバイスを貰っていた。
二人の日課ともなっていたのが、遊びも兼ねて行われる構築式での勝負だった。ユーノもクーパーも魔法を使用する場合は構築式を自分で組み立てなければならない。
デバイスを持たない魔導師の宿命だ。その構築式がどちらが早い娯楽のかわりにしていたのだが――!

「……一勝もできない……っ」

「ご、ごめんね?」

 涙目になっている弟に申し訳ないような気分だったが、わざと負けてやる気は微塵にもないらしい。二人の戦いは続いた。
洗濯物を干しながら、鍋を似ている時、寝る前のちょっとした時間、勉強中の小休憩時。などなど時間があればとにかくユーノは挑戦し続けた。
積み重ねられる敗北数。当初はユーノが余裕で勝てる程の余裕っぷりだったが兄も悪魔ではない。

 勝負に勝った後で、どこの構築式が悪いかの指摘と課題をクーパーに投げ渡す。弟もその課題をクリアしながら兄に挑んでくる。
少しずつ処理速度はあがっていた。、兄から渡される課題+自分での試行錯誤が混じり無言の演算に没頭する。そしてパンクする。
今度は質問と応答が飛び交い少しずつただの指摘と回答が議論になり、少しずつ少しずつ。二人は対等に話せるように歩み寄っていく。

 クーパーもユーノを目指しているらしく、魔法に対する躊躇というものがない。貪欲に学び、学べるものは全て取り込もうとしている。
ユーノがこれは抜かれるかな?と思ったある日、初めて僅差で負けた。無論、全力ではなかったのだが、…と、負け惜しみ考えたり、
少し悔しかったりもするのだが。クーパーは声をあげて喜んだ。

「…勝ったっ、勝てました!」

 普段大人しいクーパーが、取ったどー!!と言わんばかりの姿にはたかが一敗はどうでも良くなった。
が、直ぐにお兄ちゃんのリベンジが始まる。負けず嫌いらしい。普段はチェーンバインドやラウンドシールド、プロテクションで競っていたが、
一つの壁を越えたと思い新たな壁を用意された。にこりと笑うユーノの笑顔が印象的だった。

「じゃあクーパー、次から同時構築もやってみようか」

「…え?」

 クーパーが固まる。今までは単体、これからは複数? という疑問を抱えながらもそれじゃやろうか、というユーノに
引きずられて早速勝負してみるが瞬殺される。先程の勝利の意気はどこへいったのやら、撃沈していた。

「…ユーノさん」

「ん?」

「同時構築は無理ですッ!」

「僕できてるけど」

「…う」

怯む。

「僕にできるんだから、クーパーにだってできるよ。包丁と一緒一緒、ね?」

そんな朗らかな兄に、吐息をついて了解ですと答えておく。少し追いついたと思えば、また直ぐに遠くに行ってしまう。
先の単体魔法で再戦を挑んでもやはり負けた。先は遠い。クーパーの研鑽は続く。




「…チェーンバインドを構築しながら、ラウンドシールドの構築……まるととさんかく……」

 ユーノが助言をくれた。”人間の頭っていうのは、右手と左手に鉛筆を持って、それぞれで丸と三角を書く事はできないんだよ。
これをヒントに頑張ってね。”とのこと。とりあえず、テーブルに向かい言われるがままに試してみる。

「…ほんとだ」

歪んだ三角と歪な丸ができあがる。人間は完璧なマルチタスクは不可能だ。クーパーは悩む。
きっと、上手く両方をいっぺんにこなす方法が、きっとあるに違いない。その方法を求め、暇な時間に考えた。

「(……きっとユーノさんは両方綺麗に書ける秘密を知っているんだ)」

そう思いながら、習うより慣れるととばかりに、紙とペンを二本手に取って挑んではいるのだが。

「……あれ?」

「……うーん」

「……ううう」

「…………」

「……ぜ、全然できない」

 涙目であった。紙の上には量産される歪な△と○、どちらも歪んでいて、まるで小さな子供のお絵かきだ。
尤も、彼も小さな子には違いないのだが。

「……なんでだろう」

 それとも、ユーノの頭が特別製なんだろうか?一度だけ、見本ということで、ユーノは両手にペンを持って
さらりと○と△が描いていた。あれは特訓の成果なのだろうか。今回ばかりは、「自分で考えるのも大切だよ」
とのコメントを頂いてしまった。そう簡単にはいかないらしい。何故だろう。クーパーは頭を悩ませた。

「…うーん」

頭を悶々とさせながら片手でさっと、○と△を書いてみる。なんの問題もなく書ける。
両手でそれぞれ、試したみた。普通の右利きだけど、○と△ぐらいなら、左手でも問題無く書ける。

「…うーん」

 だというのに、両手でトライすると○は、ぐにゃぐにゃなのもあれば、途中から△になりつつあるのもある。
△も、丸みも帯びているし、三角の角がなくなってしまっている。これでは三角と呼べないだろう。

「…練習なのかなぁ」

書いても書いても、出来上がる○と△は、歪だ。どうしたものかと頭を悩ませる。

「…諦めてユーノさんに聞く、……のはちょっと悔しいし」

 どうやれば○と△、いっぺんに書く事ができるのだろうか。悩んでいると、テントにユーノがテントの中に入ってきた。
大量の歪な○と△を見てにまりと微笑んだ。少し悔しい気持ちになる。

「やってるね」

「…試行錯誤中、です」

頬をぷくっと膨らませて精一杯の抵抗を示す。見栄を張る、とも言う。

「ほら、そこまでにして。夕飯の支度しないといけないから、行こう」

「…はい」

 悔しながらもひとまずテントを抜け出すと、ため息をつきながらユーノのと食事を作る別のテントへと向かう。悔しいなぁ、と青空を眺めながら歩く。
なんとも、晴れた天気なことか。だが、生憎空を見つめても答えはでない、両手ぐーとぱーにしてみたり、あれこれ考えるが、いい案など、何一つ浮かばない。
とりあえずその場は諦めて、食事作りに専念した。二人でエプロンをまとい今日の食材をちゃちゃっと確認する。他の大人に混じりながら、調理を開始する。
ちなみに、今日はクリームシチュー風シチューに、ハンバーグだそうで。

「それじゃ、僕ハンバーグ手伝うから。クーパーはシチューの手伝いよろしく」

「…はい、了解です」

分担がちゃちゃっと決まると、さっさと手伝い始める。魔法と同じく料理の腕も随分とあがってきた。
どちらかの手が空けば手伝うし、他の人も手伝ったりするから、さほど苦でもない。ユーノは肉をこねて、クーパーは野菜を洗って皮むきをする。
二人とも黙々と作業をする中で、

「…痛ッ」

「?」

肉をぐわしとこねている時に、クーパーの声に反応して顔が動いた。何やら包丁で指を切ったらしい。

「平気?」

「…え?あ、はい。平気です」

人差し指の腹がすっぱり切れている、あまり深くはないが、痛そうだ。

「痛そうだね」

「…ちょっと、痛いですけど。これぐらいなら」

「クーパー」

 名前を呼ばれたが反応を返す前に前にユーノはクーパーの手を取って、怪我をした人差し指を、
ぱくっと咥えた。指先だけが、ぬるりと感触に包まれてから、ねっとりとした暖かさに思わず、固まった。
柔らかな唇とぬめる舌の感触にぞぞぞぞぞと背中に鳥肌が走り抜ける。

「…ええええちょちょちょちょユーノさん!」

 顔を真っ赤して思わず叫んでしまった。ユーノのがただの男なら突き飛ばすなりぐーパンチ一つ飛ばす所だが、
容姿が容姿だけに、妙な気だった。それでも、傷口をぺろりと舐められれば痛みが走る。はわわわと慌てるクーパーを他所に、
ユーノはバンソーコーだね、といって傷口を水で洗い流し、さっさと手当てをしてしまう。頭が回らない本人は、何も考えていなかった。

「どうしたのクーパー?」

「…いえ、なんでもありません…………。ありがとうございました……」

 自分は変じゃない。変じゃないんだと言い聞かせる。そっちの気はないもんと精一杯の抵抗を示す、が。

「?」

 無意識である種の天然なユーノを見ていると、何もかも解らなくなる。僕はノーマル、ノーマルなんだと
思いながら作業が再開すると、クーパーは吐息を落としイモの皮むきを続けた。だが、そこでふと閃いて手が止まる。

「……」

 イモの皮を切る、イモを動かす。包丁を動かす。皮を切る。

「(……あれ?)」

 不明瞭に何かが見えた。○と△だ。そして、自分の頭に、ピコーンと何かが点った。何故気づかなかったのか、あまりにも簡単なことだ。

「……あれ? もしかしてこれでいいのかな?」

 不注意は続く。再度指をざくっとやって、「痛ッ?!」と声をあげ

「クーパー?!」

「…平気ですユーノさん! もうほんと大丈夫ですから!」

 全力で何かを回避した。とりあえずそのまま食事を作って、みんなでの食事が終わると、直ぐに自分のテントに引っ込んでペンと紙を引っ張り出す。
ペンを握ると指先の切り傷が痛むが、我慢した。

「(…一度にいっぺんのことはできないんだ。多分○を書く命令と△を書く命令が、頭の中で混同してるから、○と△が似たような歪な形になるんだ。
なら、方法は一つだ。△を途中まで書いてから、○を半分書く。その後は△を最後まで走らせて、○も……!)」

 ペンを走らせた。△を二角目まで鋭く走らせ、○も途中までさっと記す。そこから、残りを一気に記してしまう。

「……」

 紙面に浮かぶ、○と△。多少ぎこちなさは否めないが、それでも、今までの歪みに比べれば格段に向上している。

「…できた。けどユーノさんは、ほとんど一緒に書いてたっけ……?」

さっと軽く書いてしまった兄。だが、そこは練習次第だろうか。やり方は解った。後は、実践で詰めて行くのみ。

「……よし」

 テントの隅っこにどっかりと腰を下ろし、ラウンドシールドとチェーンバインドの構築式二つを頭に思い浮かべながら、練習し始めた。
まだ、時間はたっぷりとある。眠る前までの間に彼はどっぷりと練習に時間を費やした。

「クーパー、テント戻るのはやかった……」

 ユーノが戻ると、体育座りをして、テントの隅っこで、たまにチェーンバインド、たまにラウンドシールドを出現させるクーパーの姿があった。
集中しすぎているせいか、ユーノにも気づいていない。余程頑張っているらしい。これは兄としては見過ごせるものではない。

「僕も、抜かれたら困るしね」

 ユーノも適当な場所に座って、坐禅の形を組む。そのまま目を瞑ると、ゆっくりと集中の海へと落ちていく。
数時間そのままの状態でいて、ふと、閉ざしていた目をユーノが開く。隅っこで体育座りをしているクーパーを見ると、相変わらずだ。

「クーパー、もうそろそろ寝る時間だよ」

 声をかけるが、反応がない。無視ではないだろうが集中しすぎかもしれない。もう一度声をかけてみる。

「クーパー」

 再びかけた声にも、反応はない。そんなに集中しているのかと、ユーノは立ち上がって、彼の肩を、ゆすってみる。体は、ぐらりと揺れてそのまま崩れた。

「?!……って、なんだ。寝てるだけか」

 魔力の使いすぎで消耗しすぎかと思ったがそうではないらしい。単に寝てるだけだ。

「駄目だよ、風邪引くから」

 呆れながらも、先に布団を敷いてから、クーパーの体をどっこいしょと抱えて布団の上に寝かす。目覚める気配はまるで無い。可愛い寝顔にも苦笑しながらとりあえず毛布をかけると。
右目にかかる、黒い眼帯も外してあげた。隠れている部分が晒される。相変わらず、消える事のない傷跡がその姿を残してる。そっとその傷跡を指で撫でた。
額から頬までの大きな傷跡だった。傷跡が生傷だった時はさぞかし痛かっただろうと思いに耽る。

「おやすみ、クーパー」

 呟きが残滓も見せずテントに溶ける。
一度だけ、弟の黒い髪を撫で付けてから、照明を消し、自分も布団の中に潜り込む。
寝よう。翌朝、毎度毎度とばかりにユーノの布団にもぐりこんでいるクーパーがいたとかなんとか。

2人の生活は続く。














「……僕、記憶がないんです」

食事中にぽつりとクーパーは呟いた。
周囲は騒がしくユーノしか聞こえない。

「…それがちょっと悔しくて怖くて、でも家族が欲しくて……もっと、頑張ります」

「うん」

前向きなのは、いい事だった。
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